山内番楽/志戸橋番楽

2019年5月18日
今回は久々の番楽鑑賞。五城目町の五城目神明社で行われる「番楽競演会」に2年ぶりにおじゃました。
前回2017年は能代市の嫁見まつりとはしご鑑賞になったため、最初から見ることができなかったので密かに気にしていた行事でもある。
昨年の開催日は土砂降りだったため五城目行きを断念(30分ほどで終わってしまったらしい)した経緯もあったので、今回は待望の鑑賞となった。

当日
日中は横手市増田町の実家で用事があったので、五城目町までは結構なロングドライブになったうえに、出発が遅くなってしまい、開始時間19時に間に合うかどうかというタイミングになってしまった。
秋田道に乗り、横手IC~五城目八郎潟ICまでぶっ飛ばし(決してスピード違反とかしてないです)、五城目神明社を目指す。19時少し過ぎに到着。なんとか滑り込みセーフ


提灯の並んだ参道が素敵。2年前は到着した頃には真っ暗になっていて、周りの景色が見えずほとんど風情が感じられなかったが、今日は違う。
日中の暑さが落ち着いて涼し気な空気を運んでくるのと合わせるかのように、爽やかな夜の帳が下りてきたようで、えも言われ雰囲気だ。

神明社本殿横の神楽殿。50席ほどしつらえたパイプ椅子は既に観客で埋まっている。

番楽競演会は、五城目神明社祭礼の宵祭りとして祭礼前日に行われている。
神明社祭礼について「秋田の祭り・行事」には「『秋田風土記』(文化12[1815]年)には、本祭りは神鑑を先頭に獅子頭・練子・練り物・山鉾など賑々しく行列が練ったとあります。現在は神鑑の神輿が18町内を回り、飾り山は昭和38年から大名行列に変わりました」と紹介されている。

早速演目が始まる。まずは「露払」


舞台清めの演目として、最初に舞われるのが「露払」
この演目について言えば、管理人的には一昨年3月に秋田市フォンテAKITAで開かれたイベント「番楽へのいざない ~伝統芸能に親しむ」以来の鑑賞となる(一昨年5月の番楽鑑賞会では見逃してしまったため)。
太鼓、拍子板、手平鉦による快活なお囃子に、子供たちの初々しい舞姿がよくあっている。

舞い手は五城目町子ども番楽教室の子たち


五城目町には山内番楽以外に「恋地番楽」「西野番楽」「中村番楽」が伝えられていたが、それらは現在は途絶えてしまい、今や山内番楽1つだけとなってしまった。
秋田県内の番楽といえば、由利本荘市鳥海町の「本海獅子舞番楽」、鳥海町周辺の「本海流」と呼ばれる番楽各団体、そして北秋田市根子の「根子番楽」などが有名だが、ここ五城目町の番楽は菅江真澄が文化6年(1809年)に山内を訪れた際に「ひなのあそび(※「あそび」とは番楽の古い呼び名のこと)」として記録に残しているほど歴史あるものであり、山内番楽の火を消すまいと五城目町全体で保存・継承に取り組んでいる実情がある。
そして、その取り組みの成果のひとつが今日舞台で堂々の舞を披露している児童たちなのだ。

続いても露払。先の子たちより少し年長


玉串(ボンボリと呼ばれているらしい)を持っての舞から、扇の舞へと移る。
会場でいただいたパンフレットによると、かつては玉串 → 扇 → 剣と持ち替えて舞っていたらしいが、いつからか剣を持たなくなったそうだ。
また、五城目町史には「番楽にて、表舞12番・裏舞12番、あわせて24番があるといわれ、それが一定の順番で上演される。番楽の名もそこからおこるともいう。この24番全部が今日まで伝えられているのではない。現在舞われるのは、せいぜい10番ほどにすぎない」と説明されていて、演目数が最盛期に比べて半数ほどとなっているようだ。この点については県内の他団体も似たような状況になっている。



きびきびとした舞を披露
管理人も県内の番楽をあちこち訪ね歩くうちに、なんとなくではあるが、地域・団体による違いが分かるようになってきた。
山内番楽について言えば、明らかに根子番楽と共通点があるようで、特に露払とこのあとに舞われる「鞍馬」などに顕著だが、手平鉦と太鼓、拍子板で構成されるお囃子(根子には笛もついている。山内でも以前は笛がついていたようだ)、衣装や所作などがかなり似ていて、以前フォンテAKITAで舞い手の方からお聞きした「根子番楽にとても近いですよ」という一言が実感として理解できる。
また、五城目町のお隣、上小阿仁村には根子からの移住者が伝えたという八木沢番楽が継承されていて、こちらも根子の直接的影響を感じさせるものらしいが、逆に三種町の中館番楽については同保存会会長いわく「根子の影響を受けていると言われてるけど、踊りは結構違う」との説明通り、あまり根子との類似性を感じさせない内容となっている。

続いて武士舞の代表的な演目「鞍馬」


牛若丸と弁慶が京の五条大橋で刃を交える有名な場面を演じている。
この演目も以前フォンテAKITAで鑑賞したし、根子番楽のほうでも数度鑑賞している。
牛若丸の所作は最初の演目「露払」の所作が基本になっていると言われていて、露払を習得した子供たちが次に習うのが、この舞ということだ。
なお、ミニ情報にはなるが、実は牛若丸と弁慶が戦った五条大橋というのは現在京都市内にある五条大橋ではなく、別の場所(橋)だったとの説が現在は一般的なのだそうだ。

牛若丸と弁慶の一騎打ち。弁慶の攻撃をひらりひらりと躱す牛若丸が素晴らしい。


番楽各演目はいくつかの種類に分けられていて、山内番楽においては‥
①式舞(露払・鳥舞・翁舞・三番叟)
②神舞(山の神)
③武士舞(鈴木三郎・熊谷敦盛・曽我兄弟・信夫太郎・鞍馬)
④女舞(蕨切・鐘巻)
⑤荒舞
というふうに分類される。(括弧内は今も舞われていると考えられる演目 ※国際教養大学 地域環境研究センター様のサイト「秋田民俗芸能アーカイブス」を参考にさせてもらいました)
中でも武士舞は勇壮活発なことで人気を博しており、それがゆえに継承されている演目数も多いのではないかと思う。
それでも五城目町史を読むと、上記以外の武士舞として「高館」「屋島」の2演目も紹介されており、すなわちこれらは最早途絶えてしまった武士舞の演目ということになるのだろう。

この演目のクライマックス。弁慶が薙刀に牛若丸を乗せて持ち上げる。


番楽保存会の男性と、子ども番楽教室の生徒さんの共演でもある「鞍馬」
今日、牛若丸を演じた子がいつの日か弁慶役として舞うことになるのだろうか。
この日の番楽競演会は我々観客にとっては地域の伝統芸能に親しむ日であるとともに、演者の皆さんにとってはこれまでの稽古の成果を披露する貴重な場なのだろう。
舞台裏で演者同士、あるいは運営スタッフの方々と労い合う姿がそこかしこで見られた。

観客の皆さんも熱心に鑑賞。思いのほか、ビデオ撮影を行っている人が多い。

続いては三種町(旧山本町)志戸橋番楽の登場

三種町の番楽を見るのは昨年、能代市金勇で行われた番楽競演会の中館番楽以来だ。
旧山本町ということで言えば、今日と同じ五城目番楽競演会での向達子(むかいたっこ)番楽依頼2年ぶりとなる。
見慣れない白い番楽幕に描かれているのは、おそらく源平の合戦における壇ノ浦の戦いの場面だろう。

まずは「三番叟」


お馴染みの演目である三番叟だが、番楽団体によって所作や舞い手の持ち物、お囃子が異なっていて面白い。
志戸橋番楽について、パンフレットには「天正年代(1573~1592)に、母体(現能代市)の神官阿部降順(あべこうじゅん・25代当主)の祖で、修験者安部家三代目の大鏡院照山師が修練のために上方に上り、田楽の一種である山伏神楽を習得して帰り、桧山舞(母体番楽)を始めたという記録があり、その番楽をこの地でまた伝えたとされております」とある。
それゆえ、舞の形式や様式、演目、用具が母体番楽とかなり似ているらしい。

熱演が続く。


「翁」の持つ厳かさと、ハチャメチャなようにも見えるせわしなさが同居するユニークな舞。
「翁もどき」とも呼ばれる異色の演目ながら、各番楽団体のレパートリーとして定着している人気の演目でもある。
静から動へ、そして動から静へとスイッチが切り替わるめまぐるしさが人気の秘訣であると考えるが、演じ手側にとっても踊り甲斐のあるタフな演目であるような気がする。

続いては「三剣舞」


これまで見た釜ヶ台番楽、山形県金山町柳原番楽の「三人立ち」と同様に、三人の武者姿の若者が飛び跳ねるように舞う。
特に刀の両端を持ちつつ、その下をくぐる所作などはシンプルなようで複雑な動きで、見ている人を引き込んでしまう。
なお、志戸橋番楽には三番叟、三剣舞のほかに「荒舞」「信夫太郎」「えびす舞」「翁舞」「橋かけ」「山の神」、また狂言二題として「寺狂言」「遊山狂言」などが伝承されているそうだ。

舞台狭しと躍動する。


秋田魁新報が昭和46年に刊行した「秋田の民謡・芸能・文芸」に旧山本町の番楽について言及した箇所がある。
そこには「山本町外岡の番楽は平家系、隣接の羽立番楽は佐竹下級武士の伝えたものだ。平家系の方は、”裏十二番”というものを他部落に見せず、最後の番出し物は平家の切腹の場面で悲壮であった。源氏系の表十二番は、だれにでも見せた(※管理人注 能代市 桜庭藤二郎さんの談話)」と記されている。
志戸橋番楽は母体番楽から派生したことを踏まえると、同じ山本町内とはいえ伝播ルートが全く違う、ということが分かる証言であり、実に興味深い。
なお、志戸橋には舞い手やお囃子方が2つに切った半紙を両手中指に結ぶ「九字」の慣わしがあり、これなどは近隣には見られない珍しいものなのだそうだ。

三人舞から二人舞へ、そして一人舞へと移行。これでエンディングかと思っていたところ、先に退出したお二人が再登場。何をするのかと思っていたら、、、おーーーっ!!!(←動画で確認してください)


これはスゴイ!なかなか見ることのできない所作だ。
一人が軸となり、もう一人を横回転、縦回転とぐるんぐるん回し続ける大技を披露。
番楽に曲芸のような所作の入る演目がある、という話は以前聞いたことがある(山形県遊佐町 杉沢比山の「猩々」とか。刀をくわえたまま逆立ちして舞うそうです)が、まさかここでこれほどアクロバチックな舞を見るとは思わなかった。
舞うという以上にアスリート的要素の強い所作に観客も「オーー」と湧いている。いやあ、、、あらためてスゴイ

大技が終わって演目も終了。もちろん拍手喝采


志戸橋番楽の2演目を楽しませてもらった。
以前は五城目番楽競演会に山内以外の番楽団体がお目見えしていたが、先に書いたように今や山内以外の番楽は途絶えてしまっていて、町外からの参加という形で志戸橋が今回登場したことになる。
昨年9月に三種町で開催された「伝統芸能の祭典inみたね」には、山内番楽が客演していて両町の番楽団体の交流が活発化していることを伺わせる。
番楽を取り巻く環境が厳しいとはずっと言われ続けていることではあるものの、こういった形での支え合いが続いていってほしいと思う。

神明社社殿。もう日が暮れて真っ暗です。

再び山内番楽。演目は「熊谷敦盛」


冒頭で披露された露払と同様に、熊谷敦盛で舞うのは子ども番楽教室の子たち。おそらく中学生ぐらいの女の子だと思うが、キレッキレの舞を見せてくれた。
パーカッシブな拍子板の音色と同調するかのように、きびきびと勇ましく格好いい舞姿だ。
五城目町に唯一残っている番楽を、若い世代にコツコツと継承してきた成果が結実していることをあらためて実感。



根子番楽でもお馴染みの演目。
平家物語一の谷合戦の一場面、熊谷直実と平敦盛の一騎打ちが描写されていて、源氏方の武将である直実が、我が子と同じ年齢16歳の少年である敦盛を泣く泣く打ち取るこの場面は平家物語のみならず、古典文学屈指の名場面として語り継がれている。
その後、直実は人を殺めることの無情を憂い、出家したとされている。
志戸橋番楽の番楽幕には壇ノ浦合戦の様子が描かれていたし、根子番楽は平家の落人が根子に定住して伝えたとされている。
県内の番楽にはこのように平家にまつわる伝説、逸話と結びついた起源を持つものが多い。
山内番楽の各演目にも平家の武将の慰霊という要素があるように思うが、そのあたりはどうなのだろう。
なお、五城目町で言えば馬場目が平家の落人が作った集落と言われているそうだ。

一人舞から二人舞へ、さらに一人舞へと移る。

根子番楽における「敦盛」は、「曽我兄弟」の少年少女版とでもいうべき位置づけであり、曽我兄弟の練習のための演目という意味合いがあるそうだ。
根子ではボンボリ、小刀を持つのに対し、山内では扇、小刀、薙刀と若干の違いはあるものの、おそらく根子に近い意味を持っていると思う。
今日、素晴らしい舞を見せてくれた少年少女たちも練習を積み重ねて、いつかは曽我兄弟のシャープでダイナミックな舞を見せてくれることを期待したい。

続いて「山の神」


鞍馬、熊谷敦盛と武士舞が続き(露払は式舞)、神舞である山の神へと続く。
田植えが始まると同時に山の神は田の神になり、収穫が終わると山へ帰っていくとされている山の神は五穀豊穣を祈願する農民の神として知られている。
また、翁や三番叟などと同様に面をつけて舞う演目としても知られていて、「五城目町史」によると「現在伝えられている山内番楽の面は13面あるが、蕨折の面で「根コ伐り王」は盗難にあって後に作られたもの、鐘巻の「鬼」が近年の作であるほかは、菅江真澄がスケッチした頃からのものである。すなわち、三番叟・翁・松向・山の神・月見女・桜子・鈴木三郎・信夫の太郎のほかに、名の不明な10号・11号・12号の11面である。11号・12号の2面は桜子であろうといわれている」と記されている。
それらは番楽宿(番楽にまつわる用具を保存しているお宅)に今も残っているとされている。

「ヘギ」と呼ばれる四角い盆を回す所作が面白い。


曲芸的な所作が交じるものの、最後は刀を持ち出して舞う。
山の神といえば農民の舞、というカテゴリであるものの、神が舞うとされる神舞においては、神具として刀剣が用いられるのであろう。
そう考えるとお囃子の調子が何やら神懸かりというか、シャーマニズム的なようにも聞こえてきて、武士舞とは別種の興奮を呼び起こすようで興味深い。

最後の演目「曽我兄弟」


成人男性2人が神楽殿の舞台狭しと舞を合わせる様は迫力に溢れている。
ここでは曽我十郎五郎兄弟が父親の仇 工藤左衛門祐経を討つべく奮闘する姿が表現されているとされているが、根子番楽のパンフレットには「曽我兄弟が仇討ちのため修業に努める舞曲」と紹介されている。
たしかに十郎と五郎が対峙している訳なので、その解釈のほうが合っているような気もする。

十郎と五郎の激しい舞


武士舞の真骨頂というべき対決の場面が演じられた後、最後は「ウオーーーーッ!」という雄叫びで舞は終わる。
会場で配られたパンフレットには「番楽が神楽という生いたちからして、悪霊などを追い払い、天下泰平、五穀豊穣を祈るという意味をもち、舞のしぐさの中で地上の三方、四方を踏みつけたり、刀をふりあげたりする場面はそれらを表現しているものです」と書かれていた。
おそらくは最後の叫び声などは悪霊退散、悪魔祓いの象徴的な所作であり、宗教的側面が強く感じられる場面でもある。

21時近くに全演目が終了。
観客は一斉に引き払い、あっという間にガランとしてしまった。先ほどまでの熱気が嘘のように静まり返る。
管理人も長いドライブの疲れを癒してくれた神明社の雰囲気に名残惜しさを感じつつ、会場をあとにした。


2年ぶりとなった番楽競演会鑑賞
根子番楽との共通点が見られつつも、独自の発展を遂げ、今や五城目町に唯一残る番楽としての存在感を感じさせる舞を見せてもらった。
現役世代の完成した舞もさることながら、小中学生の育成も順調なようで思わず唸らせてくれるような舞を披露する子たちの姿もとても頼もしかったし、客演として参加した志戸橋番楽の充実ぶりも素晴らしかった。
これからも番楽中心地の一つとして、一層の活躍を期待したい。


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