羽保屋の祭り 梵天奉納

2019年6月30日
秋田県民であれば誰もが知っている(かな?)梵天行事
神の依代である梵天を神社へ奉納する行事で、このブログでもたびたび取り上げてきた。
行事の行われる地域に関して言えばその多くが県南に集中する一方、県北地方ではまず見られないという偏った分布を示しているのだが、皆さんはご存知だろうか?青森県にほど近い大館市北部に梵天行事を行う地域があることを‥

それが今回の「羽保屋の祭り 梵天奉納」
祭り?梵天?どっちなんだ?ちょっと分かりづらい呼び名だが、「秋田の祭り・行事」記載の名称をそのまま引用させてもらっていて、同著によると行事が行われるのは大館市雪沢の羽保屋山、開催日は「旧暦5月28日とその前日」となっており、調べたところ今年はバッチリ日曜日に当たっていて、鑑賞にはまさしくもってこいだ。
肝心の行事内容だが、秋田の祭り・行事には「麓の大鳥居に注連縄をはり、幟と梵天を先頭にお山駆けをします。途中、お滝で水をいただき五合目の中御殿に参詣。593mの山頂の御殿に梵天を奉納し、社を注連縄で囲みます」と紹介されいてる。
どう見積もっても行事規模は小さそうだし、本当に行われるのかを行事の数日前に雪沢地区を管轄する大館市役所長木公民館へ問い合わせたところ、間違いなく行われるとのこと。まずは良かった。だが、安心する間もなく電話の向こうの男性が思いがけない一言を口にした。
「お祭りは今年が最後みたいですよ」
あ、そうなんですか。。。羽保屋の祭りの関係者でもないので無念、とか悔しいとかはないが、これまで長い間続いてきた伝統行事が、今年2019年に途絶えてしまうとなればそれは寂しい以外の何者でもない。

当日6月30日。行事開始の8時に間に合うように6時前には自宅を出発したものの、ちょいちょいコンビニに寄り道などしてしまい、宿となる雪沢地区石渕会館への到着が遅くなってしまった。
事前に長木公民館にはコンタクトを取ったものの、行事を見たいとも何とも告げていなかったので、アポなしの突撃訪問ということになる。
それはそれでよいとしても、どう調べても羽保屋山の登山口が分からなかったので、参拝一行の皆さんに密着する以外に行事に参加する術はない。
そのためには開始定刻に石渕会館へ着いておく必要があったのだが、到着したのは結局8時20分。とりあえず会館へ顔を出し、中にいたご婦人たちに自分は秋田市から来た者で祭りや行事のブログをやっていること、今日のお山駆けに加わらせてもらいたいことなどを伝えると「今、会館を出たばかりなんで山登り始まってないんじゃないかね?登山口まで連れてってあげますよ、ついてきて!」と有難いお言葉が!本当に助かりました!ということで、ご婦人の運転する軽トラについていきます。

どうやら登山口に到着。参拝開始前の皆さんがいた。おー間に合ったー!つかちゃんと時間厳守しろよ、俺

お山駆けの皆さんは地元石渕の4名の男性たち。あらためて自己紹介を行い、一行に加えさせてもらう。本当に山登りの直前だったようで、着いて間もなく出発!

この行事は雪沢地区の「二ツ屋」と「石渕」が隔年で執り行っていて、今年は石渕の皆さんが参詣を行う番ということです。今日はよろしくお願いしますm(_ _)m

出発してすぐに現れるのがこの吊り橋


この山登りに参加するにあたり、前もってネットで羽保屋山のことを調べていたので吊り橋を渡ることは承知していた。
思っていた以上に年代物の橋のようで、わずかにビビりながら進む。下に流れるのは大川目沢。この橋を渡ると本格的な登山道、どんな山行になるんだろうか?
山と渓谷社発行の「分県登山ガイド 秋田県の山」では「奥羽山脈の北部、高森山地に属す羽保屋山は、大館市から小坂町へいたる樹海ライン沿いにある雪沢地区の北方に位置している。周辺を標高400m前後の里山に囲まれ、山姿は近づかないと望めないが、山頂に羽保屋大神の小社が建ち、古くから信仰の山として里の人々に崇拝されている」と紹介されている。
決してメジャーな山ではないが、地元の人たちが大事にしてきた山であることが分かる。

「分県登山ガイド 秋田県の山」では作業道跡と記されている登山道。杉の木の搬送に使用されていたのだろう。

前日は一日中雨だったので道はぬかるんでいる。今日は長木小学校の児童たちが学校登山をする予定だったが、登山道のコンディション不良で中止になってしまった。

自生している木苺を口にしながら時折休憩

8時50分、標識の立っている地点へ到着。どうやら中御殿と御滝の分岐点にあたるようだ。

秋田の祭り・行事に「途中、お滝で水をいただき」と書かれているとおり御滝へと進む。

いったん下りルートとなる。
藪こぎとまではいかないものの、道なき道を進んでいく。一人で行ったのでは絶対に着かないだろう。

少し降りていったところに沢があった。御滝は沢の上流にあるとのことで、思ってもいなかった沢登りが始まった。

管理人は登山靴を履いて山登りをしていたのだが、硬い靴底の登山靴は、ぬめる岩の上を歩く沢歩きには全く向いていない。
何度となく転びそうになったが、どうにか転倒だけはまぬがれた。

そして御滝へ到着

大きな木々が滝壺に流れ込んでしまっていて美滝とは言えないものの、それゆえに古くから信仰の対象となっていた歴史が垣間見えるようだ。

枝に注連縄を括り付ける。


注連縄は邪気が入らないようにする結界の役割を果たす神聖なものであり、かけ方にも決まった作法があるようだ。
今日も必ず左側から注連縄を付け始める所作が徹底されていた。

御幣を立て、餅を供えて参拝

日本人は古来から山、川といった自然を信仰の対象としてきた。
御滝には見る人が思わずひれ伏してしまうような威圧感はないが、そのこぢんまりとした気配はまるで里の人たちに寄り添っているかのようだ。

御滝をあとにして再び分岐点へ戻る。

分岐点に到着。飲み物を補給

秋田杉の美林

次は中御殿を目指して出発!

御幣、注連縄を分担して持ち運ぶ。

ところで‥

「梵天奉納どばり言うども、梵天出でこねしゃー」という県南民の声が聞こえそうだが、そうです、先頭の男性が掲げている御幣をデカくしたようなものが梵天なんです。
地元雪沢では昔から、これを「梵天」と呼んでいたそうなので、由緒ある呼び名であることは間違いない。
にしても梵天と言えばあの見慣れた形状が一般的な形と認識しているが、何故羽保屋山の梵天はこのような形をしているのだろう。


明確な答えは伺えなかったものの、記事を書くにあたって幾度となく参考にさせていただいている、稲 雄次さんの「カマクラとボンデン」に以下の記述がある。
「修験道では祈祷に用いる幣束を大梵天王といい、この名前からボンデンの名称が起こった。そして悪魔祓いや神の依り代としたのがこのボンデンである。いわゆる梵天幣束説がこれである。」
要するに修験道で使われていた幣束が現在一般的に見られる梵天の起源、とする説であり、その説が真実だとすれば、羽保屋山の梵天は原初の形状を保ったまま現在に残っている、大変珍しい事例ということになる。


一般的な梵天が神の依り代としての扱いが大きくなっていった結果、他集落との競い合いが発生して現在見られるような派手な色彩の梵天へと変貌していった一方で、おそらく羽保屋山の梵天はそういった影響を全く受けずに原初の形を留めたと推測できる。
梵天のガラパゴス化現象とでも言おうか。
それにしても、何故羽保屋山の奉納行事に修験道由来の梵天が用いられるようになったかは全く分からない。

9時30分、中御殿に到着。小さな祠がありました。

ここでも注連縄を飾ります。


以前は30人ぐらいで参詣することもあったそうだ。
中御殿のあたりは山登りのよい休憩地点であり、賑やかに皆でワイワイやっていたことと思う。
往時の賑わいは今はなくなってしまい、今年は4名でのお山駆けとなり、そして今年でお祭りは終わってしまうという。
その真偽を尋ねたところ、お祭り自体が終わってしまうということではなく、登山口の鳥居をくぐったあたりに山頂に鎮座する御殿を移転し、そこに梵天を奉納する形で祭りは継続するという。
ということはお山駆けのみが今年で終わるということになり、御滝・中御殿・(山頂の)御殿での参詣も行われなくなるということだ。
祭りが完全に途絶える訳ではないのでホッとするところもある一方、開放感あふれる山の空気を感じながら行われるお山駆けが来年以降は行われないという現実には一抹の寂しさを感じざるを得ない。

祠に参拝

いよいよ山頂を目指す。

中御殿を過ぎると、道幅が狭くなると同時に勾配もきつくなった。


幾重にも九十九折になっている登り坂を黙々と歩く。
山の斜面の草を刈って作った登山道だけに道が斜めになっていて、気を抜くと谷側へズルっと足を滑らせてしまう。
ちょうど一ヶ月前ほどに草を刈ったそうだだが、この分かりづらい登山道を探し当てて整備するのはさぞ大変だったと思う。
また、山頂に建つ御堂は石造りなのだが、建設時には2人ペアとなり石を引きずりながら山頂まで運んだそうで、このあたりは特に難所だったはずだ。

後ろを振り返ると絶景が!

今日は曇り空で時折青空がのぞく程度だったが、コンディションとしてはこれ以上ないほど良好だ。
曇りとはいえ雨の心配をすることは全くなかったし、逆に太陽が少しでも顔を出すと一気に暑くなり汗が吹き出る有様だし、なおかつ天気が良すぎると遠景がぼやけてしまって眺望が良くないこともあるそうで、そういった意味でも申し分ないお山駆け日和と言える。

平場へ出ました。ちょっと腰を下ろして休憩。時折風がそよいで最高に気持ち良い。

あと一息で頂上。頑張っていきましょう!

ここは山頂の少し手前の「前岳」

前岳に到着、こちらの眺めも良好。今日は見えなかったが、青森県の岩木山が見えることもあるそうだ。

頂上はもうすぐ

やったー、到着!ここが標高593mの羽保屋山頂です。時刻は10時30分

山頂にひっそり佇む御殿

老朽化とともに扉が壊れてしまってはいるものの、さすがに石造りだけあって扉以外は堅固で問題がないようだ。
先に書いたように石は地元の方々が麓から苦労して運んできたものであり、その甲斐あってこの吹きさらし状態の頂上においても全く動じていない。
そして御殿のなかに祀られているのは羽保屋大神、正式には小六位羽保屋大明神(しょうろくいはほやだいみょうじん)と言うそうだ。

屋根に注連縄を巻く。

御殿の横に梵天を奉納

ロウソクに火が灯される。


有難い御神体が‥と思って見てみると、こちらの神様は同じ大館市の田代山神社に祀られている白髭直日大神じゃないですか!?
「誰か知らないけど登山客が置いてったみたいなんだよ」とのこと。
信仰心の厚い方もいるんだなー、でも違う御神体を祀るのはマズくないか?羽保屋大神が嫉妬しないとも限らんし‥とか思っていたが、石渕の皆さんは「いいんだよ、折角置いてくれたんだろうし」と全く意に介さない様子。石渕の方がいいって言ってんだからいいんです!これはこれで

持参した神符を納めます。

皆で拝みます。

登頂の記念に1枚

参拝後は皆で昼ごはん。パンと飲み物しか持っていなかった管理人にもおにぎりやらチーかまやら漬物やら分けてくださった。お相伴に預かります!


さほど広くない山頂のスペースでご飯を食べる、これがむちゃくちゃ気持ち良い。
山頂の木々は30年ほど前、御殿を建てる際にわざわざ植えたものであり、一様に背が低くこれがまたほどよいかんじ。
今日は天気予報は雨だったため、パパッと昼ご飯を済ませる予定だったそうで持ってきた食べ物も少なかったのだが、これでも十分。皆でごく少量だが酒を飲んで和気あいあいとお喋りに花が咲く。
なお、ビールは登山中にぬるくなってしまうので、酒のほうが好まれるとのこと。
また、昔は酒二升を持参し、一升は中御殿へ、もう一升は山頂の御殿へ供えたそうだ。

最高の眺めです。


593mと言えば標準的な里山の標高だが、とにかく360℃の大パノラマで眺めが抜群。
大館市街のほか鹿角市、小坂町など秋田県内は言うに及ばず、青森のほうまでよく見える。
皆で「あれはポークランドだな」とか「ありゃ大鰐スキー場だべ」とか「ほらほら、(大館市田代)十ノ瀬のアンテナ見えるべ」とか確認し合うのもなかなか楽しかった。
遠く岩手山まで見えることもしばしばあるそうだ。

心地よい山頂の空気


今日は僅かながら雨の心配があったし、登頂後それほどのんびりした訳でもなかったが、本来は御殿の前で飲食したのち昼寝をしてから下山したそうだ。
たしかにこの山登りの疲労感プラス酒がまわる気持ちよさで、昼寝にはもってこいの状況だったろう。
また、この日は雪沢の別集落で鹿島流し行事があったらしく(秋田の人形道祖神研究の第一人者 小松和彦さんのtwitterでも紹介されていました)、麓から太鼓のトントンという小さな音が聞こえてきてこれも実に気持ち良い。

笹の葉が生い茂っています。

「秋田の祭り・行事」には「御殿周りの笹とカヤの新葉を採って下山します。笹とカヤは水田の水口に立て豊作を祈ります」と記されている。
この慣習については一昨年訪れた、田代岳の岳参り作占い行事でも全く同じものが見られたし、羽保屋山でもつい何年か前までは笹の葉やツツジを持ち帰って水田に立てていたそうだ。

そろそろ下山


今年で山頂の御殿への参詣は終わるので、御殿内の神具、御神体もろもろを持って帰ることになる。
それぞれ背負ってきたリュックサックに分けて運ぶ準備が始まる。
さすがにこの場面を目の当たりにすると、お山駆けが今年2019年を以て終了という事実を突きつけられるような思いだ。
来年以降もお山駆けを継続する可能性が全くないことはない、とのお話だったが、石渕・二ツ屋の皆さんで協議した結果だろうし、現に各種神具をこうやって里に持ち帰ろうとしている訳で、事実上のお山駆け終了とみて間違いないと思う。

御堂の扉が塞がれた。そして11時40分に下山開始


これまで山頂に奉納された梵天。来年からこの本数が増えることはないが、羽保屋山の祭りにとって新しい時代が始まるものと思いたい。
梵天について、修験道で祈祷に用いる幣束を起源とする説があることを先に書いたが、喧嘩梵天で有名な太平山三吉神社の宮司の方が書かれた「太平山三吉神社 梵天の話」には「関東地方の奥多摩あたりでは、現在はどうか確認できぬが、『梵天遊び』という行事があったと、ある絵巻き等に記されている。今では、珍しいものとなってしまったが、秋田県の田沢湖や仙北・由利地方の一部でもみられたホウタキ棒、あるいはケヅリカケともいわれている棒とも、よく似た棒であっても、賽の神に祀ったその棒、いわゆる梵天遊びの、その梵天を持って(中略)村内の『けがれ』を払ひ清めて、悪霊(穢れ)を村外に追い出し、内なる村を聖なるものにしようとした古くからの風習にあったと思われる」と記されている。
管理人がネットで調べただけでも全国各地に「梵天祭り」と称する祭りは結構あるようで、決して秋田独自の祭りということではないが、県南でよく見られる形の梵天は秋田オリジナルということになるのだろう。
そういった意味では羽保屋山の梵天も秋田県外から伝播した可能性は高いと思うし、県外の思わぬ地域で羽保屋山と同様の梵天祭りが行われている可能性はあると思う。

登りのときには背後になっていた絶景が眼前に広がる。

梵天奉納とは関係なく、山登りを楽しむ人たちとすれ違う。
その皆さんにも今日が羽保屋山の祭りの日であることを説明し、神符を手渡し。

中御殿で休憩。

実は管理人の履いている登山靴が足のサイズに合っていないらしく、登りのときは何ともないが、下りのときに第五指/小指が靴の中で圧迫されて、ジクジクと痛みが走るようになる。
なので、休憩を入れてもらえると痛みが和らいでたいへん有難い訳です。

再び出発

もうまもなく下山終了となる辺りで、ミズ(ウワバミソウ)採集が始まる。
秋田県民には春~秋にかけて食卓を賑わす馴染みの山菜で大量に採集、管理人もおすそ分けをいただいた。ありがとうございましたm(_ _)m

吊り橋を渡る。


老朽化の進むこの吊り橋については、今後の管理・保全を雪沢地区主体で行うのか、大館市の事業として行うのか協議が続いているそうだ。
お山駆けは今年で終わるものの、今後も一定の登山客が見込めることを考えると市が管理するのが良いように思うのだが、協議が物別れとなった場合、吊り橋通行禁止となって最悪、登山自体ができなくなる可能性もあるらしい。

時刻は13時前。車を止めた場所まで戻ってまいりました。

あらためて登山道入口に立つ鳥居を撮影

この鳥居をくぐった辺りに山頂の御殿が移築されるということで、おそらく車を止めた場所あたりに新御殿が建つと思う。
行事の様相は変わるものの、来年も旧暦5月28日とその前日(※前日には前年当番から御神体の引き継ぎが行われる。また、曜日に関係なく、祭りは必ず旧暦5月28日に行われるそうだ)に、次の当番となる二ツ屋の皆さんによって粛々と祭りが執り行われるはずだ。

石渕会館へと移動。この後の直会に管理人もお呼ばれいただいたので、厚かましくも参加

会館の2階で直会が行われた。床の間には羽保屋大神の掛け軸が掛けられている。昨日行われた宵宮で二ツ屋集落から掛け軸含む、祭具一式を引き継いだそうだ。

掛け軸には「羽後國 小秋田郡 長木澤」と記されている。
江戸時代後期に書かれたたいへん歴史ある掛け軸で、石渕・二ツ屋の皆さんが大切に保管し続けたことが伝わってくる。


今日の祭りのために用意された神符。管理人も授かりました。
この日、家に帰ってから早速部屋の壁に貼ったが、心なしか面倒事やら心配事やらが減ってきている気がする。気のせいだろうか。

参詣組の皆さんは汗を流しに一旦自宅へ戻ったあとに再集結、留守番組の皆さんと合流して直会が始まった。

今日の祭りのこと、集落のことなどで話が盛り上がる。
お山駆けが終わってしまうことに皆さん一様に寂しい思いをお持ちのようだが、決して暗く落ち込んだりすることはない。
それよりも、今年も無事にお山駆けを済ませられたことに対する感謝の念からか、晴れやかに談笑する表情が印象に残った。
時刻は14時。石渕の皆さんの話も聞けたし、お腹もいっぱいになったしということで、直会をあとにする。
今日は何から何までお世話になり、皆さん本当にありがとうございました!帰りに近くの雪沢温泉でひとっ風呂浴びて、汗と疲れを落とす。あ~、気持ちいいー。マジで最高ッス。。。

思いがけず、最後のお山駆けに立ち会うことになった。
長年続いてきた祭りの様式が途絶えてしまうというのは本当に寂しいものだが、湿っぽいかんじにはならず、お山駆け~直会を通じて終始楽しく過ごすことができた。
考えてみれば現存する祭り・行事も従来の作法が見直されたり、失われたりということはよくある訳で、そういった意味ではお山駆けが今年で終わることを特別視する必要はなく、むしろ来年以降の新しい祭りの始まりに思いを馳せるべきだろう。
ただ、石渕・二ツ屋の人たちの心の拠り所であろう羽保屋山に立ち入りできないとなると話は別で、吊り橋の管理問題に起因する登山道廃道化だけはなんとか回避してほしいと思う。
こののちも羽保屋山が信仰の山として残ることによって、かつてお山駆けが行われた記憶をとどめることができるだろうし、まさしく山の景色が石渕・二ツ屋の人たちの心象風景に相違ないだろう。
祭りは終わっても、祭りの記憶はいつまでも良き思い出として人々のこころの中で生き続けるのだと思う。


5 Replies to “羽保屋の祭り 梵天奉納”

  1. はじめまして。にかほ市上郷の小正月行事を拝見しておりましたところ、こちらの梵天奉納が気になりました。写真にでています「御祈祷符」ですが、何除けの御祈祷符でしょうか。教えていただければさいわいです。よろしくお願い致します。

    1. こんこのりさん
      コメントありがとうございます。
      羽保屋山の祭りでは2種類の御祈祷符を授かりまして、一つには「羽保屋山悪疫退散祈祷符」、もう一つには「蝗退散祈祷符」と書かれておりました。
      ですので悪疫退散と蝗(いなご)退散 = 五穀豊穣、豊年万作の祈祷ということになるのでは?と。
      答えになっておりますでしょうか?なっていなければゴメンなさい!

      1. akitafes 様

        回答ありがとうございます。
        めずらしい祈祷符でしたので、問い合わせした次第です。
        お祭りの投稿、楽しみにしております。

  2. いつも楽しく拝読させていただいています。
    毎回、このブログ自体が貴重なアーカイブとしての役割りがあり、非常に有難いものだと思いながら読ませて頂いています。
    特に今回は、最後のお山駆け行事についての記事ということで、またもの凄く価値のあるものを読むことができ、とても嬉しく感じている所です。
    羽保屋の祭りは修験道と梵天の繋がり、関係性が昔のままの形で残っていたのかのように思いましたし、多くの写真や参加者の方のお話も入れて下さり、その場の空気感さえ伝わるようでした。
    梵天の起源にも諸説あるところだと思いますが、その一端をこのような形で垣間見る事が出来、嬉しくもありました。
    都会の方からは「なにもない」と言われることの多い秋田ですが、いわゆる民俗行事の多さには胸を張れると日頃思っています。
    次の記事も大いに期待しております。

    1. uxorialさん
      コメントありがとうございます!
      典型的な梵天が登場しない梵天行事、ということで本当に異色のお祭りでした。
      お山駆けは今回で終わってしまうものの、その最後の場面に立ち会えたというのは貴重な体験だったですし、このような形で伝えることができて管理人としても嬉しいかぎりです。
      この祭りがこの後どのように変化していくかは誰にも分からないところですが、石渕・二ツ屋の方々の羽保屋山に対する畏敬の念が途切れない限りはどういった形であれ、行事は続いていくでしょうし、今年はその転換点という位置づけになるのではないでしょうか。
      仰るとおり秋田には様々な行事・祭りがあり、その種類の豊富さは全国に誇れるレベルですし、そういった視点を持つと自分の住んでいる秋田という地が何と豊かで恵まれている地なのか!ということを今更ながら知らされる思いです。
      祭り・行事について深い造詣など全く持ち合わせていない(苦笑)管理人ではありますが、これからもuxorialさんのご期待に応えられるようにたくさんの行事を紹介していく所存です!

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