勝平の鹿嶋祭り

2019年6月9日
日に日に夏めいた陽気へと移り変わるこの時期に県内各所で行われるのが鹿嶋祭りだ。
昨年に続いて今年も秋田市新屋で鑑賞したのだが、訪れた場所は「勝平」地区(分かりづらいと思うので、このあたりの事情は後述します)
自宅から車で5分とかからない距離だし、何より昨年の記事にコメントをいただいたmiさんからリクエストを頂戴した祭りなので、出かけない理由がないというものだ。

行事日である6月第二日曜日、文句なしの晴天のなか現地へ向かう。
スーパー駐車場に車を止めて歩き出すと、早速多くの親子連れが一方向に向かっているのが目に入った。
鹿嶋祭りはもともと武神を祀るお祭りだが、現在では子供の成長を祈願する祭りとなっていて、昨年見たときも大勢の子供たちが参加していた。
この人たちについていけば鹿嶋祭りにたどり着けるだろう、とその流れに乗って歩くと‥


鹿嶋舟がどっかとスタンバイ。
その大きさ、華やかさと反比例するかのように、素朴で慎ましいイメージが伝わってくる。
鹿嶋祭りは元々茨城県鹿嶋市鹿島神宮の祭神 武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)信仰に端を発する祭りで、「秋田県内では藁で作った鹿嶋人形を村境に祀って厄災の侵入を防ぐ鹿嶋様行事と、柴や草で作った船に型代となる人形を載せて、厄災とともに川に流す鹿嶋流し(送り)行事の2種類があり、鹿嶋様行事は平鹿郡などの県南部に多く、鹿嶋流し行事は雄物川流域に多く認められる」(←県立図書館で借りた「新屋の鹿嶋祭【報告集】」より)ものであり、今日管理人が鑑賞しようとしているのは鹿嶋流し行事のほう、という訳だ。

最初にお邪魔したのは「新屋豊町」


「新屋の鹿嶋祭【報告集】」では鹿嶋祭りについて、「秋田市内では、鹿嶋流しの形式が確認でき、現在は楢山・川尻・新屋・勝平・谷内佐渡・下新城笹岡・豊岩石田坂等において鹿嶋祭の名称で行われている」と記している。
で、今日管理人がお邪魔している一帯は記事のタイトル通り「勝平」地区なのだが、このあたりは「新屋○○町」といった名前の町内が数多く存在するため、この記事を書くまで管理人は勝平の鹿嶋祭りを訪問したとは認識しておらず、昨年見た新屋の鹿嶋祭りの別地区版を見たものだと思っていた(勝平の人にどこに住んでるか尋ねると、大概「新屋です」と答えるし)。
「新屋の鹿嶋祭【報告集】」と同じく県立図書館で借りた「秋田の鹿嶋祭り 調査報告書」を照らし合わせて、初めて勝平の鹿嶋祭りという名称の鹿嶋流しがあることを知ったのだった。

鹿嶋舟一行が出発する。


鹿嶋舟一行が元気に行進する。
太鼓を積んだ軽トラックを先頭に、大人から子供まで力を合わせて舟を曳く。
鹿嶋様やらアニメのキャラクターが中央にどっかり座っていた新屋の鹿嶋舟ほどのスケール感はないが、人数は新屋と同じぐらいだろうか。
また、新屋のほうはおびただしい数の鹿嶋舟が出て、ほとんど道路を制圧するぐらいだったのに対し、勝平の行列はそこまでではなく、往来する車に気を配りながらの巡行となる。

直進した先には秋田運河が流れているが、川岸までが新屋豊町なので右折して通りを外れる。


草野球に興じるグラウンドの横を通過。
先に紹介した秋田運河は「以前は雄物川の本流であったが、1937年(昭和12年)の雄物川放水路の完成によって旧流路は運河となった。秋田市茨島で雄物川から分流し、秋田港で日本海に注ぐ。全長9.3km。この秋田運河と日本海および雄物川によって、勝平を島にしている」(←wikipediaより)ということで、かつては旧雄物川と呼ばれた河川だった。
度重なる水害被害への抜本的対策として大正6年から始まった雄物川の改修工事は、世界的な不況、関東大震災などで竣工期間が延びに延びた結果、ようやく昭和12年に終了。これにより「新」雄物川を境にして新屋北部(勝平地区)と南部が地形上もはっきりと分かれる形になった訳だ。

晴天の下、元気に巡行


おびただしい短冊と「福徳丸」と書かれた帆を掲げ(昔から新屋豊町の帆には「福徳丸」と書かれていたそうだ)ながら、鹿嶋舟とたくさんの親子連れが行進する様子はとても楽しげだ。
それでも昔はもっとたくさんの人たちが行列に加わっていたうえ、道中酒や米を舟に供出する家庭が絶えなかったという。
また、人形も一つのお宅で最低3体は制作していたそうで、多数の人形が舟に積まれていたらしい。
往時を知る年配の方々は口々に「(昔に比べて)寂しくなったよ」と仰っていたが、それも時代の流れということなのだろう。



新屋の鹿嶋舟に比べると舳先の竜頭がやや大きいようだ。
この舳先に使われているのは「ガジギ」。ガジギは正式名をイネ科マコモ属マコモと言い、いにしえより邪気祓いの効能があるとされる植物だ。
昔は雄物川の河川沿いによく植生していたそうだが、近年は激減してしまっていて、このあと紹介する新屋船場町では豊岩まで足を運んで、刈り取っているそうだ。
昨年鑑賞した大仙市上淀川の鹿嶋祭りにおいてもガジギの採集に苦労している、という話を聞いたし、鹿嶋舟には欠かせない材料であるガジギの調達自体が難しいという事実が、この行事が今や貴重なものとなっている実態を教えてくれるようだ。

再び大通りに出ます。


「秋田の鹿嶋祭り 調査報告書」には(おそらく)平成6年に勝平の鹿嶋祭りを調査した際の参加町内が記されている。
・寿町、南浜町、北浜町、寿南町で1艘
・松美西町、勝平コーポ自治会(勤労者住宅)で1艘
・勝平町 1艘
・船場町 1艘
・割山町 1艘
・豊町 1艘
・朝日町、朝日西町で1艘
・松美ヶ丘北町 1艘
・松美ヶ丘町 1艘
・勝平台 1艘
・松美東町 1艘
となっていた。
平成の初めの頃の話なので現在の状況とは異なるかもしれないが、11艘もの鹿嶋舟が巡行していたのであれば結構規模が大きいと言えると思う。
ただ、地元の方に教えていただいたところによると、別々の町内の鹿嶋舟が鉢合わせすることは滅多にないらしく、その点も鹿嶋舟が数珠つなぎのように運行していた新屋とは異なるところだ。

遠くから太鼓の音と掛け声が聞こえてくる。おそらく別の町内だろう。
新屋豊町の一行から離れ、音のする方向へ移動すると新屋船場町の鹿嶋舟が登場。


大通りに姿を現した船場町の鹿嶋舟は雄物川方向を目指して進み出す。
新屋豊町と同様にお囃子の太鼓を積んだ軽トラを先頭に鹿嶋舟が続き、船にはこれまた豊町と同じく大きな帆がかけられている。
船とは言え、帆がこれほどまでに目立つ鹿嶋舟もそうそう無いような気がする。
やはりかつて北前船交易で栄えた(旧)雄物川沿いの地区であるということが何か関係しているのだろうか。

のんびりと行列が進む。


今日の船場町の船には鹿嶋人形が計15体(昨年は21体)ほど置かれていたそうだ。
「新屋の鹿嶋祭【報告集】」には、新屋の鹿嶋人形の特徴として「厄災を移す形代になるための人形であり、船上全体に飾られる。他地域の鹿嶋祭では、形代とする人形が藁人形である場合が多いが、新屋では着物を着た鹿嶋人形が用いられており、端午の節句の要素が認められる部分である」と記されている。
この部分は新屋、勝平両地区に共通の特徴だと思うし、鹿嶋人形の他にも色とりどりの風船や短冊が付けられる点も舟をカラフルに際立たせている要素であろう。

元気な歌声が響いている。


♪ショッショッショウ 鹿嶋のおぐりショウ
ショッショッショウ 寺のかげまでおぐるまでショウ
昨年もたびたび聞いた「鹿嶋さんの唄」が巡行を盛り上げる。
ここでいう「寺」とは雄物川南部側にかつて建立されていた天龍寺のことを指していて、寺の裏にあった川(「古川」という川らしい)に鹿嶋舟を流しましょう、という意味で、新屋の鹿嶋祭オリジナルの歌となっている。
その歌がここ勝平でも歌われているというのは、まさしく新屋と勝平の鹿嶋祭りが共通の様式を持つ、すなわち過去においては一緒に行われていたということを示すものとなっている。
実際に昔は新屋の鹿嶋祭りと合同で行われていたらしいのだが、いつ頃から別々に行われ始めたかについてはよく分からなかった。

船場町の鹿嶋舟巡行をよそに地元の方と立ち話を始めたところ、思いのほか長い時間喋ったようで一行がどんどん先に行っててしまった。
祭りについていろいろ教えてくれたお礼を述べて、後を追おうとするが完全に行方を見失ってしまう。
少し経つと、別の町内が奏でる「トン‥トン‥」という太鼓の音と「ショッショッショウ‥」の掛け声が遥か遠くから少しずつ近づいてくるのだが、その調べが6月の青空と相まってメチャクチャ心地良い。
そもそも管理人は以前の鹿嶋祭りの様子など全く知らないし、昔とは街並みも人も変わってしまっているものの、今や失われてしまったいにしえの風景を、僅かに聞こえるお囃子の音色が伝えてくれているようだ。

お囃子と掛け声が徐々に大きくなり鹿嶋舟が現れた。こちらは「新屋勝平町」


勝平交番脇の細道へと入り、ぐいぐいと進んでいく。
あとでgooglemapで確認したところ、確かに勝平町と船場町の境界になっている道だった。
先に船場町で出会った年配の方曰く「昔は祭りもきちっとやっててよ。船の通り道には赤土を撒いて準備したのよ」とのこと。
まさか行路全てに赤土を撒いていたのだろうか?突っ込んで聞くことはできなかったが、伝統的なしきたりを寸分違わず再現する先人たちの几帳面さが伝わってくる。

広い通りに出た。


新屋の舟と比較して様々な違いが見つけることができたが、同じ勝平地区内においても町内ごとに少しずつ違いがあることが分かった。
特に勝平町の舟については、帆が後ろを向いていること、鹿嶋人形が前方ではなく横を向いている点が豊町・船場町とは異なっていた。
はっきりとした理由は分からないものの、おそらくそれが勝平町の伝統の様式なのだろう。
因みに人形が首にかけている笹巻きは豊町では川へ流すのに対し、それ以外の町内は祭りのあとに食べるしきたりがあるそうだ。

もうゴールは近い。

勝平日吉神社の鳥居前に到着。これで勝平町の巡行は終了

参加していた子供たちにお菓子が配られた。
参加町内の代表者が当日朝に勝平日吉神社に集合して、宮司さんのお祓いを受けて、その際に授かった御幣を舳先に付けて巡行するのが慣わしだ。
新屋の鹿嶋祭りでは全町内が巡行しながら日吉神社を目指し、神社でお祓いを受けた後に自町内へと帰っていくスタイルだったが、勝平の鹿嶋祭りでは巡行に先立ってお祓いを受けているので自町内を巡行したあとはまっしぐらに雄物川へと向かっていた。
この点も新屋とは異なる部分のようだ。

多くの親子連れが帰路に着く一方で、町内会の皆さんは早速船の解体を始める。


台車から外した船をそのまま運んでいたので、おそらくは雄物川の河川敷から船まるごとを流すのだと思うが、「秋田の鹿嶋祭り 調査報告書」には「鹿嶋人形を縁取りしたベニヤ板に乗せ、雄物川に流してやる。船や飾りなどは焼却される」と記されていた。本当はどっちなんだろう?
船の行方を見守りたいところだが、他の町内の様子も見たい、ということで勝平日吉神社を離れる。

勝平町から雄物川を見下ろす。
川沿いに軽トラが1台止まっている。鹿嶋舟を積んできたのだろうか。

雄物川を背に、新屋朝日町方面へと進む。

時刻は11時半。ついさっきまであちらこちらでお囃子の音が鳴っていたが、もう聞こえなくなった。
おそらくほとんどの町内は巡行を終えたのだろう(因みに本日どれほどの数の町内が参加したかは分かりませんでした)。
代わりに鹿嶋舟に付けられていた風船を手にした子供たちと、その親御さんたちが仲良く歩いている姿が増えてきた。

朝日町内の「朝日第二街区公園」へ到着

直会の最中なのだろう、テントの下で皆で一緒にご飯を食べている。
爽やかな6月の晴天のもと隣近所、同じ町内の仲間たちと美味しいものを食べて、語り合う。とても素敵な日曜の昼の過ごし方だ。
そろそろお腹もすいてきたし帰ろうか、と管理人も勝平をあとにした(先に書いた通り、5分で自宅へ着きました)。

昨年の新屋の鹿嶋祭りの記事にコメントを寄せてくださったmiさん、天然芝さん思い出の行事を訪ねることができた。
400年の歴史を持つと言われる新屋の鹿嶋祭りの兄弟的存在の鹿嶋祭りだが、随所に新屋とは一線を画す部分が垣間見られて面白かった。
21もの町内・団体が堂々の行進を見せる新屋の鹿嶋祭りにはない、賑やかさの中にある種の静けさがとても印象的であり、時代の変化とともに行事を取り巻く環境は変われど、鹿嶋祭りそのものはかつての雰囲気を十分に伝えてくれたように思う。
船場町で長時間立ち話に付き合ってくれた年配の方が「この行事はなくしちゃいけねえよ。ずっと続けないとな」と仰っていた。
勝平の人たちの心の風景として、いつまでも行事が続いてくれることを願う。


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