大曲の綱引き

2017年2月15日
2月10~12日にかけて連日祭り・行事を鑑賞したが、小正月行事ラッシュはまだまだ続く。
13・14日は角館の火振りかまくら、11~15日は六郷のカマクラ行事(クライマックスである「竹打ち」が15日に行われた)、14~16日は横手のかまくら、17日は旭岡山神社梵天奉納祭といった具合である。
毎日何かしらの行事・祭りが行われているといっても過言ではない。
こんな時期に仕事が終わって家に直帰とか有り得ん、とばかりに大仙市の行事を見に行った。
それが今回訪問した「大曲の綱引き」である。

先日の刈和野の大綱引きは一方的な展開(下町が上町を圧倒)にややフラストレーションが残った。
たくさんの人が集まったし、皆が盛り上ったし、観光・行事の側面からはもちろん大成功だったが、勝負という観点からいえばもっと拮抗した戦いを見たかった、というのが本音である。
白熱の綱引き勝負を見たい!との願望に加え、大曲という手頃な距離感がものをいい、この行事を見に行くことにした。
「綱引きの借りは綱引きで返す」ということだ。

そして当日
仕事が終わって大仙市を目指す。
途中のコンビニで立ち読みなどして、どちらかというと道草しながらノロノロと向かう。
行事の開始は夜9時半からという情報は得ていたし、焦って向かう必要はない。
会場のある大仙市大曲上大町に8時すぎに到着

車を止めた場所からすぐのところに神社があった。
こちらは「諏訪神社」
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諏訪神社は綱引きと密接に関係している。
というか、綱引きは神社の祭典として位置づけられている。
平成15年に大仙市(平成15年当時は大曲市)教育委員会が発行した「大曲の綱引き行事」によると、300年ほど前に諏訪神社が火事で焼失した際に旧太田町にあった社殿を譲り受けて再建しようとしたところ、太田町の村民の反対にあったため、譲り受けるか否かを綱引きの勝負で決着した、との言い伝えがあるそうだ。
その際の綱引きが、毎年2月15日夜半に上丁と下丁の間で繰り広げられる大曲の綱引きに繋がっているとのこと
また、現在でも諏訪神社の境内で綱の制作が行われているが、綱引きが豊作の祈願や吉凶の占いなどの神事的側面を有しているため、制作においても厳格な決めごとを守りながら作られている。

神社の鳥居付近で2人の男性が番をしていたので話しかけた。
現在(8時過ぎ頃の時間)は綱御幸(つなみゆき)と呼ばれる、町内での綱の巡行を行っていること、綱の引き合いの前に財振棒をめぐるもみ合いがあることなどを教えてくれたが、一人の男性が聞き捨てならないことを口走った。
「毎年上丁が勝つんだよ。もう決まっているようなもんだよ」
エーーーーッ、そんなもんなのお!?
一方的な展開だった刈和野の大綱引きのモヤモヤ感を清算するために、五分五分の熱戦を期待して大曲まで来たが、すでに上丁勝利が決まっているようなものとは如何なることか?
「だって人の数が違うもん。観光客も来ないから毎年人数も変わらないし」
なるほどそういうことか、こればかりはどうしようもない。
押しつ押されつの熱い戦いはちょっと叶いそうもないことを自分に言い聞かせたのだった。

会場へ移動
この上大町交差点を上丁側、下丁側に分かれる形で綱引きは行われる。
上丁側から見た交差点
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下丁側からも
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道路脇に立ててあった綱引きの説明板
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大綱は現在町内を廻っている最中だが、あとで結びつけられる小綱はセッティング完了
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小綱を大綱に結ぶ際の結び方がちょっと独特なのだそうだ。
実際にあとで結ぶところを見させてもらったが、どう独特なのかはよく分からなかった。
自分でやってみて初めて理解できるということだろう。

徐々に会場に人が入ってきた。
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大曲の綱引きの特徴の一つはこの半纏だろう。
本来は諏訪神社での梵天奉納(今年は2月26日に行われた)の際に着用されるものを、綱引き行事のときにも着ている。
そして半纏は各年齢に応じて組織される「厄年年代会」ごとにデザインが違う。
今年の42歳厄年は昭和51年会だが、厄年年代会はその年の綱引き行事運営の中心となる。

さらに人が集まる。
行事の開始が迫ってきたようだ。
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すぐに大綱に結べるように小綱も準備される。
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会場に綱が入ってくるまで、行事に参加する人たちと言葉を交わす。
皆一様に「財振棒のもみ合いはスゴイよ!」、「財振棒のときは燃えるよなあ!」と財振棒の話しかせず、綱引きのツの字も出てこない。
ある方は「この行事のクライマックスは財振棒だよ!!」と完全に言い切っていた。
そうか‥
「大曲の綱引き」という名称に惑わされていたが、地元の人たちにとっては財振棒のもみ合いがこの行事の真骨頂なのだ。
2月15日午後に諏訪神社境内でどんど焼き、餅つき、鳥子舞(商売繁盛、五穀豊穣を祈願する舞が奉納されたあと、神官がその年の恵方に向かって投じる御神木の争奪戦が見られる)などが行われ、その日の夜に綱の巡行、財振棒のもみ合い、引き合い、綱納めが行われるが、本来これらは一体の行事である。
なので、大曲の綱引きというのは行事の総称的な意味合いであって、狭義の綱の引き合いを指すものではないのだ。
したがって大曲市教育委員会発行の資料の題名「大曲の綱引き行事」通りに、「行事」と付けるのが正しい呼び名だと思う。

時刻は9時を過ぎた。
そして、ついに大綱が会場に入ってくる。

財振棒を先頭として、大勢の人たちが掛け声を上げながら行進する。
「大曲の綱引き行事」には、かつては「ジョヤサー!」の掛け声とともに、子供たちが「ホヤホヤヨー」と声を上げながら巡行したことを受けて、この「ホヤホヤヨー」という一風変わった掛け声は鳥追い行事由来であろう、と記されている。
なんでも綱を引き回すことで地下にいる害虫を封じ込める意味があったらしいし、大保のカマクラ行事同様、法螺貝が吹かれていることもあり、綱の巡行が鳥追いの意味もあったことが窺える。
また、大綱は大蛇に見立てられているため、先頭が頭、最後尾が尾とされている。

大綱が会場に入り切る前に財振棒のもみ合いが行われる。
まずは綱引き委員会 委員長さんの挨拶
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財振棒のもみ合いには商売繁盛、子孫繁栄の意味が込められている。
ここ上大町はかつてから商売の町として栄えてきたそうな
今では駅前、というか国道13号線沿いに人の流れが集中しているため、かつての賑わいはないものの、それでもこの行事が続けられているように伝統が正しく引き継がれていることが分かる。

そして委員長の号令とともに財振棒のもみ合い開始!

いやあ‥結構すごい!
噂通りの激しいもみ合いが展開される。
サッカー日本代表がワールドカップで勝利したときの、渋谷スクランブル交差点のようだ。
いや、スクランブル交差点でもここまではもみくちゃにならない。
まるでパンクロックのライブ会場の様相だ。
昭和11年に来日したドイツの建築家、ブルーノ・タウトがこの行事を見物し、「まるで一揆の寄り合いでもしているようだ」との文章を残しているが、おそらく財振棒のもみ合いのことを指していると思われる。

上大町交差点に到達する前にも各所で財振棒のもみ合いが行われたらしいが、ここでのもみ合いが最後となるため参加する若衆たちも気合が入る。
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これは厄年の昭和51年会と前厄の昭和52年会の人たちが財振棒を振り回そうとするのを、それ以外の年代会の人たちが奪おうとする、という構図になっている。
若衆たちがグルグルと交差点内を回り始めると、すぐそこまで群れが近づいて結構危険だ。
この先、行事を見物したいという方は近くで見ても構わないが、自分の後方に然るべき退路があるのを確認したほうが良いと思う。

激しかった財振棒のもみ合いが終わり、続いて綱引きの開始
会場中央を貫く形で大綱が引っ張り出され、小綱が結び付けられる。
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財振棒のときのような狂騒はすでに消え去ったものの、会場はいいかんじにヒートアップしており、綱引きの盛り上がりに期待が高まる。
因みにブルーノ・タウトがこの行事を見物したときは、夜中の12時過ぎに引き合いが行われたそうだ。
かつて夜中に行われた行事の大半は、風紀上の問題で早い時間に開催されるようになったが、管理人的には夜中に大盛り上がりを見せるどこかの行事を一度見てみたい、と思っている(岐阜県郡上八幡の郡上踊りとか)。

参加者が小綱を握ってスタンバイする。
刈和野の大綱引きにおいては、綱の上の建元が「ソラーーーーッ!!」の掛け声を発して勝負開始となるが、大曲においては交差点内頭上のランプが赤から青に変わると開始となるのが特徴だ。
そしてランプの色が変わった!

3分強ほどの勝負で決着がついた。
下丁も抵抗を見せるが、話に聞いていたように今年も上丁の圧勝だった。
参加者が腰を落として力を抜く戦法が刈和野の大綱引きではよく見られるが、大曲の綱引きでもその光景は見られた。
が、戦法というよりはお互い休憩しようぜ、というかんじで綱引き委員長からの指示のもと、両軍とも腰を落としていたのは意外だった。
戦術的な意味合いはないのかもしれない。

続いては餅まき
再度交差点内に人が密集するが、今回は若衆以外の一般の人たちも交差点内に入ってくる。
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餅まきが終わると「綱納め」と呼ばれる、諏訪神社への運搬作業となる。

交差点内に綱の頭が入るようにいったん後ろに引っ張ったあと、右にカーブする形で綱を引っ張る。
因みに綱納めのときに限らず、綱は右回りでしか進めない決まりがあるらしい。
カーブの内側にいると動画のとおり綱とそれを引く人たちがかなり接近してくるので、注意しなければならない。

綱が引っ張っていかれたあとの路上
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たくさんの藁が散乱しているが、この藁は(縄や御幣も)町内巡回の際に穢れを集めて回っているので、決して家の中に入れてはいけないということだ。
ナマハゲ行事ではケデから落ちた藁はご利益があるとされており、たくさんの人が藁集めに精を出すのだが、ここ大曲の綱引きにおいては真逆の扱いになるところが面白い。
クライマックスたる財振棒のもみ合いも終わったし、引き合いも終わったし、管理人も引き上げようか‥と考えていたが、思った以上に諏訪神社まで同行している人が多い。
これは、まだ帰らずに神社境内での様子も見たほうがよかろう、と管理人もあとを追った。

諏訪神社に綱が入る。
神社の神官が太鼓を叩きながら出迎えをする習わしだ。

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大綱から小綱が外されたのち、境内左手側奥に大綱が運ばれる。
そして大綱は蛇がトグロを巻くように丸めて積まれる。
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作業は10分ほどかかった。
そして締めとして新しい幣束がつけられた財振棒がトグロの中心を貫くように立てられる。
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大綱を巻くところからの一連の作業は昭和51年会の人たちによって行われる。
そして昭和51年会会長が大綱に御神酒をかけたのち、「荷方節」が会の男性によって披露される。

心に染みる熱唱だ。
梵天唄を撮影した動画を、精神を集中させて観ることなどそれほどないが、この唄にはじっくりと聴き込んでしまう何かがある。
唄い手も感極まった様子だ。
なにか心に期することでもあったのだろう。
最後に本当に良いものを見せてもらった、という思いだ。
こうして行事は終わり(厳密に言えば、翌日に行われる小綱に編みこまれたロープを抜く作業、直会を以て行事が終了となる)、管理人も大曲をあとにしたのだった。

観覧前は刈和野の大綱引きの小型バージョンぐらいに捉えていたのだが、大盛り上がりの財振棒のもみ合い、鳥追い行事との関連が窺える綱の巡行、そして「荷方節」の珠玉の熱唱などに出会えて大満足だった。
綱引きだけに焦点を当てるのではなく、いろいろな行事が執り行われる小正月行事として全体を捉えれば分かり易いだろう。
そしてそれらの行事ひとつひとつに「商売繁盛」、「家内安全」、「豊作祈願」といった人々の希望が込められているのだ。
市外、県外の観光客を集める大規模な祭りではないものの、上大町の人たちが大切に守ってきた行事であり、小正月行事の夜を熱くする行事として来年以降も人々を楽しませて欲しいと思う。


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