嶽六所神社奉納梵天

2018年3月18日
3月半ばを過ぎると気分はもう春だが、まだまだ冬の名残を感じる場面は多々存在する。
そんな時期に行われる大仙市神宮寺の「嶽六所神社奉納梵天」
一体どれだけの秋田県民が知っているだろうか?
知名度ははっきり言って高くないし、数ある梵天行事の中でも秋田市の太平山三吉神社梵天や、大仙市大曲の花館地区「川を渡る梵天」ほどメジャーではない。
だがしかし、最初に言っておくとこの梵天、ある意味秋田県内最強の梵天行事である。

この行事と初めて出会ったのは、このブログではお馴染みの稲雄次さんの著書「カマクラとボンデン」である。
同著には「雄物川べりにそびえたつ神宮寺嶽(標高277m)の頂上にある嶽六所神社に、町内を一巡した後、旧国道の鳥居跡に集合し、雪の中を登ってボンデンを奉納する」とあった。
最初に読んだときは「ん?頂上の神社に梵天奉納?なんかの間違いでは?」と思った。
というのも、神宮寺嶽は標高こそ低いが、まさしく「そびえたつ」といった表現がぴったりの急登続きの里山であり、梵天を担いで登るのは不可能だと直感的に感じたからだ。
しかも足元にはたっぷりの残雪と、町内巡りでは酒がつきものであり、ほろ酔い気分で登れるだけの楽な山ではない訳で、これはどう考えても稲さんの勘違いでしょう、とそのときは結論づけた。
が、調べてみるとどうやら本当に頂上の嶽六所神社への奉納が行われているらしい。マジですかー
これは開催日となる3月第三日曜日に神宮寺に行ってみるしかない。

当日3月18日を迎える。
梵天は朝8時ぐらいから町内を巡行しているらしいが、そこまで早くなくてもいいかと11時ぐらいに現地に着くように自宅を出発
国道13号線を南下し、神宮寺バイパスを進んでいくと‥

周りの山々に比べて急峻な山容で、国道13号線を走っていると簡単に判別できるこの中央の山こそが神宮寺嶽
梵天一行がこれからこの山に登る訳だが、「本当に登るのか?」とこの期に及んでも何だか信じられない。
因みに地元では「神宮寺嶽」とは呼ばず、「嶽(だけ)」とだけ呼んでいる。(←ちょっと駄洒落になってしまいましたが)

神宮寺駅を真っ直ぐに進んだあたりが神宮寺の町内となる。
車を適当に止めて少しブラブラと歩く。

あちこちから威勢のいい掛け声が聞こえる。
春の穏やかな陽気の中、町内じゅうに梵天唄が響くシチュエーションは結構気持ちいい。
と、早速巡行中の町内と遭遇。こちらは「本郷丁内」


高らかに鳴り響く梵天唄、「ジョヤサー!」の掛け声、地元では「手札」と呼ばれる木製の板同士が打ち合わされる響き、高さ5mほどの梵天が突き上げられるさま。これぞ「梵天行事」
考えてみれば、管理人はこれまで鑑賞した梵天行事で町内、集落内の巡行の様子を見たことがなかった。
梵天奉納の際の押し合いがクライマックスには違いないだろうが、巡行の道中に住民から酒を振舞われたり、言葉を交わしたりといった場面も押し合いと同じぐらいに梵天行事の大切な要素だと思う。

本郷丁内のすぐ近くで「新丁町内会」が巡行中

やがて新丁町内会と本郷丁内が合流

秋田県民には万能つゆ「味どうらく」でお馴染みの、東北醤油株式会社へ到着。どうやら倉庫のようだが、ここでも梵天が振られる。



本郷丁内の方に教えていただいたところによると、今日は計8町内の梵天が奉納されるとのこと
「カマクラとボンテン」には平成元年には18本奉納された、と記されているし、いろんなサイトを見ると何年か前までは10本超の本数が上がっていたようだ。
他の梵天行事同様、ゆるやかに規模が縮小しているようにも見えるが、神宮寺に春を告げる大切な行事でもあるので末永く続いていくのは間違いないであろう。
東北醤油でおにぎりと酒を振舞ってもらった本郷丁内、新丁町内会の皆さんはこの後も元気に巡行を続ける。

こちらは「新道町内」
先に同行した二町内に比べ、人数は少ないものの威勢のいい梵天唄を披露

こちらのお店ではかしわそばと酒が振舞われた。
ありがたいことに新道町内のうしろにストーカーのごとく、こっそりとくっついていただけの管理人にもそばをいただいた。
美味かったです~!

日本酒は3種類並べられていた。飲み比べもできそうですよ。
左から福小町、ゴールデンスランバ、刈穂

福小町は湯沢市、刈穂は大仙市の酒として有名かと思う。ゴールデンスランバは福島の酒だそうだ。

新道町内の巡行が続く。


県立図書館で読んだ「神岡町史」にいくつかの梵天唄の歌詞が紹介されていた。
例えば‥
♪揃たナーヨ揃たどエー 若い衆揃た
秋のナーヨ出穂より ハー良く揃たナエ
♪目出度ナーヨ目出度エー 若松様よ
枝もナーヨ栄えて ハー葉も繁るナエ
など様々なバリエーションがあり、なおかつ町内ごとに微妙に歌詞が違ったりするらしい。

そして新道町内が進む先を見ると‥


ここは中町大門口の鳥居跡。この場所で押し合いと餅まきが行われる。
正午を目安に餅まきが始まるらしいので、すでにそれなりの人だかりが出来ていた。

鳥居前で待つこと30分あまり
梵天は各家々を巡行するので、なかなか進まない。
今年は特に時間がかかっているらしい。
それでもどうにか、いくつかの町内が巡行を終えて鳥居前に徐々に集まり始めた。

先に到着した町内とあとから来た町内同士で押し合いを行う。
押し合いが終わると同時に先にきていた町内は神宮寺嶽を目指し、あとからきた町内はこのあとにくる町内を待って押し合いを再度行うという仕組みだ。


かつては旧西仙北町刈和野や南外村あたりからも、他流試合よろしく奉納梵天が参加したそうだ。
その盛り上がりはかなりのものであり、遠い昔の話ではあるが、押し合いの際に死者が出たこともあったらしい。
今はその熱気に替わり、どちらかといえばほのぼのとした押し合いの場面が見られる。

押し合いと同時並行で餅まきも行われる。
餅、お菓子やカップラーメンなどの定番アイテムの他に5円玉も撒かれる。
あちこちで「チャリ~ン!」と硬貨が地面に落ちる音が鳴っていた。

かつて、この行事は「春の社日(しゃにち)」に行われていた。
社日とは、春分・秋分に最も近い戊(つちのえ)の日であり、春の社日には五穀を供えて豊作を祈願し、秋の社日には稲穂を供え収穫に感謝する慣わしがあったらしい。
神岡町史によると平成2年(1990)より、3月第3日曜日開催となったそうだ。

押し合いを終えた町内は雄物川の方へ向かい、川沿いのお宅を巡行したのちに町内ごとにチャーターしたトラックに乗り、神宮寺嶽の麓まで移動することになる。
管理人も駐車していた場所へ戻り、一足先に車で麓へ直行
途中雄物川にかかる岳見橋を渡ることになる。橋から見た神宮寺嶽はこんなかんじ

うーーん、ホントに登るんですか?
奉納時の山行に関する話を地元の何人かの方からお聞きしたし、登るのは間違いないはずだが、実際その場面を目の当たりにするまで何だか実感が湧かない。
まだ、フツーに雪積もってるし‥


ここから数kmほど上流にあたる大仙市花館では、今や全国区の知名度となった感のある「川を渡る梵天」こと伊豆山神社の奉納梵天祭が毎年2月11日に行われる。
雪景色を背景に川を渡る船に梵天が立つ様子がとても綺麗なことで知られる一方、神宮寺の梵天にはそれほどの注目度はなく「向こう(伊豆山神社梵天)が『川を渡る梵天』なら、こっちは『橋を渡る梵天』だな~」などと仰っていた方もいたが、かつて岳見橋がかかっていなかった頃は馬舟で対岸まで渡っていたそうだ。
世が世なら伊豆山神社の奉納梵天祭と同等ほどの人気を集めたであろう梵天行事だったのだ。

神宮寺嶽に向かう道路はこんなかんじです。

麓近くの道路に車を止めて登山道入口を目指す。

登山道を示す看板がありました。

鳥居をくぐれば山登り開始です。やっぱ雪すごいッスよ‥

管理人は里山登山をもう一つのささやかな趣味としており、ここ神宮寺嶽にも数年前に登ったことがある(もちろん雪のない時期ですが)。
30分で山頂に到達できるほどのビギナー向けの山ではあるが、登り始めと同時に胸突き八丁の急登が待ち構えており、結構ハードな山行だったことを覚えている。
そんな山を、しかも雪が全く解けていない中を本当に登るのか?
まさかの途中下山も視野に入れながら、恐る恐る鳥居をくぐりぬけ、いざ出発!

鳥居横に「式内社 副川神社跡」と書かれた記念碑が立っている。
現在は八郎潟町浦大町にある副川(そえがわ)神社は、本来はここ神宮寺嶽に鎮座していたとされる。
また、式内社とは「『延喜式』の神名帳 (じんみょうちょう) に記載されている神社」なのだそうだ。

あーきつい。予想通り、登り始めて5分で汗だくの状態だ。
鬱蒼とした杉林が疲労感をさらに煽る。
おそらく体を鍛えている人であればそれほど辛いことはないと思うが、あいにく管理人は慢性的な運動不足&スタミナ不足で、ちょっとした上り坂でもハアハアいってしまうような有様なのだ。

杉林を抜けると僅かに遠景が見えてくる。
写真奥にちらっと見える景色と比較すると、この山の急坂さ加減がお分かりになるだろうか。

梵天奉納の様子をどのあたりで撮影しようか?ということで、雄物川と神岡町全景が見渡せるこの地点で待つことにした。
管理人自身がすでにヘトヘトなのでいいかげん休憩を取りたかったというのもある。


登り始めた頃は雪一面の状態だったが、上に行くにしたがい徐々に地面が見えてきた。
下の方は杉林で日陰になっており、雪が解けづらかったようだ。
それはそうと、梵天一行がなかなか登って来ない!
ひとところで20分は待っただろうか。
やはり、山頂まで登って奉納するというのはガセで、実際には登山道入口で奉納を済ませたことにしておしまい、とかそんなかんじなんだろうか?
何人かの方から聞いた山行の話は一体なんだったんだ?など、この場にいながらもなお不安が脳裏をよぎってしまう。

やきもきしている管理人に遥か下方から「ジョヤサー!」の掛け声と梵天唄が聞こえてきた。
おーーーっ!やっぱり本当に登るんだ!とそれまでの不安が歓喜に変わる。
よっしゃ待ってました!というかんじだが、そこから更に待ち続けることになる。
やはり登り始めの急登は梵天一行にとってもキツイのだろう。

さらに待つこと20分ほど。きたきた!見えてきましたよー

先頭を切って登場したのは新丁町内会
本当に登っています。ついさっきまで「本当に頂上に奉納すんのか?」などと疑念を抱いていた自分が恥ずかしい。
梵天の重さはおよそ30kgほどと云われており、当然持つだけで一苦労のはず
しかも山腹に何とかこしらえたような登山道は一歩踏み外すと滑落の危険さえある。
これはすごいですよ!「(一人の男性)ジョヤサー!」、「(その他の男性たち)ジョヤサー!」のコールアンドレスポンスが、まるで「ファイトオーッ!」「いっぱあつ!」のように響いている。

新丁町内会が通過して、しばらく経ったのち新道町内の姿が見えてきた。


崖のように切り立っている箇所はほとんど這いつくばるようにして登坂
それでも、五穀豊穣、家内安全の願いを込めた梵天をなんとか嶽六所神社へ奉納しようと懸命に歩を進める。

梵天の周りに装飾的に付けられている紙垂は、枝にひっかかったりする怖れがあるので登山道入口の鳥居前で全て取り払われる。
そのような細部に気を配ってまで、山登りの負担を軽減する必要があるということだろう。
おかげで鳥居前はこんなふうになっています(下山後に撮影)↓

雪山登山のような山行でさぞかし大変かと思っていたが、ある町内の方に教えていただいたところによると、今年の雪面の状態はベストコンディションなのだそうだ。
例年は雪が積もっているところをズボッ!と踏み抜いたり、雪解けの地面を泥んこになりながら登るのがフツーだそうで、ムチャクチャたいへんらしい。
言われてみれば雪面を踏み抜くことも、泥にぬかるむこともないし、なんだかんだ言って管理人も順調に登れている。
また、管理人は登山靴を履いていったのだが、何人かの方から「長靴じゃないと登るの大変だよ」とアドバイスをいただいた。
おそらく長靴でないと例年のような悪路には対応できないよ、ということなのだろう。

続いて裏町町内会が登ってきた。
梵天の担ぎ手だけが現れた。
あとから手札を持った人たちも登ってくるはずだが、その姿は見えてこない。
おそらく急登に難渋しているのだろう。
また、これまで見てきた梵天行事の手札(制札)に比べて、ここの梵天のものは造りが頑丈なような気がしていたのだが、山登りの際には手札が見事にストックの役割を果たしていた。
これは聞きしに勝る梵天行事だ。
神岡町史に、他の地域の梵天行事と比較して「きびしさ、激しさ、難しさの三拍子揃っているのは神岡町の梵天ではなかろうか」と書かれているように、太平山三吉神社のような喧嘩梵天の激しさ、横手市旭岡神社梵天のような豪華さ、伊豆山神社梵天のような美しさはないが、このハードさは間違いなく県内随一だと思う。

疲れも大分取れたし、もっと上に移動しようと山登りを再開
上の方に行くと、これまでの急登が終わって比較的なだらかな登山道となる。
ここまで来たら頂上まであと一息
だが、梵天一行からすればまだまだキツイ山行が続くことには違いないだろう。

雪面がなくなり、地面がより見えるようになってきた。
先に、例年の山登りの大変さについて書いたが、堅雪に覆われた状態であれば雪を踏み抜くこともないし、泥まみれになることもないのでは?とも思うものの、雪が積もりすぎていると登山道が分からなくなるという弊害があるらしい。
大雪の年などは、山に深い雪が残っていて登山道を見つけられなかったため、ほぼ一直線に山頂に進み、帰りはほとんど転げ落ちるようにこれまた一直線に下山する、などということもあったようだ。

再び裏町町内会

駅通町内会


坂がやや傾らかになったとは言え、辛いことには変わりない。
ほとんど皆が息を切らしながら、ありったけの力を振り絞りながら登っているように見えた。

このへんになると隊列が乱れまくり、町内でまとまって登るのはほぼ不可能の状態
梵天が初めに通過し、少し間を置いたのちに手札を持った一部の人たち、さらに間を置いて最後尾の人たち、といった具合に隊列が伸びきってしまっている。
梵天の担ぎ手が比較的順調に登っているのは、2人で呼吸を合わせる必要があるため、リズムを保っての歩きができているからだと思う。

ちょっと一休み

おそらく山頂での奉納を終えたのだろう、下山途中の新丁町内会とすれ違う。で、新丁の梵天を見ると‥


梵天を覆っていた布が全て剥がされ、持棒と骨組みだけになっている。
おそらくは少しでも身軽になって山を下りたいということだろうが、こんな梵天行事初めて見ました!
登りの大変さにばかり気を取られていたが、下山においても少しでも楽になるような工夫が必要なのだろう。
まさに「進むも地獄、退くも地獄」ならぬ、「登るも地獄、下るも地獄」

新道町内の梵天も同様
気をつけて下りていってくださいねー

やがて登山道は二手に分かれる。
右へ折れると大仙市姫神山へ通じる登山道となり、左へ折れると神宮寺嶽の頂上となる。
ここまでくれば本当のラストスパートだ!

登りきった先に嶽六所神社が見えてきた。

もう少し

そして無事に登頂!
ふ~、疲れた。そして楽しい山登りをさせてもらいました!
通常なら山頂まで30分ほどだが、今回は休んだり撮影したりの繰り返しだったこともあり1時間20分かかった。
この緑色のお堂が嶽六所神社

さほど広くない山頂は梵天一行でごった返している。
また、登山中は暑くてしょうがないぐらいだが、少しでも動かずにいるとすぐに寒くなるので焚き火が焚かれている。
これはありがたい。

頂上からの眺め

木に遮られていて抜群の眺望とは言えないが、それでも旧神岡町から旧大曲市にかけての広い範囲を見渡すことができる。

本郷丁内の奉納が始まった。


梵天唄を歌い、社殿に突撃して押し合いを展開。朝から続く梵天行事の締めくくりを飾るべく、最後の力を振り絞っての奉納が行われる。
おそらく皆さんすでにクタクタのはずだ。

続いて駅通町内会の押し合い

奉納の終わった梵天は、社殿脇で待機している地元神宮寺の業者の方々の手によって布が剥がされるシステム
基本的に持棒と骨組みは次の年も使用されるが、来年に向けて梵天をまるごと新調するような場合には骨組みもここで解体されるそうだ。

駅向町内会

奉納が終われば休憩もそこそこに山を下りる準備に取り掛かる。
だが、先に書いたように下りは下りならではの難しさがあるので、十分に注意を払わなければならない。
休憩時間を利用してパンや飲み物などを口にする人は多く、これから待ち構える下山に備えるかのようだった。

下タ町(したまち)丁内会が上がってきた。
最後の最後でまさかの梵天一人担ぎ!
たまたま下タ町丁内会が一人担ぎを行っただけなのか、他の町内も山頂到着時には二人担ぎから一人担ぎに変える慣わしがあるのかについては伺っていない。
が、最後の力を振り絞ってという形容詞がぴったり当てはまるような渾身の梵天担ぎ、かっこいいです!!


途中で隊列が乱れる訳なので、当然のように山頂への到着もバラバラになってしまう。
梵天一行がほぼ全員登頂したものの、肝心の梵天唄の歌い手だけが登ってこないということで、歌い手待ちの状態になる町内もあった。
こればかりは如何ともし難いですよね‥

そして最後となる上ワ町(うわまち)丁内会
こちらも一人担ぎ。頑張ってくださーい!


これで8町内がすべて登頂。皆さん本当にお疲れ様でしたm(_ _)m
そろそろ冷えてきたし、管理人もこのへんで‥と嶽六所神社をあとにした。
予想通り、下りは急登のあたりで2回ほどコケてしまった。

聞いていた噂は本当だった。
これほどのハードな奉納が毎年行われていたことに驚くとともに、無謀とも思えるような頂上への梵天奉納を敢行する一行のたくましさに感服である。
畏れ入りました!
また、この苦行とも言えるような伝統行事が、よく今日まで受け継がれてきたとも思ったが、地元の年配男性は「若い人が積極的に参加してくれるんだよ。キツイ山登りが逆に楽しいんじゃないか?」と仰っていた。
梵天の肉体性と云うと、喧嘩梵天に見られるような腕っ節の強さが取り上げられがちだが、ここ神宮寺の梵天行事は「トレイルランニング+伝統行事」といったかんじでかなり魅力的だ。
冒頭に書いたように知名度という点では今ひとつだが、このユニークな梵天行事をたくさんの人に是非知ってほしいし、男たちが山登りに奮闘する姿は一見の価値があると思う。


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