田子内盆踊り

2017年8月13日
七夕行事が終わり、次に待っているのは「盆踊り」
8月は県内各地で数多くの伝統行事が行われ、ささら舞や番楽など興味惹かれる行事もあるのだが、今年は盆踊り一辺倒で行くことを決めていた。
小野和哉さんの著書「今日も盆踊り」ではないが、お盆の期間以外にはお目にかかることのない、この素晴らしき伝統行事にどっぷりと浸かろうと目論んだ訳だ。
その皮切りとなるのが、今回取り上げた東成瀬村の「田子内盆踊り」
この盆踊りのことは「秋田の祭り・行事」で知った。
毎年8月13日、東成瀬村田子内の「永伝寺」境内で踊られるらしい。
その日は管理人も実家のある横手市増田町に帰省しているはずであり、ものの15分もあれば永伝寺まで駆けつけることができる。
因みに現地では、誰もが田子内のことを正しく「たごない」と言わず、「たごね」と呼んでいます。

8月13日
実家での墓参り、お寺参りを済ませて7時前に実家を出発
「せっかく年に1度帰ってきたのに、ワシらを放ったらかしにして出かけるとは何ごとだ!」と、ご先祖様の嘆きが聞こえてきそうだが、盆踊りのあとでゆっくり一杯やりましょう、ハイ
国道342号を南東へ進んで、東成瀬村に入った。
晴天続きだった前週に比べて、今週は天気が不安定です。

東成瀬村役場前を通る道路沿いに車を停めて、歩いて永伝寺へ移動
永伝寺へ続く道路の入り口には盆踊りの看板灯篭が飾られているので迷うことはない。
もう日は暮れています。

そして永伝寺前に到着

境内に入ります。


おお、めっちゃ雰囲気いいじゃないですか。
考えてみたらお寺の境内で盆踊り鑑賞するのは初めてだ。
年に1度この世に戻ってくる精霊を迎え、送り出す儀式である盆踊りと、仏様が眠っているお寺とは親和性がありそうだが、盆踊りはお寺の行事としてではなく、一般大衆のレクレーションとして発展してきた。
踊る場所もお寺に限らず、駅前広場や大通りなど人がたくさん集まる場所で開かれるのが現在一般的なスタイルとなっている。
また、その古めかしさとは裏腹に近年では若い人たちを中心に密かな盛り上がりを見せており、今年は渋谷のスクランブル交差点で初の大盆踊り大会が開かれた。
今日は原点に立ち返ってお寺の境内で鑑賞するわけだ。

まだ人はほとんど集まっていない、というか踊り手らしき人たちの姿がどこにも見当たらず、金魚すくいや即席の売店(ビールやジュースが売っていました)にわずかに人が集まっている程度

そんな状況ながら、お囃子方はもう準備が整っているようで、いつ踊りが始まってもOKといった様子

太鼓、鉦、笛によるお囃子の練習風景

このお囃子は「田子内音頭」と呼ばれるらしいが、県南一帯に広くみられる「サイサイ」と呼ばれるお囃子の東成瀬村ヴァージョンと考えて良いと思う。
厳密に言えば、移動式屋台に太鼓が据えられていて、その後ろに笛と鉦の奏者が付いて移動するのが一般的なサイサイのスタイルなので、このように櫓の上で披露するお囃子をサイサイとは呼ばないはずだが、音の構成やメロディなどはサイサイに分類しても違和感はないと思う。

結構人が集まってきました。

踊りは7時半開始予定だが、まだ始まる気配はない。
保存会の方に尋ねたところ、盆踊りの振りを知っているお師匠さんが一人しかおらず、しかもそのお師匠さんがまだ会場入りしないため、始められないらしい。
なんてこった。。。
会場にはさっきから「炭坑節」と音頭調の歌謡曲(吉幾三の歌声っぽいが、よく分かりません)が繰り返し交互にスピーカーから流されている。
と、炭坑節に合わせるように会場にいた2,3人が踊りを始めた。

踊りの輪が広がり、総勢10人ぐらいが踊りだした。


保存会の方から、田子内盆踊りは現在「田子内音頭」「炭坑節」「?(仮に吉幾三と命名します)」の3つの踊りで構成されているとお聞きした。
で、田子内音頭は生のお囃子で、炭坑節と吉幾三は音源で奏でられるということなのだ。
そして未だ到着しないお師匠さんしか振り付けを知らないのは、田子内音頭ということらしい(※お師匠さん以外も踊れる方は結構いました。ただ、振り付けを正確に再現する正統の踊りを踊れるのはお師匠さんだけ、ということかと思います)。

秋田県立図書館で読んだ「東成瀬村郷土史」によると、田子内盆踊りは元来五つ振り(五番)で構成されていたものの、大正時代に一時廃れてしまい、その際かそのあとに田子内音頭以外の4つの振りが失われてしまったらしい。
昭和初期に東成瀬小学校体操場で練習を再開し、かろうじて田子内音頭は命脈を繋いだのだが「残りの四振りを知っている人は殆どおらない」と同著に記述されているように、田子内盆踊りはその内容を著しく変容させてしまった。
おそらくは田子内音頭一本ではバリエーションに欠ける、との配慮から炭坑節と吉幾三が後年追加されたと推測するが、「失われた4つの振り」んーー、気になります。

時刻は8時前
ようやくお師匠さんが到着
あの人がお師匠さんです、と言われずとも、その風格、佇まいから一目で分かった。
3人でまとまって話している中の、右側背中の方です。

そして待ってました!田子内音頭の始まりです!


踊りは優雅だが、想像していた以上に振りが複雑そうだ。
これはたしかにお師匠さんがいないと、きちんと踊れそうにない。
「東成瀬村郷土史」によると、かつて東成瀬村内のみならず、増田町西成瀬といった遠方からも観覧に訪れる人がいたらしい。
西成瀬から東成瀬までおよそ10km
それほどの距離を歩いてでも見る価値のある、美しく気品溢れる盆踊りだ。


「秋田の祭り・行事」によると、この盆踊りはかつて会津から移住した一族が、祖先の霊を慰めるため墓前で踊ったのが始まり、だそうだ。
会津の何という一族が、いつ頃移住したかといった詳細は記されていないものの、もしかすると会津地方に伝わる踊りがベースとなり、それにサイサイの要素が加わったハイブリッドな盆踊りなのかもしれない。
会津の盆踊り‥かんしょ踊りではないと思う(かんしょ踊り、大好きですけどね)。

10分ほどで田子内音頭は終了
このあとは、今年から始まった新企画 打ち上げ花火です。


計10発ほども上がっただろうか。
盆踊り会場から直接花火は見れないので少し移動するのだが、「これで花火終わりだな」とみんな盆踊り会場に戻ろうとするも、直後に「ドドーンッ!!」と花火の轟音がするので慌てて花火が見える場所に踵を返すのが2,3度続いた。
コントか!

その後は後半の部
と、ずっと不安定だった天候がここで崩れてしまい、ポツポツ雨が降ってきた。
この後、強く降ることはなかったが、少々テンションが下がってしまう。
そして炭坑節だか、吉幾三だかを1曲踊ったのちに、本日2度目の田子内音頭

地口がかなりのダミ声で、渋さ満点です。
しかも時々字余りになっている。
保存会の方は「この盆踊りは西馬音内盆踊りに似てるよ」と仰っていた。
また、「東成瀬村郷土史」にも、「西馬音内の盆踊りに類似している」との記述がある。
が、共通する地口がある以外、特に大きな類似点はないように思う。
これはどういうことなのか‥もしや「失われた4つの振り」にその鍵があったりするのだろうか?


踊り手が1回目よりも確実に増えた。
お盆で帰省中の田子内出身者の方が多かったようだ。
浴衣姿の女性が目立つが、「秋田の祭り・行事」によると、元来この盆踊りは地蔵尊に因んで真っ赤な着物で踊られたらしい。
たしかに同書に掲載されている写真を見ると真っ赤な着物の子供たちが踊っている。
それも、柄の一切ない本当に真っ赤な着物姿‥これはこれでちょっと怖くないか・・(;゚;Д;゚;;)


写真では薄暗く見えるが、提灯の仄暗い明かりが程良く心地よい。
スピーカーから大音量で流れる盆踊り唄にのって、たくさんの人たちが踊る当世風の盆踊りとはかけ離れた世界だが、お寺ならではの風情と相まって日本の原風景とでも呼ぶべき姿を見せてくれる。
2回目の田子内音頭も10分ほどで終了
この後、おそらくは炭坑節か吉幾三かが踊られたはずだが、そろそろ実家に戻ってご先祖様と酒を酌み交わさねば‥と会場をあとにしたのだった。

ということで田子内盆踊り
実家からわずか車で15分の距離にあるお寺で、こんなに優雅な盆踊りが毎年踊られていたとはちょっとした驚きだった。
県内各地の特徴ある盆踊りを大体知っているつもりでいた管理人にとっては、まさしく「灯台下暗し」
やはり盆踊りの世界は奥が深く、一筋縄ではいかない。
また、先に「秋田の祭り・行事」から「この盆踊りは赤い着物を着て踊られた」との記述の一部を引用したが、保存会の男性に本当にそうだったかを尋ねると「うーーん、知らねえ」とのことだった。
西馬音内盆踊りとそれほど似ていないのに殊更に類似点が強調されたり、赤い着物で踊った写真まで残っているのに、保存会の年配の方がそのことを「知らない」と言ってみたりとやたらと謎の多い盆踊りでもあった。
やはり「失われた4つの振り」が引っかかる、まるで真夏のミステリーのようだ。
どなたか、情報をお持ちの方いらっしゃいませんか?


“田子内盆踊り” への4件の返信

  1. 今回も歴史資料や動画を交えた記事を、楽しく読ませていただきました!
    10年ぶりにやって来た浴衣の夫婦は本番へたっぴで、翌朝になって旅館の女将さんに教わりました。
    その時に聞いた話しでは、昔は秋田甚句も踊っていたそうですよ!

    1. ふじけんさん
      書き込みありがとうございます。
      へたっぴなんてとんでもない!
      その場でレクチャーを受け、踊りながらものにしてしまう対応力の高さ!素晴らしいです。
      しかも郡上おどりの翌日に!!
      「10年ひとむかし」とはよく言ったもので、当時とは勝手が違う部分も多かったと思います。
      これから先、田子内盆踊りが往時の雰囲気を失うことなく存続することを願うばかりです。

  2. お師匠さんの踊りは、一味違いますね❣️
    今回も楽しく観させて頂きました。ありがとうございます

    1. 隣人1号さん
      いつもありがとうございます!
      とても味わい深く、美しい盆踊りでしたねー
      県南にはまだまだ秘められた魅力を持つ盆踊りがたくさんありそうです。
      そういった隠れた魅力をどんどん引き出して記事にしていきたいと思います。
      まっ、盆踊りなんで次は1年後ぐらいになっちゃいますけど(苦笑)

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