象潟神社祭(象潟祭典)

2018年5月20日
今回はにかほ市象潟町の象潟神社祭にお邪魔した。
象潟神社祭。名称から「象潟神社という神社のお祭り」と捉えられそうな気がするが、こちらのサイトを見ると熊野神社・古四天王神社のお祭りということになるらしい。
さらには、管理人のお祭りバイブル「秋田の祭り・行事」では「中橋の車切」として紹介されている。
車切とは「祭礼や民俗芸能の練り物や行列途中で奏する笛、太鼓、鉦のお囃子」なのだそうだ。
うーん。いろんな情報が入り混じっており、全体像が全くつかめない。

行事は5月第3日曜日(前日に宵宮)に行われる。
開催時間は朝9~17時までの長丁場であり、とても全てを鑑賞するということはできない。
ということで、午後の落ち着いた時間にのんびりと鑑賞したいなあ‥とのファジイな計画のもと、11時頃に自宅を出発
途中で昼ごはんをとって、現地に着いたのは13時半
おお、今日も鳥海山が素晴らしい!

それはよいのだが、前々日の5月18日、県内のほぼ全域で大雨が降り、5月の観測史上最大の降雨量を記録する事態となってしまった。
あまり大きく報道されていないものの各地で被害が報告されており、そちらのほうも心配なところだ。
土曜日になると雨はピタリと止み、日曜日は大雨が嘘のような快晴になった。

ところで、何時にどこに行けば何を見れる、という基本情報を持ち合わせていなかったのでまずは熊野神社へ向かってみた。
このあたりは象潟駅からは少し北の方角、道の駅きさかたのほうが近いぐらいの場所である。

たしかに神社入口に幟がはためいているものの、祭りならではの賑わいは皆無
これはどうしたもんかなあ‥と思っていたところ、地元のご婦人方が2,3人集まっていたので「あのー、どこでお祭りやってますか?」と間抜けな質問をぶつけたところ、「今しがた、山車が向こう(国道7号線方面)に行ったばかりだよ。これから追いかけたら追いつくんじゃないか?」とのこと
早速教えていただいた方向にダッシュしてみる。すると‥

いたいた、見つけました。
「象潟町史 資料編」に「小学生男子たちが、花笠をかぶり、前掛け、じゅばん、たすきといった衣装で山車に乗って太鼓を鳴らす。太鼓の後ろでは小学生女子が踊りを務め、笛は中学生が担当」と書かれている、これこそが「中橋の車切(なかばしのしゃぎり)」だ。

場所は国道7号線に面するパチンコ店駐車場。そこで踊りとお囃子が始まった。


「象潟町史 資料編」によると、車切とは「昔、山中を通る山伏などがホラ貝を吹き鳴らして獣を遠ざけたように、にぎやかなお囃子を先頭にして往来を遮るものをよけさせた」のが由来なのだそうだ。
そしてこの中橋の車切は300年の伝統を持っており、以前は若者中心だったものが、昭和40年代から小中学生が中心の行事となり、今に至っているらしい。
おそらくこの日も朝から地区を巡行し、今はその途中なのだろう。

男の子たちがピンク色の花笠を被っているのに対し、女の子たちが背中に「祭」と書かれた法被にねじり鉢巻姿
何だか男女逆の出で立ちのような気がするが、これは何か意味があるのだろうか。

パチンコ店駐車場を出発した山車は、車が行き交う国道7号線を横切って向こう側へ渡ってしまった。
これがホントの車切。なんつって

車切の演目には「ヨジロベエ」「キツネケ」「ロッポ」がある。
動画で演奏されているのはどの演目か知りたいと思い、県立図書館で国際教養大学地域環境研究センターが制作したDVD「秋田民俗芸能アーカイブス」を鑑賞したが、全く分からなかった。
ただ、太鼓の拍子に微妙な違いがあり、その違いで演目を判断できるらしいことは分かった。
今度鑑賞する機会があった折にはそのあたりにもこだわって見てみたいと思う。

中橋の車切は名前のとおり、この地区「中橋町」特有のものであり、船着八幡神社祭典の出し物として行われている。
神社には行けなかったが、地区にかかる象潟橋のたもとあたりには「船つなぎ石」の史跡もあり、「船着」八幡神社なる名称といい、船の発着所として古くから栄えてきた名残が今も感じられる。

こちらが象潟橋
「欄干橋」とも呼ばれているそうでこの向こう側が中橋町、手前側が熊野神社を氏神とする塩越地域となる。

車切の巡行で交通誘導をしていたお兄さんから「象潟駅前の方に行けば、いろんな行列が見れますよ」と情報をゲット
早速行ってみましょう。国道7号線を南下して、適当なところで右折して細い路に入る。

この先の道路は商店街通りとでも言おうか、古くから象潟町の中心地として栄えてきた通りだ。
今では国道7号線沿いに道の駅はじめ、さまざまな店が立ち並んでいる関係で、そちらのほうが賑わっているような印象だが、この日はお祭りということで商店街も活気にあふれていた。

ほどなく、神輿の巡行が見えてきた。


こちらは古四王神社祭典の行列のようだ。
猿田彦を先頭に、武具や祭具の練り物仕立て。獅子頭も含まれている。
そして後方を神輿が通り、「おいでー!おいでー!」や「おやすみー!」といった掛け声とともに各家々の前で「家内安全!身体健康!」といった祈願が行われる。
また、商いを営むお宅やお店の前では「商売繁盛!」といった祈願も時折混じる。

象潟町史 通史編(上)によると「古四王神社は氏子町内を六組に分けているが、それぞれにまた町内の神社を持ち、そこでも祭礼が見られる」そうだ。
神輿の巡行は6町内が合同で行われるものの、それぞれの町内に別々に神社があって祭典が行われるというのもスゴイ。

古四王神社の神輿が通過したのち、商店街通りを象潟駅方向に歩いていく。

と、今度は国道7号線の方向から何やら賑やかな音がする。

熊野神社の神輿が見えてきた。国道7号線を渡り、こちらに向かってきました。


先ほどの古四王神社の神輿行列と編成に違いはなさそうだ。
なるほど、熊野神社、古四王神社それぞれに神輿が巡行するということなのか。
また先の中橋の車切については、象潟町史 通史編(上)に「御神輿の巡幸とは無関係に廻っている」と記されていた。
要するに今日は象潟町内の複数の神社の例祭が同時に行われており、それらを総称して「象潟神社祭」と呼ぶのだな、と理解するに至った。
なお、地元では「象潟神社祭」だの「象潟祭典」だの呼ばずに「(象潟の)お祭り」とだけ呼んでいるようだ。

熊野神社の神輿行列が商店街通りを練り歩く。


猿田彦を先頭に行列が編成される様、その後ろに旗や武具を携えた行列が続く様、神輿が家々の前で「おいでー!おいでー!」と唱える様子など古四王神社の行列とほぼ同様だ。
象潟町史 通史編(上)によると、熊野神社の神輿巡行は宵宮、本祭の2日に渡って行われるのに対し、古四王神社のほうは本祭当日だけなのだそうだ。
また、神社の祭礼における神輿渡御の折に、道案内の神として先導役を果たす猿田彦は、ときにサエの神と習合することもあるそうだ。
ここ象潟町はサエの神の風習が色濃く残る土地でもあり、もしかするとサエの神との関連があるのかもしれない。

各家々からご祝儀が渡される。

多くの人で構成される行列ではあるが、こちらのお宅では丁寧にひとりひとりにご祝儀を渡していた。
また、差し入れということで135mlのミニ缶ビールも渡されたのだが、なぜか管理人もいただいてしまった。
ありがとうございますm(_ _)m

商店街通りと象潟駅から直進する道路の交差地点に差し掛かると、数は多くないながらも露店が出ており賑わいを見せていた。

ほどなくすると、今度は踊山が見えてきた。


熊野神社祭典の当番町である「上浜ノ町」の踊山。ここで披露されているのは「本荘追分」
なお、熊野神社祭典は上浜ノ町以外に、荒古屋・横町・大町・小浜唐ヶ崎・下浜ノ町・妙見町といった町内が輪番で当番を務めているらしい。

踊山は本荘追分以外にもさまざまなレパートリーを披露し、祭りを盛り上げていた。

この祭りの概要を把握でき、これからいろいろと楽しみたいところだが、急に個人的な用事が入ってしまい、そろそろ象潟町をあとにしなければならない(まあ、お祭り鑑賞も個人的な用事ですが)。
ということで祭りの賑わいをあとにして、せめて熊野神社・古四王神社を見てから帰ろう、ということでまずは熊野神社に行ってみました。


この神社の案内板を読むと、元禄2年(1689年)6月16日にかの松尾芭蕉が門弟の曽良とともに象潟を訪れたのだが、その日が熊野神社例祭であり、曽良が「象潟や 料理何くふ 神祭」と句を詠んだというエピソードが書かれていた。
てっきり「ご馳走だらけで何から手をつけたらいいのかなー」という食の楽しみを詠んだのかと思っていたが、実は「神社の祭りのため魚を食べることができない。せっかく海の幸豊富な象潟に来ているのに(><)」みたいな恨み節なのだそうだ。
曽良。残念だったね。。。

続いて古四王神社へ


神社の案内板に「弘長3年(1263年)に南秋田郡寺内村(現秋田市)の古四王神社の分霊を勧請し、建立した」と書かれていた。
秋田市寺内の古四王神社と言えば管理人宅近くにある、歴史ある神社だ。
この神社を思わず身近に感じられる情報を得たようで少し嬉しくなる。

ということで1時間ほどの滞在ではあったが、天気にも恵まれてお祭りとぶらり町歩きを楽しむことができた。
また、今日は僅かな時間しか鑑賞できなかった中橋の車切については来年以降もっとしっかりと見てみたいと思う。
先に紹介したDVDには、中橋町内をぐねぐねと方向を変えながら、「町内のみなさーん!おめでとうございまーす!」といったような口上を伴っての勢いのある山車の進行の様子が収められており、結構興味を惹かれるものがある。
山あり、海あり、そして祭りありのここ象潟町での楽しみがまた一つ増えたような思いを抱きながら秋田市へ帰ったのだった。


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