猿倉人形芝居(木内勇吉一座)

2018年2月10日
いよいよ待ちに待った小正月行事ラッシュだ。
これから県内のあちらこちらで多種多様な行事が行われる訳だが、それとは別に管理人が以前より注目していた郷土芸能が由利本荘市矢島町で行われた。
猿倉人形芝居 - その名のとおり人形芝居であり、これまで見てきた伝統行事・伝統芸能とはその趣を異にする。
このような人形劇は秋田では珍しく、滅多に鑑賞できるものではない。
概要はこちらのサイトでご覧あれ

今回、矢島町を代表する酒造メーカー「天寿酒造」の酒蔵開放イベントの一つとして、猿倉人形芝居が上演される。
酒造りが盛んとなるこの時期、県内各地で同様の酒蔵開放イベントが行われるが、下戸である管理人は日本酒には見向きもせず(興味はあるんですけど‥)、この稀有な伝統芸能目当てに天寿酒造に足を運ぶことにしたのだった。
また、上演は11:00~12:00の第一部と、14:30~15:30の第二部に分かれていて、管理人は第二部を鑑賞することに決めた。

当日を迎える。
秋田市の自宅を11時に出発して、12時半に天寿酒造に到着。おお、賑わってますねー

見学申込書に記入をして早速館内へ

人形芝居が行われるのは2階にある研修室
もっとも天寿酒造の従業員の方に教えてもらったところによると「研修室っていうか、まあ宴会場だな」とのことだった(^_^;)
管理人が入室した後もどんどん観客が入ってきて、ほぼ満杯
酒蔵見学から流れてきたお客さんがほとんどだろう。
年配の方が大半だが、中には若い方もちらほらいた。
おそらく6~70人ぐらいは集まったと思うし、「どんな見世物やってんの?」というかんじで上演開始後に入ってくる方も結構たくさんいた。

ところで、天寿酒造の方から「写真撮影はOKだけど動画撮影はちょっとすいません‥m(_ _;)m」と言われていたので、今回は写真のみの記事となります。
また、以降の内容は完全にネタバレになりますので、その点もご承知置きくださいね。

天寿酒造の方のご挨拶に続いて、さあ開演です!

まずは「口上」から

幕開けに際して、裃を着けた人形が観客への挨拶を述べ、演目の紹介を行う。
前日に開幕した平昌オリンピックにも触れながら、観客の注目を舞台に集める。
そして登場にあたって囃子方が奏でるのは「人形甚句」
三味線・太鼓・唄で構成されるシンプルな演奏ながら、これから始まる人形芝居への期待を高める賑やかな音だ。
人形甚句には‥
♪ 押せや押せ押せ下関までも
  押せば港に コラサッサ 近くなる コラサッサエー
♪ 惚れた惚れた川端柳
  水に押されて コラサッサ 根が惚れた コラサッサエー
といった歌詞のものがある。
お囃子はこれ以降も場面に応じて奏でられて、人形芝居を効果的に盛り上げる役割を果たす。

舞台はご覧の通りの様子だ。
舞台下に張られている「手当たり幕」の陰に操り手が立ち膝をしながら隠れており、人形の裾から手を入れる「裾突っ込み式」といわれる方法で人形を操る。
そして、中指と人差し指のあいだに人形の首を差し挟みつつ、親指と小指を人形の両手に差し込んで人形を操るのだが、県立図書館で読んだ「鳥海町史 文化伝承編」には「この方法によると、前後左右の動作が表現しやすいとされ、思うように人形を操ることができる」と書かれていた。
また、基本的には2体の人形を操る際には、一人の操り手が両手で操るものとされており、そのうえ操り手は2体分のセリフも一人でこなさなければならず、かなりの熟練が必要とされている。

続いては「三番叟」


三番叟といえば、管理人的には番楽でお馴染みの演目
この人形芝居においても披露されるわけだが、ここでは無事に上演が終えられる事を願うとともに、舞台を清める意味で演じられている。
お囃子の賑やかな演奏に合わせるように2体の人形が激しく動き回る。
たしかに舞台を清める、というか悪魔祓いの要素があるように感じた。
三番叟は3分ほどで終了

さて、ここからが正式な演目の上演となる。
管理人は会場の最後方に陣取ったのだが、舞台までちょっと遠いなあ‥ということで最前列のいちばん右に移動
これなら人形をアップで撮影できるし、後ろのお客さんの邪魔にもならないし、いい塩梅です。

まずは「岩見重太郎の狒々(ひひ)退治」


背景にセットされた絵は「遠見」と呼ばれており、場面転換のたびに取り替えられる仕組みとなっている。
「鳥海町史 文化伝承編」には、人形師自らが遠見を描いている、と書かれていた。
というか、この人形芝居は操り手が人形制作も手がけるし、さらに唄・三味線・太鼓などお囃子にも通じてなければならないらしい。

まず主役である岩見重太郎が登場


岩見重太郎は「薄田兼相」の名で知られる戦国武将だ。
最後は大阪夏の陣で豊臣方へ付いて戦死することになるのだが、若き日に各地を放浪した際の数々の武勇伝は、主に戦前あたりを中心に講談物として親しまれた。
演目には創作物もあれば、このように既に作品化されている題材もあればといった具合に様々だが、これなどは後者の典型であろう。
因みにこのように講談などを題材にした演目を「段物」と呼ぶらしい。
今回の演目は「狒々退治」だが、午前中に行われた第一部では「岩見重太郎の大蛇退治」が披露された。
「大蛇退治」の詳しいストーリーは知らないが、どうやら狒々が大蛇に単純に変わっただけではなく、全く別物の演目のようだ。

信州の山中を旅していた岩見重太郎は村人から、ある話を聞かされる。
村人曰く「間もなく村祭りの時期です。本当は楽しい祭りなのに、ここでは祭りのたびに未婚の女を神様に献上しないといけない。そして献上された女は生贄として神に食われてしまう。そんな悲しい出来事が起こる日なので、祭りとはいえ村人は皆暗い気持ちになっています」


重太郎は「神が人を喰らうなどあろうはずがない。おそらく神ではない何者かが悪さをしているのだろう。よし、私が人身御供となる娘に扮してその正体を暴いてやろう」と村人に持ちかける。

次に一人の男が登場
この男は神とされる者の元に、女を届けるための籠担ぎの役目を担っている。

そして籠担ぎの相棒が登場


先の村人同様、祭りのたびに村の女が神に喰われてしまうことにに心を痛める男二人
「この村の祭りは『泣き祭り』だよ!」と情けなくあたふたするだけに留まらず、この2人は得体の知れない神の元へ女を届ける役割を担っているわけで危害を受ける可能性もある。
事実、去年は別の籠担ぎの男が巻き添えとなり、神に喰われてしまった。
たいへんな状況を前に平静ではいられない。

ストーリーだけを追えばなかなか悲劇的な展開だが、そこはかつて庶民を楽しませた人形芝居
2人は絶妙の掛け合いを見せて、観客を笑いへと誘う。
今年の生贄となる女を言い表すのに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言うべきところを「立てば芍薬、座ればドダン!歩く姿はブタのケツ!」
「俺は7年前に神様に許嫁(いいなずけ)を食い殺されたんだ!」を言い間違えて「俺は7年前に神様に『いい菜っ葉漬け』を食い殺されたんだ!」
文字にするとどうってこともないが、秋田弁混じりの喋りが効果的で観客席は笑いに包まれる。
管理人も思わず「ワハハハ‥!!」と笑ってしまった。

また一人の男の方はとんでもない醜男で、相棒に散々そのことをいじられる。たしかにブサイク

相棒は醜男を「テメエ」と呼び、とにかく馬鹿にしまくる。
そして、「テメエ」という言葉遣いから分かるように、喋りに関しては100%の秋田弁ではないようだ。
秋田弁オンリーの人が頑張って標準語を喋るときの可笑しさがあり、そこが語り口の妙味になっている気がする。
また、当たり前といえば当たり前だが、セリフをは台本を読んでいるわけではなく、全て暗記によるものだ。
人形を操って、セリフを覚えて、さらには2体の人形の声色を使い分けて‥と操り手はたくさんのことを器用にこなさなければいけない。
見ているだけでは分からないが、実にハードな芸能なのだ。

人形の操り手は一座の座長である木内雄之(かつゆき)さん
一座の名前にもなっている木内勇吉氏(1899~1989)の孫にあたる方だ。
人形を操るだけに留まらない八面六臂の大活躍だが、籠担ぎの男2人が話しているところに、男女1人ずつ村人が登場する場面があった。
おそらく雄之さんのご子息、木内岳大(たけひろ)さんによる人形操りだろう。
現在は雄之さんが座長として一座の中心になっているが、継承が着々と進んでいることを感じさせる場面だった。

そして村祭り

遠見が付け替えられた。

神が隠れている神社の前に籠を置いて、男二人はそそくさとその場と立ち去る。

村の女に替わり、籠に載っていた岩見重太郎が姿を現す。

そして神が登場!だが、これは神ではない!

岩見重太郎は「この者は神などではない!猿が人を喰らううちに化け物となり、狒々と化したのだ!」とその正体を看破
そして、大立ち回りが始まる!


先ほどの籠担ぎの男2人の掛け合いのゆるさから一転、スピーディーでスリリングな場面に変わった。
お囃子方の演奏もアップテンポになり、決闘を盛り上げる。

今でこそほとんど接する機会のない伝統芸能となってしまったが、かつて明治~戦前ほどにかけて、この人形芝居は巡業という形で全国を周って大人気を博した。
また、大都市のみならず山間部の奥地まで出向いて興行を行うこともあったらしい。
そういった場合には大きな民家の座敷を借りて、柱と柱のあいだに幕をかけて舞台設営を行ったそうだ。
「鳥海町史 文化伝承編」には「当時楽しみの少ない山間地の人たちにとって、こうした人形芝居を見ることはどれほど楽しいものだったか、いかに若者や子供たちの夢と興味をそそったが推測できる」と記されている。
岩見重太郎 VS 狒々のチャンバラシーンなどは手に汗握る激闘、というかんじでかつての少年たちが観覧したに違いない。
そういったたくさんの思いを集めてこのシーンが演じられてきたんだなあ‥と思うと、不思議と温かい気持ちになる。
また、秋田では今回の木内勇吉一座の他に吉田栄楽一座、吉田千代勝一座(※現在休止中)が活動しているが、木内勇吉一座がもっとも本格的に秋田に基盤を置いた活動をしたそうで、おそらくは相当数の秋田県民がこの名シーンを観覧したのではないだろうか。

激闘の末、狒々を成敗


手当たり幕のなかに隠しておいた赤い毛糸で血を表現する。
実は、管理人は昨年6月に由利本荘市民俗芸能伝承館まいーれで猿倉人形芝居を一度鑑賞している。
そのときの演目はこの後に披露される「鑑鉄坊さんの花傘踊り」と、談物「鬼人のお松」だったが、「鬼人のお松」でも同様の手法を用いて血を流すシーンが見られた。
また、「鬼人のお松」と言えば、人形の頭を素早く交換する「手妻使い」の操法が見られることで知られている。

狒々退治を終えた岩見重太郎は役目を果たしたとばかりに、決闘の地をあとにする。
因みに講談の本編のほうでは、重太郎は狒々を成敗するものの自身も大怪我を負ってしまうのだが、ここでは無傷で狒々退治に成功するストーリーとなっている。
そして重太郎に替わるように、籠担ぎの男二人が再登場
狒々の亡骸を村に持って来い、と命ぜられたらしい。

かつて、狒々によって許嫁を食い殺された男は、恨みを晴らそうと狒々を叩きまくるのだが、勢い余って度々相棒を痛打してしまう。

俺をぶつなよ!と相棒に言われて、それなら棒で狒々を叩けば誤爆しないだろうと思ったのだが‥


皆の予想通り、単に棒で相棒を叩く結果になってしまった。

狒々の死骸を前にドタバタを繰り返した男二人だが、どうにか狒々を運んでいく。

これにて「石見重太郎の狒々退治」は幕となる。
30分を超える熱演だった。
秋田県立図書館で読んだ「秋田・芸能伝承昔語り」に、木内勇吉氏の1972年当時のインタビューが掲載されている。
猿倉人形芝居の隆盛期の様子が丹念に綴られた、たいへん興味深い内容だった。
その中で勇吉氏は「台詞はまったく記憶だけですな。これも妙なもんで、私のところに何か講談でも話してくれと来られても、私は口下手なんで何にも話せないんですよ。頭に全然浮かんでこない。でも、両方の手に人形をはめれば絶対といって出てくるんですな。スカッと、一台詞も間違いなく」と語っている。
若い頃には芸の習得のために辛い修行を重ねられたようだが、努力に努力を積み重ねたその歩みがこの一言に集約されているかのようだ。
そして今日の「岩見重太郎の狒々退治」でも、その片鱗を窺い知ることができた。
盛り上がる場面、魅せる場面、笑いを誘う場面と数々の見せ場を繰り出すその技術は、決して一朝一夕で身につけられるものではないはずだ。
日々の鍛錬とたゆまぬ努力があって成せるものであり、人形芝居という珍しさだけでなく、こういった観点からも貴重で継承すべき芸能であると言えるだろう。

次の演目は「鑑鉄坊さんの花傘踊り」

虚無僧の笠「天蓋」を被った托鉢僧が登場。もちろんこの人が「鑑鉄坊さん」

そこに若い娘があらわれて、鑑鉄に声をかける。
「ねえねえお坊さん!お坊さんは日本のたくさんの場所に行ってるから、いろんなものを見てきたんでしょ?お話聞かせてくださいな!」

「私は仏の道に仕える身です。女人と軽々しく口をきく訳にはいきません」鑑鉄は娘の願いを無下に断る。ニヒルです。

それでも娘は引っ込まず、なおのこと鑑鉄に食い下がる。

そればかりか、「ね~お坊さん!顔を見せてよ~」と妙に艶っぽく鑑鉄に迫り、笠を取りにかかる。

娘の手によって笠がとられて鑑鉄の顔がさらされる。見るとスケベくさそうな、にやけ顔です。

娘は鑑鉄を置いて家の中へ入るが、もはや先ほどまでのストイックな鑑鉄はおらず、娘の色香に惑わされモヤモヤし始めた坊主が一人

煩悩の塊と化した鑑鉄は家で化粧をしている娘をのぞき見

鑑鉄は若い娘の化粧姿に大興奮。「ホッホーーッ!」と歓声を上げて、喜びを表現。いくらなんでも喜びすぎじゃないですか‥?

昨年、まいーれでの上演の際に配布されたパンフレットには「鉄を貫くほどに賢い、志操堅固だと思われる和尚さんも、裏に回って一皮むけば、女遊びもする生臭坊主と皮肉ったもの」としてこの演目が紹介されている。
これには反権威というか、威厳のあるものを茶化すことに愉悦を見出す庶民的な感覚が根本にあると思う。
洋の東西を問わず聖職者は嘲笑の対象になりやすい存在だったようだが、この演目に拍手喝采を送っていた先人たちが信仰心が薄いかといえば決してそんなことないような気がする。
要は自らが大切にする信仰を持ちつつも、それをもあざ笑う風通しの良さ(=自由)をこの演目に見出していたのではないかと思う。
因みにかつては人形が卑猥な動作をするような際どいものだったのを、木内勇吉氏が学校などでも興行できるように品位あるものに変えていったそうだ。

娘に見られているときは興味なさ気に装い、娘が目を離すとジーッと凝視。だるまさんが転んだ状態

が、ついに娘に見破られてしまった。

スケベ心を見透かされてしまった以上、鑑鉄に理性を保ち続ける理由はない。
そして大乱痴気騒ぎが始まった!!


手ぬぐい踊りを踊る2人、いよいよこの演目のクライマックスだ。
お囃子方も人形甚句を奏でて大いに盛り上げる。
♪ 人形鑑鉄からかさ踊り
  アネチャ浮かれて コラサッサ 踊りだす コラサッサエー
民謡調の渋い唄ではあるが、アップテンポな曲調はなんだかカッコいい。
2005年にはこの人形芝居の名称の由来となった※旧鳥海町猿倉地区の方々が中心となり、人形甚句を収録したCD・DVDが販売された。
人形芝居が貴重な伝統芸能であると同時に、人形甚句も受け継ぐべき猿倉地区の宝なのだ。
※創始者 池田与八の一番弟子であり、秋田県内に人形芝居を定着させた真坂藤吉の出身地が猿倉だったことから「猿倉人形芝居」と名付けられた。真坂藤吉は木内勇吉氏の師匠にあたる。

傘踊りが始まる。

そして鑑鉄の頭上で傘回し!写真では分かりづらいが、本当に回転してます!

皿回しまで披露、これも本当に回してます。芸達者です!


先に紹介した猿倉人形甚句のDVDに、昭和40~50年代に撮影したと思われる「鑑鉄坊さんと花傘踊り」の練習風景が収められていた。
感想を一言で言えば、とにかく巧みで動きが素早い!
人形を我が手のように扱い、棒から傘、傘から皿と次々に持ち替え、なおかつ人形が意思を持ってそのように動いているように見せる。
大げさでもなんでもなく「至高の芸」
この演目は池田与八が茨城県、千葉県で修行中に創作し、真坂藤吉がその巧みな人形操りで花開かせたと云われている。
その系譜に正しく連なる木内雄之さんの芸を存分に味わうことができた。

そして「鑑鉄坊さんの花傘踊り」が終わる。
鑑鉄と娘が観客に一礼、拍手喝采を浴びる。なかには花代をあげるお客さんもいた。


これを以て人形芝居は終了。1時間以上に渡り、楽しませてもらった。
終演と同時に観客は会場をあとにする。
従業員の方から「酒蔵開放に人形芝居を呼ぶようになってから20年ぐらい経つかな。先代(木内保雄氏)の頃から付き合いなんですよ」と教えていただいた。
おそらく来年、再来年もこの時期この場所に行けば、楽しく賑やかな木内勇吉一座の芝居が見ることができるだろう。
満足感とともに、この稀有な伝統芸能をこの先も見られる安堵感を携えて矢島町をあとにした。

因みに従業員の方に教えていただいたところによると、今日の酒蔵開放には計2,000人ほど集まったらしい。大盛況!

とにかく楽しく盛り上がった「猿倉人形芝居」
伝統芸能というと、その貴重さや継承にまつわる話が真っ先に取り上げられがちだが、先ずは芝居を楽しむべきということを実感した。
そして、操り手の超絶技巧さ加減も実に素晴らしかった。
人形操りの妙技を堪能し、人形甚句に耳を傾けて、そして笑って興奮して‥と数多くの楽しむべきポイントを兼ね備える一級品の伝統芸能
その珍しさゆえ、決して秋田の芸能の中心とは成り得ないものの、一人でも多くの人に知って欲しい、そして見て欲しいと思う。


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