丸山神社祭礼 ニンニク神さん

2018年7月3日
今回は以前から興味のあった行事におじゃました。
その名も「ニンニク神さん」。「秋田の祭り・行事」から行事の紹介文を全文抜粋したい。「江戸中期、享保の頃、前郷村肝煎の島森家に一ノ関という相撲取りが、仙台領から流れて仕事を手伝っていました。ここは水利が悪くトンネルで水を引く計画で、工事を始めました。一ノ関も恩返しにとニンニクを食べてがんばりましたが、土砂崩れで死んでしまい、供養のために神社が建てられました。祭りにはニンニクを供えて供養し、伝えられる一ノ関のまわしも飾られます。」

どんな祭りかイマイチぴんとこないが、相撲取り「一ノ関」をめぐるストーリーには誰もが心惹かれる何かがあると思う。
心優しき一ノ関が横手の人たちへの恩を果たそうと奮闘するも、隧道工事完成まであと一歩というところで無念の最期を遂げる‥
詳しいことは全く分からないが、悲劇の英雄的なストーリーを背景としたこの祭りは是非一度鑑賞せねば、とずっと気になっていた。
祭りが行われるのは旧暦5月20日。調べたところ、今年は7月3日がその日にあたる。
横手市教育委員会に問い合わせたところ、たしかにその日10時から祭りが行われるとのことで、有給休暇を取得して(平日火曜日だったので)鑑賞することにした。
さて当日
7時半に自宅を出発し、9時過ぎには横手市内へ到着した。
それにしても暑い!7月初めにこの暑さはどうしたものか?と思いつつ、道路に設置されている温度計を見たら32度もあった!9時過ぎの時点で!先が思いやられる。

祭りの行われる丸山神社は国道107号線沿いにある。
横手市街~湯沢市稲川へと続く通称アップルロードが近くを走っていて、管理人的にはまあまあ馴染みのあるあたりだ(アップルロードをよく使うもので)。

無事神社に到着
付近に車を停めて、カーナビが示していた丸山神社あたりの場所へ行ってみると‥

おお、すごい立派な神社が!と一瞬思ったが、右側の建物は全然無関係の宗教施設だった。

宗教施設の左側に小さな鳥居があります。


短い参道を歩くと見えてくる小さな社殿が丸山神社本殿だった。
創建年などの情報はよく分からないが、その佇まい、雰囲気だけで歴史のある神社であることが伺える。
近年に改修されたらしいので、古さは感じさせないものの、その大きさや周囲を囲む木々などから重ねてきた年月を見て取れるようだ。

祭りの始まる10時まではしばらく時間があるので境内をうろつく。


先に書いたようにこの日は7月上旬とは思えないような暑さだったが、神社境内では不思議と全く暑さを感じなかった。
背の高い杉の木に囲まれているということもあり、ヒーリングスポット的なゆったりとした空気が流れているようで、すぐそこを国道が走っているのが信じられない。

「丸山神社にまつわる由来」と書かれた立派な石碑が立っていた。
石碑には神社の建立に至る歴史や、先に書いたような相撲取り一ノ関の逸話、隧道掘削の経過などが詳しく書かれていて、とても分かり易い。
また、「秋田の祭り・行事」では、一ノ関の世話をしたのが「前郷村肝煎の島森家」と紹介されていたが、石碑には島森家とは記述されていなかった。

石碑以外にもいろいろな碑が設置されていて、そのどれもが十分に手入れされている。

しばらくすると宮司さんが見えられた。

あとから伺ったところによると宮司さんは、普段はすぐ近くの旭岡山神社で宮司を務められているそうだ。
旭岡山神社といえば、冬の横手を代表する伝統行事「旭岡山神社梵天」が奉納される神社である。
また、宮司さんはたいへん若く、なおかつ今風のイケメンで、ニンニク神さんという渋いネーミングを持つ今日の祭りとは結びつかないイメージだった。

時刻は10時
宮司さんが支度を終えた頃合いに、年配のご夫婦とそのお嬢さんが入ってこられた。
この方々は丸山神社の氏子である「髙橋家」の方々だ。
先ほどの石碑に書かれた文を読んで初めて知ったのだが、丸山神社は市内在住の髙橋家の神社であり、ニンニク神さんは髙橋家のお祭りだったのだ。
そしてここに祀られているのは髙橋家の祖先で、仙台領から来た一ノ関を手厚く迎えた丸山太郎左衛門、と先ほどの石碑に刻まれていた。
横手市史によるとこの神社には「健康の神」が祀られている、と書かれていたので、一ノ関および丸山太郎左衛門がともに祀られている、とでもなるのだろうか。
考えてみればある特定のお宅のお祭りにおじゃまするのは初めてだし、管理人なんかが居合わせちゃっていいのか?これほとんどプライベート空間だな、とも思ったが、快く迎え入れていただいた。

髙橋家の皆さんが揃ったところで神事が始まる。

お祓いに続いて祝詞奏上

玉串奉納


15分ほどで神事は終了。厳粛な空気が和らいで、髙橋家の皆さんもホッと一息といった感じだ。
神事が執り行われている中をうろうろするのはさすがに気が引けたので、ここからいろいろお話を伺ったり、写真を撮ったりさせていただいた。

神棚にはたくさんのお供え物が


「ニンニク神さん」なる不思議なネーミングどおり、ニンニクが供えられている。
ニンニクを供えると同時に、先に供えられていたニンニクを神社境内の杉の木の皮とともに貰い下げたうえ、家の軒に吊るすことで厄を払い、健康を祈願するそうだ。
宮司さんによると、ニンニクや玉ねぎといった匂いの強い食物が供えられるのは珍しいらしい。
よく一般家庭の軒先に邪気祓いとしてニンニクが吊るされることがあったりするが、あくまでお供え物としては特異なものということだろうか。

今日はご近所さんが供えたニンニクが一束のみだったが、以前は祭りともなればたくさんのニンニクが供えられていて、それは賑やかだったらしい。
それも横手市中心のみならず、旧平鹿郡一帯から参詣に訪れる人が多数いたそうだし、旭岡山神社の参詣を終えた人がそのついでに丸山神社に立ち寄る、ということもあったそうだ。
髙橋さんのご主人曰く「昔は病気にかかったりしたら大変なことだったからね。健康でいるっていうことはそれぐらいに切実だったんだ。まさに神頼みだよ」とのこと。大納得です。

神棚近くには‥


これが一ノ関の使っていた化粧まわしかあ‥と思っていたが、実際はそうではなかった。
だが、丁寧な刺繍の施された鮮やかな紫色の化粧まわしは、明治~大正時代にかけて活躍した日本画家 平福百穂によるデザインで、平福の母親が丸山神社へ寄進したものだそうだ。
思わぬところで大変貴重なものを見ることができた。これはちょっとすごい。

本日は、髙橋家で大切に保管されている化粧まわしの、年に一度のお披露目日にもなる訳だ。

これが奉納板
「奉納 大正十年六月吉日 丸山神社 化粧廻 平福氏」と書かれている。

神棚上の壁には額入りの肖像画が飾られていた。

がっちりとした男らしい骨格、きりっとした目つき、引き締まった口元、そして精悍な表情。ついに出会えました、一ノ関さん
どうやらまげを大銀杏(おおいちょう)に結っているようなので、それなりの番付だったのだろうか。
一ノ関のことをネットで調べてみたのだが、プロフィールは全く分からなかった。
ただ、その分想像が膨らんで「体大きそうだし、体格を生かした四つ相撲が得意だったんだろうなあ」とかとかいろんなことを考えてみる。

近年の作なので本人を写し描いたものではないにせよ、こうして肖像画を前にすることで一ノ関がぐっと身近な人物に思えてくる。
秋田県内に限らず全国各地に義人伝説が受け継がれていると思うが、仙台領から流れてきた相撲取りというのが何故だがドラマ性を増幅していると思う。
見知らぬ土地で、その地の人たちのために命を投げ打った相撲取り‥
素敵な物語じゃないですか、もっとたくさんの人に知ってほしいぞ。横手市が宣伝用アニメとか作らないかな?

そして、皆で丸山神社をあとにする。

帰り際に奥様から、せっかく秋田市から来たんだしということで神棚に供えてあったニンニクをいただいてしまった。
えっいいんですか?と思いつつもありがたくいただく。
祭りは年に一回だが、神社は常時施錠せず開放されているそうで、好きなときにニンニクを供えてOKということらしい。
今度、我が実家増田町の特産、八木にんにくを供えたいと思います。ありがとうございましたm(_ _)m
なお、いただいたニンニクは軒先には吊るしませんでした(料理に使っちまいました)。

ご主人から「すぐそこに一ノ関が作った隧道があるよ。そのあたりから見えるぞ」と教えていただいた。
神社の境内からは見えないため、国道に出て神社脇の低地になっているあたりを見てみると‥

昭和27年に改修が行われ、コンクリートで固められた堅固な用水路ではあるが、こうして一ノ関が決死の思い出で堀り続けた隧道が残っているというのは感動的だ(※実際に一ノ関の時代に作られた用水路と現在の用水路は一部場所が違っているようです)。
小さい頃にご主人は、このトンネルの中で頭にカンテラを付けて冒険ごっこよろしく遊んでいたそうだ。
ここ横手市中心地は水利の悪い場所として知られており、あの「横手のかまくら」の中に祀られている水神様もそのことが由来となっている。
この隧道出口を見ていると、一ノ関の命をかけた頑張りと引き換えに、横手市の農地に水を供給する偉業が成されたことをあらためて実感できる。

隧道改修の記念碑

この用水路の名称は「一ノ堰」と伝えられているが、これは一ノ関の四股名に由来するとか、そもそも一ノ関がこの工事に関わっていたかは分かっておらず、「一ノ堰」と「一ノ関」が混同された結果、隧道工事に従事した四股名不明の相撲取りの名が「一ノ関」と伝えられた、とかいろんな説があるようだ(※小川 笙太郎さんという方のサイト「山と川のある町 歴史散歩」を参考にさせていただきました)。

境内を出るとともに、再び堪えられないほどの暑さが襲ってきた。

暑さから逃げるように車に乗り込み、クーラーを全開にしたところ、やがて携帯の画面が真っ黒になり、うんともすんとも言わなくなった。
携帯ショップに持ち込んだところ、店員曰く「あ~、携帯死んじゃってますね。多分急にクーラーつけたんで結露ができちゃったんでしょうね~」マジですか、トホホ。。。

1時間に満たない訪問だったが、髙橋家の皆さん、宮司さんにいろんな話を聞かせていただいた。
本来は髙橋家の方々と地元の皆さんのみで執り行うはずの祭りに、ふらっと現れた管理人を手厚く迎えていただいて本当にありがたいかぎりだ。
ニンニク、隧道、そして相撲取り、といった一見無関係のアイテムが結びついた不思議なお祭りであるとともに、一ノ関と隧道工事に従事した人たちの功績を今に伝える貴重なお祭りだと思う。
これからもひっそりと、だがしかしキラリと光るエピソードとともに誇るべき郷土の祭りとして続いていってほしい。


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