勝平神社地口絵灯籠祭り

2017年5月12日
今回は秋田市内、それも市街地ど真ん中で行われる祭りに出かけた。
祭りといってもお神輿や山車が出る訳ではないし、「ジョヤサ!!」と叫ぶ若衆がいる訳でもない、地口と戯画が描かれた絵灯籠を神社境内に飾るお祭りである。
「勝平神社地口絵灯籠祭り(かつひらじんじゃじぐちえどうろうまつり)」
秋田市民でどれぐらいの方が知っているのだろうか。
そもそも勝平神社がどこにあるか知らない方が大半だろう。

新屋(あらや)各町を中心とした秋田県西部の広域地域の一つが「勝平」なので、そちら方面にある神社かな?と思いきや、さにあらず。
保戸野鉄砲町にある神社なのでした(どうやら以前は勝平地域にあったのが、移転により現在の場所に落ち着いたらしい)。
そして保戸野鉄砲町のどのへんにあるのか、と言えば秋田市内の主要道路である県道56号線(秋田市民には「新国道」の呼称の方が断然定着しています)沿い、県内最大級の郵便局、秋田中央郵便局真横なのである。
車の往来が激しく、人の行き交いが絶えないような場所にひっそりと佇む神社のひっそりとしたお祭り、かと思えば、お祭りの記事が秋田魁新報はじめ、昨年は各大手新聞地方面で掲載されていたりしたので、メジャーなのかマイナーなのかよく分からない。
管理人は今回が初の訪問となる。

祭りの開催日は5月12日・13日の2日間と決められている。
宵宮にあたる12日は5時から、本祭の13日は4時から始められる訳だが、日没後の夜闇のなかで見る絵灯籠がもっとも綺麗で雰囲気に溢れているに違いない。
当日は6時まで仕事をして、その後私用を済ませたあと、8時半に神社近くのスーパー駐車場に車を置いて勝平神社に向かう。
神社に到着、おぉ絵灯籠がたくさん並んでいる。きれいだなあ。

こちらが神社本殿
もともとは勝平山(標高50m!)山頂付近にあった神社だが、1678年(延宝6年)に現在の場所に建てられたらしい。


神社横の建物の中では神社関係者や近隣の人たちが直会を開いている。
宴席をはずして、外で一服されている男性にお祭りについての話を伺ってみた。
秋田魁新報の記事によると当日は169個もの絵灯籠が飾られたらしいが、それほどたくさんの絵灯籠を誰が制作しているか気になったので男性に尋ねてみる。
そのほとんどを保戸野鉄砲町内在住の神尾忠雄さんという男性が作っておられるとのこと
神尾さんは32歳から、50年ほど絵灯籠の制作を続けてこられたらしい。
50年!半世紀である。
この祭りは270~280年ほどの歴史がある(途中途絶えた時期もあるらしい)が、その中の1/6以上の年数ほど関わっていることになる!
一人の方がこれほどまでに長く祭りに関わる、それもこの祭りには欠かすことができない絵灯籠作りを行うというのは本当にすごいことだ。

神社の参道内の絵灯籠は神尾さん制作、参道以外のものは一般の方々の制作による。
こちらは一般の方々制作による絵灯籠


政治ネタは誰もが関心を寄せるようで、安倍首相やトランプ米大統領が登場する作品が多く見られた。
キャラが際立っているトランプ大統領関係の作品がかなり多いのでは?と個人的に思っていたが、旬は過ぎたということかそれほどではなかった。
また、北朝鮮の金正恩第一書記もちょいちょい登場しており、現在の緊迫した国際情勢を結構ダイレクトに反映した作品も垣間見られた。

「地口」とは、江戸時代から伝わる、ある言葉を似た言葉に言い換えて違った意味を表わしたりする言葉遊びのことだ。
このお祭りでは、そのような言葉遊びをあまり見かけなかったが、県外で行われている地口行灯(じぐちあんどん)と呼ばれる行事では、きちんと地口として成立している作品を公募という形で集めて披露しているところもある。
「地口」と言えば管理人的には秋田音頭などを想起するのだが、秋田音頭の歌詞に言葉遊びを特段強く感じさせる要素はない。
おそらく本来的な意味の地口が拡大解釈により、「何だか分からないが、面白いことを書いたり喋ったりすること」というものに変容していったのではないか、と推測する。

こちらは政治ネタではなく、時事ネタということになろう。


一般の方々も神尾さんの指導を受けながら制作しているようなので、ある意味お弟子さんたちの作品と言ってもいいと思う。
それにしても、このようなネタをコンパクトな地口にまとめるセンスだけでなく、相応の絵心がないといけない訳で、そういった意味では文章と絵画の才能がないと作品を作ることはできない。

一般の方々の作品が数10mに渡って道路沿いに並んでいるが、端の方は神社のスペースを飛び出して一般家庭の玄関先までせり出していた。

参道と神社の間を横切っている道路から見始めたようだったので、あらためて神社鳥居前まで移動
鳥居の前から見ると、参道に並んだ絵灯籠の作る光の回廊がいっそう雰囲気を醸し出す。

参道を歩く。
入れ替わり立ち代り参道に見物客が入ってくるが、常時5~10人ぐらいの人数で推移するぐらいで混雑するようなことはない。
おそらく地元の方や会社帰りの方など、保戸野鉄砲町周辺に縁のある方が大半だと思う。
じっくりと絵灯籠を眺めたり、写真を撮ったり、友人と語らい合ったり、と見物客それぞれが思い思いの時間を過ごす。
縁日や屋台などはなく、静かで落ち着いた大人のお祭りといった印象だ。

こちらが神尾さんの作品
作品は生活感を感じさせるほのぼのとした内容、時事を取り入れた内容に大別できる。

神尾さんが重ねてきた年月が伝わってくるかのような、温かい人間性と味わい深い独特のユーモアが作品ににじみ出ている。
飄々としたタッチのイラストと、今の社会に対する鋭い観察眼と優しさを感じさせる地口を通して、神尾さんのお話を聞いているような気がしてくる。
これが作品の持つ説得力ということなのだろう。

神尾さんの作品においても、安倍首相は格好の題材になっている。

神尾さんと同年代の登山家 田部井淳子さんが亡くなったのは寂しいニュースだったに違いない。

いちばん手前の作品は横綱稀勢の里のことを指しているのだろうか。
神尾さんは相撲好きなのかな?

ここ保戸野鉄砲町の風物詩であるお祭りだが、かつては8月に開かれる湯沢市の絵どうろう祭りにおいても地口絵灯籠が飾られたらしい。
秋田県内の他の地域で同様の祭りが行われているというのは聞いたことがないし、先に書いたように地口行灯なる呼び名の行事は日本各地にあるようだが、数は決して多くない。

絵灯籠の並ぶ様は確かに綺麗で美しい。
だが、この祭りを真に楽しみたいのであれば、やはり絵灯籠一つ一つをじっくりと鑑賞することをお勧めしたい。
秋田を代表する伝統行事である竿燈祭り
竿燈が立ち並んだ瞬間、無数の提灯が揺らめいてそれはそれは綺麗なのだが、差し手の熱のこもった演技を手に汗握って観覧するほうがより深く竿燈祭りを楽しめる。
絵灯籠祭りも同様であり、「灯りがきれいだなあ」と何となく見てまわるだけでは勿体無い。
一つ一つの絵と地口をじっくりと時間をかけて鑑賞することで作品のウィットや味わいを感じ取れるし、さらに言えば作者の哲学を行間から読み取ることも可能だと思う。

今回からカメラを新調してみました。
カメラが新しくなったからといって良い写真が撮れる訳ではないし、その自信もない。
ただ、絵灯籠の中には電球が仕込まれているために結構明るく輝いており、その影響かどうか分からないが比較的無難に撮影ができた。
もしこれが蝋燭の灯であれば、ほの暗い明るさを作り出してまた違った雰囲気になると思う。

ということで時間にしておよそ約40分、じっくりと絵灯籠を鑑賞
すぐ真横を走る新国道の騒音などは特に気にならなかったし、お囃子の音や賑やかさとも無縁の、しっとりとしたムーディーなお祭りだった。
おそらく遠方からわざわざ鑑賞しにくるような人は少ないだろうし、周辺の住民たちや職場帰りの人たちが見物客のほとんどを占めていたと思うが、そのこじんまりとした規模感が良い空気感を醸し出していた。
そして、御年80歳を越える神尾さんの数々の作品
制作の楽しさだけでは、50年もの長きにわたって絵灯籠を作り続けるのは難しいと思う。
地域の行事を絶やしたくないという思い、絵灯籠制作にかける情熱など、飄々とした作風からは想像ができないような神尾さんの矜持が創作の源になっていると想像する。
市街地の一画にオアシスのごとく佇むこの神社の名物として、この先も長く長く絵灯籠を作り続けて欲しいと願わずにいられない。


“勝平神社地口絵灯籠祭り” への2件の返信

  1. お袋の味噌汁みたいで『出汁の効いた』お祭りですね。
    こんなお祭りも有るんですね〜、、、結構感動ものです、、、本当。

    1. 隣人1号さん
      いつもありがとうございます!
      「出汁の効いた」たしかにそんなかんじです(笑)
      これといった派手さはないのですが、地口の一つ一つがしっかり主張しています。
      それでいて絵灯籠の灯でしっかり癒されるという面白さがあります。
      隣人1号さんも来年は出かけてみてはいかがですか?

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