嶽六所神社奉納梵天2019

2019年3月18日
連日行われた小正月行事が終わり、はや一ヶ月。
今年の冬もたくさんの祭り・行事を鑑賞したなあ‥と満足感を味わうには何か物足りない。
そう。冬の秋田を代表するあの行事を全く見ていないのだ。それはもちろん梵天!!
という理由から‥という訳でもないが、昨年も訪問した大仙市神宮寺の嶽六所神社奉納梵天を今年も鑑賞することに決定。
標高277mの神宮寺嶽を一気に駆け上り、山頂に鎮座する嶽六所神社へ梵天を奉納するという神宮寺の男たちの熱い祭りだ。

行事は毎年3月第三日曜日に開催される。
去年は行事の勝手が分からず、午前中の町内巡回から夕方近くまでの嶽六所神社奉納までをつぶさに見たが、今年は嶽六所神社奉納、いわば町内の皆さんが神宮寺嶽を登るところを重点的に見ておきたいということでスケジュールを立てた。

当日
2月後半ほどからどんどん雪が消えて、3月に入るともう季節が春に変わったような天気が続いていたのだが、なぜかこの日に限って雪がちらほら舞うビミョーな空模様
twitterでフォローしているしぶざるさんが朝の神宮寺嶽の画像をアップしていたので拝見したところ、雪はほとんど積もっていないように見える。
ただ、もし雪が降り続けたりすればあっという間に積もってしまう可能性もあるので、そこは心得ておかねばならないだろう。
11時に自宅を出発し、現地には12時半に到着。会場となる神宮寺の町中を歩いていると‥おっやってますな。


町内を巡行し、各家々の前で梵天を高く掲げる。
ここでは家内安全、商売繁盛、無病息災などの祈願が行われていて、当日の朝早い時間から巡行が始まるのが一般的だ。
梵天行事についてはたびたびこのブログでも取り上げてきたのであらためての紹介は省略するが、梵天は神が降りてくる依代(よりしろ)とされていて、元々は幣束だったものが徐々に変化して現在のような形になったらしい。
「カマクラとボンデン」の著者 稲雄次さんは著書の中で、梵天を神社に奉納する行為によって各種祈願が成されるものなので、他人より目立たせて競争して奉納したことから今の形になったと記述されている。

神宮寺中町大門口の鳥居跡付近の様子


「嶽六所神社」と書かれた幟と日本の国旗が掲げられている。
寒い中ではあるが町内同士の押し合いが行われたり、餅まきにたくさんの住民が集まったりと賑わいを見せている。

「駅向」と「裏町」による押し合い


高らかに唄われる梵天唄に続いて「ジョヤサー!」の掛け声一発、ほのぼのとしつつも押したり引いたりの熱い場面が展開される。
その楽しそうな様からは想像できないが、地元の方によると昔は激しい押し合いが展開されて死者が出るに至ったそうな。
県立図書館で読んだ「神岡町史」によると(神宮寺は旧神岡町の地区)以前は旧南外村や旧西仙北町からも参加する梵天衆がいたらしい。
「カマクラとボンデン」の記述から推測すると、旧南外村からは「勝軍山神社梵天」、旧西仙北町からは「強首神社梵天」が参加していたようだ。

本郷丁内

この後も続々と町内が大門口の鳥居跡に集結するはずだが、最初に書いたように今回は神宮寺嶽を梵天が駆け上る場面をしっかり見ておきたいということもあり、早速移動を開始。
付近に止めておいた車に戻って、神宮寺嶽登山口を目指す。

県道30号線(神岡南外東由利線)から見た神宮寺嶽

雪は止んでくれたようで、まさかの雪中行軍はなんとか回避できそうだ。
手前に広がるのは中川原コミュニティ公園。野球、サッカーのグラウンドを備えていて、春にはたくさんの桜が咲く地元の安らぎスポットになっている。
山と渓谷社発行の「分県登山ガイド04 秋田県の山」で「神宮寺市街地の南を流れる雄物川に裾野を浸し、そそり立つように鎮座している山だ。そのピラミッド型の優美な山容は、郊外のどこからでも眺めることができ、地元では『だけやま』の愛称でよばれ、シンボルの霊山として親しまれている」と紹介されているとおりで、急峻な山容が特徴のユニークな山だ。まんが日本昔ばなしの背景に描かれてそう。

雄物川にかかる岳見橋を渡り、山の方向へ車を走らせるとあっという間に登山口付近へ到着。
先ほど大門口の鳥居跡で押し合いを終えたばかりの駅向の皆さんも移動を済ませて、山登りの準備中だった。

ハードな山行を控えて軽食を摂っている最中。緊張の面持ちということは全くなく、皆一様にリラックスしている模様。
管理人はといえばそんな皆さんにそろっと近づいて、同行の許可を得るでもなくしれっと輪に加わる。
「お前は何者だ?」みたいなことも言われず無事フェードイン。このユルさが堪りません。

よっしゃあ!と出発。頑張っていこー!!

支度をしていた場所からすぐに登山口へ到着

ここでも町内を二手に分けて押し合いが行われる。

奉納登山(←こんな呼び方はありませんが)開始!!


「分県登山ガイド04 秋田県の山」では「登山口から杉林の斜面を登ると、太いトチ、クリ、ナラなどが茂る」と書かれていて、おそらく本当の山好きなら植物や木を楽しみながらの山登りもできるのだろうが、いかんせん登り始めると同時に急な坂になっていて草花を愛でるゆとりはない(そもそも花や植物に詳しくないですが)。
それでも、昨年は雪が残っていたのに比べ、今年は山肌が露出するぐらいに雪がなく、格段に登りやすくなっていた。
昨年は登山靴を履いて山行に臨んだところ、何人かの方から「長靴のほうがいいぞ」とアドバイスをいただいたので、ゴム長を履けばよかったのだろうが、あいにくがっしりとした長靴を持っておらず、ブーツ長靴での挑戦となったが、これぐらいの状態であれば問題はなさそうだ。

直登の坂を抜けると今度は九十九折の急登。ハードな坂が我らを苦しめる。


息が上がるなか右側に目をやると神宮寺の街が一望できる。
眼下に雄物川が流れている。このあたりは雄物川と玉川が合流する地点になっていて、水質の違いから一本の川のなかに二種類の水の色が見えることでも知られている。
また、現在立っている場所だが、急登のうえに真下が切り立った斜面になっていて、ちょっとでも足を踏み外そうものなら真っ逆さまに落っこちかねない難所だ。
なので眺望を楽しむ余裕などなく「ぜえぜえ‥あ、景色いい‥ぜえぜえ」というかんじでチラ見するのが精一杯

どんどん登っていく。ところどころに残雪が見られる。


数人がかりでどうにか梵天を担ぎ、少しづつではあるが着実に登っていく。
駅向のある方が仰るには、本来の梵天の役割(神の依代)を踏まえれば空に向かって突き上げたまま登るのが本当の奉納のしかたで、かつては実際にそのようにして登る人もいたらしい。
たしかに低木などはそれほどないので、できるといえばできなくもないが、この急斜面と雪で足元がおぼつかないこと、さらには酒が入っていて酩酊とまでは行かないまでもほろ酔い気分で登ることを考えれば、それは至難の業だ。
現代人には及びもつかない技術、体力、根性を先人たちは兼ね備えていたということか。

奉納を終えて下山途中の町内とすれ違う。

昨年は8町内が参加したが、今年は上町が不参加となり全7町内での奉納となった。
神岡町史には「平成9年には14本、翌平成10年には16本が奉納されたという」と記されていて、その頃と比べて半分ほどに減っているし、同書に掲載されている大門口の様子を撮った写真を見ると観客でごった返しているのに対し、現在はそこまでの人出もないし、徐々に規模が縮小しているのがよく分かる。
それでも、この山行のハードさが若い人たちにはかえって人気があるそうで、廃れることはないよ、と地元の方は仰っていた。
県内には高齢の方々を中心にどうにか行事を存続させている困難な状況もあるなかで、嶽六所梵天の訴求力は目を見張るものがある。

急登続きの難所を過ぎると、比較的緩やかな坂となる。ここまで来ればもう一息、ということで小休憩。これまで駅向の皆さんの最後尾にくっついていたが、先に出て見下ろす形で撮影。

登山道を倒木が遮る。根っこでっかい!

梵天についていた紙垂が至るところに落ちている。


梵天の製作方法について、「カマクラとボンデン」に「まずボンデンの中心になる長さ約3メートルぐらいの木の棒をつくる。これを持ち棒と呼ぶ。少しぐらいでは折れたり曲ったりしない強い木を選ぶ。その上に円筒形の竹籠を取りつけ、その頭に半円形のものをつけるようにする。~中略~これを基礎にして、その表に大幅のサラサ地3枚を掛けて竹籠の上から下まで縫い合わせる。~中略~竹籠の頭の方の半円形部分はボンボラ(ボンボリ)と呼ばれ、3枚の布地とは違った色でもって被われる」と記されている。
おそらく素材についてはいろいろで、後にアップしている画像からも分かると思うが、駅向の梵天では竹は使用していなかった。
また、例えば横手市の旭岡山神社梵天奉納祭は豪華な頭飾りが特徴だが、ここ嶽六所神社においては機能重視というか山頂まで如何にスムーズに運べるかが重要なので、飾りの類は最小限に抑えられている。
同じ梵天と言えども祭りの内容に応じてその形態も当然変化するということだろう。

突き当たりとなる。

ここを左へ進むと嶽六所神社への最終の登り坂となり、右へ進むと「川を渡る梵天」として有名な伊豆山神社が鎮座する伊豆山山頂へと向かう。

ここから先は山頂めがけてまっしぐらの直登となる。布の垂れ下がっていた部分を棒に巻きつけて準備を整える。さあ、気を引き締めて登りきりましょう!


やりました!登頂成功です!40分以上に渡って続いた苦しい山行が終わった。
当然汗だくにはなったものの、早春の山頂の気持ちよさは格別だ。
それでも動きを止めてじっとしているとすぐに寒くなってしまうため、焚き火の周りには人が集まっていた。

そして押し合いが始まる。

押し合いは大門口の鳥居跡、登山口鳥居、そして嶽六所神社の計3箇所で行われた。
高らかな梵天唄が春の空にこだまするようで実に気持ち良い。
ここで歌われた梵天唄は♪揃たナーヨ揃どエー 若い衆が揃た 秋のナーヨ出穂より ハー良く揃たナエなどだが、町内によって歌詞が異なっているとされていて、事実駅向オリジナルの梵天唄も披露された。

嶽六所神社本殿

緑色の波トタンが何とも味気ないが、そこは目をつむりましょう。
ここにはかつて延喜式内社(延長5年【927年】にまとめられた『延喜式』の巻九・十 延喜式神名帳【えんぎしき じんみょうちょう】に記載されている『官社』とされていた神社)である副川神社が建てられていたが、現在副川神社は八郎潟町浦大町の高岳山山頂付近へと移っていて、今はこうして嶽六所神社が鎮座している。
なお、秋田県内の他の延喜式内社としては横手市山内大松川の塩湯彦神社、横手市大森町八沢木の保呂羽山波宇志別神社があるようだ。

押し合いが終わったあとは早速梵天の解体が始まる。


少しでも軽くしようと布や紙は全て取り払われ、帰路は骨組みだけを持って山を下ることになる。
取り外しの作業にあたるのは地元の建設会社の皆さん。
骨組みについては基本的に次年度も同じものが使われるが、古くなったなどの理由で今年限りの使用となる場合には骨組みごと山頂においてくるケースもあるそうだ。

続いて下夕町丁内が山頂へ到着

今度は下夕町が押す側、駅向が受け側となって押し合い


岳見橋がかかっていない時代には、お隣伊豆山神社梵天のように馬舟に乗って雄物川を渡って梵天奉納を行っていたそうだ。
「カマクラとボンデン」には伊豆山神社梵天について、「若者たちに体力をつける『体育』としてボンデン行事が行われてきたと伝えられている。川を渡って向岸の山頂の神社へボンデンを運ぶ行為は、若者へのハードルすなわち試練の一つであった」と書かれていて、おそらくは嶽六所もそのような意味合いがあったことが想像できる。
そして、その試練を締めくくるのが山頂での押し合いだったと考えられる。

押し合いを終えて駅向が下山開始。管理人も登り同様、最後尾にくっついて下りていく。途中、山頂を目指すいくつかの町内とすれ違った。

こちらは駅通り町内。まさかの一人担ぎ!頑張ってください。

下りの際に見た景色。抜群とまでは言わないが、良い眺めです。

登りのような大変さはないが、いかんせん急峻な登山道を下っているわけなので転倒には十分気をつけねばならない。
特に雪の残っている箇所では細心の注意を払ってそろ~りと足を運んでいたが、駅向の皆さんは結構大胆にガッガッと大股で歩く。
それでも決して転んだりすることはなく、一人怖々と歩いている管理人は置いていかれてしまう。
そうか、管理人の山下りスキルが足りないだけだったか。。。

ようやく下山完了。鳥居の下あたりにはたくさんの紙垂が落ちていた。

この後、どうにか駅向の皆さんに追いついてご挨拶。金魚のフンのごとく皆さんについて回った管理人を快く受け入れてくださってありがとうございましたm(_ _)m
管理人も現場を離れて秋田市の自宅へと向かう。山登りの緊張感から解放されたせいだろうか、帰宅途中に一気に疲れが襲ってきたようで、マックスバリュ刈和野店でかなり長めの休憩を取ったのち、ようやく帰ることができた。

昨年に続いて2度目の鑑賞となった今回。
「野に遊び、山に歌う」みたいなお気楽な山行を想像していたのだが、やはり神宮寺嶽の厳しい洗礼をかわすことはできず、短時間ながらハードな山行となった。
それでも駅向の皆さんに同行させてもらったおかげで、奉納の一部始終を見たような満足感、寒さまだ残る春山登山の爽快感を得ることができた。
昨年は山の中腹あたりにとどまり、次々と登ってくる町内を見させてもらったが、リアル感・ライブ感ということで言えば断然今年の方がよかった。
後日NHKニュースこまちのビデオ投稿のコーナーで、この日の様子が収められた一般の方撮影による動画が流されたが、その方も山頂での押し合いの様子を撮影されていた。
是非体力、脚力に自信のある人は、このハードながら春の到来を告げるに相応しい行事をライブで体験(もちろん山登りも含めて)して欲しいと思う。


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