山コチンチコ

2019年8月4日
待ちに待った8月がやってきた。
竿燈まつりや西馬音内盆踊り、花輪ばやしといった大規模な行事から、毛馬内盆踊りや一日市盆踊りを始めとした各地の盆踊り(管理人盆踊り大好きです)まで大小入り混じり、様々な行事が行われるのがまさに8月なのだ。
そんな興奮への扉を開け放つように、8月初旬に県内各地で行われるのが七夕行事。そのなかから今回は大館市比内町扇田の「山コチンチコ」へお邪魔した。

いつもの如く「秋田の祭り・行事」から山コチンチコの説明を引用したい。「山車が連なるという意味の山コチンチコは、ネブリ流し行事です。夕暮れに大きな絵灯籠をリヤカーなどにのせ、各町内の子ども会が小学校に集まります。開会式後、笛の音に合わせ『山コチンチコヨーイヨイ、蛇ッコ絡まったヨーイヨイ、おらほの山コ見てたんへ』と掛け声をして町の通りを練り歩きます。蛇は水の神で、七夕と雨乞いがいっしょになった行事と考えられています」
秋田県内には七夕行事が数多くあり、有名なところでは竿燈まつり、湯沢の絵どうろう祭り、能代の役七夕などがあるが、それら以外にも小さい規模の行事が各地で行われる。山コチンチコもそのような七夕行事のひとつと言えよう。

当日 - まだまだ暑さが残る夕方近くに自宅を出発。国道7号線~国道285線を経由し、秋田自動車道にのって二井田真中ICで下りて集合場所である扇田小学校を目指す。事前に大館市教育委員会に問い合わせたところ、19時前ぐらいから行事が始まるという。

18時45分に扇田小学校正門前へ到着。着くと同時にスタンバイ中の子供たちに会えるものと思っていたが、人の姿は全く見当たらない。これはどうしたことか?などと思っていたが、どうやら校舎の後ろから声が聞こえてくる。早速行ってみよう。

いたー!


校舎裏の校庭にカラフルな山車が並んでいた。
この行事は扇田小学校学区内の各町内子供会が主体となって行われる行事であり、子供らしく可愛いながらも力作の山車ぞろいだ。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」に平成7,8年頃の山車の製作過程が記録されている。「夏休みに入るころに、まず今年の山車の燈籠をどうするかについて各町内の子供会で相談する。(中略)8月1日ころから大燈籠の制作にかかる。(中略)なくならない限り大燈籠の骨組みは保管されているので、紙を貼ってから絵を描くか、絵を描いてから貼るかして製作する。ほとんど子供の手で作り、リヤカーに載せられる大きさに決められている」
記録が書かれた当時と今とでは細かいところが変わっている可能性もあるが、山車の出来栄えから想像するにこの頃と大きく変わった部分はないように思う。
子供たちが創意工夫を重ね、思い思いの山車を制作するという特徴がしっかりと引き継がれているのだろう。
大燈籠の形は箱型のものから星型のものまで様々で、リヤカーで運べるという要件さえ満たせば特に制限はないようだ。
また、同著が発刊された頃は8月10日固定で行事が行われていたようだが、現在は8月第一日曜日(子供たちの部活動などのスケジュールによっては変更になる場合あり)開催となっている。

開会式が始まる。


校長先生のご挨拶と、PTA会長による行事の由来説明と掛け声指導が行われた。
ご説明のなかで「蛇ッコ絡まった」というのは蛇を水神に見立てた描写であり、「山コチンチコ」というのは「山車が連なっている様子」と「秋田の祭り・行事」に記された内容と同様の紹介があった。
また、「チンチコ」という表現を普段聞くことはないが、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」には「ユキノシタ科の花がよく連なって咲く野草を土地ではチンチコスグリと名づけているが、山コの明りがつらなって行列して進むので、この名でよぶようになったとする説がある」との説明が記されている。

各町内のアピールタイム


半円を描くように整列している中から自町内の山車が少し前に出るのに合わせて、代表の子が登壇して燈籠に描いた絵のポイントを端的に紹介していく。
まるで夏休みの自由研究発表会のような雰囲気で山車の紹介をするさまは、この行事が子供たち主体のものであることを強く感じさせる。
今日は全部で13町内の山車が出たが、全町内の子たちが多くの父兄たち、先生たちを前に立派にスピーチを行っていた。

あたりが暗くなるとともに山車が出発


掛け声とホイッスルが暗くなった空へこだまする。みんな頑張れ~!町内は以下のとおりです。
1.南町
2.裏通町
3.朝日町
4.下川端
5.東雲町
6.八幡町
7.伊勢町
8.市川
9.比内丁
10.横町・新町・中山
11.扇ノ丁・馬喰町
12.上川端
13.新丁

校庭を出る。


すっかり暗くなったなかに大燈籠とたくさんの小燈籠(田楽燈籠とも呼ばれる)が灯る様子が美しい。
以前、七夕行事とネブ流し行事は本来別々のものだったのが、いつからか合わさってひとつの行事となったということを知った。
ここ扇田でも「山コチンチコ」の名称が定着するまで「ネブナガシ」とか「ネブリナガシ」とか「タナバタサマ」とか様々な呼び名が用いられていたらしいし、行事の由来が正しく伝えられている訳ではないものの、辺りの景色が暗がりに隠れてボーッと燈籠の灯りが浮かぶ様は昔から不変なのだろう。

広い通りに出た。

「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」によると運行コースは小学校 → 八幡町 → 横町 → 南町 → 新町 → 仲町 → 大町 → 馬喰町 → 裏通町 → 新丁 → 小学校となっている。googlemapで示すと↓のようなかんじ。

扇田小学校を基点として、反時計回りに四角を描くように扇田中心地を運行する。
同著によると、この地に伝わる絵巻「扇田村郷社祭典」には、明治20年頃に山コチンチコが最も盛んな頃の様子が描かれていて、そこには山車ではなく巨大な帆をかけた宝船が描かれている、とのこと。船は「七夕船」とも呼ばれ、七夕行事の典型的な出し物だったらしい。
おそらく鹿島舟と似た形状の船だったと想像するが、今よりも豪奢な行事だったことは相違ないと思う。

先の通りを曲がって一旦狭い道に入った後、さらに広い通りへと出た。


この道路は正式には、秋田県道52号比内田代線となるが「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」では市日の通りと紹介されていて、扇田のメインストリートとなる通りだ。
銀行やスーパー、商店の放つ照明の明かりが、山コチンチコ一行を照らしてくれる。普段の日常においてはどうということのない電気の明かりだが、山車のローソクの明るさとの対比がちょっと面白い。
なお、山車についてはほぼ昔通りの製作方法を踏襲していて、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」によると「燈籠の腰まわりと上部に、ササダケ、タケや杉の枝をつけて飾る。最近はモールにする所もある。リヤカーは動力のつかないもの、燈籠の灯りは発電機などの電気を使用せず、ローソクに限るというきまりになっている」そうだ。

子供たちにたくさんの声援が送られる。


思った以上に沿道で観覧する人が多い。
子供たちの「山コチンチコ ヨーイヨイ」の掛け声とホイッスルのみの運行で、笛や太鼓などのお囃子はついていないものの、そのせいで大燈籠、田楽燈籠、子供たちのつけている蛍光ブレスレットの煌びやかさとは対照的に、素朴で静的な印象を受ける。
今ではアニメのキャラクターやオリジナルのデザインなどが大燈籠に描かれているが、昔は幽霊や一つ目小僧が描かれた時代もあったそうだ(昨年訪問した湯沢市の絵どうろう祭りも同じような変遷を辿ったそうで、燈籠のデザイン=幽霊が定番化していたということだろう)。
この行事は太平洋戦争による中断を経て昭和40年代に復活した。おそらく復活した際に子供たちの行事へとシフトし、今見られるデザインへと移行したと思うのだが、絵柄は変わっても扇田の人たちが大事にする行事であり、たくさんの人たちによって支えられていることがわかる。

市日の通りを曲がり、最後の直線コースへと移る。


全長2km弱のショートコースではあるが、やはりフィニッシュが近づいてくると一段と活気が増す。
子供たちが「山コチンチコ ヨーイヨイ!」と叫びに近い掛け声をあげ、運行が終わりに近づいていることを知らせてくれる。
扇田の未来を託すべき子供たちの活気あふれる姿に、地元の人たちの惜しみない声援。ちょっと感動的なシーンだ。
今回、初めて(扇田を含む)比内町の行事を鑑賞することができた。
実は以前からこの地の伝統行事を見てみたいと思っていて、6月開催の独鈷囃子(とっこばやし)、8月開催の扇田盆踊りなどを調べたのだが、前者は現在は神社の祭礼行事としては行われておらず、後者に至っては規模縮小して続けられていたものが、今年から行われなくなってしまった。
人口減・少子化など様々な問題を抱える秋田ではあっても、こと伝統行事に関しては衰退の程度はさほど急激ではないと思っているのだが、比内町に関して言えば伝統行事が急速に廃れる方向に進んでしまっているような気がして寂しいものを感じていた。
そんななかで今日の山コチンチコに参加した子供たちの元気さは、大げさに言えば一筋の光明のような、伝統行事が内包する逞しさを見せてくれたと思っている。

無事に運行を終えて小学校校庭へ到着。みんな、おつかれさまでした!


出発時と同じように山車が並ぶ。閉会式と表彰式の始まりだ。
山車の出来栄え以外にも、運行の際の掛け声の元気さや態度なども審査の対象となるらしい。
そして、「ファンタジー賞」「アイデア賞」「テーマ賞」などが12町内に授与されたのち、大賞の発表。今年は東雲町がめでたく受賞!おめでとう!
最後に校長先生が登壇。今年の山車のテーマは「夢いっぱい」ということで、将来の自分の夢を実現できるように頑張りましょう、と講評を述べられた。どの山車も子供らしい大らかさと自由さが余すところなく表れていて、「夢いっぱい」というテーマ通りの七夕行事となったと思う。

時刻は20時20分。閉会式も終わり、山車出発と同じ順番で皆が会場をあとにする。

この後、先生方や父兄の皆さん、子供たちがどうするか伺わなかったが、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」には「各町内会の会館で、お菓子や西瓜で反省会(直会)をする。バーベキューをした所もあった」と書かれているので、もしかするとこの後、10日~2週間ほど続いた山車準備・製作の締めくくりにもう一盛り上がりしたのかもしれない。
管理人も校庭から山車が去るのと同時に会場をあとにした。

かつては扇田の人たちがこぞって参加、大盛り上がりを見せた行事が今は子供たちの夏休みの行事として継承されている。
自分たちで工夫を重ね、作り上げた大燈籠が扇田の市街地を練り歩くというのは、きっと子供たちにとって誇らしい出来事に違いないと思う。
そして、扇田の地に長く伝わる行事の一部になったような畏れ多さも同時に感じたのではないかとも思うし、今はそこまで理解できないにしても、やがて大人になった時に今日山車を引きながら見た街の風景、沿道の人たちを思い出し、故郷扇田に思いを馳せて欲しいと思う。