土崎神明社祭の曳山行事2018

2018年7月21日
あの喧騒よ再び、ということで今年も行ってまいりました。
土崎神明社祭の曳山行事(通称:港まつり)
土崎の港っ子が老いも若きも熱狂する秋田を代表する曳山行事
これが始まると港っ子は最早黙っていられない、これが終わると「あー夏が終わってしまった」という寂寥に包まれる(まだ8月前だというのに!)というレベルの一大事なのである。

祭りは7月20・21の2日間に渡って行われる。
正式に言えば7月1日の清祓の儀式(神職と太鼓持ちが年番町の役員や各町の総代宅を巡回して清める)から始まっているが、20日の郷社参り、21日の御幸曳山、戻り曳山が見所であり、昨年同様今年も21日の戻り曳山を鑑賞することにした。
当日。20時過ぎに自宅を出発し、20時半には現地に到着
曳山巡行のメインとなる本町通りにまずは行ってみる。


人でごった返しています。
この祭りを調べるために、秋田市教育委員会が平成5年に刊行した「土崎神明社港祭り曳き山行事」を県立図書館から借りた。
それによると平成4年に施行された暴対法の影響で露店の数がひとときかなり減少したそうで、同著には「往時の祭りの賑わいを知っている者にとってはある種の寂しさと物足りなさを感じるのは、否めないことだろう」と書かれている。
たしかにその当時の写真を見ると明かりのほとんどない中を曳山が巡行する様子が写っており、かなり寂しい雰囲気がうかがわれる。
そして時は過ぎて今日の屋台の充実ぶり、混雑ぶりはどうだ?「祭りが還ってきた!」とでも言えようか。

本町通りを歩いて、愛染町(戻り曳山の出発点)方面に向かう。

早速曳山が見えてきた。こちらは「穀保町(こくぼちょう)」
昼に行われる御幸曳山では最後尾となる穀保町は、戻り曳山では先頭を務めることになる。

曳山は愛染町から自町内に戻る際、曳いては休み、さらに曳いては休み、時折停まっている間に演芸披露して‥というかんじで巡行する。
そして、今は一休みを入れていた穀保町が再始動する瞬間だ。
そこで披露されるのが「音頭上げ」
著作「土崎神明社港祭り曳き山行事」」と一緒に県立図書館から借りた「湊ばやしの人生」(和合谷 慶三郎さんという方が主に各町内の古老からの聞き取った内容をまとめた労作です)には、「浜辺の鰊場 で魚網満杯の綱引きに、大勢の若衆の勇ましい掛け声をそのまま引用した」のが音頭上げのルーツと記されている。
たしかに「♪ヨーイトコ ヨーイトコイナー」の掛け声には海の男たちの掛け声と重なるものがあるような気がする。
そして大勢の曳き子が「ジョヤサー!」の掛け声とともに曳山を力強く引っ張る。
このお祭りの迫力が凝縮されている場面だと思う。

新城町


戻り曳山の巡行ではお囃子方の座るやぐらが前方、武者人形が後方側となる。
そして、やぐらの上には見返し人形と、その傍らに見返し札が置かれる。
見返し札には、時局を風刺、揶揄するかのような句が書かれていて、祭りに先立ち見返しの出来栄えを競う「見返しコンクール」が行われるのが恒例だ。
今年は将軍野四区の「秋田犬 安倍より勝る(マサル) 外交腕(ワン)」が最優秀賞に選ばれたし、新城町の見返しは「秋田犬 人にもマサル 外交官」ということで、今年は秋田犬マサル絡みの句が多かったようだ。
そして、マサルがもてはやされる一方でディスられ気味になっていたのが安倍首相
一時の人気に陰りが見えて何かと批判の的になっているが、権威的な人物を茶化して槍玉に挙げるのが、見返しの真骨頂だ。
「湊ばやしの人生」にも「要は軽妙洒脱、時には痛烈肺々をえぐる風刺に溜飲を下げ、思わず拍手喝采する港ッ子の気風と見返し反骨精神の表れであろう」と記されている。

南幕洗川

土崎盆踊り(ドンドコドッケ)
軽妙なお囃子に合わせて、シンプルながら楽しげな踊りの輪ができる。
哀切漂うあいや節の旋律から一転、ドンドコドッケの軽快なお囃子に切り替わると「待ってました!」とばかりに飛び入りする人も見られる。
この踊りを見るたび思うのが、やはり踊りの良し悪しは足さばきで決まるのだな、ということ
なんと表現していいかよく分からないが、妙齢の女性たちの「スー、スー、ス、ス、スー」というかんじの足さばきがやはりスマートで美しい。
そしてこの踊りに欠かせないのは「笑顔」この踊りを、この祭りを目一杯楽しんでます!というぐらいの笑顔の踊り手にはついつい目が行ってしまう。
盆踊り好きの管理人的には、港まつり以外にもドンドコドッケを見る機会がもっと増えて欲しいと思う。

南幕洗川の武者人形


歴史上の名将や合戦における名場面を題材にした武者人形
南幕洗川は室町幕府将軍 足利義輝が「梟雄」松永久秀の陰謀により、最期を迎えることになる闘いの一場面をテーマにしている。
義輝に切り伏せられた武将が倒れていたり、義輝が血で切れ味が鈍った刀を取り替えるために他の刀を刺していた(と云われている)畳が配置されていたりと細部までよく再現されている。
そして、なんといっても武者人形の形相が素晴らしい。
越前谷人形店の制作する、まさしく「荒々しい」表情、そして妙にリアルな躯体が醸し出す鬼気迫る武者たち
港ッ子たちが一様に「小さい頃は武者人形が怖かった」と語るのもうなづける出来栄えだ。
戻り曳山においてはほとんどの曳山で武者をライトアップしており、その迫力が倍増する訳だ。

幕洗川二区


「ジョヤサー!!」の掛け声とともに曳き子が弾けんばかりに疾走する。
会場に詰めかけている大多数の観客以外にも、地元の(主に年配の)方々が折りたたみ椅子に腰を下ろして家の前で鑑賞しており、駆け抜けていく曳山に「頑張れよー!」と声援を送る。
観客の方と言葉を交わすことがあるが、皆一様に熱量が半端なく、この行事が土崎の人たちのアイデンティティになっていることが余所者である管理人にも十二分に伝わってくる。

愛宕町


とにかく木製の車輪の軋む音がデカい!
車輪が円滑に回るように小さな杓子を用いて、こまめに軽油をかけ注いではいるものの、いかんせん木の車輪でかなりの重量のやまを支える無理さ加減もあり、耳障りとも思える音がそこらじゅうに響いている。
「ギューーーーー!」だが「ギィーーーーー!」だかよく分からないが、曳山の巡行を初めて見る人にはその強烈な音が耳から離れないことだろう。
が、これこそが港ッ子の記憶に刻まれた祭りの音であり、土崎の人たちにとっては郷愁そのものの響きなのだ。
これぞまさしく「記憶遺産」

若松町


お囃子方もノッています。
戻り曳山で披露されるのは「あいや節」
他に「寄せ太鼓」「湊ばやし」「湊剣ばやし」「加相ばやし」の4曲があり、これらを総称して「湊ばやし」と呼んでいる。
あいや節について「湊ばやしの人生」では「名残惜しむが如くまた来年のお祭りまでと心に秘めながら、終末感溢るるにふさわしい」と紹介されている。
同著はお囃子方として祭りに関わってきた和合谷さんらしく、太鼓の奏法についても細かく記述されているのだが、ある古老によると武者人形を照らす提げ灯籠が左右に揺れる速さに合うように拍子を取るのがあいや節の基本ということらしい。

将軍野四区

秋田音頭。はつらつとした踊りが祭りを盛り上げる。
柔術の動きを取り入れたこの踊りはきびきびと闊達に踊るのが基本であり、日本舞踊のように流麗に踊るものではないとされている。
秋田魁新報が昭和45年に刊行した「秋田の民謡・芸能・文芸」では、「滑稽調」の音頭であり、全国のどこを探しても類似したものが見当たらない異端と紹介されている。
秋田のいろんな祭りで目にするポピュラーな音頭・踊りだが、実は結構珍しく貴重な芸能なのだ。

今年3月には土崎みなと歴史伝承館がオープン(国道7号線を走っていると、かつて巡行した高さ10mを超える曳山が展示されているのがガラス越し見えます)
以前一度訪問したが、曳山行事の様子が映写されていたり、行事概要のパネルが展示されていたりと、この行事を知るには最適な施設だ。
また、それ以外にも太平洋戦争終戦の一日前に起こった土崎空襲に関する展示スペースもあり、土崎の歴史をじっくりと勉強することができた。
是非たくさんの人に足を運んで欲しい。

再び若松町


今は休憩中だが、他の町内の掛け声やお囃子、車輪の軋む音が周囲から聞こえてきて、常に騒々しい状態が続いている。
もうこのへんになると、どの町内が何をやっていて、といったことはどうでもよくなって、まさしく祭りの喧騒に飲み込まれるかのようだ。
今年は23の町内が曳山を出していて、近年はおよそ20台前後が出されるが、かつて大正~昭和初期にかけては40台もの曳山が出されることもあったらしい。
また、現在でも必ず各町が毎年曳山を出すわけではなく、何年かに一度だけ出す町内やしばらく休止中の町内など様々であり、それがゆえに台数が一定にはなっていない。

再び愛宕町


この祭りは別名「ゆかた祭り」と呼ばれる。
明治時代に永覚町が観衆の目をとらえるために、白地に黒の一文字の横縞の揃いの浴衣を着用したのがきっかけとなり、祭りのスタンダードな装いになったそうだ。
そして、さらに別名「カスベ祭り」とも呼ばれている。
カスベとは魚のエイのことであり、干カスベがこの時期に丁度食べごろを迎えることもあるのだが、そのほとんどが北海道産のこの食材が祭りを象徴する食べ物となっているのが面白い。
そのルーツは、北前船の始まる江戸時代のはるか以前、安東愛季がこの地を統治していた頃にアイヌとの交易を行っていた時代にまで遡るらしい。

またまた若松町


木製の車輪に振り棒を干渉させて、曳山をコントロールする。
振り棒は通常一つの車輪に一人付くとされており、一町内で合計4名が務めることになる訳だ。
曳山の直進、右左折、出発、停止といった基本的な動きから、道路の傾斜やデコボコなどを考慮した高度な操作まで曳山の動きの一切が振り棒に預けられているといっても過言ではない。
一千馬力の高性能ターボを搭載した車でも、ブレーキやハンドルがなければただの暴走車に過ぎないわけで、曳山がスムーズかつ安全に巡行するためには振り棒の高い技術が必要なのだ。

若松町の演芸


「秋田音頭」「大黒舞」といった定番以外にも、現代的な踊りも結構披露される。
振り付けが結構自由で、踊り手もニコニコと楽しそうだ。
観客の中でも子供がまっさきに反応し、一緒にキャッキャと踊る姿がよく見られる。

鉄道社宅。通称「山車馬鹿軍団」


昨年も鉄道社宅の曳山運行と盆踊りを見たが、女性の曳き子たちの着用する赤白の鯉口シャツ、股引の色使いがとても印象的だ。
他町内ではあまり見られない色使いなので、この色の組み合わせを見ると「鉄道社宅」ということがすぐに分かる。
この祭りの衣装について、「土崎神明社港祭り曳き山行事」には「曳き山車の服装は、ゆかた、角帯、白足袋、白緒の草履、豆絞りの手拭の着装が標準スタイルであるが、このほかに上衣が町名の染め抜かれた半天、下衣が短かの股引、もっぺに黒緒の草履、それに特異な東京の下町の三社祭風な着装で職人の仕事着ともい上衣に長袴の股引もっぺ、十字襷、ねじり鉢巻姿も見られる」と記されている。
要は結構自由なのだが、皆が共通して付けているのが幅広の襷(たすき)であり、前面には行事においてその人が遂行する役割名、後面には町名が書かれているのが一般的だ。

鉄道社宅の武者人形

将軍野一区


将軍野一区はドンパン節と現代的な踊り(踊りの名称を聞いていませんでした。すいません!)の2曲を披露
ドンパン節といえば伝統的な民謡だとずっと思っていたのだが、「秋田の民謡・芸能・文芸」では「創作はやり唄」と分類される、明治30年代に創作された近代民謡なのだそうだ。
たしかに言われてみれば歯切れがよく、民謡の生まれる土壌となる農民たちの辛苦とは無縁の響きで、同著では「素朴な庶民調とはほど遠い騒ぎ唄」と評されている。
そして昭和28年にレコード化されて、秋田産の民謡として全国に一躍知られるに至ったらしい。

将軍野二区


男たちが前方に向かって仁王立ちしている。
この祭りはかつて明治初期にイギリスの女流旅行家イザベラ・バードが鑑賞し、著書「日本奥地紀行」に記録を残したことで知られている。
おそらくは現代と比べて格段に大規模で荒々しかったであろう祭りと、それに関わる男たちを前に彼女は何を思ったのだろうか。
果てしなき好奇心、冒険心とともにイギリス人らしいシニカルさを併せ持ち、ときに上から目線のイザベラ・バードは(管理人の実家である県南地方はみすぼらしい地としてボロクソ言われています。それに比べて久保田【秋田市】は美味しいビフテキと清潔な宿が提供されたこともあり激賞されています)、見知らぬ土地の見知らぬ祭りに興味以上の恐怖を感じたのではないか、と想像する。

角灯籠、角花が櫓を飾っている。
角灯籠には左右、上部とそれぞれ違う文が書かれているが、それらは全て町内の人たちが考案したものだ。
それ以外にも外題札、見返し札、人形札、場合によっては解説札などにも文が書かれているわけで、結構言葉(文字)による情報量の多い曳山であるような気がする。


再び将軍野一区


このあたりになると、曳き子はもちろんのこと、お囃子方、振り棒、各役付の方々誰もが疲れを隠せなくなってきている(なんせ前日からぶっ通しで祭りが続けられているし、酒量も相当なものでしょうし)。
そんな中でも音頭上げが始まると気勢を上げて「ジョヤサー!」と曳山を全力で曳かなかければならない。
先に曳山の疾走感がこの祭りの見どころ、と書いたが、木製の車輪を履いている曳山はゴム製タイヤを履いている山車とは違い、スムーズに進む訳ではない。
小刻みに上下に揺れていて、その振動が武者人形や、下題札、提灯に伝わってちょっと「ガタガタガタガタ‥」というかんじで進むのが常だ。
また、曳くのを止めても惰性でスーと曳山が動くわけでもなく、曳くときは常に全力を出す必要があるわけで、そんな大変さをものともせず力と勢いで前進させるところが曳山の醍醐味ではなかろうか。

上酒田町


上酒田町と下酒田町はその町名から分かるように、山形県酒田市からの移住者によって開かれた町だ(現在の土崎中央一丁目・西一丁目にあたる)。
近年は酒田市で5月に開催される酒田まつりに土崎の曳山が参加するのが恒例になっているし、今年は実行委員会からの要請を受けるかたちで酒田市民の方々が曳き子として下酒田町に参加された。
北前船の寄港地間交流とも云えよう、この関係がこれからも続いて欲しいと思う。

時刻は22時半を過ぎた。
まだまだ曳山はどんどん自町内を目指して巡行を続けるが、十分鑑賞したということで土崎をあとにした。

巡行は午前0時までとされているが、今年はこのあとに巡行開始した町内が曳山を電線に引っ掛けて切断するハプニングがあったため、かなり時間が押してしまったそうだ。

昨年同様に曳山の迫力と土崎の港っ子の情熱に触れることができた。
今年は土曜日開催ということもあり、観客の数も昨年に比べて多かった気がする。
最早秋田県では知らぬ人はいないぐらいのメジャーなお祭りだと思うし、新しい発見はないものの、御幸曳山、郷社参りなどまだ見たことのない場面もあるわけで来年以降も楽しみにしたいと思う。


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