大正寺おけさ

2018年8月19日
前々日の西馬音内盆踊り、前日の一日市盆踊りに続いて今回も盆踊り‥と呼んでいいのか実はよく分からない。
大正寺(だいしょうじ)おけさ - そう「おけさ」なのだ。
調べてみたところ、おけさというのは九州西部から北前船交易を通じて伝わった「ハイヤ節」の旋律に、新潟県あたりの歌謡の歌い出し「おけさエ~」がくっついて誕生した民謡なのだそうだ。
因みに「おけさ」とは実在した女性の名前とも、奴踊唄の「置けさ」が由来とも云われている。

実は昨年もこの行事の鑑賞を予定していたのだが、7月に県央~県南を襲った豪雨被害の影響で開催中止になった経緯がある。
2年越しの宿願を叶えるべく、現地秋田市雄和に向かうことにした。
そういえば昨年、一昨年と鑑賞した秋田市河辺の和田の作踊りでお世話になった松月堂の佐々木さんが「(和田の作踊りを)大正寺おけさぐらいの規模のイベントにしたいんだよ」と話されていたのを思い出した。
当日 - めっちゃいい天気だが、いつもの夏の暑さとはちょっと違う涼しさ混じりの中、自宅から会場となる雄和新波商店街へと向かう。
およそ30分で到着。小規模な行事だと思っていたが、思っていた以上に観客が多く、臨時駐車場もほぼ満杯だ。
この日行われるのは「雄和の夏 大正寺おけさまつり」であり、管理人お目当ての踊り披露は16時~だが、17時30分開始の芸能文化の祭典と19時30分~開始の花火打ち上げのほうがメイン的な位置づけなので、大半の観客がステージのあるJA秋田なまはげ大正寺販売所駐車場に集中している。
なので、新波商店街のほうはごった返すほどではなく、どちらかといえば地元の皆さんが多い状況だった。

新波商店街へ向かう。各団体が準備中です。


今日は9つの連が踊りを披露、参加総数は150名ほどなのだそうだ。
そして飛び入りも大歓迎ということで、特別に「飛び入り連」も編成されていた(飛び入りの観客がいなければ、この連もないということでしょう)。
ところで踊りのグループの単位を「連(れん)」と呼び、連が一同に集まって踊りを披露することを「総踊り」と称するところから、かの阿波踊りを想起された人は多いと思う。
これはおけさで踊る行事特有の呼び方なのかはよく分からないが、大正寺おけさは阿波踊り同様、秋田県内では珍しい行進踊り(スタート地点 → ゴール地点へ踊りながら移動する踊り。県内でよく見られるのは輪踊り)を見せる行事でもある。

総踊りの開始を告げる花火が上がった。

「雄和小学校連」が先陣を切ってスタート


♪オゲサエー オゲサ何をする 行灯の陰で サーテサテサテ
可愛い妹の サーマエ 帯くくる サーテサテサテ
裏の畑の 痩せゴンボ 一昨年掘ってから 掘ったゴドネ
掘って見たらば 毛だらけ 毛ゴンボ 真っ黒真っ黒
ところどころ秋田弁が混じっている気もするが、方言だらけで意味不明ということはない分かり易い歌詞
秋田の農村を感じさせない、小唄調ながら遠国の風を伝えるかのような旋律と三味線の演奏
これはちょっとスゴイ。秋田の他地域で見られる盆踊りとは一線を画すというか、全く違うのが一聴して分かった。
こんな踊りが長く雄和に受け継がれていたのか!今更ながらビックリ

こちらは幼児を中心に編成されたひよこ連
あっという間に通り過ぎてしまって、父兄の皆さんの後ろ姿しか撮れなかった。

今日登場する連を紹介したい(会場で配布されたパンフレットより)。
①大正寺小学校連(※管理人注:大正寺小学校は2016年に雄和小学校に統合されたので、記載誤りかと)
②大正寺ひよこ連
③雄和中学校連
④新波連
⑤碇田連
⑥南外釜坂おけさ会連
⑦こまち連
⑧新波青年会連
⑨飛び入り連
2011年開催時の様子が収められた秋田民俗芸能アーカイブスDVDを県立図書館で鑑賞したところ、20近くもの連が参加した様子が映し出されていたし、同じく県立図書館で読んだ「民俗調査報告書第12集 大正寺おけさ」によると2009・2010年には20以上の連が参加したと記されている。
その当時に比べると参加数が半減してしまった訳だ。
毎年大正寺おけさを観ている訳ではないのでその変遷を実感できてはいないが、この情報だけを取っても少しずつ規模が小さくなっていることが分かる。ちょっと心配。。。

続いて雄和中学校連


女子の浴衣姿が可愛くてお洒落です。
どことなく恥ずかしそうにぎこちなく踊る姿がまた良かったりする。
お囃子について言えば生演奏はなく、全て音源によるものだが、その演奏については一言触れないわけにはいかないだろう。
そもそも、この行事は昭和60年に地域の青年たちが中心となり、地域復興のひとつとして歴史に埋もれていた大正寺おけさを再発見するところに端を発する。
北前船交易が盛りし頃、ここ大正寺にハイヤ節から転化したおけさが入り込んで目立たないながらも人々のあいだで歌われ続けてきた。
時を経て昭和となり、当地出身の民謡家 初代浅野梅若がレコード化を手がけたこともあったものの、時代の波に飲み込まれ、これといって注目されることもない状態が続いていたところに、昭和60年に地元の青年たちが小学校時代の恩師から大正寺おけさの存在を聞き、自分の生まれ育った地域に秋田を飛び越えた西九州に繋がる芸能文化があったのか!と衝撃を受け、大正寺おけさを地域活性の切り札として活用できないか、と始めたのがこの行事だ。
そして、行事を始めるにあたりレコードを再録し、かつおけさに相応しい踊りを創作する形で今の大正寺おけさが形成されたのだ。
その当時の青年たちの夢が現実となって、今や雄和の夏の風物詩として定着するとともに、秋田県内においても貴重な芸能文化として認知されるに至っている訳だ。

続いては新波連


踊りが俄然本格的になってきた。
振りは非常に優雅で美しいが、例えば西馬音内のようなウェットな情感を滲ませたものではなく、どことなくさっぱりした印象を受けるのは何故だろうか。
なお、「民俗調査報告書第12集 大正寺おけさ」によると同じお囃子ながら踊りは2種類あるとのこと
1つは先述のとおり、昭和60年の行事のスタートにあたり舞踊家 竹内あや子さんが創作した「竹内踊り」、もう一つは劇団わらび座の舞踊指導を担当していた清家久美子さんが創作した「清家踊り」
どちらを踊るかは連が決めていいことになっているが、今回出場した連はほぼ全て竹内踊りを踊っていたようだった。
先に紹介した、秋田民俗芸能アーカイブスDVDには、当時の秋田和洋女子高校の生徒さんたちが清家踊りを披露している映像が記録されている。
片足立ちのままピョンと跳ねたり、手をめいっぱい上に突き上げたりとダイナミックな動きの入る所作で、若い人たち向きの踊りであることがすぐに分かった。

皆さん踊りが達者です。


所作が綺麗なのはもちろんだが、編笠のかぶり方や着物の着こなしがかなり洗練されている気がする。
あとでお聞きしたのだが、別の踊りにも参加されていたりする方が大半なのだそうだ。
昭和60年に始まった当初からそうだったかはよく知らないが、県内の多くの盆踊りは参加するものであり他人に見せる前提にはなく、したがって素人踊りがその基本となっている。
西馬音内、毛馬内など見せることが重要視されている盆踊りであっても、始まりはごく限られたコミュニティのものであり、その前提は変わらないが、大正寺おけさの場合には創始時に舞踊家の方々の協力があったこともあり、どうやら入口が全く異なっているようだ。
これはちょっと貴重なのではないだろうか。

新波連に続いたのは、おそらく飛び入り連の皆さんかと‥(着物の柄がバラバラですし)


先に踊りは「竹内踊り」と「清家踊り」の2種類と書いたが、「民俗調査報告書第12集 大正寺おけさ」に記載されている平成20年の際の記録によると「飛び入り連はどちらの踊りも選択せず自身が創作した踊りであった」そうな。
各自バラバラでは困るが、連の構成員全員が同じように踊るぶんにはどんな振りでも構わないということだろうか。
因みに今日の(飛び入り連と思われる)皆さんは、ご婦人らしい気品あふれる竹内踊りを披露されていた。

たぶん、こまち連の皆さん
「たぶん」とかすいません。本当はちゃんとした記事を書かねばならないので「どこの連の人ですか?」と聞く必要があるのだが、ちょっと恥ずかしいし、間抜けだし。。。


こまち連の皆さんは仁井田にお住まいの方々で結成されているとのこと
ここ大正寺との地域を超えた繋がりが感じられ、とても微笑ましい。
以前は周辺地域からも続々と連が結成されて参加していたようだが、今はちょっと寂しい状況になっている。

続いては、南外釜坂おけさ会連


旧南外村(現大仙市)の釜坂という地域で伝承されていた釜坂おけさは、現在はこの大正寺おけさが主な活動フィールドとなっているようだ。
以下はパンフレットから「昭和初期で途絶えていた『釜坂おけさ』の存在は昭和61~62年の民謡緊急調査(県教育委員会実施)で明らかになった。昭和62年、釜坂地区で民謡や踊りを教えていた故佐々木ツギによってカセットテープに収録された。没後、唄は再び途絶えたが、このテープを入手したわらび座民族芸術研究所(田沢湖町)荒木一の呼びかけで南外民謡保存会が平成11年『雄物川流域文化の祭典』で忠実に再現し、見事復活を果たしています」

竹内踊りを披露。ピンクと紫色の着物が素敵です。


大正寺おけさ同様に北前船によってもたらされたおけさが、秋田内陸部の旧南外村にまで伝播したというのもスゴイ。
パンフレット裏面に「雄物川流域における河港・船着場の分布」地図が掲載されていた。
土崎港を起点として、南は湯沢市までの雄物川沿い各地に船着場や渡し場が作られていて、大雑把に言えば県南各地は何らかの形でその恩恵を受けているとも思えるほどだ。
その中の一つが釜坂であり、秋田内陸部にポツンと残るおけさ継承地として今日スポットライトを浴びている訳だ。
また、大正寺おけさに関して言えば県内のイベントに出演することもあったようだが、1996~2005年に開催された全国ハイヤサミット(ハイヤ節が伝わった地域が集まり開催された)に参加、1999年には雄和でハイヤサミットin秋田を開催するなど、県外地域との交流が盛んな時期もあった。

次は碇田連。


碇田は地元雄和からの参加となる。
ここ雄和新波商店街から歩いて行けるぐらいの地域であり、ご近所のよしみで出場ということになるのだろうか。
「民俗調査報告書第12集 大正寺おけさ」を見ると、平成21年の時点では地元から繋連、萱ヶ沢連、女々木連、神ヶ村連など多くの地元からの参加があったようだが、今年はずいぶんと減ってしまった。
ネットで調べたところ、一昨年は300人の踊り手が参加したそうだ。
昨年の中止の影響による一時的な参加者減であり、来年からまた戻ってきてくれると思いたい。

8つの連が通過していった。
もう一回見てみたい、ということでゴール近くへ移動。輪踊りの場合には待っていれば一度見た踊り手が再度目の前に来ることはあるものの、行進踊りではそれができないのが少々たいへんだ

再び新波連


新波連の先頭の方、美人すぎてビックリです。
編笠を取ってもらって、そのご尊顔をもっとよく拝みたい!
西馬音内に行くと、下から覗き込むように端縫い衣装の踊り手の顔をめがけ、大きなカメラレンズを突きつけるカメラマンがたまにいて「無粋極まりねえなー、、、」と眉をひそめていた管理人ではあるが、このときばかりはカメラマンの気持ちが分かってしまった。
管理人も所詮同じ穴のムジナだったか。

今日はそれほど暑くもなく、とても過ごしやすく、道路両側に陣取っている観客たちも楽しそうに踊りを眺めている。
本格的でしかも(おそらくは)たいへん貴重な踊りが目の前で披露されているわけだが、そのことを感じさせないぐらいのリラックスした雰囲気が最高だ。
因みに今日は秋田魁新報、NHK秋田放送局などマスコミ数社が訪れていたほか、穂積秋田市長も鑑賞に来られていた。

こちらのお二人は「おばこシスターズ」として活動中
秋田市内のイベントで踊りを披露しているようだ。おけさを踊るおばこ!いいですねえー

ピンク色の蹴出しがとても綺麗。毛馬内を思い出す。


白い着物が眩しい。
この行事は16時にスタートした訳だが、考えてみるとこれまで見た盆踊りはたいてい日が暮れてから始まるものであり、お天道様の下で踊りを見る機会はあまりなかった。
あまり意識していなかったが、珍しい場面に立ち会えたと思う。
この後、JA駐車場に場所を移して行われるブログラム「おけさの郷 芸能文化の祭典」「雄物川を彩る花火」のあたりでは、たくさんの観客が夏の美しい夕暮れを背景にステージを楽しんだことだろう。
ところで、大正寺おけさは盆踊りなのか?だが、実のところやっぱりよく分からない。
以前、明治時代の頃この地で盆踊りとして踊られたこともあったようだが、大正寺盆踊りとして受け継がれているわけでもないので、あくまで別物として捉えられるべきかと思う。

碇田連


二列に並んで踊り手たちが歩きながらの踊りを披露
こうやってみると行進踊りもなかなか良いじゃないか、と思う。
先に紹介したとおり、おけさまつりの誕生に合わせて「竹内おどり」と「清家おどり」の2種類が創作されたものの、当初の振り付けではなかなか前に進まないことが分かったため、若干のアレンジを施して進みやすいように変更されたという。
輪踊りの場合であればあまり進むスピードは考慮されていない(ように見える)が、行進踊りとなるとテンポよく踊り手が進むように考えないといけない訳だ。
なお、県内で行進踊りに分類される踊りとしては他に奴踊り、通り音頭などがある(あった?)ようだ。

新波青年会連。あれ?踊りじゃないようですが、これはもしや‥


なんと、最後に登場するのは梵天!
秋田を感じさせないおけさの行進が続いたと思ったら、最後の最後で秋田ど真ん中が出てきた。
しかも梵天を担ぐのではなく、台車に乗せての行進。
唐突なかんじは否めないものの、「ジョヤサー!」の掛け声とともに、沿道の人たちにお菓子を撒きながらの行進はトリを飾るのに案外相応しいかもしれない。

これで全ての連がゴールに到着。総踊りは終了となる。
JA駐車場へ移動。たくさんの観客がいました。

この後、JA駐車場特設ステージで総踊りに参加したいくつかの連があらためて踊りや演奏を披露する予定
これから始まるプログラムも見たいところではあるが、このあとに遠方で行われる行事を鑑賞予定だったため、現地をあとにすることにした。

夏の青空と田圃。気持ちいい景色です。

30分の短い時間だったが、各連の美しい踊りを楽しんだ。
秋田に伝わる踊りのなかでは異質な存在だが、大正寺おけさまつりに足を運びさえすれば簡単に見られる訳で、決して「幻の踊り」とかではない。
来年以降もたくさんの観客を集めてほしいし、今年は参加できなかった連にも戻ってきてほしい。
そして、新たな連も続々新規参入するぐらいの活気溢れるまつりであってほしいと思う。


4 Replies to “大正寺おけさ”

  1. “大正寺おけさ”まだ見ていませんが、この時間帯ならあるいは可能かもしれませんね。

    九州のハイヤ節に似た陽気なお囃子に佐渡おけさが早くなった様な振付は興味をそそられます。

    よくハイヤ節が北前船によって伝搬され越後・佐渡の“おけさ”に、更に津軽あいや節に転化したという話は耳にします。
    ところが津軽手踊りの先生から済州島に伝わる“太刀魚漁歌”を聞かされた時、“陰調あいや節”と非常に酷似していて驚きました。

    話が逸れましたが、踊りや歌の変遷を探ってみるのも面白いです。

    1. ふじけんさん
      コメントありがとうございます!
      秋田県内ではたいへん貴重な「おけさ」ですが、日本国内はもとより大陸とも繋がっている可能性があるんでしょうか?
      ちょっとスケールが大きすぎてついていけてません(苦笑)
      大正寺おけさは県内の他の盆踊りに比べて知名度はそれほどでもありませんが、そのユニークさ、美しさは全く譲るものではありません。
      是非ご参加検討くださいませ~

  2. 私はまだ大正寺おけさを観に行ったことがないです。興味深く拝見させて頂きました。私は個人的に北前船に関心を持っていて色々調べていますが、これも北前船と関係が深いことは興味深いですね。日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」の構成文化財にしっかり入ってます。新波連の衣装が気品があって良いですね。多分踊りも素晴らしいのでしょう。今年行かれたら行きたいです。

    1. 降魔成道さん
      コメントありがとうございます!
      北前船にご興味がおありだったのですね。
      熊本で生まれた牛深ハイヤ節が日本海をたどり、ここ雄和の大正寺おけさへと続いているのはまさしく壮大なロマンですよね。
      遥か九州の伝統芸能が秋田の地に溶け込む様はまさしく異文化のクロスオーバー!降魔成道さんと同じく、管理人も興味が尽きません。
      そんな背景を持つ大正寺おけさは、秋田の芸能でありながら遠い九州の地を感じさせるようなサウダージ感(?)あふれる民謡と踊りでした。
      是非一度ご鑑賞くださいませ!

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