岩玉神社の山車2018

2018年1月27日
なかなか雪が降らないなあ‥などと思っていた今冬だが、1月後半になると本格的に雪が降り、ようやく秋田の冬らしい景色が広がってきた(1月22日は都心でも結構な量の降雪で、たいへんそうだったが)。
つい疎まれがちな雪ではあるものの、その恩恵を最大限に享受すべき行事が秋田市河辺岩見で行われた。
それが今回の記事「岩玉神社の山車」行事だ。

実は昨年も鑑賞した行事であり、どういったことが行われるのかは知っている。
1基の山車が地区内を巡行するのだが、山車の足元にはソリが据え付けられ、いわば雪面を滑りながら進むという、かなり変わった山車行事なのだ。
ソリは取り外し自由な訳ではなく、かならず付けられるため、雪がないときには道路に雪を撒いてでも行われるという。
今年は幸運にも行事の数日前にドカ雪状態となり、かなりの積雪があったため、雪の心配は無用ということだ(普通、雪の心配といえば多く降ることを指していいますが、この行事に関しては全く逆です)。

行事は1月の第4土曜日開催と決められている。
場所となる河辺岩見は秋田市郊外の場所であり、管理人の自宅からは1時間あまりで到着
本当はそれほど時間がかからないのだが、雪の影響でノロノロ運転になってしまい、現地に着いたのは行事開始17時直前の16時55分
適当な場所に車を停めて、山車の行進を待つ。
周囲を見渡すと雪が積もっており、なかなか綺麗な光景を作り出している。

山車はまだ来ないかなあ‥などと思う暇もなく、遠くに山車一行が見えてきました。

山車は河辺岩見の鍛冶屋敷地区の行事であり、岩玉神社へ山車を奉納すべく地区の東端である筒出から西へ進む。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」には「岩玉神社山車祭り」として行事が紹介されており、それによると発祥についてはっきりとした記録がないので不明なことも多いが、明治時代には既に行われていたことが確認できているそうだ。

山車が近づいてきた。


お囃子方は山車に乗って演奏
また、山車には灯籠の飾りつけがされており、交通安全や五穀豊穣などが祈願されるほか、地区住民の厄払い祈願も合わせて行われる。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」によると、もともとは15歳の元服式に由来する山車行事とも云われているが、その痕跡がはっきり残るものはない、とのことだ。

去年の鑑賞の際も感じたことだが、雪上を滑りながら進むだけあって、とにかく山車がドリフトしまくりなのだ。
地区内の道路には上り下りの坂はないので、そういった面での山車を曳く大変さはないものの、除雪の影響で道路の左右に高低差が生じており、ズズズズと左に滑り、右に滑りを繰り返しながら引っ張られていく。
あわや民家の塀に激突!ぐらいのスレスレなかんじで巡行する結構スリリングな山車なのだ。


山車の後方についている方々は、結構必死に山車をコントロール
おかげで民家の塀にぶつかるとかの事故はなかった。


曳き手の数は30人ぐらいだろうか。
心なしか昨年よりちょっと人数が増えたような気がする。
地区の方に教えていただいたところによると、特に子供を中心に鍛冶屋敷地区以外の河辺岩見の人たちにも参加いただいているのだとか。
また、現在鍛冶屋敷地区にいる子供の数は10人に満たないぐらい(おそらく小学生ということかと思います)なので、地区単体で行事を行うのは難しいそうだ。


先にこの行事の発祥がはっきりしていない、ということを書いたが、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」では、かの「秋田風俗問状答」に、「さえの神の飾り雪車」として雪上を曳く山車行事について記されていることに言及がされており、岩玉神社の山車もそれに類するものといえよう、と結んでいる。
さえの神行事と山車行事の思わぬ接点が見い出せそうでもあるが、さえの神の飾り雪車は船、それも龍頭船のような形状のものもあり、昔の人たちが「ソリに何か乗っけて曳いてみようぜー!」と軽いノリで始めたのが案外ルーツなのかもしれない。

山車の通る道沿いにミニかまくらが作られており、辺りが暗くなるとともにポッと周囲を明るく照らしてくれる。


これらのミニかまくらは地元の老人会の皆さんがこしらえたものだ。
ただ、前日までに作り終えていたものを、行事当日朝の除雪車が全部ぶっ壊してしまったため、当日にあらためて作り直したらしい。
なんてことしてくれてんのよ!!

地区の商店前で小休止

休憩のタイミングも去年と全く同じだ。
曳き手、お囃子方に飲み物が配られ、皆でほっと一息つく。
ありがたいことに、昨年も鑑賞していた管理人を覚えていてくれた方から「今年も来たんですね~」とホットコーヒーをいただいた。
あ~温まるわ‥

あらためて山車を正面から撮影

「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」に山車の制作方法が記されている。曰く、「山車は橇の上に船型に造り上げ、杉の葉で周りを飾り、灯籠をつけ、さらに所々に柳と笹竹を差していく。これに注連縄を張る。」とある。
見ると、パーティー用のモールなどもあしらわれており、寒さなんかに負けず派手に行こう!との思いが伝わってくるようだ。

山車の先頭にはその年の干支が描かれた額が付けられている。

額はこの後、岩玉神社へ奉納される。
今年は戌年。この額絵のモデルはやっぱり秋田犬でしょうか?

休息ののち、再び山車が動き出す。


あたりはすっかり暗くなり、また、少しではあるが雪が降ってきた。
お囃子は太鼓がメインで、それに鉦と法螺貝がつく。
太鼓については「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」で、「台の乱れ太鼓」という打ち方をする、と紹介されている。
「台」というのはどうやらこのあたりの旧地名らしい。

少し動いた後2回目の休憩が入る。
巡行の距離は1kmほどであり、再度休憩を取るとなると短いスパンで入れざるを得ないわけだ。


ところで‥
秋田県の祭り・行事」には「4年に1度仮装行列が行われる」と書かれている。
地区の方にどういうものだったのかお聞きしたところ、曳き手が思い思いに仮装して山車を曳いていたこともあったそうだ(今は行われていない)。
また、4年に1回という周期について「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」には「いわれに定かなものはない」と記されているが、偶然かどうかは分からないもののオリンピックイヤーに行われていたらしい。
東京オリンピックの年に復活できたら最高ですなー

そして再度出発!と思ったらあっという間に終点となる岩玉神社へ着いてしまった。
ここで曳き手は綱から離れて、成人男性のみで山車を境内へ移動させる。
山車は鳥居のサイズぎりぎりなので、鳥居にぶつからないよう慎重に動かす。

境内へ無事到着

まずはお囃子が演奏される。

額絵奉納、神官によるお払いに続いて子供たちにお菓子、記念品が配られた。

またまた、ありがたいことに管理人も記念品(秋田銘菓 高砂堂の落雁)をいただいてしまった。
帰宅後にお茶請けとして美味しくいただきました。
本当に頂き物ばっかりですいません‥

これで行事は終了。山車はその場で解体される。


ソリや山車はこのあと倉庫へと運ばれて来年の行事まで保管される。
飾りに使った杉の葉や柳は翌日に川原で焼かれる、と「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」に記されていた。
川原というのはおそらく地区のすぐ近くを流れる岩見川のことを指していると思う。

このあと地区の皆さんは直会へと移行
この寒さの中、おつかれさまでした。ゆっくり酒を楽しんでください!
管理人も夜の暗さが完全にあたりを包むなか、家路に着いた。

昨年同様、冬の寒さをものともしない鍛冶屋敷地区の人たちの元気な様子を見させてもらった。
また、これも昨年同様に皆さんに数々の品々をいただき、本当に嬉しい限りだ。
それにしても‥
なぜ鍛冶屋敷地区にだけ、このような山車行事が現存しているのか?という昨年来の疑問は未だに晴れない。
先に書いた「さえの神の飾り雪車」は久保田城下での行事だったようだし、市街地から遠く離れた場所で行われるこの行事は、ちょっとしたミステリーを内包している。
うーん、気になる!どなたか調べていただけませんか?


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