大保のカマクラ行事

2017年2月5日
その出会いは突然だった‥
などとトレンディドラマ風の書き出しになってしまったが、本当にそうなのだ。
この日は11時から長太郎稲荷神社の初午梵天を鑑賞
12時に行事が終わり、あとは帰路につくだけとなり、大仙市大曲を抜けて国道13号線に乗って帰ろうと車を走らせていたときのこと
旧大雄村から旧大曲市に入り、角間川あたりを抜けたところで不意に写真のような光景が飛び込んできた。

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おおっ!!
天筆(てんぴつ)が並んでいる!!
国の重要無形民俗文化財に指定されている、お隣美郷町の「六郷のカマクラ」でお馴染みだが、まさかこのように唐突にしかも全く知らない場所で見かけるとは思わなかった。
六郷の天筆に比べ、長さは短いもののこれは天筆で間違いない。
車を降りて近づいてみると天筆が立っているのは小さな公園沿いであり、しかも公園内にはテントが作られている。
カマクラ行事が行われる証に違いない!
この後にこれといった予定もなく、秋田市に戻ったあとに何をしようかなあ?などと思案しているぐらい時間は空いていたし、何よりもこれまでカマクラ行事をきちんと見たことがなかったので「是非行事の一部始終をフォローしたい!」と降って湧いた状況に一人興奮するのだった。

とはいうものの人の気配は皆無
ようやく、通りを歩いている年配男性をつかまえて尋ねてみると「さっきまで鳥追いをやっていたよ。午後もやるんじゃないかな。時間は知らないけど」との答え
おお‥やはりカマクラ行事が行われているのだな、と確信する。
どうやら午後の決まった時間に、近くにある公民館に鳥追いに参加する人たちが集まってくるとのこと
その情報を信じて公民館付近で待ち伏せ、いや待機する。
近くのコンビニで昼ご飯の弁当を買い、速攻で食べ終えた。
なお、ここは大保(だいぼ)という地区であることも先ほどの男性に教えてもらった。
因みに地元の人たちは「だいぼ」ではなく「でえぼ」と呼んだりするらしい。

そして2時頃
公民館に一人の若い女性が入ってくる。
自分は秋田の祭り・行事のブログを運営しているが、通りがけに天筆が目に入ったのでここで待たせてもらっていたこと、写真や動画を載せて記事化させてほしいことなどを伝えると、参加者全員に問題ないか確認してもらえるとのこと
行事準備で忙しいなか、お手数おかけしますm(_ _)m
そうしていると徐々に人が集まりだした。
小学生ぐらいの子供とそのお父さんお母さんたちであろう。
おお‥予想以上にいっぱい集まってきた。
大人と子供合わせて40人はいるだろうか。
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無事に撮影、ブログアップの許可もいただいて(やったー!)、これから出発
急な訪問者を何のためらいもなく受け入れてくれて大感謝です。
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まずは最初のお宅訪問
で、何をするかということだが、子供会会長の号令のもと20人弱の子供たちが家の玄関先で「アーーーーーーーー!!」と大声を上げて、家人は子供たちにお菓子や飲み物をプレゼントする、といういたってシンプルなものだ。
大保地区には全部で100ほどの世帯があるが、上大保・下大保と分けるとそれぞれ半々の50軒ぐらいずつになる。
この日は午前中に下大保50軒中20軒ほどを回り、午後も同数ほどの上大保50軒中20軒を回る。
行事に先立ち、地域の全世帯を対象に調査を行い「ウチに来てほしい」と回答した世帯20軒ほどを訪問するという仕組みである。

子供たちはお菓子をもらいホクホク顔だ。
このあと家人にはご祝儀が渡され、酒が振舞われる。

ところで‥
記事のタイトルに「大保のカマクラ行事」とつけているが、今回管理人が記事化した行事は見たところ(おそらく)正式な名前はない。
そこで勝手に「六郷のカマクラ行事」から名前を拝借して「大保のカマクラ行事」とつけさせてもらっただけなのだ。
で、問題となってくるのが‥
「カマクラ行事って何だ?」ということだ。
おそらく大多数の人は「カマクラ」と聞けば、こんなかんじで横手市の「かまくら」をイメージされるだろう。(一昨年かまくら期間中の横手城で撮影しました)
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で、雪で作った小屋(雪室)の中で飲食や歓談を楽しむのが「カマクラ行事」かと言えばそうではない。
簡単に言えば小さな行事が結集したのが「カマクラ行事」だ。
というか実は管理人もよく理解できていないのだ(すいません、偉そうに書き出しておきながら‥)。

ただ、秋田県立図書館から借りた、稲 雄次さんの「カマクラとボンデン」と、後藤麻衣子さんという方の「カマクラと雪室 その歴史的変遷と地域性」といった著書を読んでなんとなく理解はできた。
我ながら怪しいが、理解できた内容をまとめてみたい。
まず最初に、かまくらとは予祝行事であり、神を祀る行事でもある。
かまくらの中を見ると必ず水神様が祀られている点からもそのことは窺える。
そして「鳥追い」、「綱引き」、「左義長」、「火振り」など様々な行事がかまくらの前でかつては行われた。
それがやがて、それら小さな行事が雪室としてのかまくらと切り離されて独立したり(例えば「綱引き」や「火振りかまくら」など)、かまくらだけが残っていたり(「横手のかまくら」など)する中でかまくらが鳥追い小屋として残存し、各小行事が行われるのがカマクラ行事ということになる‥
ほとんど「カマクラとボンデン」からの受け売りだが、このように管理人は解釈した。

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さて大保の子供たちである。
子供会会長の引率と、お父さんお母さん方のエスコートを受けて順調に家々を回る。
こちらは自転車屋さん

このあたりは旧大曲市の南部にあり、あの写真家木村伊兵衛の有名な作品「秋田おばこ」(←「美の国あきたびじょんのHPにリンクします。左上のモノクロ写真の美女をご覧あれ!)の被写体となったお嬢さんはすぐ近くの角間川のご出身である。
その意識に引きずられているのかもしれないが、お母さんたちにやたら美人が多いし、女の子たちも皆顔立ちが整っている。
気のせいかな?とも思ったが、いや、どう見ても美人率が高い。
ただ、その確証を得るためにお母さんたち、女の子たちの顔を凝視するなど、通りすがりの見ず知らずのオッサンである管理人がやってはいけないことだし、そんなヤツがちょいちょい写真や動画を撮影しているとなればこれはもう通報案件だ。

基本的に鳥追い行事には唄がついてくるのだが、中にはここ大保のように子供たちが家々で大きな声を上げるスタイルのものもある。
過去の文献にも、訪問した先々において「‥児童等は即ち打ち揃うて声高に叫びつつ‥」との記述がある。
カマクラ行事も複雑だが、鳥追い行事もいろいろなバリエーションがあるのだ。
「カマクラと雪室 その歴史的変遷と地域性」を読むと、地区内を歩く際に鳥追い唄を歌う、地区と地区の境目に到達した時に鳥追い唄を歌う、といったようにいくつかの種類に分類可能なようだ。
このように家の玄関で一斉に叫ぶ鳥追いは全国にどれぐらい存在するのだろう?

ここ大保におけるカマクラ行事だが、しばらく途絶えていたのを今日参加されたお父さんたちが中心となり、数年前に復活させたということだ。
午前中に鑑賞した長太郎稲荷神社の初午梵天も、乗阿気地区が25年ぶりに参加できたのは30代のお父さん世代が盛り上げた成果ということだし、大保のカマクラも30~40代のお父さんたちが復活に大きく貢献している。
当ブログも毎度毎度「高齢化が進んでおり‥」みたいな締めくくりが多く、世代間継承においては先行きが明るくないような論調になってしまっているが、そんななかこのカマクラ行事のような事例があるというだけで嬉しく、頼もしい。

家のなかから年配女性らしき方が「ありがと!」と言っているのが聞こえる。
おそらく大保のご年配の方々も嬉しい出来事としてカマクラ行事復活を捉えているだろう。

カマクラの行列は地区の端の方へ進む。
雄物川沿いを歩く。
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順調に家々を回る。
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和気あいあいと行進
たまに太鼓と法螺貝の音が入る。
鳥追い行事といえば、法螺貝ではなく木貝が使われるのが主流なようだが、やはり木貝の高いトーンの方が鳥を退けるという本来の目的にかなっているのだろうか。

大通り(県道13号線)沿いの家々を巡った後は小路を入っての巡回となる。
子供たちはまだまだ元気だが、「アーーーーーー!」が「アーーーー!」ぐらいに短くなっているような気がしないでもない。
少し飽きてきたのかな?

今年は2月5日の開催だが、本来は2月第二日曜日の開催らしい。
今年に限っては2月第二日曜日が子供たちの部活の大会などと重なってしまったので、一週間前倒ししたとのこと

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小路を奥まで進んでいくと、雄物川へ突き当たる。
当たり前だが、川沿いは土手になっており、川を直接眺めることはできない。
このあたりの冬の雄物川の光景は、戦前に日本を訪問したドイツの建築家、ブルーノ・タウトが激賞したことで知られている(実際にはもう少し下流だが)。
彼は六郷の竹打ちや横手のかまくらなどについても文章を残しているが、いにしえの行事の姿を詳細に伝えており文献的価値も高いと思う。
やや大げさな表現が見られるところもあるが、華やかな祭りの様子を簡潔な文章で表現しており、もっと広く知られてもいいのではないだろうか、と思う。

この土手の向こうが雄物川
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子供たちのこれまでの収穫を見せてもらう。
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おー結構もらったじゃん!
お菓子の詰め合わせというのは大人ゴコロにもくすぐられるものがある。
遠い昔、サンタの靴にいっぱいに詰め込まれたお菓子にワクワクした記憶が呼び覚まされるのだろうか?

あとで地区在住の年配の方の話を聞いたところ、大保のカマクラ行事のルーツはやはり六郷のカマクラでなかろうか?とのこと
管理人もそう思う。
天筆を立てるところに六郷の影響というか、同根の行事であることが窺える。
ただ、このスタイル(子供たちが玄関で叫ぶ)の鳥追いは六郷では行われていない。
また、以前はカマクラ行事に合わせて上大保 vs 下大保で綱引きも行われていたという。
綱引きといえば、このあたりでは刈和野の綱引きが有名だが、旧大曲市上大町では現在も行われているし、かつては旧神岡町神宮寺でも行われていた。
推測になってしまうが、元々この地区で行われていた原初の形態に、周辺地域の行事がクロスオーバーする複雑な過程を経て大保地区のカマクラ行事が形作られてきたのではないだろうか。

雄物川べりを静静と行進
遠くから見ても風情があってなかなかよい。

その後もいくつかのお宅を巡回
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そしていよいよ最後のお宅
子供会会長から「最後だから一番でっけえ声出せよ!」とハッパをかけられた子供たちが持てる力を振り絞るように大声を上げる。
そして鳥追い行事終了
疲れ知らずだと思っていた子供たちだが、やはりそこは結構疲れていたようで、皆「やっと終わったあ‥」的な雰囲気を醸し出していた。
何より午前中からトータル40件ぐらい巡回したのだから、そりゃそうだろう。
午後の巡回は時間にして1時間半、本当にお疲れ様でした。

くたくたであろうにも関わらず、管理人の撮るムービーを意識して太鼓を叩いてくれた。
かっこいいぞ!
よっ!炎のドラマー!と称えてあげたい。

この後子供たちとお母さんたちは公民館に戻り、豚汁でおつかれ会
で、お父さんたちは公園に作ったテントで飲んで食べて‥となる。
こちらがテント
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なにげに「テント」とか言っているが、これは「鳥追い小屋」だ。
本来鳥追い行事は鳥追い小屋を拠点として行われる。
そして鳥追い小屋の中には簡素な祭壇が作られて、主に水神様が祀られている。
現在秋田県内で原初の鳥追い小屋に最も近い雪室を作るのは秋田市楢山のカマクラ行事だと思うが、六郷のカマクラ行事にせよ、横手のかまくらにせよ、祭壇をこしらえているのは共通している。

中にカマクラが作られており、お供え物が置かれている。
このテント(鳥追い小屋)に入る人たちは必ず最初に水神様に手を合わせるのだった。
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そしてお父さんたちが食べ物や飲み物、紙皿などを用意して4時過ぎに祝宴の開始
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これまでいろんな祭り・行事にお邪魔して、たびたび宴会に加わらせてもらったが、これほどに若い人たちと飲食を共にするのは今回が初めてだ。
とっても新鮮で、ちょっと同窓会のような雰囲気だ。
「若い人たちは地域の行事に関心がないんでね~」とはこれまで幾度も管理人が聞いてきた台詞であり、実際に多くの地域ではそのような状況だけど、ここ大保地区はそういった懸念とは無縁である。
この後、年配男性がお二人合流してくるのだが、お一人の方は行事の存続について「もう若い人たちに任せてるから安心だ。我々はお呼ばれするだけだよ」と仰っていた。

歓談が続く
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飲食しながらいろいろ話を聞いたが、ここにいる若いお父さんたちは小さい頃にカマクラ行事を体験した人が大半であり、自分の子供にもその楽しさを知ってほしいという思いが復活の動機になっていることが分かった。
やはり原体験として行事を知っていることが重要なのだ。
先に書いたように以前は綱引き大会も催されたし、子供たちを楽しませるという目的で宝探し大会も行われていたらしい。
そういった行事がこの先復活するようなことがあれば本当に素敵だなあ‥

大変恐縮なことに管理人もいろいろご馳走になった。
豚汁。温まりました。
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厚かましくも豚汁3杯、おにぎり2個、ピザ1ピースなど、もう晩御飯は要らん!というぐらいにたくさん頂いた。
皆さんによくしてもらって、本当に有難いかぎりです。

さて、外は徐々に薄暗くなってきた。
地区の人たちが鳥追い小屋を入れ替わり立ち代り訪問された(この後地区の区長さんも鳥追い小屋を訪れた)が、中には天筆焼きに入れる御札やしめ飾りを持参される方もいた。
いよいよ大保のカマクラ行事の大団円である天筆焼きの始まりである。

午前中に作られたミニかまくらに明かりが灯る。
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そして鳥追い小屋脇に火が焚かれ、そこに天筆が投げ込まれる。

鳥追いで疲れていたはずの子供たちだが、豚汁を食べて復活したのだろう、元気な声が雪の公園に響いている。
公園の隅にちょっとした坂があり、そこでそり遊びをする子供もいた。
この行事を目一杯楽しんでいる様子が伝わってくる。

天筆が焼かれていくのを子供たちが見つめている。
大人になっても、楽しかった今日という日を忘れないでいて欲しい。
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六郷のカマクラ行事でお馴染みだが、あらためて天筆焼きについて記したい。
天筆とよばれる紙にそれぞれが願い事を筆で書き入れ、それを燃やすことで祈願成就すると言われている。
ただ、カマクラ行事と呼ばれる行事の全てで天筆が登場する訳ではない。
元来は旧六郷町(旧仙南村も含まれるかも)でのみ見られるものだったようだ。
そして、ここ大保でもおそらくは六郷の影響で天筆が登場するということなのだ。

この行事のクライマックスはこの天筆焼きである。
六郷のカマクラ行事においては、北軍・南軍に分かれての竹打ちが奇祭として今や全国的に有名になったが、それでも行事のメインは竹打ちの最中に行われる天筆焼きなのだ。

ミニかまくらの灯
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天筆焼きも終盤
もう天筆は焼き終わったので、後片付けも兼ねて段ボールが燃やされる。
で、どうやら子供たちは天筆よりも勢いよく炎が立ち上がる段ボールのほうが好みらしい。
思わぬところに思わぬ需要があるものだなあ‥

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そして天筆焼きも終わり、これでカマクラ行事が終了となる。
早速お父さんたちは撤収に掛かり、鳥追い小屋(テント)を解体
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この後、再び公民館に皆が集まり、行事が無事に終わったことを祝って祝宴が開かれるらしい。
管理人はお世話になった方々に挨拶し、大保をあとにした。
それにしても、得体の知れないオッサン(管理人)の鳥追いに同行させてくれだの、撮影させてくれだの一方的なお願いを受け入れてくれたばかりでなく、皆さんに気を遣ってもらい本当に有難かった。
大保の人たちの人柄と、素朴な行事の佇まいが相まってとても温かい気持ちになることができた。

思いがけず、カマクラ行事のほぼ全貌を見ることができた。
それだけでも十分にラッキーだったが、行事の中身がおそらくは原初的な形態のカマクラであったことも非常に興味深かった。
観光とは無縁の、子供会や親睦会といった雰囲気で、大保の人たちの息遣いが伝わる素晴らしい行事だ。
夏には鹿島流しも行われるらしい。
去年の鹿島流しの折には観光バスでたまたま通りがかった新潟県の観光客が、喜びながら写真を撮っていったそうだ。
たいへん失礼な話だが、管理人はここでカマクラ行事や鹿島流しが行われていることを全く知らなかったし、大保という地名さえ今日初めて知った。
全く手垢のついていない、純度100%とでもいうべきピュアな行事に巡り合えたことを本当に嬉しく思う。

そして何よりも、カマクラ行事を復活させた大保の人たちである。
どのようなプロセスを辿って復活に至ったかを尋ねるのを失念したが、おそらくは行事を心から楽しんだことを小さい頃の思い出として地域の人たちが共有していたのだろう。
そういった一人ひとりの想いが地域を動かして、行事が復活したのだと思う。
そして今日家々の玄関先で大声を上げた子が大きくなり、行事の素晴らしさを自分の子にも伝えたい、と願う。
こうして継承されていくのが伝統であり、まさに管理人が祭り・行事に惹かれる点もそこにある。
継承や存続がままならない行事が多いなか、大保の人たちは理想的な行事の在り方を見せてくれた。
これから先もずっと地域の宝として続くことを願ってやまない。


“大保のカマクラ行事” への2件の返信

  1. 大保にいらっしゃいませ。大保人です。
    23日は鹿島祭りですが、はたしてこの大雨で開催出来るかどうか?です。
    たまたま鹿島が気になり検索してこちらへたどり着きました。
    鳥追い (とりぼい)取材ありがとうございました。昔の鳥追いの参加思いだし、懐かしくなりました。m(__)m

    諸説ありますが、私は大保を でんぼと呼んでます。この辺の他町内会も漢字の呼び名と訛りの呼び名あります。(笑)

    1. でんぼの母さんさん
      書き込みありがとうございます!
      2月に大保のカマクラにお邪魔させていただいてから、半年近くになります。
      そのときに昨年の鹿島流しの様子をいろいろと教えていただいたのを思い出しますねー。
      今年はあいにくの空模様でしたが、開催はどうでしたかね。
      いつかは「でんぼ(笑)」に伺って様子を見てみたいと思います!

      P.S.報道で県南の大雨被害の様子を見ました。
      私は昨日横手にいたので、豪雨が降り続く様子は見ていましたが、テレビでその後の状況を見てびっくりしております。
      大保はちょうど雄物川沿いの地区なので、河川の氾濫がたいへん心配だと思います。
      インフラや農作物の生育、日常生活など様々な面でたいへんな状況かと思いますが、同じ県南人として応援しています!
      むたっと頑張るんすべ!!

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