土崎神明社祭の曳山行事2019

2019年7月21日
夏本番が近づいてきた。
ということで、秋田市土崎の人たちが条件反射のようにソワソワし出す一大イベントが行われようとしている。
言わずと知れた土崎神明社祭の曳山行事、通称「みなと祭り」がそれだ。管理人は3年連続の鑑賞、今回も昨年一昨年と同様に21日の戻り曳山を鑑賞することにした。

今更管理人が説明する必要などないぐらいに秋田ではメジャーなお祭りだが、一応概要を説明すると「土崎港町総鎮守神明社の例祭は港曳山祭りと呼ばれます。二見ヶ浦型式の曳山に武者人形を飾り、穀保町御旅所での神輿迎え、本町通りの日中の御幸曳山、相染町からの夜の戻り曳山でフィナーレを飾ります。運行で演奏される囃子には、神輿を迎える寄せ太鼓、道中行進の勇壮軽快な港囃子・加相囃子、哀調を帯びたあいや節があります」(「秋田の祭り・行事」より)ということで、祭りの行われる7月20日・21日の土崎はみなと祭り一色に染まり、とにかく盛り上がるワケだ。

当日。19時すぎに現地土崎に到着。
日曜日の夜ということで本来は平日以上に静かなはずだが、今日だけは違う。例年通り、ポートタワーセリオンが見えるあたりに車を止めて会場となる通りへと向かう。

会場は人でごった返しております。

屋台が立ち並ぶ本町通りは人が密集。人波から脱出すべくそれほど混雑していない北側へと向かうが、特に急ぐ理由もないので屋台をブラブラ見物しながらのろのろと進む。
戻り曳山では相染町御旅所をスタート地点として、曳山が自町内へと運行する。
なのでスタート地点からそう遠くない場所に陣取り、各町内を待ちさえすれば全町内の曳山を見れる訳だが、例年通りあっちへ行ったり、こっちへ行ったりとフラフラとしながら鑑賞した。

そうこうしているうちに日が暮れて、同時にお囃子の音が近づいてくる。そして曳山が現れました!

今では祭りの様子を簡単にyoutubeで見ることができ、現地に足を運ばずとも祭りの雰囲気を味わえる時代になったが、20台以上の曳山が前後に連なり、お囃子やら掛け声やら歓声やらが渦巻く喧騒状態は、実際にこの日に土崎に来ないと味わえないと思う。
昭和47年から土崎経済同友会が発刊している「みなと祭りのしおり」初刊に、加賀谷昌之助さんという方が「山車曳く心」という題名で寄稿されていて、その一部を抜粋すると「土崎へ来て九年、私は、昨年はじめて、曳く阿呆の仲間に加わった。かね、笛、太鼓の港ばやしにはじまりそして終るみなと祭。拍子木の音、音頭上げの張りのある声と気迫の充実、曳方の意気の合った唱和、そのあとの「ワイショ(※原文まま)」と曳くタイミング、しっくりしたチームワークの力で、山車の武者人形の飾りが、ユラユラと、まるで、生きているように揺れ動いて迫力がある。舗装道路とはいえ、山車の木車のきしむ音は、曳く人、見る人の心を、何十年もの昔へ誘う。老いも若きも幼きも炎暑の中で、一つの事に全力を傾ける事は美しい。これが夜になっての戻り山に至ってクライマックスに達する」とある。
50年近く前の文章ではあるが、現在も加賀谷さんの文章そのままに土崎衆の心意気と情熱がいっきに燃え上がるのが、この祭りなのだ。

幕洗川一区の曳山


喧騒の中心にあるのが、存在感抜群の曳山だ。
会場で配られた「土崎港曳山まつりまっぷ」には「現在の曳山の高さは市中に電線がひかれたことなどもあり、約5m(明治の頃には20mもあったそうです)。正面には男女一体の夫婦岩、その前には外題(げだい)と呼ばれるテーマを基にした各町内が考案(毎年異なる)の合戦場面が作られ勇壮な武者人形が飾られています。反対側にはお囃子の櫓が作られ、この上には見返しが飾られます。この見返しも各町内趣向を凝らした作品であり、社会や世相を風刺した川柳調の句と、これを表現した人形を見るのも楽しみの一つです」と曳山に関する説明が書かれている。
これらが渾然一体となって一つの曳山に収まっているだけでもちょっとしたカオスなのだが、運行の際にガタガタと揺れながら動く様は大迫力!土崎衆がもっとも燃え上がるシチュエーションだろう。

曳山の車輪

車輪についても「土崎港曳山まつりまっぷ」に説明が書かれていて、「車輪・車軸は木製で、曳山を支え、動力となる重要な部分となります。車輪は俗に『わっぱ』とも呼ばれ、『ぎーぎー』という軋む音、潤滑用の油が焦げた独特の匂いは多くの港衆(地元民)に愛されています」とのこと。
実際に生で車輪の軋む音を聞くと、「ぎーぎー」どころではなく「ギイィィィィーーー!!!」と耳障りの一歩手前ぐらいの大音量を響かせていて、会話も何もできたモンじゃないレベルだ。
このどでかい音と潤滑油に匂いもこの祭りに欠かせない風物詩で、まさに目と耳と鼻で楽しむ祭りなのだ。
ついでに言うと名物「かすべ(エイのヒレ部分の煮付け)」もあるので口でも楽しむ祭りになろうかと。

こちらは南幕洗川


とにかく武者人形の迫力がスゴイ。
現在、武者人形を制作しているのは市内寺内の越前谷人形店のみであり、ある意味独占状態ではあるが「みなと祭りのしおり」第4号で高橋良さんという方が「人形屋は県下(秋田市)の茶町に早川という俳師屋が一軒、寺内に越前屋というのが一軒、この二軒だけではなかったろうか。(中略)一見すると、秋田の方は顔も、肌も、武具も万事きれいに出来ていた。一方寺内の人形は見るからに大ざっぱで、肌などザラザラ、泥絵具と膠臭のムンムンする粗野なものだった。(中略)しかし、これが数十丈の置山に飾られたり、曳山がユサユサとゆれるとき、殊にも、裸電球や、高張提灯の灯に照らされて浮かび上がると寺内の人形は妖しいまでの迫力を持っていた」と寄稿されている。
みなと祭りといえば越前谷人形店制作の武者人形であり、たしかにあの顔つきではない人形が曳山に乗せられるのは、想像がつかない。
祭り大好きな土崎の子供たちであっても、これだけは怖くてしょうがないという人形も曳山の魅力の一つだ。

南幕洗川の音頭上げ


一旦止まっていた曳山が再び動き出すときに行われるのが音頭上げ。
元々が労働歌である音頭については代表的なものとして「木遣り音頭」と「沖揚げ音頭」があり、「みなと祭りのしおり」には「重量のある物を大勢で曳く時に、気勢を発するための先達を音頭揚げとし、他を受け声とするのが山車の場合にも当てはまる」と記されている。
要はリーダー(音頭取り)が号令となる音頭を歌い、フォロワー(曳子)が下歌で応じつつ、呼吸を合わせながら曳山を動かす力をまとめていく重要な作業なのだ。
休憩時間が長い場合があると、ちょっと緩んでしまいがちになる町内の雰囲気をビシッと再度締めるのが音頭上げとも言えるだろう。

音頭上げののち、えらい勢いで曳山が動かされるが、少し進んだと思うとすぐに止まってしまう。そして、曳山が止まっている合間に行われるのが各種演芸披露。南幕洗川演芸部が秋田おばこを踊る。


秋田市教育委員会発行の「土崎港祭りの曳き山行事」に、平成4年のある町内の戻り曳山の様子が記されている。
「曳き山は音頭上げで進んでは止まり、止まっては踊り、踊っては音頭上げが行われる。何回も何回も繰り返しながら戻り曳き山は進行していく。戻り曳き山が相染町を出発し、町内に到達するまでに音頭上げは15回行われ、また、踊りは盆踊りが7回、秋田音頭3回、西馬音内盆踊り3回、バハマママ2回の演芸が披露された」
曳山がメインの祭りではあるが、楽しい演芸を多数見られる祭りでもあるわけだ。
ストップアンドゴーを頻繁に繰り返す曳山運行のなかで、一服の清涼剤のごとく目を楽しませてくれる。

幕洗川一区


戻り曳山で演奏されるのが「あいや節」
あいや節以外に、穀保町の御旅所で神輿渡御を出迎えるまで演奏される「寄せ太鼓」、御幸曳山で演奏される「港ばやし」「港剣ばやし」「加相ばやし」などのレパートリーがあるが、あいや節は祭りの終わりの到来を告げるかのように、勇ましくも哀愁漂っているのが特徴だ。
国道7号線沿いの施設 土崎みなと歴史伝承館で開かれる港ばやし保存会(曳山まつりのお囃子の伝承を目的として昭和55年に設立)の定期演奏など、その演奏を聞ける機会は多い。

真剣な表情の振り棒使い

「みなと祭りのしおり」五周年記念号に佐藤礼三さんという方が「ふり棒のこと」という題名で寄稿されている中から抜粋すると「音頭あげ一人と振り棒を使う人四人を一組にして『ふり』と言います。(中略)そして祭りの二日間、ハンドルもブレーキもない『やま』を太さ約6cm、長さ約2mの堅木の棒で操作し続けるのです。勇ましい音頭とりの合図と共に、曳手が引っ張り始める時、四人は同時に車の後ろに棒をさし込み、てこのようにして、動き始める時の重さを少しでも減らすよう助けます。(中略)チームワークのよい『ふりぼう』達はこの操作(※管理人注 道路の傾斜による影響をかわしつつ曳山を直進させる操作)をいちいち合図をしないでやります。私共の様に見慣れている者は時に阿吽の呼吸を要求される後輪の者の上手下手でそのチームの良否を決めるほどです」ということで、振り棒使いの技術が曳山運行の良し悪しを決めるぐらい重要であり、目立たないながらも大切なポジションであることがわかる。
また、振り棒の技術が未熟な場合思わぬ大事故を招く可能性もあるため、振り棒使いは体力十分な重労働従事者で、相応の熟練の人間を当たらせるのが通常らしい。

幕洗川一区が盆踊り(ドンドコドッケ)を踊り始める。


シンプルな振りだが、そのぶん踊る人の個性が出て楽しい。
若い曳子たちはあまり乗ってなさそうな気の抜けた踊りだが、ユーモラスでどことなくお洒落な手さばき足さばきで楽しそうに踊る年配男性や、難儀な振り棒の一休みとばかり楽しそうに踊る振り棒使いなど楽しんでいる様が十分に伝わってくる。
また、演芸部の女性たちは踊りのスペシャリストだけあって綺麗な踊りを見せ、それにつられるように道路脇で鑑賞していた人たちも踊りの輪に加わる。
県内に盆踊り行事は数々あれど、ドンドコドッケのように自由に愉しげに踊っている姿を見られるのはあまりないと思う。本当に素敵な曳山名物の盆踊りだ。

幕洗川一区が音頭上げから運行を始める。


「土崎港祭りの曳き山行事」にはいくつかの町内の音頭上げの歌詞が書かれていて、「幕洗川」は‥
♪ドッドコセー ハラヨイナー
 ハラヨイサ ハラヨイサ
 ハラヨイトナー
 ソーリャハラヤノエンヤ
 コラヤノドッコイ ヨーイドッコ ヨードッコイナー
 ジョヤサー ジョヤサー
という歌詞なのだそうだ。
ベースは同じながら、各町内で少しずつ歌詞が違うとされている音頭上げについて、同著では「土崎港町の曳き山の音頭の流入経路については、その旋律や囃子文句など木遣唄、伊勢音頭、沖揚げ音頭、さらには北陸、中国地方に伝承する音頭などとの比較考察が一つの課題である」と結んでいる。
そもそも曳山自体が北前船貿易の結果、この地に入ってきたとされているし、港町だった土崎の文化的足跡がこの祭りに残されているかのようだ。

南幕洗川もドンドコドッケ

こちらは愛宕町


戻り曳山の際にはお囃子の櫓側が先頭になる。
櫓の上に見えるのが見返し人形と見返し札。見返し札には各町内が詠んだ世相を風刺した川柳が書かれていて、祭り期間中に土崎駅に全町内の句が飾られている。
愛宕町の見返しは「古里の 令和おじさん 次期頂点?」
今年は元号が令和に変わったこと、消費税が10%に上がったことなどを切り口にする町内が多く、見返しコンクール最優秀賞は将軍野四区の「令和(0.8%)から 家計テンパ(10%)る 増税案」に授けられた。
優秀賞には社会問題を取り入れた、古川町の「曳山も あおり防止に カメラ付け」、新町の「曳山の 免許返納 期限なし」が選出されたが、管理人的には清水町三区の「R1? 思い付くのは 乳酸菌」のすっとぼけた感じがとても気に入った。

愛宕町も踊りを披露


写真に写っているのは、土崎神明社すぐ近くの郷社通り付近。
昨年まで郷社通りは交通規制の対象外だったが、今年から車両通行止めとなり、代わりにクレーン投光機が明るく照らす格好の踊り場となった。
踊り手の表情がよく見えて写真撮影的にも有難いし、たくさんの観衆の手拍子が入ってとても賑わっていた。

続いて若松町。演芸部の秋田音頭披露に続いて、進行方向を90度変える曳山返しを見せてくれた。



長くお囃子奏者を努めた和合谷 慶三郎さんの著書「湊ばやしの人生」に秋田音頭の説明が記されている。
「踊りも一般の踊りと違い逆手をもって踊り『抜き手』『さし手』は歌舞伎の六方、或いは柔の手にも似ており、特に直線と角線のポーズは他に類がなく、活気に富んだこの踊りは、一般の日本舞踊のように流麗にする事は禁物で、飽くまでも活溌な体操式が宜しいとされている」
素手~花笠~出刃傘組と変化を見せつつも、決して足元がふらついたり、上体がぶれたりすることはなく、相当の鍛錬が積まれていることが見て取れる。
他の踊りの比べてもきびきびとした動きが異色を放っており、曳山運行にピリリとアクセントを加える貴重な踊りだ。
まさしく和合谷さんが記述されている、教科書通りのケレン味のない踊りに惜しみない拍手が送られた。

さてこの後だが、以前当ブログにコメントを寄せてくださったhosakaさんとお会いするため、相染町方向へと移動を開始する。
hosakaさんは秋田市ふるさと会(札幌秋田県人会の都市会のひとつ)に加入されている、土崎ご出身で北海道在住の男性。
今回地元の清水町一区が4年ぶりに曳山を出すということで、みなと祭りに合わせて土崎に一時帰省。ブログにコメントを下さったのを機にお会いする約束をさせてもらった。ということで、清水町一区の曳山まで進む。

道すがら数々の町内の曳山が控えている。こちらは将軍野四区

将軍野三区

将軍野二区

鉄道社宅のドンドコドッケ

清水町一区へ到着


お顔を存じ上げていなかったので、曳子の方に尋ねてhosakaさんに引き合わせていただいた。
曳山の熱狂に身を委ねるかの如く、踊って騒いで楽しんでいたhosakaさんだが、踊りの輪からいったん抜けて管理人の相手をしてくださった。
元々、北海道の盆踊り(北海盆唄)にご興味をお持ちで、北海道各地の盆踊りを訪ね歩くとともに、故郷土崎と北海道を結ぶ北前船交易を軸に踊りのルーツを探求されている方でもあり、本当に興味深い話を聞かせていただいた。
管理人にもう少し盆踊りの知識があれば、もっと実になる話ができたと思うのだが、教えていただく一方でホントすいません、というかんじだ。
それはともかく、このみなと祭りに我が町内の曳山が参加していることにご満悦の様子で、楽しげに踊られるお姿が本当に素敵だった。

最後の町内が運行を終えるのは0時。まだまだ踊りは続く。


秋田市立土崎図書館で池田元さんという方が編集された「土崎港曳山まつり写真集」を拝読した。
昭和初期~現在に至るまでの曳山の貴重な写真が多数掲載されている力作(昭和初期~戦後まもなくにかけて撮影された写真にはどの町内か分からない曳山が多く含まれている。おそらく池田さんが苦労を重ねて収集されたものだろう)だ。
曳山の前にたくさんの人たちが誇らしげな表情で写っている戦前の頃の写真を見ると、土崎衆の心意気とともに持ち前の荒っぽさ、その反面の優しさといった感情も確かに現代に受け継がれている気がする。
豪快な曳山、勇壮な音頭上げ、愉しげなドンドコドッケ、優雅に舞われる踊り、哀感漂うあいや節‥大げさに言えば土崎衆の生命の源泉がこの祭りに集約されているといってもいいと思う。

今年の統前町のひとつ、本山町。本山町以外の統前町(祭礼の当番・多くの祭りでは個人が祭りを取り仕切る統人制が敷かれているが、港まつりでは古くから統前町制度を採っていたそうだ)は清水町一区・二区・三区だった。


今年は土日の開催となったみなと祭り。
ある現地の方は「土日だと次の日は月曜日で仕事だからな~。金土だったら次の日休みで最高だったんだけどな~」と仰っていたが、何曜日の開催かなどは全く関係なく7月20・21日は盛り上がりまくることは分かりきっている。
土崎在住で「特にみなと祭りに興味はない」という人間を知っているが、その知り合いにしても祭りの少し前ぐらいから「祭りが始まると人がスゴいんで家から車を出すのも一苦労なんだよー。どうにかなんねえかなあ」などと言ってはいるものの、明らかにみなと祭りの非日常感に気分が昂ぶっているのが分かる。
土崎に生を受けた以上、誰もが当たり前のようにみなと祭りに飲み込まれていき、どのような形であれ、祭りと関わらざるを得ない。これが土崎衆の業ということなのだろう。

まだまだ元気な若い衆


終わるところを知らない喧騒状態。
というか夜が深まるにつれ、さらにボルテージが上がっているような気さえする。
「土崎港祭りの曳き山行事」にこのあたりの時間の様子がレポートされていて、「10時10分、曳子は55名。先程より少し人数が増えたようだ。日中、裏方にまわっていた会計、給与、児童世話係も綱に縋りついている。いまが花の曳き子達はすさまじいばかりの振りで興奮状態である。戻り曳き山の周囲は黒山の人だかりである。午前0時、人込は一向に衰える気配がない。曳き山は本町通りから中央通りへと進む。中央通りでは三町合同の盆踊りが始まる」とあるが、まさしくその通りの様子が再現されているかのようだ。
祭りを見る、ではなく大きなうねりの中に身を投じて祭りを浴びるというかんじで、どこの町内が何をやっているかとか最早どうでもいい。曳山最高!土崎最高!!

時刻は22時半。
もう十分に鑑賞したということで場をあとにする。セリオン近くにとめた車に向かう最中も、背後から掛け声やら踊り歌やらが渾然一体となって聞こえてくる。
退場する寂しさは全くなく、今年も曳山祭りの熱狂と喧騒を充分味わった満足感と疲労感(特に何もしてませんが)を感じながらトボトボと土崎みなと歴史伝承館脇を歩く。

ガラス張りの室内に高さ11mの曳山が鎮座。
かつてはこの高さの曳山が運行していたが、町に電柱が作られ始めてから現在の高さが主流となって10mを超える曳山は途絶えてしまった(昭和50年に刊行された「みなと祭りのしおり 第4号」で佐藤礼三さんという方が「昔の十米以上の高さの『やま』を見たことのある人はほとんどいなくなってしまいました」と証言されていることから、この高さの曳山が動く場面を生で見た存命中の方はすでにいないと思われる)。
現在では道路交通法によって高さが規制されているそうだが、この巨大な曳山が再び動く日が来ることはあるのだろうか。
もしそんな日が来たら、ただでさえ盛り上がる土崎衆をさらに燃え上がらせる凄まじい祭りと化すんだろうな、ちょっと見てみたい、いや絶対見てみたい‥などと気ままな空想に耽りつつ帰路を急いだ。

例年通り豪快かつ勇壮、そして底知れぬパワー渦巻く曳山と土崎衆の姿を楽しんだ。
この祭りは2016年にユネスコ無形文化遺産に登録された「山・鉾・屋台行事」33件のうちの1つであり、その意味では全国規模とも言えるが、土崎という限られたエリアで熱狂的に支持される、極めてローカル色の強い行事でもある。
いわゆる秋田市中心地とは異なる気風(年配の方に言わせると土崎衆の言葉遣いは、一般的な秋田弁を使いつつも荒く早口なのが特徴らしい)と、北前船交易を経て形成された独自の文化的背景を持つこの地だからこそ、これほどにまでに曳山が愛されているのかもしれない。
土崎の歴史と気風を凝縮して、一気に爆発させたかのようなこの祭りにこれからも注目していきたい。


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