猩々おどり

2017年7月22日
その日はたまたま所用があって横手市増田町の実家にいた。
母親から「今日は何時に秋田市に戻るの?」などと聞かれたので適当に返答していたら、母親が「気をつけて帰ってね。私は夕方から十文字のショウジョウ祭りに出かけるから」と言う。
え?ショウジョウ祭り?なんだそれ
何でも十文字中学校(母親は十文字町出身)時代の同級生がわざわざ埼玉県からその祭りに駆けつけてショウジョウ踊りを披露するので、それを見に行くらしい。
そして、ショウジョウ踊りは古くから十文字町に伝わる踊りなのだとか

ちょっと待て。そんな踊りがあるなら早く教えてよ。秋田市へ何時に戻るとか言っている場合じゃない、とばかりに管理人も観覧を決定
ただ当日は天気がすぐれず、時折強雨が降っている。
本来なら十文字文化センター横の公園スペース「十字の里」で踊られるが、今日は文化センター内での披露となるらしい。
また、祭りは5時から始まるが、ショウジョウ踊りは7時ぐらいから踊られるそうだ。

そして6時半
会場である十文字文化センターに到着

入口の看板

ショウジョウ祭りって「猩々祭り」なんだー、とここで初めて漢字の書き方を知った。
「猩」という漢字が「狸(たぬき)」に似ているうえ、「ショウジョウ」などと呼ぶものだから「♪ショ、ショ、ショウジョウ寺、ショウジョウ寺の庭は‥」という童謡を咄嗟に連想したが、後で調べたところそちらの童謡は「証城(ショウジョウ)寺の狸囃子」ということで全く字が違っていたのだった。

屋台も賑わっています。

雨模様のため、飲食スペースとして屋内駐車場が開放されていた。

十文字文化センター内の吹き抜けのスペース

それにしても十文字文化センターに入るのなんて何十年ぶりだろうか?
母親が十文字町出身ということもあり、管理人が幼少の頃はよく母親の買い物にくっついて十文字町内に出かけたものだ。
何かイベントごとがあれば、ちょいちょい十文字文化センターにも出入りしたし、建物内の様子は幼い頃の記憶に刻まれているそのままだ。

2階に上がると、ステージを備えた体育館のようなスペースになっている。
中に入ってみると、十文字町内の幼稚園・保育園児によるよさこい踊りの真っ最中だった。


今でこそあまりないと思うが、昔はよく大物歌手がここでコンサートを開いていた。
幼少の頃、管理人がここで行われたコンサートでよく覚えているのは「小柳ルミ子」
真っ暗なステージにスポットライトで照らされたルミ子が登場した瞬間、何故だか「お化けでたあ~!」と横にいた母親に泣きついたのを覚えている。
十文字町生まれとして知られている壇蜜がCDを出すなどして、ふるさと凱旋コンサートを開くとしたら会場はここしか考えられない。

歌舞伎の連獅子みたいな出で立ちの方々がそこらを歩いている。


「猩々」というのはもともと中国の書物に出てくる架空の動物(というか妖精みたいな生き物)だが、同時に能楽の演目の一つであり、それがこの格好のもとになっているらしい。
で、なにゆえこの猩々の名前を冠した祭りが十文字町で行われ、猩々おどりなる踊りがあるのか、ということだが‥

そのむかし、(平鹿町)浅舞の人物「楽宗味 松々斉(らくしゅうみ しょうじょうさい)」が十文字村にお呼ばれして、村人たちからたくさんの酒を馳走になった。
フラフラとした足つきで浅舞に帰ろうとする松々斉を、村人たちは「狐に化かされるので帰るのはお止めくだされ!」と皆で止めたが、松々斉は心配無用とばかり帰路に着いた。
ところが松々斉は浅舞に帰るどころか、反対方向の増田に向かってしまい、道で眠りこけてしまった。
それを見つけた増田通覚寺の天端和尚(てんじんおしょう)が、松々斉を起こして無事に浅舞に送り出した。
これまでもたびたび十文字村では道迷いが起こり、狐のいたずらと村人たちが噂していたことを知っていた天端和尚は、松々斉の一件を機に十文字村の辻にあたる場所に道標を立て、その道標に松々斉の名をもじって「猩々碑(しょうじょうひ)」と名前を付けた。
猩々碑には「猩々の左は湯沢、右は横手、後ろは増田、前は浅舞」と刻まれ、それ以来人々も迷わなくなったという。
そして、十文字発展の象徴となった猩々碑に思いを馳せよう、ということで始まったのが、この「猩々祭り」ということになる。

そして猩々祭りは今年が39回目の開催だそうな。
ん?39回目?母親は古くから十文字に伝わる祭りだとか言っていたが、39回目とは?どうなってんだ、母ちゃんよ
「そうか。祭りは39回目でも、猩々踊りは何百年も続いているというヤツか!」と思って、地元の年配の男性に伺ってみた。
「39年前に猩々祭りを始めるにあたって、おらが町でも何か踊りが欲しいなあということになって猩々おどりが作られたんだよ」とのお答え
ガーン、別に古くないじゃん。
母親の言う「古い」と管理人の考える「古い」の物差しが全く違っていたらしい。
基本的にこのブログで対象とするのは伝統ある行事・祭りだ。
39年では伝統という点でちょっとなあ‥と一瞬考えたが、浴衣姿の踊り子と本物のお囃子がつくという2点を以って「記事化に問題なし」と強引に判断したのだった。

そろそろ猩々おどりが始まりそうだ。
リラックス中の踊り手の皆さん、そろそろ出番ですよ!

踊りの始まりに際して、スーツ姿の男性がステージに登場

お囃子方に混じっていると演歌歌手のようにも見えるがそうではない。
この方は十文字町生まれの横手市長である。
祭りの開催を祝うスピーチもそこそこに、今このとき県南地方では局地的に大雨が降っており、これから災害対策室長として関係各所と連携して不測の事態に備えるのだそうだ。
おお、こっちの首長はちゃんと仕事してますなあ。。。

輪を作るように踊り手たちが並ぶ。
どうやらさっきまでよさこいを踊っていた園児たちも一緒に踊るようだ。

そして踊りが始まる。

後方左側の眼鏡の女性が、埼玉県から駆けつけた母親の同級生です。


東京音頭の譜割りに、炭坑節のメロディを乗せたかのようなまさに盆踊り唄(曲は「猩々音頭」というらしい)に乗って、これまた盆踊りの典型のような振り付け
県南地方によく見られるサイサイ系と呼ばれるお囃子の特徴は一切ないし、秋田音頭のエッセンスも全くない。
そう、これは全国規模でいうところの盆踊りを基準として創作された盆踊り、お囃子であり、地元秋田あるいは十文字の香りは全く排されている。
十文字町には、かつて「植田(うえだ)の盆踊り」という、あの西馬音内盆踊りとの共通点をかなり持っていた盆踊りがあったのだが、踊り手の男性に植田の盆踊りとの関連性を問うたところ「あー、全然関係ねえなー」とのこと
この踊りが作られたのは1978年
やはり、中央志向が強かった(気がする)あの時代背景がこの盆踊りにも影響を及ぼしているのだろう。

ステージ横に移動


母親によると、かつて猩々祭りは十文字駅前で大々的に開催され、かなり賑わっていたらしい。
今も十文字町在住の叔母などは、よく踊りに駆り出されていたそうだ。
管理人が幼かった頃は別に横手市中心地に行く必要などなく、十文字町に行けば大概の用は足りていたし、現在北都銀行十文字支店のあった場所にはマルシメ十文字店があり、大勢の買い物客を集めていた。
マルシメの2階にはレストランがあり、ウィンドウに飾られたハンバーグステーキの食品サンプルを見ては「美味そうだなー。食いてえなあ」とヨダレを垂らしていたガキの頃、本当に十文字町は何もかもが揃った「夢の街」だった。
それも今は遠い昔
現在の十文字駅前は秋田県内の多くの駅前通りと同様にシャッター通りとなっており、昔日の面影はほとんど見られない。
そんな中でも当時新しく作られたお祭りで、踊りとお囃子がこれまた往時の賑わいを偲ばせるように再現される。
何だかえらいノスタルジックな気分になってしまった。

15分で踊りは終了
これを以てお役御免となった子供たち、その親たちは一斉に会場をあとにする。
その後ステージには湯沢市を拠点に活動するGSコピーバンド「ザ・チャーベンズ」の面々が登場
ボーカルの方が「えー、私たちの登場とともにたくさんのお客さんが帰ってしまいましたが‥」みたいなMCで、数えるぐらいしかいなくなった観客たちの笑いを誘うのだった。

踊り手の皆さん。おつかれさまでした!

本当はチャーベンズの演奏のあとに2回目の猩々おどりが披露されるのだが、外に出てみると写真のような光景が!

この日県央~県南にかけて稀に見る集中豪雨により、甚大な被害が発生し、今も多くの方々がその後片付けに時間を割かれる状況が続いている。
当然ここ十文字町も豪雨に見舞われており、うかうかしていると秋田市に戻れなくなってしまう。
ということで2回目の猩々おどり鑑賞は取りやめて、急ぎ秋田市に帰ることにした。
それでも途中横手市金沢のあたりで国道13号線は使えなくなっており、大森町を迂回して大仙市大曲にでることを余儀なくされたのだった。

豪雨のせいで最後のほうはバタバタしてしまったが、十文字町のスタンダードたる盆踊り、お囃子に出会えて満足した気分になれた。
若い人たちにも踊りの輪に加わって欲しかったという気持ちはあるが、猩々祭り自体は老若男女たくさんの人を集めるイベントでもあるし、この先もきちんと次の世代に踊りが受け継がれていくことだろう。
来年こそは雨に振り回されることなく、夏の夕暮れを背景に高らかなお囃子と、この十文字生まれ、十文字育ちの踊りを披露して欲しいと思う。


“猩々おどり” への8件の返信

  1. そうです。そうです。「マルシメ」のTVCM、私も知っています。
    当時としては、価格の安さもさることながら、あらゆる物品が販売されていて、しばらく通い詰めた記憶があります。
    7月22日はもの凄い「集中豪雨」でした。
    由利本荘市内で行事に参加したのですが、あまりの激しい豪雨と強風で、準備段階で中止になってしまいました。
    お盆も終わり、何かしら寂しさを感じます。
    私の町内でも「盆踊り」を毎年やって、先祖の供養としていますが、
    番楽に纏わる「餅つき舞」(からうすからみとも言います)の中から、「前ノ沢おばこ」と「長坂節」という曲は、必ず踊るようにしています。それこそ、町内だけのささやかな盆踊りではありますが・・。

    1. TAIKO BEATさん
      こんばんは!
      そうでしたか、マルシメのCMやっぱりあったんですね。(隣人1号さん、すいませんでしたm(_ _)m)
      ちょっと見てみたかった気がします。
      今日の雨はすごかったですね~、由利本荘もすごかったんでしょうね。
      そんな中赤田大仏祭りは決行されたようで、参加された皆さん、ホントにお疲れ様でした。
      空臼からみの踊りは何だか楽しそうですね。
      3月に坂ノ下番楽を鑑賞したときに、矢島高校の皆さんが楽しく舞っていたのを思い出します。
      実はここ一週間ほど、ほぼ毎日盆踊りに通い詰める日々を送っておりました。
      アップまで相当時間がかかると思いますが、記事を読んで過ぎ去った夏を思い出して頂ければ嬉しいです。
      ご期待下さい!

  2. マルシメですか、、、懐かしいですね。その昔は確かTVCMもやっていましたね。
    品の良いおばあちゃんが登場して『マルシメはヤングのお店よ❗️』、、、記憶違いか❓

    1. 隣人1号さん
      いつもありがとうございます!
      マルシメのCM‥ですか???
      さすがにそれはよく分からないですねー
      それも「ヤングのお店」ですか。。。
      お婆ちゃんが「ヤング」って言葉を使うところが肝だったんでしょうかね?
      今となっては真相も分かりませんよね。

  3. akitafes様
    ご返事ありがとうございます。
    実は私も、小坂太郎さんの「西馬音内盆踊り」を買って読んではいたのですが、ご指摘の件は見落としていました。
    早速、読み直して、納得した次第です。
    私は、神奈川県在住ですが、前にもお伝えした通り、ここ4年ほど西馬音内詣でをし、今年も8/16-18現地に参ります。
    もしよろしければ、メール先に連絡をいただければ、お会いしたいと思っています。
    ご検討ください。
    よろしくお願いいたします。

    1. tnweugo1612さん
      書き込みありがとうございます!
      神奈川在住の方なのに、「西馬音内盆踊り-わがこころの原風景」をお持ちとは!
      筋金入りですね、恐れ入りますm(_ _)m
      それにも増して、西馬音内全日程制覇というのがスゴイです。
      もう4年も通われているとのことなので私なぞが言うことでもないのですが、秋田が誇る伝統の盆踊りをご堪能くださいませ。
      私は8/18の最終日に西馬音内に行く予定でおります。
      是非当地でお会いしたいですね。
      西馬音内トーク(というほどの知識もないのでお恥ずかしいかぎりですが。。)で盛り上がれたら最高ですね!

  4. akitafes様
    前略、西馬音内盆踊りに魅せられ、ここ数年西馬音内を訪れている者です。
    今年も8/16が近づくとソワソワと「西馬音内盆踊り」に関するwebサイトやYouTubeの動画を訪ねているうちに、貴サイトに出会いました。
    貴が本稿に記された「十文字町には、かつて植田(うえだ)の盆踊りという、あの西馬音内盆踊りとの共通点をかなり持っていた盆踊りがあった」との指摘に、大変興味を覚えました。
    この植田の盆踊りにつき、さらに教えていだたきたくご連絡をした次第です。
    突然で、不躾なお願いですが、よろしくお願いいたします。

    1. tnweugo1612さん
      拙ブログをお読みいただいてありがとうございます。
      そろそろ西馬音内が始まりますね!
      tnweugo1612さんと同じく私も今からソワソワしています(踊るわけでもないのですが)。
      さて、植田の盆踊りですが、以前読んだ小坂太郎さんの著書「西馬音内盆踊り―わがこころの原風景」にその名前が登場しています。
      明治20年に近泰知(こんたいち)さんという方の記録した「出羽実録:植田の話」の「植田の盆踊り(三)拍子と地口」に西馬音内と同じ地口がいくつか記されているということで、小坂さんがその類似性・共通性に言及している箇所があります。
      これは管理人の私見ですが、西馬音内から十文字町植田までは距離にすると10kmほどですし、小坂さんの推測どおり何らかの影響を与え合っていると考えられると思います。
      で、肝心の植田の盆踊りの中身ですが、今のところさっぱり分かりません。
      ただ、1985年に十文字地方史研究会が編集し、新たに出版した「出羽実録:植田の話」を今週末ぐらいに読んでみる予定でおりますので、新しい情報(新しくはないですね。。。)を仕入れましたらお伝えします。
      植田は私の母の実家の近くであり、その地名は幼少の頃から何度となく聞かされていました。
      そのせいもあるのでしょうか。今となっては幻の「植田の盆踊り」については私も気になるところです。
      tnweugo1612さんは秋田県内在住でしょうか?
      「出羽実録:植田の話」は十文字図書館に所蔵されているらしいので、可能であればそこでお読みになってもよいかもしれません。
      いずれにせよ、あらためてコメント追加して何らかの情報をお伝えしたいと思います!
      よろしくお願いしますm(_ _)m

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