秋田竿燈まつり2019

2019年8月5日
数ある秋田の伝統行事のなかでも抜群のスケールと知名度を誇る「竿燈まつり」
管理人的には自宅から歩いて10数分の竿燈大通りが会場ということもあり、毎年欠かさず観覧している馴染みの行事でもある。
祭りは8月3日~6日の4日間に渡って行われるが、今年は8月5日と6日の2回鑑賞。今回は5日に鑑賞した分をレポートしたい。

当日 - 仕事が終わり、一旦帰宅してから会場へ向かう。
時刻は19時前。まだ開演まで時間があるものの、観覧場所と決めている日銀秋田支店前に少しでも早く陣取りたいので早足に向かう。竿燈大通りと繋がる山王大通りには各竿燈会がスタンバイ済み


後日読んだ秋田魁新報によると、今年は全部で74の竿燈会が過去2番目に多い281本の竿灯をあげたそうだ。
管理人なんぞが説明せずともいいとも思うのだが、万が一「竿燈?はいはい、あの提灯行列のお祭りねー」とか言ってる人がいたら困るんで、以前秋田市民俗芸能伝承館(←ねぶり流し館のことです)でいただいた、竿燈まつり実行委員会監修のパンフレットから概要を抜粋しときます。「稲穂に見立てた竿燈が夏の夜空に揺らめき、五穀豊穣を祈願する『秋田竿燈まつり』-。東北三大夏まつりの一つで、270年もの歴史を持つ国重要無形民俗文化財です。大きな竿燈を自在に操る差し手の技は、日々の訓練とバランス感覚が必要とされます。代々受け継がれてきた伝統の技は、まさに職人芸。昼に行われる妙技会ではそんな腕自慢たちが技を競います」
ということで、無数の竿燈が立ち並ぶ美しさも然ることながら、差し手たちの熟練の技により巨大な竿燈がときにすっくと、ときにギリギリのバランスを保ちながら上げられるのが見所だ。
決して提灯の飾り屋台が登場したり、竿燈を担ぎながらパレードするような行事ではない、ということは本当に今更ですが力説しておきたいワケです。

日銀秋田支店前に到着

観覧席もすでに多くの観客で埋まっている。
初日・2日目は土日ということでかなりの盛況だったらしいが、平日月曜日のこの日もなかなかどうして結構な客の入りだ。
今年は4日間トータルで131万人の観客が集まったそうだ。日中の熱気がおさまりつつある夏の夕暮れは本当に気持ちいい。

ほどなく各竿燈会が入場


中央分離帯に設けられた特設席と歩道に陣取る観客の歓声に迎えられて各団体が入場
もちろん竿燈の演技が開始されてからが本番だが、ねぶり流し行事の風情たっぷりのお囃子ととも竿燈が入場するシーンも是非見ておきたい。
竿燈が移動する際に奏でられるのが「流し囃子」
笛、鉦、太鼓で奏でられる、どことなく哀愁を帯びたメロディが郷愁を誘い、江戸時代後期より続くと云われるこの行事の重ねてきた歴史を垣間見せてくれる。また、団体ごとに微妙にリズムや雰囲気が異なっていて聴き比べるのも面白い。

続々と入場

これから各竿燈会が演技を開始するが、一通り演技を終えると2回移動して位置を変えることになっている。
ということで、観覧する側は同じ場所にいても計3団体の演技を鑑賞することができる。
おそらく竿燈を長く見続けている人であれば、どの団体がどういう演技を見せるのか大体予想できるのかもしれないが、演技の完成度については大きなばらつきはない。多くの観光客を前に演技するわけなので、どの団体も入念に練習を繰り返してこの日に備えたに違いない。

各団体が1回目演技の定位置についた。


精悍な表情の差し手 - 管理人の目の前に到着したのは保戸野鉄砲町
「保鉄(ほてつ)」の呼び名で知られており、町紋の「お多福面」について、掘田正治さんの著書「竿燈の本」では「顔は悪いが愛敬があって誰からも親しまれるように、また、福を呼び込むようにとの願いから」採用されたと書かれている。
管理人的には5月12・13日の勝平神社地口絵灯籠祭りでお馴染みの町内でもある。

秋田市長の挨拶の後、竿燈会会長の号令と共に一斉に竿燈が上がる。


その煌びやかさ、豪快さに観客からおお‥と歓声が上がる。
言い古された表現だが、まさしく「夏の夜空に揺れる黄金の稲穂」
竿燈の起源については上方から流入したとか、常陸国の佐竹家が秋田に移封されたときに伝わったとか様々な説があるが、「竿燈の本」では「しかしながら最もうなずかれるのは、古くから秋田市やその近辺にあった眠り流しの行事と高灯籠との関連である」とし、民家に飾られた高灯籠(同著で「門前に高さ12,3mにも及ぶ杉の細長い長木を立て、この竿頭に横木を結び、これに灯籠を下げて油明かりをつける」と説明されている)が持ち運ばれるようになったのがルーツとしている。
それが時を経て木が竹になり、灯籠が提灯になり、提灯が2個,4個‥と数を増やし、といった具合にリニューアルを繰り返し、現在見られるような竿燈へと変貌したわけだ。

演技にも熱が入ります。


平手から肩、肩から額、そして腰と、幾度も差し手が変わりながら自在に竿燈を乗せ変えて観客の目を惹きつける。
額や腰といった大技に注目しがちだが、「竿燈の本」では「竿燈技の基本は平手と流しにある。この二つの技を身につけられたら、額にしても肩・腰にしても、その技はおのずから身につくものである」と説明がされている。
流しとは「次の差し手が竹を継ぎやすいように支える。二人で竿燈を起こし、利き手で差し上げ、次の差し手が継竹を足す。高く差し上げいったん手のひらに静止。指の間から15~20センチずらして持ちこたえる」(←実行委員会公式HPより)というもので、要は技から技へ移行する際のブリッジのようなもので、見せ場というほどではない。
ただ、知っている人からすればそれこそが全ての技の土台であり、この何気ない所作に竿燈の基本が詰まっているということだろう。

小若も精一杯の演技


花形はもちろん46個の提灯がつけられた高さ12mにもおよぶ「大若」だが、差し手の年齢に応じて中若(提灯の数は大若と同じだが小型)、小若(提灯の数が24個)、幼若(小若をさらに小型化)が同時に演じられてとても賑やかだ。
大人たちの横で懸命に小さな竿燈を上げるチビっ子たちには惜しみない声援が送られる。
さらに、傘や扇といった大技を披露する子供もいて、大人の差し手以上の歓声を浴びることもある。頑張れ~!未来の名人!!

15分ほどで保戸野鉄砲町の演技が終了。良いウォーミングアップになったと思う。このあとの演技も頑張ってくださいね~。各団体が移動を開始する。


流し囃子を演奏しながら各団体が移動。
7月に入ると、管理人の住んでいるあたりではどこからとなくお囃子(演技中に演奏される竿燈囃子)が聞こえてきて「おっ、竿燈の練習やってんな」と本番ムードを高めてくれるが、近年市街地の町内ではお囃子の騒音問題が発生しているそうで、少し離れた八橋陸上競技場前などに移動して練習をする団体もあるようだ。
別に深夜まで演奏するわけでなく(だいたい21時には終了します)、ごく限られた期間のみの練習なので大目に見てもいいんじゃないか、とも考えるが、家のすぐ近くでドンドコ演られた日にはたしかにキツイのかもしれない。
国指定重要無形民俗文化財、東北三大夏祭りの一つとしてあまねく知られる竿燈と言えども、それなりに大変なことが多いようだ。

次に管理人の目の前に登場したのは上亀之丁と秋田市役所、ちょうど二団体の中間ぐらいに管理人がいるかんじだ。
秋田市役所は、数多く出竿している職場竿燈のひとつ(多くは古くからの町単位で出竿する町内竿燈)であり、一方の上亀之丁の町紋は「亀字崩しに赤で上」。鶴と同じく長寿の象徴とされる亀 - 「竿燈の本」によると上亀之町は「明治初年に火消しグループ『蔦屋』を結成、延焼を防ぐ破壊消防として活躍した」とある。
火消しという危険な任務を請け負うことの裏返しとして、人一倍強い長寿・延命への願望が町紋に込められているかのようだ。

演技が始まる。


立ち並ぶ竿灯の列が美しい。七夕行事(≒ねぶり流し)の持つ華麗さ、優雅さが凝縮されたかのような眺めだ。
文化元年(1804年)に人見蕉雨なる人物が記した「秋田紀麗」には、秋田藩主が久保田城本丸から眼下の竿燈まつりの様子を観覧した、との記録が残されているが、「竿燈の本」ではそのことに触れ、「当時は西の空に上弦の月を、東の空には白光に輝く銀河をはさんで、牽牛と織女が相会する美しい姿を想像しながら、眼下に家並の間から見え隠れする竿燈の明かりは星の林のように見え、さぞ美しかったことだろう」とかつての竿燈の様子を詩的に描写している。

竿燈が高く上げられている。


昨年の記事で書いたように7本目の継ぎ竹が安全性の面から事実上の禁止となった。
きっかけは数年前、7本目の継ぎ竹をした団体があったが、極度にしなった竹が提灯の重さに耐え切れずに「バキッ!」と折れると同時にギュルルルルル‥と回転しながら吹っ飛んで観客を直撃、怪我を負わせてしまったからだ。
以前、竿燈町内の1つである上鍛冶町のネギミソ祭りにお邪魔した際にお聞きしたところによると、直撃を受けた観客の方は怪我を負ったにもかかわらず寛容にも「いいよいいよ、お祭りなんだし」とお赦しになられたそうで、騒動に発展することはなかったようだが、豪快さと同居する危険さをあらためて教えてくれるエピソードだ。
ということで度を超えた継ぎ竹が見られないのはもちろんのこと、そんな予備知識を持っているせいだろうか、人目を引く派手な大技も控え目なように感じた。

すぐ前を目をやると‥何だこの可愛いらしさは!気になって演技に集中できないじゃないか!

盛り上がってます。


中央分離帯の向こうに見える町紋は下鍛冶町の「巻き鶴」- 下鍛冶町については3年前に素晴らしい演技を見せてもらったことを覚えている。
大きく湾曲する6本の継ぎ竹をものともせず、大扇を広げる余裕しゃくしゃくの演技に観客の拍手喝采が送られたシーンはとても印象的で、竿燈の真髄を見せてもらった思いだった。
「竿燈の本」の著者 掘田 正治さんが別作「竿燈七十年 ねぶり流しへの想い」に書かれている「竿燈まつりとして最も望ましいのは、演技者と観客とが共に、最高の満足感を味わえる『まつり』となることである」という一文が現実となって現れたようだった。そのときの演技がこちら↓

お囃子方の熱気もすごい。


もともとは男の祭りだった竿燈だが、お囃子方に女性の姿を見るのは今や珍しいことでない。
というか、差し手=男性、お囃子=女性といった棲み分けができるぐらいにお囃子方の女性比率は高いのだが、それでも昔からの慣習にしたがって女性は大若に触れることはできないし、「竿燈の本」によると「竿燈では骨組みとなる竹を女性がまたぐと竹が折れるとされてきた。だから今でも竿燈を組み立てる際には女性を近づけないように気を使っている」とのことで、厳然たる境界線が今日も存在するのだ。
因みに演技終了後に催される「ふれあい竿燈」では、女性の観客が大若に触れることには何の問題もないが、そのときでさえ町内の女性たちは竿燈に近づくのを遠慮しているように見える。

上亀之丁、秋田市役所の演技が終了し、本日最後の演技に向けて移動。両団体とも盛り上げてくれました!

続いて管理人の前に到着したのは「下米町二丁目」。保戸野鉄砲町、上亀之丁同様に長い伝統を持つ町内だ。

提灯には町内名「下米二」がストレートに書かれているだけだが、「竿燈の本」によると、「町紋は他の米町三町とは異なり『下米二』の三文字だけであった。昭和の初期同町の提灯を作っていた保戸野本町(通町)の新堀提灯店の主人が、下米二の三文字だけでは見栄えがしないだろうと、黒と赤とで二重の角枠をつけてくれたのが今日の町紋と云う」ということで、これはこれでささやかな意匠が凝らされているのだ。

ミニ竿燈のペットボトル製提灯にも、しっかりと伝統の町紋が貼られております。

竿燈に付けられた御幣

初日に千秋公園内の八幡神社で授けられた御幣は祭り期間中、竿燈の先端に付けられ、最終日の翌日朝に市内刈穂橋から旭川へ流される。
睡魔を集めて川や海に流すねぶり流し行事の儀式そのものであり、これが一大観光コンテンツでもある竿燈祭りの本当の姿なのだ。

サッポロ生ビールの飾り付け。これを継ぎ竹に用いて観客にアピールするワケだ。


サッポロビールのロゴマーク入り竿燈 - 黒地に☆が浮かぶ提灯が結構カッコよかったりする。
企業ロゴの入った竿燈はスポンサー竿燈と呼ばれ、町内で計4本ほど出竿するとすれば内2本はスポンサー竿燈というかんじだ。
以前はロゴではなく企業名がバーンと染め抜かれた提灯が主流だったが、それではちょっと伝統行事に相応しくないということでロゴマークで統一することになった経緯がある。
中にはかなりポップなロゴもあったりするものの、フツーに字を書くよりも不思議と竿燈に調和している気がする。

演技開始です。3度目ともなればおつかれでしょうが頑張って~


ちびっ子も堂々と腰を披露。すごい!
2日目にあたる4日からはエリアなかいちで竿燈の演技やお囃子方の演奏を競い合う、竿燈妙技大会が始まった。
団体規定・団体自由・個人・囃子方と分かれ、予選、トーナメントを行って優勝者を決める真剣勝負の場であり、竿燈の持つ競技性がダイレクトに伝わるとともに、真剣に演技に打ち込む差し手のかっこよさもかなりのものだ。
差し手のことを「選手」と呼ぶ方もいるぐらいにアスリート的側面も強く、酒を喰らって千鳥足で参加できるような祭りでは全くないし、七夕行事の持つノスタルジックな優雅さとは相容れないストイックさが伝わってくる。

サッポロの竿燈がバランスを崩して倒れちまいました!


観覧席上のワイヤーに引っ掛かって観客に当たるようなことはなかったが、このスリリングさが竿燈の魅力の一つだ。
結構見かける場面でもあるし、長く差し手を務めた石井甲蔵さんという方が「秋田・芸能伝承昔語り」で「竿燈は倒れるとこがいい」と仰っているようにちょっとした名物のようでもある。
また、ワイヤーや街路樹の枝が竿燈にはまったり、絡まったりして結構取り外すのに難儀することもあるが、「えーい面倒くせえ!」と竿燈を壊したり、継ぎ竹や横竹を切ったりすることは決してない。
どんな高いところにも登って絡まっている部分を引き離すし、観覧席真上で引っかかっている場合には観客に一時どいてもらいながら取り外すことになる。
なお、そんな場合でも「オラー、どけどけ!!」などということも絶対に言わず、「すいません!ちょっと登らせてください!」と丁寧に観客に移動を促している。

演技も最終盤へ突入


ドッコイショ~の掛け声にのって演技を披露
「ドッコイショ」以外にも「オエタサー、オエタサ  根ッコツイタ、オエタサ」の掛け声もよく聞かれる。
「オエタサ」とは田圃の稲が生えてくる様子で、根ッコツイタとは稲がしっかりと大地に根付いている様子を表している。
以前妙技会で配られたパンフレットでは「竿燈が手のひらや額などにうまく据わっていて、根がついたように動かないことを表現している掛け声」と解説されていた。
派手な演技も見ていて楽しいが、やはり名人と呼ぶのに相応しいのはあくまで基本に忠実に、竿燈を意のままに自分の分身のように自在に扱う技量を備えている差し手ではないだろうか。
「竿燈七十年 ねぶり流しへの想い」のなかで掘田正治さんが「竿燈技というものは、竿燈そのものの持つ耐久力をどう判断し、その力のなかでどう差し手が竿燈との一体感を表現するかにあると思う。どんなに上手な差し手に見えても、竿燈を生きものとしてとらえ、生きものとして認め、竿燈の生命を絶つような技(※管理人注 過度な継ぎ竹のこと)は慎まなければならない」と記している。
差し手たちの竿燈に対する愛情と、外町(竿燈発祥の地と云われる久保田城下の職人町)で育った伝統行事ならではの質実さに竿燈の真の価値があるのだと思う。

そして演技が終了、下米二も先に登場した団体同様に熱のこもった演技を見せてくれた。ありがとう!

演者、観客が一つとなって竿燈締め
差し手、お囃子方ともに演りきった満足感漂う素敵な笑顔だ。明日はいよいよ最終日、残りあと1日頑張れ!!

そのままふれあい竿燈へと移る。


僅か10分という短い時間ながら、観客が直接竿燈と触れ合える楽しいひとときだ。
大若をバックに満面の笑顔で写真に収まるご夫婦、お囃子方のリードで一生懸命に太鼓を叩く女の子、「これぐらいイケるでしょ」とばかりに中若を持ち上げようとするも「無理無理!」と瞬殺でギブアップする若者など、毎年お馴染みのシーンがあちらこちらで見られる。
今年もまたいつもの夏と同じように竿燈の妙技を楽しませてもらった満足感を携えて、人波をかき分けながら家路に着いた。

翌6日も鑑賞したのだが、大盛り上がりを見せるはずの最終日3回目の演技が例年に比べて大人しかった気がした。
以前の管理人であれば不完全燃焼気分でグチのひとつでもこぼしたかもしれないが、この行事の歴史や奥深さを知るにつれ、演技の派手さが満足度のバロメーターであってはいけない、先人たちが幸福への願いを込めたねぶり流し行事本来の美しさを全身で感じ取りたい、と思えるようになってきた。
全国各地の観光客を迎える秋田を代表するイベントでありながら、外町の職人たちの魂が今も息づいているかのような素朴さ、実直さがこの祭りの核心なのだろう - そんなことを思わせてくれる今年の竿燈まつりだった。


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