百万遍念仏講

2018年1月8日
冬の寒さがいよいよ染みる時期になり、秋田県内各地では伝統行事が盛んに行われるようになる。
小正月行事が最も多く行われるのは2月ではあるが、1月もそれなりの数の行事が行われるため決して退屈することはない。
そんな中で、今回選んだのは横手市山内南郷三ツ屋地区で行われた「百万遍念仏講」
これまで管理人が見てきた行事の中でも一二を争うぐらいの激シブ行事だ。

どんな行事かというのを一言で言えば「大勢の人が、大型の数珠を『南無阿弥陀仏』と唱えながら回す」とでも言おうか。
京都知恩寺で始まった行事で、本来は10人の僧侶が1000個(※本当は1080個らしい)の玉のついた数珠を100回まわすため、10人×1000個×100回で「百万遍」と云われていたようだが、今では1周を1万回と数えて100回まわすことが百万遍なる呼び名の起こりとされている。
で、百万遍の念仏を唱える「」ということで、このような名称がついたようだ。
そして、数珠を100回まわすことで「極楽往生」を願ったり「追善供養」を行うのが本来の目的だが、現代では「悪霊退散」や「無病息災祈願」が加わっている。
百万遍念仏講自体は秋田特有の行事ではなく全国各地で行われており、秋田県内においても男鹿市五里合や秋田市浜田や金足、牛島あたりで行われている(いた?)ようだ。

当日1月8日を迎える。
行事は8時半には始まるので、本来なら6時半ぐらいには自宅を出ておきたい(秋田道は使わない想定)ところだが、行事の開始に無理やり合わせなくてもいいや‥と7時に家を出て、国道13号線をひたすら南下
道中は霧がかかっており、薄紫色を帯びたような朝の景色が結構ステキだったりする(写真は大仙市神宮寺付近)。

13号線から国道107号線北上方面に乗り換えて、さらに県道40号線をひたすら真っ直ぐ進む。

時刻は8時半をとうに過ぎているので、ちょっと急ごうと車のスピードを上げる。
それにしても
1月のこの時期に、横手市山内の県道で普通に車のスピードを上げて走れるとはどういうことなのだろう。
管理人の認識ではこのへんはとにかく雪が多いところであり、時速40kmぐらいのノロノロ運転が当たり前なのだ。
雪が少ないことで生活に伴ういろいろな困難も回避できるし悪いことではないのだが、この状況を手放しで喜んでいいのだろうか?

そして時間は9時
行事が定刻に始まったとすれば、開始から30分ほど経っているので少し焦ってきた。
で、肝心の開催場所については一切情報を持っていなかったので、現地の人に尋ねてみようかなあ、などと思っていたところ‥

いたいた。やってます。
場所は県道40号線からほんの少し地区の中に入ったあたり
早速車を止めて近づいてみる。

思った以上にがカチャカチャと鳴り響くタラノキの触れ合う音と絶えず鳴らされる鈴の音、そしてわずかに聞き取れるぐらいの声量で呟かれる「ナンマイダーブツ、ナンマイダーブツ‥」の唱え声が特異な空気感を醸し出している。
テレビや新聞で行事の様子をよく見ていたので大きな驚きはないが、非日常の新鮮さを感じさせてくれる。

山内南郷地域以外の百万遍念仏の様子が紹介されることはほとんどないのに対し、ここの念仏講は毎年必ずテレビや新聞で紹介されている。
この日も秋田魁新報の記者さん、AKTのカメラマンさんが訪れていた。
この違いはなんなのか?と考えるのだが、そこはよく分からない。
ただ、山内南郷地域以外の百万遍念仏は春、特にお彼岸に行われるのに対して、山内南郷地域では毎年成人の日、すなわち真冬の1月初旬に行われる(それが理由で「寒念仏」と呼ばれたりもする)。
そのことで「雪が降りしきる真冬に秋田の寒村で密やかに行われる行事」みたいなフォトジェニックなイメージが喚起され、マスコミが取り上げ始めたのでは‥とテキトーに推測してみたのだが、実際のところはどうなのだろうか?

中央に鎮座し、鈴を鳴らす女性は「世話人」と呼ばれている。
全国各地の百万遍念仏を見ると2人の世話人がいる場合もあり、その形態にもいろいろ違いがあるようだ。
また、屋外ではなく屋内において阿弥陀如来像の前で行うのがどうやら一般的な形のようだ。

頬かむりのせいで分かりづらいが、世話人の女性は思っていたより全然若い。
管理人は「吹きすさぶ寒風のなか、白髪のしわがれ声の老婆が不気味に念仏を唱える」みたいな図を勝手にイメージしていたが、実際には全くそんなことはなかった。

地元の男性に行事の概要を教えていただいた。
念仏は地区内の3ヶ所で唱えられるという。
今日はすでに一箇所目での念仏を終え、今は二箇所目なのだそうだ。
一箇所目はあるお宅の前で行ったのだが、そのお宅は県道40号線から少し離れたところにあるらしいので、管理人は見つけられなかったかもしれない。
また、例年であれば南→北に上がる形で移動するのが、今年は逆ルートを辿ってまわるらしい。
なぜ今年に限ってそのような順番になったのかはお聞きしていない。

そして数珠を100回まわし切ったということで、ここでの念仏は終了

数珠には赤い布が巻かれており、それを目印として世話人が回った回数をカウントするそうだ。
そして、赤い布が1周するごとに手の中に収めている銀貨を一個ずつ鈴を置く皿に落として回数を数えるシステムだ。
その銀貨なのだが、真ん中に穴の空いた銀色のものだったのでてっきり五円玉かと思っていたが、よく見ると本物の寛永通宝だった!
えっ!これって結構なお宝ものじゃないんですか‥

最後となる三箇所目に全員で揃って移動

既にお気づきの方もいると思うが、参加者は全員女性である。
秋田県立図書館から借りた「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」に男鹿市五里合での百万遍念仏の様子が調査報告されていたので、そちらを参考に読んだところ、元来この行事は女性だけのものだったようだ。
男性が参加して行われている映像がyoutubeで見れたりするので、現代においては男人禁制ということはないと思うが、なぜ女性だけの行事なのかはよく分からない。
何か仏教的な慣わしでもあったりするのだろうか。

県道40号線を歩いて南に下ります。

そして3軒目となるお宅の前に到着

「ファイバーアセロラホワイト」と書かれた缶のうえに鈴を置く。
ファイバーアセロラホワイトの販売元である旧カネボウは、この行事のスポンサーとして広く知られている。← 嘘です

そして最終となる3回目の念仏が始まる。

自分のところに赤い布がまわってきた参加者は、布を額近くに持ってきて祈祷を捧げている。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」で紹介されている男鹿市五里合の百万遍念仏においては、この行事を行わないと村中に悪いことが起こると信じられており、これまで行事を欠かしたことがないそうだ(同著は平成9年の刊行なので、いまはどうなっているか分かりません)。
ここ山内南郷地域においても、おそらくは行事は連綿と続けられていて、参加者は毎年この日に祈祷を捧げるのが当たり前のことになっているのだろう。

行事にあたっては、三ツ屋地区の各家より必ず一人を参加させなければいけないらしい(宗教上の理由により不参加の家を除く)。
という点を踏まえると三ツ屋地区の全戸が一つの講を構成しているとも言えるだろう。
秋田市が作成した「屋敷神・講・祠資料」によると、講は‥
①庚申講、二十三夜講、十三夜講などと期日を名称としたもの
②山の神講、恵比須講、地蔵講などと信仰の対象の名が冠されているもの
③月待講など祭祀形態の特徴から名付けられたもの
と分類が可能なのだそうだ。
この念仏講は祭祀形態による分類なので、③に属するということだ。

参加者の後方でバシャバシャと写真を撮っていたら、参加者の女性から「一緒にやりますか?」と聞かれた。
丁寧に辞退させてもらったが、なんと飛び入りOKだったのだ。
てっきり三ツ屋地区の人しか参加できないものだと思っていたが、そうでもないらしい。
事実、途中から参加者の列に加わる方もいた。
この行事に興味はあれど、見に行くとかどんなもんかなあ‥と躊躇している方がいたら、参加という手段もあることを知っておいて良いと思う(ただし、数珠の列に余裕がある場合のみ、ということでしょう)。

先に書いたように、この行事は県内のみならず全国で行われている行事の一つだ。
山内南郷地域で言えば、約200年前から行われていたそうだ。
管理人がこれまで記事にしたような行事は「○○がきっかけとなり、××年頃から行われている」といったように、その起源・成り立ちが明確になっているものもあれば、口伝による伝承のみで行事の始まりがはっきりとしないものもある。
この百万遍念仏講について言えばかつての記録などはなく、どのような変遷を遂げてきたのかが全くはっきりしない。
「講」という組織をベースに成り立っているがゆえに、そこに所属する人たちだけが承知していれば別に外部の人間が知ろうが知るまいが知ったこっちゃなく、いわば限られた人たちの中でだけで脈々と受け継がれてきた密室的な性質が伺える。
外部の人間が気づいたときには「すでにそこにあった」行事なのだ。

20分ほどで100周回し切り、これにて行事は終りとなる。


通常このような祭り・行事が終わると直会の開始となり、飲めや歌えやのドンチャン騒ぎとなるのが恒例だが、ここでは行事が終わると各参加者が「おつかれさまでしたー」と挨拶をして、各々の家に引き上げるだけだった。
このあたりは「神事」との違い(直会は神と飲食を共にして盛り上がることで、神に喜んでもらうという意味がある。百万遍念仏講はそもそもが仏教由来の行事であり、神事ではない)ということだと思うが、粛々と行事を行い、終わるとさも何事もなかったかのように家々に帰る参加者の姿がこれまた一種独特に感じられた。

ということで行事は9時45分には終わり、管理人も一路秋田市へ戻っていった。

暗く閉ざされた雪国の冬にも今日のような青空の日がそれなりに見られる訳で、今日は絶好の行事日和だったとも言えよう。
管理人としては、寒々とした吹雪の中での様子も見たかった気がするが、そもそもこのあたりは山に囲まれた地形のせいで吹雪くということは滅多にない(と認識しています)。

参加者の皆さんの気負いのなさというか、淡々とした様子がとても印象に残った。
おそらくは参加者たちも、事前の周知などなされないままに「8時半に○○に集合」ということをわきまえていて、人が集まれば始めて、終われば散会するだけのことであり、ごくごく普通のこととして行事を行っていたに違いないと思う。
現代では日本人の生活スタイルが激変し、かつて行われていた年中行事などもほとんどやらなくなった、ということを耳にするが、ここ山内南郷三ツ屋地区では、そのような現代の風潮など関係ないと言わんばかりに百万遍念仏講が当たり前に行われる。
その「なんでもないさま」がこの特異さを生み出しているのかな、と思わせるような行事だった。


“百万遍念仏講” への4件の返信

  1. いつもご紹介ありがとうございます。『山内歴史・文化便覧』という本の内容を抜粋転記させていただきます。

    疫病が蔓延した元弘元年(1331年)ころ、知恩寺の八世・空円が七日間にわたり、百万回に達する念仏を修した行法に始まる。その効験あらたかだったため、全国の僧俗に普及したという。たあd、民間では各地各様に伝承され、その形態もまた多様になった。南郷の場合は、疫病神送りの習俗との混合が見られる。

    横手市山内黒沢地区は、曼荼羅堂(屋内)でとり行われます。
    http://kunizakai.cocolog-nifty.com/blog/k320.html

    1. 柿崎さん
      書き込みありがとうございます!
      「山内歴史・文化便覧」教えていただきありがとうございました。
      厄病神送りの習俗との混合ですか?全く想定していなかった変遷ですね。びっくりです。
      「国境いの村と人」素晴らしいサイトですね!
      高度で専門的な内容を盛り込みつつも、郷土への愛情が隙間なく伝わってきます。
      旧山内村は岩手県和賀地方との交流が昔も今も盛んな土地ですよね。
      管理人はそういったマージナルな地域にとても興味があるので、いずれ探訪したいと思っています!

  2. いつも楽しく拝見しています。
    今回は秋田の小さな祭り界では有名(?)な百万遍念仏ですね!
    新聞記事等で度々目にしていましたが、akitafesさんの丁寧なレポートとふんだんな動・静止画により、生き生きと行事の様子が伝わりました。
    ありがとうございす。

    1. uxorialさん
      書き込みありがとうございます!
      そうなんです、実は百万遍念仏講は結構メジャーな行事なんですよね。
      テレビで必ずその様子が放送されますし、密かに認知度が高いんじゃないかと思っています。
      豪雪地帯県南の中でも特に雪が多い旧山内村も、ようやく春の訪れが感じられる時期になったのではないでしょうか。
      またそのうち遊びに行きたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です