白山神社宮回り行事

2018年4月17日
いろんなお祭りに出かけてきた管理人ではあるが、今回の行事は未だ経験がないぐらいにシブく、ある意味難解でもある。
大仙市土川 白山神社の「宮回り(※宮廻りとも書く)行事」
おそらく、地元のごく近い場所に住んでいる方や、秋田のお祭りを熱心にフォローしている人は知っているかもしれないが、それ以外の人はまず知らないだろう。
かく言う管理人も「秋田の祭り・行事」に紹介されていなければ、絶対に知らなかったはずだ。

行事は毎年4月17日に行われる。
当日は平日だったが、有給休暇を取ったので心おきなく鑑賞できる。
「秋田の祭り・行事」によると行事は10~12時に行われるというので、朝8時半に自宅を出発
行事の行われる大仙市土川を目指す。
大仙市強首のあたりから見える鳥海山。申し分のない晴天

国道13号線を外れて、県道252号水沢西仙北線に乗って土川地区を目指す。
ところで、行事は白山神社で行われるということは知っているものの、肝心の白山神社の場所を知らない。
県道を外れた奥まった場所にあったら見つけられないなあ、などと考えていたところ道路から少し離れた場所に幟がはためくのが見えた。

車を止めて幟に近づいてみる。

ここがお目当ての白山神社だった。
予想以上にあっさりと見つけることができた。ほっと一安心

神社入口のこちらのお宅が当番宿
宿は毎年変わるものではなく、必ずこのお宅と決められているらしい。

お宅に入ってまずは挨拶
もうすぐ始まる行事の準備中だった宮司さんが出てこられて、撮影を快諾いただいた。


この行事は古くからの家柄である、幾つかの世帯の当主たちによって執り行われる。
県立図書館で借りた「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書- 」では11の家がこの行事に関わっているとしており、それぞれの当主の氏名も記載されている。
それを見ると「小笠原」姓が多く、あとで集落の方からお聞きしたところによると、たしかにこの地区には「小笠原さん」が多いそうだ。

時間は10時
支度をしていた宮司、神職の皆さんの準備が整った。

そして、一行は白山神社へと向かう。

これが白山神社

本来は「白山姫社」「白山姫神社」と呼ばれていたようだ。
養老元年(717年)に創建、天文14年(1545年)に再建され、この地一帯の産土神として崇められてきた。
そして安永9年(1780年)に現在の地に建立されたのだが、その際の棟札が残っているとのこと

中へ入る。


こちらにいる皆さんが、先の述べた11家の家筋の方々(のはず)
氏子の皆さんということになろう。
社殿内はやや重ための空気。ここ土川地区は典型的な農村集落だが、農村ならではの素朴さよりも神妙さが際立つ不思議な空間だ。

これが行事の主役とも言うべき神輿

もともと戸沢上総介藤原光広朝臣なる武将が1743年にこの神社に神輿を寄進したのが記録として残っていて、その後1770年に造立されたのが今のこの神輿なのだそうだ。
250年の歴史を持つ神輿!これはすごいです。
因みに誠文堂新光社から発行された「神輿大全」によると、製作してから10~15年で全体の木地の締め直し、20~25年で金具や彫刻を全て外して漆を塗り直す総修理を行うのが理想らしい。

そして神事が始まる。


祝詞奏上、神楽奉納、湯立て神事、巫女の舞と続く。
祝詞奏上では今泉の里の繁栄が祈念された。
ここ白山神社のある所在地は正確に言うと「土川字今泉」
おそらく地元では今泉との呼び名が古くから引き継がれていて、今でもそちらのほうが通りが良いのではないだろうか。

この獅子頭も相当に年季の入ったものだ。


玉串奉納を以て神事は終了となる。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書- 」によると、このあたりで地域の若者が梵天を担いで社殿の周囲を回ったあと、社殿に乱入するという奉納行事もあったらしいが、今は行われていないらしい。

神輿の担ぎ手の人たちに白布と注連(しめ)が配られる。


白布は頭部と口を隠すように巻き、注連は襷掛けに肩から掛ける。
「秋田風俗問状答」の付録とされている、那珂 通博編の「六郡祭事記」には「輿の者八人、古くよりその家定まりて是を注連と号す」との記述があり、神輿を担ぐ人たちの呼び名がすなわち「注連」との記述があるのだが、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書- 」では現在はこの呼び名はないうえ、以前もそのように呼ばれていたかよく分からないと記している。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書- 」によると、注連は「役七五三(やくしめ)」と呼ばれ、神人としての存在を示しており、白布も代々継承されてきたものであり、文化4年(1804)と白布に記されているそうだ。

そして宮司さんはじめ神職の人たち、氏子の皆さんが社殿の外に出る。

少し遅れて神輿が担ぎ出される。
かなり重いらしく、持ち出すのに一苦労だった。

そして宮回りが始まる。


神職のあとに続いて、太刀、獅子、御幣、神輿、氏子の皆さんと行列を作り、社殿の周りを3周ほど回る。
社殿の正面では歩を止めて一礼
正直宮回りにどういう意味があるかははっきり分からない。
が、一般的に神輿を担ぐということ自体に五穀豊穣、子孫繁栄、厄災退散といったさまざまな願いが込められるらしいので、おそらく宮回りも同様の意味を持つと考えられよう。


3周して宮回りは終わり
5分ほどもかかっただろうか、あっという間だった。

宮回りが終わると同時に太刀、獅子頭、宮司さんが階段を下りて二の鳥居に向かう。
そして太刀持ちの方が鳥居にかけられた注連縄に一刀を浴びせる。


「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書- 」には、このときに「おいのりしょ」と唱え言が唱えられた、とあるが、今回特に掛け声はなかった。
宮司さんにこの違いを尋ねたところ「太刀を振るう人によるんじゃないかな?」とのことだった。
そこは結構自由だったのね‥

その後社殿に戻り、御神酒をいただく。

この後は直会に移行。管理人も行事を見届けたということで白山神社をあとにした。

春の陽が暖かな神社の境内


白山神社の宮回り行事
何というか不思議な、風変わりな行事だった。
正直なところ万人が楽しめるものではなく、それなりの深い知識がないと興味の湧いてこない行事だと思う。
が、それゆえに深遠さ、連綿とこの地に原初の形態のまま受け継がれる素晴らしさが際立っており、非常に貴重な行事であることは誰が見ても分かるはずだ。
この地、今泉でこれからも、この摩訶不思議な行事は渋い光を放ち続けるのだろう。


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