万灯火(上小阿仁村)2018

2018年3月21日
今回取り上げるのは上小阿仁村の「万灯火(まとび)」
ちょうど1年前の今日、北秋田市合川の万灯火を鑑賞したときのことはよく覚えている。
寒さの残るお彼岸の夜闇に、素朴でありながら、妖しげでもある万灯火の炎が揺らめく様がとても印象的だった。
現在秋田県内でこの名称の行事が行われているのは合川と上小阿仁村だけであり、昨年の合川の様子と見比べてみたい、との考えもあった。
行事の概要はこちらのHPで。

当日16時すぎに自宅を出発し、17時半に現地上小阿仁村へ到着
万灯火は村内15の集落で行われており、時間差で順番に点火される(この日1日だけ運行される巡回用観光バスの到着時間に合わせるため)が、どの集落が何時に点火するかといった基本情報を全く持ち合わせていなかった。
そこで、国道285号線沿いの集落に適当に見当をつけて、そこで出会った方から詳しく教えてもらおうという何とも心許ない作戦に出ることにした。

そんな無計画でちゃんと行事見れるのか?と我ながら思ったが、万灯火の様子を撮影しに来た年配男性と運良く遭遇
集落ごとの点火時間を教えてもらったところ、ちょうど今いるあたりが最初に点火を行う集落「小田瀬」だった。
これはラッキー
小田瀬は国道285号線を少し外れた五城目町寄りの集落だ。
夕暮れのあとのブルーがかった田園風景がとても美しい。

10分ほど待っていると、集落の方々がまだ雪の残る田んぼのほうに行くのが見えた。
そしてほとんど間を置かずに、ボロ布を重ねて丸めた「ダンポ」に火が灯される。


暗闇に万灯火が浮かぶ様子も雰囲気があって素敵だが、宵の口の薄暗い中にポッと万灯火が灯る様も風情がある。
周辺の景色がまだよく見えており、山や川を背景にしての万灯火もオツなものです。

近づいてみる。


鉄パイプを組み立てて、「中日」の文字を形作るように灯油を染み込ませたダンポを吊るす。
そして、開始時間になると一斉に点火
中には上手く火が点かないダンポもあるので、棹を使って取り外したうえで新しいダンポと交換
こうして幻想的な万灯火が阿仁川沿いの各集落で、約20分間に渡って灯される訳だ。
例年は管理人がいる側のほうが風下になることが多く、黒く油臭い煙をまともに浴びてしまうそうだが、今年はなぜか風上となっており、おかげで煙を浴びずに済んだ。
その代わり、向こう側で万灯火を鑑賞していた人たちには、もろに煙がかかったことだろう。

地面に直接ダンポが置かれている。


昨年鑑賞した合川では、棒を立ててダンポを吊るすスタイルが多かったように思うが、ここ上小阿仁村では地面に直接置く形態が見られた。
ダンポは使い古しの軍手などを芯にして、それにボロ切れを重ねて作られるうえ、十分に灯油を染み込ませる訳なので雪に直接置いたからといって火が消えるようなことはない。
また、ダンポに染み込ませた灯油には廃油がブレンドされているそうだ。
県立図書館で借りた「小沢田郷土史」によると、上小阿仁村の中心部である小沢田集落の慣行として「自転車店や鉄工所から『ダンポ』につける廃油を貰います」と記されている。
小田瀬集落の方からも「昔は集落の人たち総出でダンポを作ったもんだよ」と教えてもらった。
現在は当番に当たる人たちで行われる行事だが、以前は集落の人たち皆で協力し、手助けをすることで成り立っていた行事なのだ。

道路へ移動して、しばし万灯火を鑑賞


昨年の合川では、ダンポで集落名を作る形の万灯火が多かったが、上小阿仁村ではシンプルに「中日(ちゅうにち)」とだけ作る集落が多かった。
「万灯火」という名称については、先祖がお彼岸にあの世から帰る際の目印という意の「的火」に由来するとか、「貧者の一灯を集めて万灯となす」という故事が由来とかいろいろな説があるが、はっきりと分かっていないらしい。
もし「的火」説が本当なのであれば、この「中日」の灯りを目印として天国の祖先たちが大勢集まってくることだろう。

ここは小田瀬集落の宿。おそらく公民館だと思う。

かつて、万灯火は子供たちが主体となって行われていて、その昔は宿に戻って熱いダマコ餅を食べるのが子供たちの楽しみだったらしいが、
今は子供の減少により、集落全体で行う行事となっている。
宿ではおそらく、ダマコ餅をつつきながらお疲れ様の酒飲み大会が行われていると思う。

車で少し移動。再び国道285号線にあがると同時に大林集落の万灯火が見えた。

あたりはすっかり暗くなっており、先の小田瀬集落の様子とはずいぶんと様相が異なる。
周辺に雑音はほとんどなく、時折車が通過する音が聞こえるだけで、本当に静かなのだ。
その中で、万灯火のともしびがゆらゆらと揺らめく様を見ていると、時間はまだ18時半頃なのに、真夜中になったような錯覚を覚えてしまう。
世俗を感じさせない静謐さが漂っているとでも言おうか。

この後は国道285号線を北上しながら集落ごとの様子を見ていくことになる。
続いて沖田面集落
つい一ヶ月ほど前に友倉神社裸参りでおじゃました集落でもある。
国道を少し離れて小阿仁川沿いに進むと万灯火が見えてきた。

近づいてみましょう。


真っ暗な夜闇を背景にすると炎のフォルムがくっきりと浮き上がる。
昨年の記事にも書いたが、ダンポの炎は官能的でもあり、先祖供養には相応しくないような艶かしい美しさを見せてくれてる。
かつては松の木を支柱として稲わらを束ねたものに火を点けて万灯火としていたらしく、万灯火が燃えるさまも今とは随分異なっていたに違いない。
その頃の行事の様子を見てみたかった気もする。

次は大海集落

こちらは右から「中日」と書くスタイルだと思うが、管理人が見ているのは裏側に当たるのだろうか?
万灯火は主要道路から鑑賞することを前提とした場所に作られるので、正面から見ているとは思うのだが‥
このあたりには他にも中五反沢、下五反沢の万灯火があるが、国道をこのまま直進することにした。
また、五反沢には村で唯一の温泉施設である「山ふじ温泉」がある

続いて福舘集落

こちらの万灯火には「フクタテ」と集落名が入れられている。
管理人が大館・鹿角方面に出かける際にいつも休憩ポイントとして使用している、ローソン上小阿仁村店からも福舘集落の万灯火を見ることができる。
国道285号線をブラ~と車で流すだけでも幾つかの万灯火を見ることが可能だが、どういうかんじでこの行事を楽しむのがベストなのか、少し考えてみる。
全集落を車で巡回するのもよいのだが、管理人的には車で移動しつつ、3~4つの集落の万灯火を点火するタイミングから鑑賞するのがベストではないかと思う。
もちろん本来は集落ごとの行事であり、ハシゴして鑑賞する前提の行事ではないので、楽しみ方のハウツーを考えるなどというのは邪道ではあるのだが。

現在は行われていないが、かつては万灯火に点火する際や、彼岸入り・彼岸明けの日などに唱えごとが唱えられていたらしい。
それも集落ごとに違っていて、差異が生じている理由についてはほとんど分からないそうだ。
先の大海集落では「コノヒノアカリデ、ユックリヤスンデタモレ」、福舘集落では「ジンナ、バンナ、コノヒノアカリニハヤーグイットクレ」といった具合だ。
福舘集落で唱えられる「ジンナ、バンナ」は鹿角市の宮野沢、小豆沢で行われる春彼岸行事「オジナオバナ」に極めて類似していると云われる。
「オジナオバナ」は「お爺な・お婆な」ということらしい。

続いては(おそらく)杉花集落


この他にも「上仏社」「下仏社」「羽立」「長信田」「大阿瀬」集落でも行われているが、時間の都合もあるので、全てスルーすることにした。

続いては小瀬田集落で出会った年配のカメラマンさんが「あの集落の万灯火は結構見ものだよ」と教えてくださった堂川集落
杉花集落からどのように移動すればよいか、よく分からないのだが、何やらポツンポツンと時折走っている車が同じ方行を目指しているようなので、あとをついて行ってみる。
少し走ると、国道285号を少し外れた場所ながら、遠くからでも「あれでかいなー」とすぐに分かる堂川の万灯火を見つけることができた。
管理人があとをついて行った車も、堂川の万灯火を見物するために移動していたようだ。
もっと近づいてみる。

上小阿仁村の万灯火行事の紹介の際に、小沢田集落の万灯火と並んでよく使われるのが、堂川集落の万灯火の写真ではないだろうか。
山の斜面を利用して、かなり巨大な万灯火を作り出している。
昨年、合川の三木田集落の万灯火を見たときにも思ったが、あまりに万灯火が大きすぎると何だか現実のものとは思えず、幻でも見ているかのような錯覚を覚えてしまう。
「これはなんなんだ?」という強烈な違和感とでも言おうか、ある種不可思議な現象を目の当たりにした思いだ。
因みに山の尾根づたいに万灯火を焚くスタイルがかつては一般的だったが、近年は田んぼ中や川べりで焚くほうが多くなったということらしい。

次は最終となる小沢田集落
道の駅かみこあにに併設する村立図書館のすぐ裏手に小阿仁川が流れており、対岸に万灯火が灯されている。


万灯火は「上小阿仁・小沢田・中日・万灯火」と読めるが、最後の「昊」の読み方はよく分からない。
調べたところ「こう」または「ごう」と読み、「大空」の意味があるようだ。
文字数が多いうえに、それらが川に反射して幻想的かつきらびやかな光景を作り出している。
また、小沢田集落では「車万灯火」と呼ばれる手動で回転させて円形を描く万灯火も設置されていて、ある種の楽しさも感じ取れる。

万灯火の点火に合わせて太鼓演奏や花火の打ち上げなどが行われた。
道の駅が立地するという条件もあり、他集落に比べて格段に観光色が強い(というか、他集落に観光色は皆無です)が、その核となっているのは万灯火であり、各種イベントが万灯火を押しやっているということはない。

ダンポの火が徐々に消えていき、これが全て消えると全集落の万灯火が終了となる。
小沢田の万灯火を見るためにたくさんの人が集まっていたが、徐々に帰り始める。
管理人も小田瀬から始まり、小沢田で終わるまでの行事の全容を鑑賞できた満足感を携えて、上小阿仁村をあとにした。

昨年の合川に続いて、今年は上小阿仁村の万灯火を堪能させてもらった。
今回の記事を書くにあたって、昨年と同じく「秋田県の祭り・行事 – 秋田県祭り・行事調査報告書 -」を参考にした。
同著には、行事が今後ますます観光化するとの考察が記述されており、小沢田集落の様子だけを見るとさもありなんという気もする。
だが、堂川集落の雄大な万灯火については言うまでもなく、他の集落の万灯火の素朴さ、自然と一体になった美しさも一見の価値があるし、何より地元の集落の人たちの大切な行事として受け継がれている訳で、観光化こそが行事存続の絶対的方法とも言い切れないのではないだろうか。
そういった意味でも、長かった冬に終わりを告げ、春本番を告げるお彼岸の中日=春分の日に相応しい素敵な行事がここ上小阿仁村で行われていることを、よりたくさんの人に知ってほしいと思う。

※地図は道の駅かみこあに


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