三関の大綱引き

2020年2月9日
今回の行事は湯沢市「三関の大綱引き」
県内における大綱引き行事と言えば、刈和野の大綱引き、大曲の綱引きなどがあるが、三関のそれも他地区の綱引き同様、小正月行事として始まったものとされている。
ということで、刈和野推しの管理人的にも興味をそそられる行事ではあるものの、実は今回の三関行きは最初から予定されたものではなく、管理人のあるまじき大チョンボから始まったのだった😱😱😱

当日2月9日
小正月行事真っただ中のこの時期。実はこの日、管理人が鑑賞を目論んでいたのは、仙北市西木町の「松葉・相内の裸参り」だった。
行事開始時刻11時に合わせて、9時に自宅を出発。市街地を抜けて河辺方面へ向かい、広域農道~国道46号線~国道105号線と進んで西木町を目指す。
2月のこの時期だというのに道路にはほとんど雪がなく、運転は快調そのもの。勇壮な裸参り行事への期待に胸膨らませながら、10時40分には出発会場となる、桧木内地区公民館へと到着。よしっ、余裕で間に合った!裸参りの皆さん、頑張っていきましょう!!と勝手にいきり立ってみたものの‥
あれ?誰もいない。。。
公民館に人の姿がないばかりか、人の出入りした痕跡すらない。
最初は行事開始時間を勘違いしたものとばかり思いこんでいて、これから三々五々関係者や参加者が集まってくるんだろうぐらいに考えていたが、どうも様子がおかしい。あらためてタブレットで仙北市HPをチェックしてみると、驚愕の事実が判明した!!
松葉・相内の裸参り - 日程:令和2年2月16日(日)
ガーーーン。日取りを間違えた。開催日を一週間勘違いしていたのだ😱😱😱少し前にどこかのサイトで日程チェックしたときに、たしか「2月9日開催」と書いていたと思ったのだが、俺は何を見ていたんだ??
落ち込むとかいう以上に、間違えたショックに気持ちがついていかない。公民館で待っていてもしょうがないので、とりあえず国道105号線を角館方面へと戻り、途中コンビニに寄って頭の中を整理する。
ようやく気持ちが落ち着いてきた。幸いにして今日は日曜日、しかも各地で小正月行事が行われているはず。
よしっ、別の行事へ移動しよう!ということで、本日行われている行事をタブレットでチェック。湯沢市街地で犬っこまつりが行われているが、秋田市~西木町~湯沢市の150kmにも及ぶ長距離運転の後に犬っこまつりの人混みはハードすぎる。ならば湯沢市街のさらに南で行われる、あの行事に行こう!ということで、今回の記事「三関の大綱引き」の登場となったワケです。前フリ、長くてすいませんm(_ _)m

角館からみずほの里ロードへ乗って、国道13号線へと抜ける。13号線を南下して、横手ICから湯沢横手道路へと乗り、三関ICで下りる。
行事開始の10分前、13時50分に会場となる三関小学校へ到着。まあまあ急いだだけあって、絶妙な時間に着くことができた😄三関小学校敷地内へ入り、車を止める。

駐車場から校舎を抜けると、そこには綱引き会場となるグラウンドが広がっている。すでにたくさんの人でいっぱいだ。

こちらが三関小学校校舎。もともとは「関口小学校」として明治7年に創立された学校で、昭和29年の湯沢市市制施工の際に現在の校名「三関小学校」へと変わった。
なお、「関口」「上関」「下関」の3集落が合併したので、「三関」という地名が付けられたそうだ。

すでに綱がセッティング済み


太い綱(大綱)と細い綱(小綱)が各1本ずつ並べて置かれている。
どうやら太い綱が大人用で、細い綱が子供用ということのようだが、どういう風に2本の綱が扱われるかよくわからない。
「秋田の祭り・行事」では、この行事について「現在は小学校グラウンドが会場ですが、かつては小正月行事として旧1月15日に道路で行われていました。集落を南北に分け、長さ80m、重さ200kg、最大の太さ60cmの大綱を引き勝負を競います。大正初期、小正月行事が夜遅くまで行われていたことの対策として、日中行われるようになった行事です。南が勝てば豊作、北が勝つと米の値段が上がるといわれています」と紹介しているが、大綱・小綱に関する記述はない。間もなく始まる本番で確認しよう。

開会式が始まります。


実行委員会会長の開会宣言に続いて、湯沢市教育長のご挨拶
教育長からは「大綱引きは三関の、いや湯沢市を代表する伝統行事です。みんな頑張りましょう!」との力強いお言葉が参加者にかけられた。
「伝統行事」と聞けば、多くの人は江戸時代や室町時代、あるいはそれ以前から連綿と続く、日本古来の様式や儀式性を感じさせる行事を想像するだろう。ところが、三関の大綱引きはと言えば大正時代に始まって今年で105回目を数える、かなり新しい行事なのだ(←当日現地で教えてもらった情報ですけど)。
にもかかわらず、「伝統行事」と呼ばれる所以についてはよく分からないところだが、おそらくは県内の他地域の歴史ある大綱引き行事の形態を踏襲しているうえで、105年という決して短くない年月を積み重ねてきたことに依るのでは?と推測。

祝電の披露、審判長からの注意点説明へと続く。

続いてのプログラムは、なんと全員による「若い力」の合唱
同曲は1947年(昭和22年)に石川県で開催された第2回国民体育大会に合わせて、制作された「大会歌」なのだそうだ。
何と言っていいか、普段こんな場面では真面目に歌っている人 = 2割、適当に口をモゴモゴさせている人 = 5割、何もしてない人 = 残り全員、みたいなイメージがあるが、みんな一生懸命大きく口を開いて歌っている。おお‥まさに「若い力」の歌詞のイメージそのものだ。

続いてはラジオ体操。こちらも皆さん真面目に体操しています。

若い力の合唱~ラジオ体操と続く流れは、一見伝統行事に似つかわしくないように見えるが、先に書いたようにこの行事は大正時代から始まったものであり、その主たる目的は「五穀豊穣を祈る」とか「神社に奉納する」とかではなく、「農閑期の青少年の体力づくりと住民の親善を目的に始まった」(←湯沢雄勝観光総合サイト「HINAVI」より)とか「当時の青年会が、若者の風紀の矯正を目的として行った」(←「湯沢の歴史 三関の歴史と院内銀山」より)とか、そういった理由のようだ。
ということで、行事に神的な意味はほぼ皆無で、そこにあるのは日本の近代体育の流れを汲んだ「体力増強」「精神鍛錬」といった要素なのだ。

ラジオ体操で体をほぐし、いよいよ綱引きが始まろうとしている。

場内アナウンスによる説明で、おおよその流れを知ることができた。まず、組み合わせについては以下の順となる。
第一試合:地元の幼稚園児 vs 来賓・実行会役員チーム
第二試合:北軍・南軍に分かれての学年対抗戦
第三試合:北軍・南軍に分かれての大綱引き
第一・二試合では小綱が、第三試合では大綱が用いられることとなる。そして勝負は各々三本勝負で行われて、二本先取したほうが勝ちというルールだ。なお、北軍と南軍のチーム分けについては、以下の集落単位となるそうです。
北軍 → 荒町・関口・水沢・中泉・八幡下住・寺沢
南軍 → 上関・浦町・道目木・二ツ橋・新横・北下関・南下関・上ノ宿・田ノ沢

そして第一試合の開始。旗が上がり、号砲が「パーン!」と鳴って競技開始!ちびっこたち、頑張れ\(>0<)/

精いっぱいの力で綱を引っ張るちびっこたちに、お母さん方が声援を送る!!ちびっこ本気です😆

頑張りの甲斐あって、見事に園児チームが一本目を先取😀
しかし、二本目は来賓・役員チームが大人の意地を見せて奪取。いよいよ勝負の三本目が始まろうとしているところに、「次が三本目です。大人の皆さん、ここまで一対一ですよ~。お分かりですよね~」と場内アナウンスが。三本目は園児チームに譲ってくださいと結構露骨な忖度の呼びかけではあるが、こういうところをきちんとしておかないと、大人チームがまさかの本気を出さないとも限らないし、そうなると園児チーム勝利のシナリオが崩れることになってしまう。あっ、勝負事なのでそれはそれでいいのか。

三本目。頑張れ~!!


予定通り、園児チームが三本目を奪取して、2-1で子供たちの勝ち❗❗よかったよかった😀
おそらく正確に言えば、第三試合のみが大綱引きであり、第一・二試合はエキシビションのような扱いになると思うが、「農閑期の青少年の体力づくりと住民の親善」が行事の目的なのであれば、小さな子供たち~ご年配の方々まで様々な年代の人たちが集まって綱引きを行うのが行事の主旨な訳なので、その点を踏まえたチーム構成になっていると言えるだろう。
また、先に「南が勝てば豊作、北が勝つと米の値段が上がるといわれています」と紹介したが、三関と言えばさくらんぼの名産地として有名なので、「米」を「さくらんぼ」に変えちゃってもいいんじゃないか、とも思う(←いや、思ってません。ウソです)。

続いては第二試合 学年対抗戦。三関小学校の1~3年生までの児童たちが北軍・南軍に分かれて対戦


まずは北軍が先勝。
ところで北軍と南軍の位置関係だが、下の地図で言えば地図中央に校舎、その上にグラウンドがあって、左には奥羽本線が上下に走っており、そちら(線路)側を陣とするのが「北軍」、地図右斜め上あたりに学校のプールがあり、そちら側を陣とするのが「南軍」ということになる。

また、試合前の審判長のご説明のなかで「大綱と小綱が並んで置かれているが、小綱を持つ場合には大綱に背を向けて引く側にはつかずに、大綱と正対する側につくように」との注意があった。
なので、北軍が小綱を持つ場合には綱の右側に、南軍が持つ場合には綱の左側につくのが正しいやり方らしい。
このあたりの理由を伺うことはできなかったが、もしかすると大綱に背を向けることを禁忌とする習わしがあるのかもしれない。

続いて二本目

見事に南軍が勝利し、1-1のタイに持ち込む。子ども同士の綱引きも、やんややんやの歓声が飛び交って結構盛り上がる。
平成5年に湯沢市昔を語る会が編纂した「湯沢の歴史 三関の歴史と院内銀山」に、大正時代に大綱引きがこの地に誕生した時代背景と経緯について「日清・日露の2つの戦争に勝利したので、文部省の教育方針が青少年教育に力を入れ、昼は学校の教員が部落に出て行き夜学会を開いた。昼の休日には体育会を催して、青少年の体位の向上を図っていた。ところが関口では、雄勝郡内には未だない大綱引きを、小正月の休みを利用して行う計画を、大正元年の12月に立てた。村の中心部に場所を設定し、大正2年の正月に行った」と記されている。
文脈の読み解きが少々難しいが、要は国策の一つとして「青少年教育の充実」という大目標があって、そのなかの身体の鍛錬 = 体力の増強という中目標を実行する手段として、三関では大綱引きが採用されたという事だろう。
こうなると先に書いたように、神的な意味性を持たせることがかえって不自然なぐらいだが、それでも南軍が勝てば豊作、北軍が勝てば米の値段が上がる、といった伝統行事の要素をさりげなく忍ばせた珍しい行事、ということになると思う。

最後の三本目は(二本目まで北軍、南軍に分かれていた)1~3年生の子供たちvs小学校の先生方、といった変則的な組み合わせとなった。


1~3年生チームが勝利。子供たちおめでとう!😀😀
ここまで見ていると子供たちの活躍が目立っていて、まるで学校行事のようにも思えてしまうが、地元の男性の方から「子供たちいっぱいいるども、これは学校行事ではねぇよ。地域の行事だよ」と教えていただいた。
因みに行事が始まった当初は関口の集落内の道路で行われていたが、交通の妨げになるので、のちに三関小学校グラウンドに場所を移して行われるようになったそうだ。
それでも行事と三関小学校の関わりは深いようで、同じ男性は「大綱引きと春の大運動会が三関小学校の二大イベントだからよ」とも仰っていた。

さて、第三試合。ここでいよいよ大綱の登場です。

大綱には、刈和野の大綱引き同様に実際に持つための引き綱が何本も付けられている。これに、三関小学校3・4年生が製作した引き綱が3本追加されて、ようやく完成となる。また、大綱については以前は藁の状態から作っていたようだが、現在では市販の綱(ホームセンターとかで買うんでしょうか?)を購入し、それを地域の人たちで編んで製作するそうだ。

応援団のスピーチ。ラグビー日本代表のユニフォーム姿、かっこいいです😀ただ、ずっと寒そうにしてました。

準備はいいでしょうか~?第三試合はじめええ!


一本目は南軍が、二本目は北軍が取って1-1のイーブンとなる。
男女問わず、若い人から年配に至るまでヨーイショ!と力いっぱい綱を引いて、子供たちが「北軍!北軍!」「南軍!南軍!」と声をそろえて自軍を応援、さらには場内アナウンスの煽りまで重なって、賑々しく大綱引きが繰り広げられる。
刈和野のように何十分にも渡る激闘が続くものではない(2~3分で決着がつきます)が、綱引きの間じゅうはここぞとばかりの盛り上がりを見せる。

三本目開始!


三本目は南軍が取って、2-1で南軍勝利!今年は豊作に決定です!秋の収穫が楽しみ😄
「湯沢の歴史 三関の歴史と院内銀山」には、往年の行事の様子が以下のように記述されている。「北が勝てば米価が上がる、南が勝てば稲作が良くなる、というふれこみであった。老いも若きも村中総出の綱引き行事を行った。冬の寒さにも負けず頑張ったので、村人に喜ばれた」
刈和野のように何千人規模の行事でもなければ、大曲の綱引きのように若者が荒ぶる場面を含む行事でもない。綱引きという、シンプル極まりない競技に三関の人たちの喜びや楽しみが詰まっているような行事光景だったことだろう。
そして、今も素朴さという点では往時とそれほど変わらないと思うし、他地域の大綱引き行事とは一味も二味も違った、ハートウォーミングな綱引きなのだ。

大綱をみんなで会場隅に移動

続いてはみかんまき


こちらも綱引き同様、相当の盛り上がりを見せてます。
「湯沢の歴史 三関の歴史と院内銀山」には「現在の綱引は、三関地区三大行事の一つとして、2月中旬の休日に、小学校のグラウンドで行われ、児童館、小中学校、地区住民総参加の大綱引きで、余興にミカンまき、小学校のトランペット、青年会の祇園囃子太鼓、福引抽選会もあり、地区の大行事となっています」と記されていて、綱引きとセットで様々な催しが行われていたことが分かる。
現在でもミカンまきと福引抽選会(体育館内で行われている)は続けられていて、地区の大行事に華を添えようと、地元の人たちがいろいろなものを持ち寄って盛り上げている様子が伝わってくる。

綱を前に神事が執り行われた。


ここで行われているのは「魂抜き」
例年であれば大綱は綱引き終了とともに倉庫へ格納されて翌年まで保管されるが、5年周期で作り変えられることになっており、105回目に当たる今回が丁度作り変えの年に当たる。
ということで、5年間使用した大綱の廃棄にあたり、魂を抜くための儀式が執り行われているわけだ。
先に大綱引きについて、近代体育の影響を受けたもので神的要素は皆無、と書いたが、実際には大綱に神様が宿ると考えられているわけで、近代以降の合理性とそれ以前の非合理性が無理矢理同居したような、不思議な行事でもある。

雪が強く降ってきた。

魂抜きを終えた大綱を移動。子供たちは体育館で福引抽選会で盛り上がっていることだろう。
管理人も会場を後にする。国道13号線を北上して帰るつもりだったが、せっかく湯沢市南部まで来たんだし、ということさらに南へ下り、滅多に使うことのない国道108号線を使って由利本荘市へ抜けて秋田市へ戻った。

管理人の勘違いが元となって訪問へと至った行事ではあるが、刈和野や大曲との違いを知ることができて、結果的に有意義な鑑賞となった。
また、大正時代から始まった新しい行事にもかかわらず、伝統行事の態様を模した「ネオ伝統行事」とでも呼べそうな意外さも実に新鮮だった。
この時期、各地で大小さまざまな小正月行事が行われるため、全県規模で見るとあまり目立たない行事であるものの、これからも三関の人たちが心待ちにする、冬の愉しいお祭りであり続けてほしいと思う。


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