豊岩のやまはげ

2019年1月13日
このブログを読んでくださってる皆さんであれば、男鹿のなまはげ以外にも秋田県内各地で同様の来訪神行事があることはご存知かと思う。
では皆さんにお尋ねしたい。「秋田で一番怖いとされているのは何処のなまはげでしょうか!?」
正解は秋田市「豊岩のやまはげ」です。ウォー!

なまはげなんて何処のものであっても怖いと思うのだが、多くのなまはげの面がよく見ると存外にユーモラスなのに対し、豊岩のやまはげは木彫りの素材感をむき出しにした、般若の面をさらにデフォルメしたような恐ろしい形相をしている。
そのうえ、「勉強してらがー!」などと迫ることはせず、代わりその怖い顔で子供をじーっと凝視。その威圧感だけで子供たちは恐怖のあまりパニックになるという。
一般的ななまはげは子供を脅しつけながらも訓戒的なことを宣うのに対し、豊岩のやまはげは脅すことに特化した、言うなれば子供を威嚇するという手段が目的と化しちゃっている訳だ。
そのあたりがやまはげが秋田最凶のなまはげと言われる所以であり、管理人も子供たちが恐怖におののくシーンを見るものだと思っていたのだが、結論から言うとそのようななまはげの姿、行事の様相を見ることはできなかった。
その代わり、当初全く想像しなかった行事の全貌を知ることになる。

当日1月15日
管理人宅から車で20分ほどで豊岩地区に着く。

豊岩地区でやまはげが行われているのは「石田坂」「居使」「中島」「前郷」「小山」の5箇所とされており、管理人が訪れたのは「石田坂」となる。

石田坂の地区内の様子。1月中旬だというのに雪がほとんどない。

地区在住の方からやまはげ一行は公民館に集まっているとお聞きしたので向かってみる。

こちらが石田坂公民館。県道65号線(寺内新屋雄和線と呼ぶそうな)沿いにある新しい建物だ。

中へ入る。

これからやまはげが身につけるであろうケデ(藁・ケラとも言われる)が用意されている、、、、、ちょっとおかしい。
管理人の認識では豊岩のやまはげは「夜ぶすま」と呼ばれる男性用着物を着るものであり、ケデをつけるものではないはずだ。
もやもや感を抱えたまま、中にいる方々にコンタクトを試みようと、一室の戸を開けてみると年配の男性10人ほどが新年会の最中だった。
やまはげ一行は別室で待機中ということを教えていただいたついでに、行事についても尋ねてみる。
まずは気になるケデの件だが、やまはげは夜ぶすまを着用するものでありケデは不要では?と尋ねたところ、ほぼ全員から「それは前郷のやまはげだよ!」と突っ込まれてしまった。
どうやら般若似の面と夜ぶすまの出で立ちは前郷独自のものであり、豊岩の他地区は割と一般的ななまはげの面が使われているようだ。知らなかった。。。
気を取り直して、ここは石田坂の行事の様子をしっかり記録しようと己に言い聞かせる。年配男性のお一人も「前郷に比べて歴史は浅いけどこっちのほうがおっかねえぞ!あははは!」と言っていることだし。

別の一室を覗くと、やまはげ一行がいた。

若い区長さんを中心に皆でわいわいがやがやと賑わっている。
なんと昼の12時からずっと飲んで食ってでここで過ごしているとのこと。これから始まるやまはげ行事に備えて英気を十分すぎるほどに養っているわけだ。

こちらではどの家々を巡回するかの確認で忙しい。

まるで戦略会議みたいな雰囲気で綿密に訪問予定のお宅とルートをチェック。これまで見てきたなまはげ行事では、お目にかかることのなかった場面だ。
普通のなまはげ行事ではこれまで行事に何十年となく関わってきたベテランが主体となっていて、地区の誰それの家には訪問できて、誰それの家はNGとか経験上推測できるが、今日は主体となる年齢層がかなり若いこともあって慎重にコースを見積もっていた。

また、懲りもせず御相伴にあずかってしまった。

最初は管理人の突然の訪問に戸惑っていた皆さんだったが(当たり前ですよね、すいません)、いろいろ話すうちに「食ってくださいよ」と勧めていただいた。美味かったです、ごちそうさまでしたm(_ _)m

部屋は宴会場のようになっていて前方にはステージを備えていて、やまはげの面がバラバラと置かれている。

やまはげ役自身が着けたい面を各自ピックアップする方式だ。
フェイスカラーは赤や青、毛は真っ黒なモク(海藻などを毛に流用したもの)や白髪といったかんじで統一感はない。
素材も木製のものもあれば、プラスチック製もあるという具合になっていて、やはりその軽量さが受けてプラスチックの面が人気だった。
木彫りの面については地区の皆さんで手作りしたとかでなく、なんと男鹿のお土産屋さんで購入したものだそうだ。

さっきまで部屋で駈けずり回っていた子供たちにケデが着させられる。

石田坂のやまはげにおいては最初に先発隊よろしく子供たちがやまはげの衣裳を付けて巡行を行う。
県立図書館で読んだ「秋田市豊岩のやまはげ調査報告書」には「石田坂の特徴としては、まず、『子どもやまはげ』が行われていることが挙げられる。過去には他の居使・中島・前郷・小山の4区域においても行われた時期があったが、現在は行われていない。石田坂の『子どもやまはげ』は戦後まもなく行なわれるようになったとされ、小学校5~6年が参加している」とある。
ということで、子どもやまはげは豊岩の中でもここ石田坂のみに伝えられているようだ。
また、「豊岩のやまはげ調査報告書」には5地区それぞれの行事の特徴が記述されていて、管理人も行事前にしっかり読んでいれば豊岩のやまはげに関して誤って認識を持たずに済んだのは言うまでもない。

子供たちの出発から間を置いて、大人たちが衣装を付ける。

やまはげは計6匹(子どもやまはげは計4匹)となり、2匹×3グループで構成される。
本来は地区内の神明社へ祈願ののち巡回開始となるが、1つのグループだけが祈願を行って他グループは省略していた。
また、各グループには家々からの祝儀を受け取る係と、車移動となるため運転手が随行することとなる。

出発の時が来た。管理人も1つのグループの車に乗せてもらい、一行をフォロー。よろしくお願いします。

運転手の方が廻る家々を一行に指示、一行はそれにしたがい「ウオーーーー!」とお馴染みの雄叫びを上げて入来。
実は最初に回ったお宅で、家の中にあがる許可をいただいたので写真&ビデオを撮ったのだが、ブログ掲載の許可を取り忘れたため本記事にはその様子を上げていない。
このような家々を廻る行事においては当然一軒ずつ許可を取らなくてはいけない訳で、そのあたりが大変といえば大変。

どんどん行きますか!


実は管理人が同行した一行のやまはげ役のお二人は地元の方ではなく他所の方であり、お一人は男鹿市脇本百川からヘルプで駆けつけたそうだ。
男鹿在住の方が、男鹿で調達した面をつけて、石田坂でやまはげとして巡回する。なんだ、この倒錯したかんじは!
県内に様々ある男鹿以外のなまはげ行事は「なまはげ類似行事」と呼ばれるが、ここまで来ると「なまはげ完コピ行事」と呼びたくなる。
稲 雄次さんの著作「ナマハゲ」では豊岩のやまはげのことを「秋田県内にあるナマハゲの『類似』行事として、最も『男鹿のナマハゲ』を踏襲したものとされる」と紹介しているが、まさしくそのご指摘通り!
正確に行事名を記すとすれば「豊岩地区石田坂の男鹿のなまはげ行事」とでもなろうか(長ーわ)。

子供のいないお宅でも訪問OKのお返事をいただいたところには丁寧に出向いて「ウオー!」とひと叫び

「豊岩のやまはげ調査報告書」の中島地区の頁を読むと「美人の姉妹やお嫁さんの家には、同区域からはもちろんのこと、他区域からも『やまはげ』が来訪することがあったという」という面白い記述がある。
豊岩のやまはげは例年1月第2日曜日に開催されていて、今日は他4地区においてもやまはげが行われているはずだ。
今でも美人のいるお宅に地区外から押しかける習慣があるかは分からないが、豊岩に暮らす仲間として行事を通じての交流があったことが伺えるエピソードだ。

巡回が続く。


他の地区も同じようなものだと思うが、やはり子供たちが少ない。
なので、子供がいるときには大張り切りで「ウオー!!!!いい子にしてらがあー!!」と大声を上げるやまはげも、子供がいないと分かった途端に大人しくなってしまう。
また、管理人が同行した一行においては男鹿の方がその経験を生かし(地元脇本百川でもなまはげを務められているらしい)、リーダー的な立場にあったため、家人と率先してコミュニケーションを図っていたのだが‥
やまはげ:ウオー!!まめでらがあ!!
家人:あら~やまはげさん、まんず一杯やってけれ。ところでお宅はどこの方だぎゃ?
やまはげ:あ、実は俺たち今日のために他のところから来た者です、、
家人:まんずまんず、よくおざってえー。さ、さ、まず一杯!
やまはげ:あ、すいません。恐縮です(ペコリ)
といったかんじの珍妙なコミュニケーション風景を見ることになった。
本来のなまはげ行事とやっていることが違ってきている気がしないでもないが、これはこれで地区の人々と交流を行うという観点から十分「アリ」だろう。

こちらのお宅では玄関先でお膳を振舞った。


ほとんどのご家庭は男鹿のなまはげ同様に家の中へは入れず、玄関先でもてなすスタイルだ。
こちらのお宅のようにきちんとお膳を用意して待ち受けるのは非常に稀だった。
豊岩のやまはげは他のなまはげ類似行事同様、起源について明確でなく、元来各家庭の座敷でお膳を用意していたものなのか、元々そのような作法はなかったものなのかはよく分からない。

なんだかんだ言ってもそれなりの迫力があり、それなりに怖いです。


やっぱり泣いちゃいました。
怖さということで言えば男鹿のなまはげ行事と遜色はなく、特に子供にとってはどのような由来の行事なのかはほとんど関係なく「怖いものは怖い」ということだと思う。
男鹿のなまはげと大きく異なるのはその精神性の有無だろう。
稲 雄次さんが「ナマハゲ」で、なまはげ類似行事の説明として「『男鹿のナマハゲ』の外観的、表層的な影響は濃厚であるといえよう。だが、基礎的、観念的ないわゆる民間伝承の慣習は少ない。(中略)ナマハゲ『類似』事例を支えるべき由来、意味、伝説という伝承が明らかにないからである」と記述しているとおり、なまはげ類似行事には行事を下支えすべき精神的バックボーンが希薄だが、石田坂のやまはげにおいては特にその傾向が顕著だ。
それはやまはげのことを「鬼」と呼んだり(元々なまはげは神の使いであり、鬼ではないとされている)、ご祝儀を受け取る人のことを伝統的な名称である「かますかつぎ」とは呼ばず単に「ふくろ持ち」とだけ呼んだりする点からも明らかだ。
ついでに言えば、やまはげの到来を告げる「先立ち」もいない。
なまはげの持つ深遠さや精神性の一切を断ち切って、思い切って表層のみを取り入れた実に潔い行事なのだ。

どんどん進んでいきます。


本家のなまはげと相違点があるとすれば、到来を告げるために吹かれる笛が挙げられるだろう。
体育の先生が吹くようなホイッスルで「ピー-ーー!!」とけたたましい音色が出されてかなり分かり易い。
「豊岩のやまはげ調査報告書」によると、豊岩では前郷以外の4地区でピッピと呼ばれる笹笛を使って到来を告げたとの記述があるので、おそらくそのピッピなる笛がホイッスルに取って変わったのではないだろうか。
なお、前郷では笛を使わないというか、いきなりヌーと現れて子供を驚かすところから始まるので、そもそも到来を告げないということだと思う。子供をびっくりさせることにとことん拘ってるんですね、前郷のやまはげ(^^♪

一軒に長く滞在することはなく、さくさくと巡行が続く。


他のグループのやまはげ役の方が「こんなに雪のないなかで(行事を)やるの初めてですよー」と仰っていたが、本当に雪がない。
この手の行事は雪がしんしんと降りしきる中で行うものという先入観を持っているのだが、年末に見た男鹿市船越荒町のなまはげといい、雪がほぼない中での行事鑑賞が続いている。
暮らしやすさの点から言えば最高!だけどこんな様子でいいのかな、とも思ってしまう。

地区の皆さんも楽しそうにやまはげを迎える(子供以外)。


先立ちはいないものの、運転手の方が的確に訪問先を伝達するので一行は実に効率的に各家々を廻る。
男鹿のなまはげにおいては先に書いたように、先立ちが各家々に入来してよいかを尋ねる作業が行われるため、巡行に時間がかかるのが常だが、ここ石田坂においては全くそのようなことはなかった。
石田坂のやまはげは従来ずっと行われてきたものの、昭和47(1972)年に一度中断、その後青年会が復活させた経緯がある。
おそらくは運営や参加方法などについて、試行錯誤を繰り返しながら地区の実情に見合った運用を模索した結果、今の状態があるのだろう。
男鹿のなまはげとの類似点についつい視点が行ってしまうが、地道な積み重ねを続けて行事を継承する地区の皆さんの努力にこそ目を向けなければなるまい。

こちらのお宅は子供多し!ここぞとばかりに頑張るやまはげ


やまはげの顔を近くに寄せられては子供たち、赤ちゃんもたまったものではない。
先に「豊岩の他地区は割と一般的ななまはげの面が使われているようだ」と書いたが、「豊岩のやまはげ調査報告書」を読むと例えば中島のやまはげはゲボシと呼ばれる藁製の被り物を着けるし、小山のやまはげはちょっとエスニック風の面だったりする。
「豊岩のやまはげ」と一括りに言っても、実は各地区で行事の様相はさまざまであり、その差異がどこから来たのか非常に興味深いものがある。

巡行も最終盤。他の2グループも集まってきました。

次のお宅で巡行が最後になる、ということで6匹のやまはげ全員で来訪するらしい。
こちらのお宅は律儀にも子供たちがやまはげの対応をするらしく、やまはげもそれならば!と全員で入る慣わしなのだそうだ。

玄関先に上げていただいた。子供たち3人でやまはげを出迎える。頑張れよ~

おそらく小学校低学年ぐらいの男の子たちだろうか、どうしても不安は隠せない。
これがもう少し大きくなると「怖いなあ」という表情に「面倒くせえなあ、、、」という大人びた感情が混じってくる(ような気がしている)のだが、ある意味成長の証でもあり結構管理人が好きな表情だったりする。

来たきた、やまはげ!来たよー!


子供たちがどうにかやまはげの襲来に耐える。
3人の子供たちが計6匹のやまはげを引き受けた訳なので、1人あたり2匹のやまはげの相手をしたことになる。おつかれ~!
この来訪以前に先に出発した子どもやまはげも来たことになるので、各家々で2回やまはげの入来を経験したわけだ。
子どもやまはげは計4匹で2グループが編成されたが、大人のように3グループ編成にしないと廻るのに時間がかかってしまうので、そのあたりが課題だと区長さんに教えていただいた。
このあたりの地域は秋田市近郊の極めて暮らしやすいところであり、農村部ほどの人口減少・少子化の波にさらされてはいないと思うが、今後はより若い世代に行事を受け継いでもらうための対策も必要になるのだろう。

行事が無事に終了、公民館へと戻ってまいりました。

衣裳を脱いで、直会へと備える。

「豊岩のやまはげ調査報告書」を読むと、ケデは行事終了後に神明社境内の木に巻きつけられる、と書かれているが、その風習が残っているかは伺えなかった。
今日は昼から痛飲していたこともあり、おそらくはおとなしめの直会になるのではないか‥とは思うが、いかんせんなまはげ行事のあとは血がたぎってしまい、行事以上に荒っぽい酒の席になるとどこかで聞いたこともある。皆さん、ほどほどに楽しんでくださいな。
急な訪問にもかかわらず丁寧に迎えていただいたお礼を述べて石田坂をあとにした。

当初想像していた、恐ろしさ満載のやまはげ行事を見ることは叶わなかった。
が、男鹿のなまはげのかなり忠実なフォロワー的存在の石田坂の行事の様子はとても興味深く、なまはげ行事の持つ奥深さを再確認させてくれた。
管理人が同行したやまはげのお二方は地区外の方ということで今回書いたような訪問の様子を見ることになったが、それはそれでとてもユニークで面白かった。これが地区内の方が扮するやまはげであれば、また違った行事風景を見ることになったと思う。
なお、最初にコンタクトを取った年配男性から教えていただいたのだが、毎年6月第4日曜日には石田坂地区のみで行う鹿島流しがあるそうで、近隣地区である新屋の大規模な鹿島祭りとは一線を画す形で行事が継承されているとのこと。
小さい地区ではあるものの、やまはげや鹿島流しといった行事を通じてキラリと存在感を放つ石田坂の皆さんのこれからの活動にエールを送りたい。


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