横手のかまくら

2019年2月16日
今回訪れた行事は秋田の冬を代表する「横手のかまくら」
伝統の小正月行事であるとともに、冬の大型観光イベントとして有名であり、雪国のメルヘン的なイメージで全国的に名の知られている行事でもある。
毎年2月15・16日の2日に渡って行われており(観光イベントではあるんですけど、土日に合わせたりはしません)、付随する各種イベントの開催と相まって、この2日間は横手市内が大いに賑わうときでもある。

横手市増田町に生まれて、横手市内の高校に通っていた管理人からすれば、かまくらはよく知った行事である‥ということでもなく、実はほとんど知らない。
昨年夏に訪れた湯沢市の絵どうろう祭り同様に、あまりに身近すぎるため「どうということもないイベント」と認知していたゆえ、特に興味を持つこともなくずっとここまで来てしまったが、このようなブログを運営している以上、一度はきちんと見ておかねばという思いはずっと持っていた。
なお、県外の友人が数年前のこの時期に秋田に遊びに来た折に訪ねたことはあるが、真っ昼間の風情のないかまくらをぼんやりと見て回っただけで、特にこれといった印象はなかった(← あとで調べたら行事開催前日の2月14日に訪れていたことが判明。詰まるところ管理人にとって、さほど重要でないお祭りだったということ)。

2月16日を迎える。
当日は休みだったが、夜に鑑賞を開始しようと17時ほどに自宅を出発、途中寄り道などしつつ19時半に横手市内へと到着。
この時期は市内どこでも‥といったかんじで、市役所通りや横手城、羽黒町、二葉町などのメイン会場の他にも、駅前や秋田ふるさと村内、市街からちょっと離れた雄物川町木戸五郎兵衛村にもかまくらが作られるという具合だ。
また、横手南小学校グラウンドや蛇の崎橋川原には無数のミニかまくらが作られて、まさにかまくら一色に染まる。
それらをすべて見るのはけっこう大変なので、今回は羽黒町、二葉町を中心に見れるところだけ見ようという作戦に出た。早速、羽黒町付近に車を止めて会場へと向かう。

会場となる通りへ出た。


順路とされているルートの反対方向から会場入りしたので、かまくらの背中を見ながら歩いているかんじになってます。
観客でごった返すということはなく、適度に混み合っている状態。
このあたりは羽黒町武家屋敷通りと呼ばれていて、かつては城下の武士町だったあたりである。
横手市教育委員会の発行した「横手のかまくら」には、かまくらについて「もともとは左義長から発した火祭りで『六郷かまくら』(竹打ち)などと発祥を同じくするといわれる。~中略~幕末期まで内町(武家)を主とした火まつりだったが、『かまくら』行事は、家屋が密集したりしたことから火災防止上、自然衰微の傾向となり明治に入ってから外町(町民)の水神祭りと混り、現在のように変わったものといわれる」と記している。
おそらく羽黒町でも明治以前は火祭りを中心とした行事だったと思うが、それにしても火を(神座として)祀る祭りだったのが、水神を祀る祭りに変わったというのは、180度変節しちゃった感は否めない。

ミニかまくら


ミニかまくらの中にも丁寧に水神様が祀られている。
外町で行われていた水神祭りというのがどのようなものかはよく分からないが、横手のかまくらのパンフレットによると「町内の井戸のそばに雪穴を作り、水神様(おしずの神さん)を祀り、良い水に恵まれるようにと祈りました」とのことで、水利が悪いとされている横手市街地の人々の祈りを込めた祭りだったのだろう。
なお、wikipediaで「水神」を調べると「水(主に淡水)に関する神の総称」とシンプルで分かり易い説明がされているが、同じくwikiで「水神祭」と調べると「競艇において初勝利や節目の勝利を挙げた競艇選手が、水面に投げ込まれる行事のことである」と意味の分からない説明がなされていた。
また、羽黒町の家並みだが、角館の武家屋敷通りのように江戸時代の屋敷が今も残っている、という訳では全くない。
これは戊辰戦争の折、秋田藩と仙台藩・庄内藩との戦いにおいて横手城が落城した際にほとんどの武家屋敷も焼き払われてしまったことによる。
それでも家々の様子や風情にえも言われぬ雰囲気があり、往時は武家屋敷が立ち並ぶ通りだったことを伝えてくれているようだ。

箱ぞりに乗ってます。楽しそう!

小正月行事の子供の遊びと言えばこれ!というぐらいに欠かせないアイテムになっている箱ぞり。どうやら小さなお子さん向けに箱ぞりのレンタルが行われていたようだ。
そういえば一昨年秋田市楢山のカマクラ行事を訪問した際には、行事の運営がかなりたいへんなことになっていて、それまで所有ししていた箱ぞりをまとめて廃棄してしまった、と現地でお聞きした。
勿体無い!と思う反面、では誰が箱ぞりを手入れするのかというとこれまた難しい問題になってくる。
横手のかまくらのように観光面で活路を見いだせている行事ならよいのだろうが、そうではない行事は物品の管理・保全ひとつ取っても簡単にはいかない事情があるものだ。
なお、楢山のカマクラ行事はついに今年は開催見送りとなってしまったそうだ。このまま廃れるようなことがなければいいのだが‥

かまくらの周辺には人だかりができている。

先に、ごった返すほどではないと書いたが、それでもかまくらの中に入ろうとすれば並ばざるを得ない形になる。
1組につき、だいたい5~10分ほどかかるので順番待ちとはなるものの長蛇の列ができている訳ではないので、特に苦にはならない。

かまくらの列に並びつつ、内観を撮影


数本のろうそくの明かりがぼんやりと中を灯していて実にいい雰囲気。何年か前の秋田県の観光推進ポスターのキャッチコピーで「寒いけど暖かい」というのがあったが、まさにそれを具現化するような光景だ。
中には地元の子2~3人がいて観光客を餅と甘酒でもてなしてくれる。
なお、かまくらにつきものの「甘酒(あまえ)ッコ飲んでたんせ~」だが、これはあくまでも客寄せの言葉のようで、今日のようにすでに行列が出来ているような場合にはどうやら発せられないようだ。
また、管理人の前に並んでいた地元女子中学生3人組のうちの一人は以前かまくらの中で観光客を迎える子供役を務めていたそうで、思わず「バイト代ってもらえんの?」と愚問をぶつけてしまった。返ってきた答え「うん。結構もらえますよ!」そこは現代的なのね。。。

いよいよ順番が回ってきて中へ入る。一人というのもアレなので管理人の後ろに並んでいた若夫婦+お子さんを誘い、一緒にIN!

もともとしっかりと防寒対策をしていたのでそれほど寒さは感じかなったが、中に入ると餅を炙るため七輪に火が焚かれていることもあり、さらに寒さを感じなくなる。
水神様に僅かではあるが賽銭(神棚にお金をあげるのはあくまでも賽銭であり、餅代とか入場料とかではない)を上げて、餅と甘酒をいただく。
子供たちや若夫婦と会話を交わすが、賑やかにキャッキャキャッキャ騒ぐというかんじではなく(それぞれ初対面同士ですしね)、落ち着いた空気のなか静かに語り合うといったかんじだ。
以前、50年ほど前のかまくらの中の様子をTVで見たことがあるが、子供たちが楽しく手遊びをしている様子が映し出されていた。
もともとはカマクラ行事に起源を持っているだけあり、子供たちが雪室内で遊ぶことが行事の主眼ではあったが、現在は観光客を迎えるスペースとしての機能のほうが重要になっている訳だ。

一緒に入った若夫婦の奥様とお子さん。

奥様お美しい!因みに管理人の横に座られた旦那様もイケメン!典型的な美男美女夫婦でした。
東京から来られたというご夫婦+お子さんはかまくらを初めて訪れたそうだ。
何でも雪国の祭りに興味がおありだったそうで、初めて見るかまくらの静謐さに「へえ~」と感心することしきりだった。
寒い真冬のなかでほっこりした気持ちにさせてくれるかまくらはさぞ印象的だったと思う。楽しい旅を満喫してください!

かまくらを出て、羽黒町会場のすぐ近くにある横手南小学校へと向かった。


南小学校の児童によって作られた無数のミニかまくら。同校では課外授業「わらしっこかまくら」として全校児童でミニかまくらを製作するそうだ。
およそ600個ほどのわらしっこかまくらがぼんやりと灯る様は本当に幻想的で美しい。
こちらの秋田犬(←飼い主の方に名前を教えていただいたが忘れた)も心なしかかまくらの灯りをうっとりと愛でているようにも見える。

かまくらの中には水神様の札がきちんと飾られている。


「横手のかまくら」には「内町では個々の家屋敷も広く、堀井戸が殆どの家にあったが、外町では水脈も悪かったこともあろうが、共同井戸を利用した。飲み水や生活用水を毎朝早く、水桶を天秤でかついで何回も家に運んだ。洗濯は川水などを使用していた。従って共同井戸に対する感謝の念は非常に強かったのである」と記述されている。
かまくらとは水神様を祀る祭りであり、それは大規模な観光イベントとなった現代においても不変であるということを、水神様の札が示しているかのようだ。

続いては、歩いて10分ほどの距離にある二葉町へと移動


実は羽黒町で思っていた以上に時間を過ごしたようで、二葉町に着いたのは21時少し前になってしまった。
観光客の姿もまばらになっていて、終わりの雰囲気が漂っている気もするが、かまくら内には煌々と明かりがついているので少し足早ではあるが見て回る。

こちらのかまくらも立派に作られています。


二葉町のかまくらは天井から裸電球が吊るされていて、羽黒町に比べて格段に明るい。
その分風情に欠ける気がしないでもないが、室内がクリアに見える分子供たちの朗らかな表情がよく見える。
と、同時にこの明かりのかんじに慣れているだけあって、ちょっとホッとするところもある。
今でこそドーム型が一般的なかまくらの形ではあるが、ここ横手でもかつては雪室型とでも言えよう楢山のカマクラのような、雪壁に藁などで作った屋根をかける形が一般的だった。
それが水神祭りと結びつくうちに明治時代には現在見られるようなドーム型へと変遷したらしい。
ただドーム型の場合、餅を焼く際の煙が外へ逃げていかないとか、屋根が崩落する恐れがあるとかそれはそれで大変だったらしく、一時期「C」の形の雪壁のみを作っていたこともあったようだ。
そのような状況を経て、現在では「かまくら」と言えばすなわち横手のかまくらの形を誰もが想像するぐらいに定着した訳だ。

頭巾を被った子供たちがニコニコと可愛らしい。


ドイツの建築家ブルーノ・タウトが昭和11年に横手を訪れてかまくらを鑑賞した時の様子を以下のように記している。
「雪中の静かな祝祭だ。いささかクリスマスの趣がある。空には冴えかかる満月。凍てついた雪が靴の下でさくさくと音を立てる。実にすばらしい観物だ!誰でもこの子供達を愛さずにはいられないだろう。いずれにせよこの情景を想い見るには、読者はありたけの想像力をはたらかせねばならない。私達がとあるカマクラを覗き見したら、子供達は世にも真面目な物腰で甘酒を一杯すすめてくれるのである。こんな時には、大人はこの子達に一銭与えることになっている。ここにも美しい日本がある、それは -およそあらゆる美しいものと同じく、- とうてい筆紙に尽すことはできない」
現代のかまくらは観光に重点を置いたものにはなっているものの、二葉町の子ども達の笑顔を見るとタウトの文章がそのままあてはまるかのようで、決して行事が現代の波に洗い尽くされたものではなく、古からの特徴を連綿と受け継いでいることがよく分かる。
雪をテーマにしたイベントであればこの時期、日本各地で行われているが、かまくらを特別なものにしているのは失われたと思われがちな雪国の伝統を今へしっかりと残している点が大きいと思う。

時刻は21時を過ぎた。
かまくらはもう終了、ということになるが、近くの蛇の崎橋にはまだ多くの人が集まっているようなので移動してみる。

川原に無数のミニかまくらが作られている。
先ほどの横手南小学校と同様の大きさだが、上から見下ろすミニかまくら群というのもとても綺麗だ。
このあたりは管理人が高校時代に通学路として利用していた所だが、こんな素敵な景色なのに何故か全く記憶にない。
こんな幻想的で美しい光景に何も感じることなく、ボーッとスルーしていたのか?俺は?
ミニかまくらが始まった時期については調べることができなかったものの、もしその当時から行われているのだとしたら高校生だった自分にこう言いたい「バカヤロウ、しっかり見とけ!」

下に移動する。


すでに真っ暗になった周囲に無数のミニかまくらの灯りが輝いて、夢のような景色になっている。
このミニかまくらは地元の子ども達と横手市のボランティア団体「灯り点し隊」の皆さんで製作、点灯されたものだ。
およそ3,500個ものミニかまくらが作られたそうで、天の川を思わせるような美しさだ。
たくさんの観光客が写真を撮ったりして思い思いに過ごしている。

1時間あまりに渡り、4会場のかまくら(とミニかまくら)を鑑賞。十分に行事を見れた満足感を携えて会場をあとにした。

会場から離れた横手川の風景。かまくらの暖かい灯りがなくなり、いかにも凍てつく雪国の夜といった景色を見せている。

これまで特に意識することのなかった横手のかまくらをじっくりと見ることができた。
今日見たかまくら以外にもポップな装飾の施されたかまくらがお目見えする市役所通り会場や、横手城とかまくらのフォトジェニックな組み合わせが大人気の横手城会場など、見所はたくさんある。
根底にあるのは、カマクラ行事をベースとして、雪どころ横手ならではの進化を遂げた素朴な民俗行事としてのかまくらであって、それは今後も変わるものではないと思う。
そして、その佇まいに国内のみならず国外の多くの観光客が惹かれるのだろう。
地元の行事ということのみならず、古からの伝統と今日的な観光が合わさった愛すべき行事として、これからも応援していきたいと思う。

※地図は横手南小学校


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