金澤八幡宮奉納梵天

2020年2月22日
小正月行事ラッシュが終わりを告げ、日に日に春の足音が近づいてくるこの時期。今回お邪魔したのは、横手市金沢の「金澤八幡宮奉納梵天」
1,2月に県南の各地で繰り広げられる梵天行事の一つで、管理人は今回初めての訪問となる。
また、当ブログに度々コメントをくださっているアックスさんの地元の行事でもあり、横手市内では旭岡山神社の梵天とならんで結構メジャーな梵天行事だと思う。

行事は2月第4土曜日に行われる。(2018年までは2月18日開催だったものが、昨年から第4土曜日へと変更)休みという事もあり、14時の行事開始に間に合うように自宅を出発して、のんびりと横手を目指す。
それにしても、直近の記事で毎度毎度書いているのだが、とにかく雪がない!😵
2月の県南といえば、豪雪地帯の本領発揮とばかりに雪に閉ざされた光景がフツーなのだが、とにかく今年は雪がない。
金沢の近く、美郷町で毎年2月11~15日に行われる「六郷のかまくら」(竹うちで有名。国の重要無形民俗文化財にも指定されてますよね)は雪不足を理由に中止となってしまった。
こんなんで梵天できるんだろうか。。。と僅かながら不安を抱えつつ、現地へと向かった。

14時前に現地金沢に到着。会場近くに車を止めて、歩いて金澤八幡宮へと向かう。

すでに多くの見物客が来場していた。
県内の他地域同様、金沢にもほとんど積雪はないものの、滞りなく行事は行われるようだ。まずは一安心です😄

梵天が見えてきた。

オリンピックのシンボルマークの上に「令和」と書かれたプレートを乗せた頭飾りに、派手な色あいのさがりがよく目立つ。1月3日に横手市大雄の「三助稲荷神社の梵天行事」以来の梵天行事鑑賞だ。
梵天丁内の若衆はすでに酒が回っているのだろう、あちこちから怒号にも似た叫び声が上がっていて、「思っていた以上に男っぽい梵天だなあ」と感心してしまう。
梵天といえば、男たちが「ジョヤサアッ!」と声を張り上げて押し合い(ぶつかり合い)をする訳なので、そりゃ男っぽいに決まっているのだが、金澤八幡宮梵天は「女ぼんでん」とも呼ばれる異色の梵天だ。
稲 雄次さんの「カマクラとボンデン」では「ここの特徴は、頭飾りは素朴だがその鉢巻にあり、横手(※管理人注:旭岡山神社梵天のことを指しているようです)や秋田と異なり、『帯の蝶結び』の巻き方をした。というのはここのボンデンは女性であるという。そして女性用和服の反物をさがりにして色も艶やかなものが多い。俗に腰巻ボンデン・女子(オナゴ)ボンデンの異名を持っている」と説明されていて、「女ぼんでん」のワードにつられてしまい、女性っぽい大人しさや静けさを勝手にイメージしていたのだが、現地到着と同時にその先入観は払しょくされることとなった。

八幡宮鳥居前のスペースに、多くの人だかりができている。


特設ステージで太鼓の演奏をするのは「金沢八幡太鼓保存会」の子たち
なんでも保育園~小学校の子たちを中心に活動していて、今日の梵天行事の他にも9月14・15日の金澤八幡宮祭典で演奏活動を行っているそうだ(なお、9月14日といえば一昨年鑑賞した「金澤八幡宮掛け歌行事」が行われる日でもあるのだが、今年はコロナの影響で掛け歌は中止、神事のみ執り行われることとなった)。
この太鼓の音色がほぼノンストップで鳴り響く中、梵天奉納が行われることとなる。

八幡宮の参道は↓のようになってます。


鳥居をくぐった先は参道というよりも雪の坂。たくさんの子どもたちが、賑やかにケツぞりを楽しんでいる。
地元の方に伺ったところ、「やっぱりあそこ(参道)さ、雪ねえば梵天できねがらよ。わざわざ他所から雪持ってきて撒いだんだよ」
聞けば梵天丁内が、この雪の坂を遮二無二登っていくのが、ここの梵天のクライマックスであり、これだけは絶対に外すことはできないそうだ。
しかも、ケツぞりを繰り返すことで雪が締まり、どんどんツルンツルンになっていき、さらに登りづらくなるということらしい。
これまでいろんな地域の梵天行事を見てきたが、こんな奉納のスタイルは初めてだ。いやがうえにも期待が高まります。ワクワク😄

徐々に丁内が集まってきた。


今年は①根小屋丁内 ②石神青年団 ③新町丁内 ④立館石丁内 ⑤三貫睦会 ⑥石心会 ⑦安本青年部 ⑧茨嶋 ⑨本町菊水 ⑩前森(前郷・森先)有志 ⑪金沢有志の計11グループの丁内・有志が参加(←梵天の喧噪のなかでなんとか確認しました。もし丁名や参加数が間違っていたらごめんなさい!)
「カマクラとボンデン」には「旧金沢村(現仙南村金沢と横手市金沢)を中心に、戦前戦後を通じ数十本奉納されたが、平成元年は14本と伝統行事復興の機運をみせた」と記されている。これまで見てきた梵天行事について言えば、平成の初め頃に比べて本数が半分ほどになったとの話をよく聞いたが、ここ金沢については令和の時代に入っても大幅減とはなっておらず、大健闘と言っていいと思う。

さらに多くの丁内が大鳥居前に集結し始める。


八幡宮本殿は大鳥居をくぐったかなり先、それも結構高いところに鎮座している。
このあたりは、かつて後三年の役の主戦場の一つだった「金沢柵」、その後14世紀後半に小野寺氏が築城した「金沢城」跡地でもある(金沢柵についてはこの地に作られていたと現在も明確には証明されておらず、「金沢柵があったと推定される」に留まっているそうです)。
現在は金沢公園として市民の憩いの場となっている、この一帯について、横手市史には「横手から約4km、奥羽山脈西側の丘陵で面積およそ80ヘクタール、地上92mの独立した岩山であり、仙北平鹿の平野が一望のもとに見られる継承の地である。周囲は断崖絶壁が多く地形上まれに見る天然の要害となっている。全山至るところに人工の断崖や段丘を作り、峰々には幾重にも塹壕や通路を作り、本丸、二の丸、北の丸が造られている。二の丸には金沢八幡神社、兜八幡、昭和17年の『金属物特別回収』にも、まぬがれた神馬の青銅像などが、うっそうと茂る老杉に囲まれて、神々しく建っている」と記されている。
近くには「後三年合戦金沢資料館」などの施設もあり、歴史探訪にはもってこいの地域でもあるが、管理人的には一昨年、金澤八幡宮掛け歌行事を鑑賞した際、麓から本殿までの登り道を汗びっしょりになりながら歩いたのを思い出してしまう。「天然の要害」とか呼ばれるような所に何の準備もなく登ったんですから、そりゃ汗だくにもなりますわな💦

これまでさんざん酒を喰らってきたであろう男たちが大集結している訳なので、きな臭い雰囲気にもなるというものだ。そして梵天同士のぶっつけ合いが始まった❗❗


あちらでは丁内同士が梵天をぶつけ合い、こちらでは梵天上げが始まって、といった調子でなんだかもうぐちゃぐちゃです😖😖😖
しかも梵天は見ての通りの形状で重心がかなり高いため、収まりが非常に悪く、ぶつけ合っては倒れ、梵天上げがバランスを崩しては倒れ、といった具合にバタバタとよく倒れる!そんなことをしているうちに頭飾りが取れちゃう丁内まで発生😅
扇動的に鳴り続ける太鼓の音をバックに、「ジョヤサァ!」の掛声やら「ウォーーーッ!」という叫び声に混じって、梵天唄まで聞こえてくるという、まさに一大カオス状態。メチャメチャ盛り上がる❗❗

盛り上がってますよー


荒っぽいと言えば荒っぽい場面だが、ピリピリとしたムードかと聞かれると決してそんなことはない。
例えば、秋田市太平山三吉神社の梵天祭などは「喧嘩梵天」として有名であり、奉納の先陣を争うためつかみ合いや殴り合いが勃発することもある、おっかない行事だったりするが、金澤八幡宮のほうはそこまでの危険度はなく、どこか笑ってしまう和やかな雰囲気に溢れている。
一応、金沢の梵天も「喧嘩梵天」と称されているそうだが、人同士がいがみあうことはないし、管理人的には「喧嘩」というのはこの喧噪状態を言い表してるんじゃないかと思う(昔は殴り合いが当たり前だったかもしれませんけど)。


大きな梵天が10本ほども集まればさすがに壮観
五穀豊穣、家内安全、無病息災を神社に祈願するという行事本来の意義は変わらないものの、神の依り代となる梵天は目立つほどよいとされることから、徐々に巨大化して現在見られるようなサイズへと変貌した。
また、神様の加護に何としてもあやかりたいとの強い思いから、一番奉納の先陣争いが苛烈なことでも知られている。
稲 雄次さんが「カマクラとボンデン」の中で秋田市太平山三吉神社梵天の奉納の様子を、以下のように描写されている。
「ボンデンを社殿に押し入れようとしたり、また、これを押し戻そうとしたりして『ジョイヤサ、ジョイヤサ』の掛け声や気勢の渦の中で、大鳥居から拝殿に近づいていく。白熱を帯びた中で、ボンデンは流れては淀み、淀んでは流れ、左に右にと渦巻いて、そして高くなったり低くなったり、あるいは横倒しになったり、立ち直ったり、押され揉まれながら、人々の群の中をジリジリジリジリと神殿に近づく。熱気で殺気さえ漲る中で大寒の白銀の世界は最高潮となり、興奮の坩堝と化してしまう」まさしく、梵天行事の醍醐味を伝えてくれる名文だ。今日はこれと同じ光景を見ることができるのだろうか?

丁内同士のもみ合いの中から、奉納を行う丁内が表れ始める。


ぶっつけ合いや梵天上げでテンションを最高潮まで上げておいて、その勢いで雪の坂を一気に駆け上がり、坂の上で待っている何人かの男性と押し合いを行うシステムだ。
梵天の若衆が押し合いに勝てばそのまま通過することを許されて、本殿への奉納を行えることになるが、そんな簡単に通過させるわけにはいかないということなのだろう、若衆が押し戻される場面が続く。ということで、坂を転げ落ちる若衆が続出❗❗あっちでゴロゴロ、こっちでゴロゴロ➰➰➰➰➰

鳥居前では相変わらずもみ合いが続いてます❗


「川を渡る梵天」として知られる大仙市の伊豆山神社梵天や、2年連続で鑑賞した大仙市神宮寺の嶽六所神社梵天など、社殿が山頂にあるため、山登りを強いられる梵天行事は県内各地にある(標準的な梵天行事ではありませんが、昨年見た大館市雪沢の羽保屋の祭り梵天奉納も同様)が、雪の坂を駆け上る梵天にははじめてお目にかかった。
昔映画で見た「二百三高地」の突撃シーンのような勇ましさが感じられる一方、風雲たけし城のようにも見えてしまう。なんだ、この盛り上がり方は❗❗

幾度も突撃が繰り返される。楽しそう!でも疲れそう🥵🥵🥵


3メートルほどの高さの梵天が入り混じるさまはかなり豪快で、各丁内の大きな頭飾りがさらに迫力を倍増させる。
カマクラとボンデンには、この梵天行事の起源について「400年ほど前の慶長年間に久保田藩主源氏佐竹家が神社本宮を改築した際に、地域の発展のために火災から守るための火伏せ祭りとして火消しが纏いを形どったボンデンを奉納したのを始まりとする」と記されている。
また、横手を代表する旭岡山神社梵天についても、江戸時代後期に行われた巻き狩りについて記したのち「巻き狩りの中心メンバーは火消し・火防組であったようだ。正月の15日は休みで16日の夜中から巻き狩りが始まり、17日の夜明けには獲物を持って引き上げた。その際に火防組は纏いを先頭に勇ましく装って旭岡山神社において無火災を祈願して帰ったと言われている」と紹介しつつ、このときの纏いが現在見られる大型の頭飾りの原型となったと伝えている。
県内の梵天行事の中で、頭飾りが特徴的なのが旧横手市内の梵天だが、火消しの纏いがそのルーツと考えてよさそうだ。

色鮮やかな梵天🙂


ここの梵天はお馴染みの太いハチマキではなく「帯の蝶結び」が特徴で、「女性用和服の反物をさがり」に使用、と先に書いたように、色鮮やかな梵天が入り乱れるさまはこれはこれでカラフル。
頭飾りの派手さもたいしたものだし(なお、三助稲荷神社梵天でも見られた、芭蕉の葉の頭飾りをつけた「芭蕉ボンデン」がここでも登場したが、そのサイズは三助稲荷に比べて格段に大きい)まさしく「女ぼんでん」の異名に相応しい色彩に溢れた奉納シーンではある。
しかし、そういった表面の華美さをものともしないぐらいに、激しくぶつかり合い、自慢の頭飾りが取れても気にすることなく、突撃を繰り返すトンパチな若衆の姿がこの梵天の真骨頂だろう。


旧横手市・旧平鹿郡内の梵天行事と言えば、梵天の見事さを競う梵天コンクールが見どころの一つだが、ここ金澤八幡宮で行われているかはよく分からない。
かなり立派で手の込んだ頭飾りも見られるので、梵天コンクールがあればさらに盛り上がるように思うのだが、どうやら行われていないように見受けられる。
だが、逆を返せばそれぐらいの雅やかな頭飾りを大っぴらに披露することもなく、こともなくぶっつけ合いで壊してしまう豪快さというか、素っ気なさも垣間見れる梵天ともいえるだろう(コンクールやってたらゴメンなさい😅)

時間が経つにつれ、グチャグチャ度合いが増してきます🥵


奉納が始まった頃には、まだそれなりに秩序めいたものはあったが、後半になるとグダグダ加減が加速する。
再三のアタックの末、どうにか坂を登り切ってさらに奥に鎮座する社殿への奉納を開始する丁内もあれば、相変わらず坂の上で押し返されてゴロゴロと坂を転がり続ける丁内もある。いや、坂の上に到達できるのはまだ良いほうで、坂登の疲れと酒が回ってきたせいで、坂の半分ぐらいで力尽きてズルズルと滑り落ちる丁内や、梵天をまともに持てずズルズルと引きずって登る丁内も出てきた。おいおい、大丈夫か!?隊長殿!我が軍は壊滅状態であります!

もう一息!ファイト!


雪のコンディションも相当に悪そう😵
開始当初は子どもたちが滑りまくったおかげでツルツルだった坂だが、若衆が繰り返し登るうちにベチャベチャになってしまったように見えるし、後半になればなるほど坂の駆け上がりがより大変になっているようだ。
この日は曇り時々雨の天気で、奉納前は結構強めの雨が降る瞬間もあって、そのせいでさらに雪の状態が悪くなったように思う。
なお、奉納前には降ったりやんだりを繰り返した雨だが、不思議なもので奉納が始まると同時にピタリと止んだのだった。

最後の力を振り絞って「がんばれー!」😄😄


想像以上の混沌を潜り抜け、どうにか全丁内が坂を上り切った(金澤八幡宮のある根小屋集落が最後に奉納する決まりになっているそうです)。皆さんお疲れ様です😀😀😀
みんなとにかく疲労困憊だろうが、そんなことを全く感じさせないおおらかな奉納風景で、行方を見守るギャラリーもわいわい賑やかに楽しんでいた。
今年は新型コロナウィルスの影響で、たくさんの伝統行事が中止に追い込まれた。
この行事が行われた2月後半は「コロナのことは誰もが知ってはいるが、まだ身近ではなかった」時期であり、特に目立ったコロナ対策は行われていなかった。
しかし、3月に入るとコロナの脅威が現実のものへと変わっていき、事実さきに書いた嶽六所神社梵天や、3年ぶりの鑑賞を予定していた由利本荘市大内の切通稲荷神社梵天などが無念の中止という憂き目に会うことになる。
たしかに「密閉・密集・密接」の3密を体現したかのような梵天行事はあまりにもリスキー過ぎるし、中止の決定は妥当だと思う。
そういった空気が広がり始める直前のこの時期に、楽しく盛り上がる梵天行事を見れたことは本当にラッキーだった。

続いては紅白の餅まきへと移る。


金沢八幡太鼓保存会のステージと坂の上の両側から代わる代わる餅が撒かれた。
やはり、この瞬間は老若男女問わず盛り上がる。
旧平鹿郡の梵天では恵比寿俵が奉納された後に、俵に詰められていた餅やみかんが撒かれるのがお馴染みの光景だが、ここでは恵比寿俵は登場しない。
ただ、wikipediaで金澤八幡宮のことを調べたところ、「7月の祭事 - えびす俵奉納」と記されており、梵天とは別に恵比寿俵奉納が行われている(いた?)という事なのだろうか。
まさか7月の暑い時期に今日と同じ突撃を繰り返したりするんだろうか❗❓(梵天行事は冬に行われることが多いですが、夏の盛りの時期に行われる梵天もあるっちゃあります)

大量に撒かれる餅に観客も大盛り上がり


例年であれば、2月中旬を過ぎたあたりから徐々に春の足音が近づいてくる(今年はちょっと特殊過ぎます💦)。
「秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト」のこの行事を取り上げた記事のなかで、ある若衆が語っていた「金沢地域の梵天が終わると春が来る」という言葉は、この地域の人たちに共通する季節感なのだと思う。
冬の寒さの中に、春の仄かな暖かさを感じるこの時期 - 金沢の人たちに「春を告げる祭り」がこの梵天行事なのだろう。

さて帰りましょう。

餅撒きの終了と同時に観客が会場から立ち去り、太鼓演奏の舞台も片付けられてあっという間に、いつもの日常の風景に戻ってしまった。
まるで先ほどまでの喧噪がなかったような静けさ。梵天一行は、もう八幡宮本殿に到着した頃だろうか。
なかなかの盛り上がりを見せた梵天の余韻を噛みしめつつ、管理人も帰路に着いた。

豪快ながら楽しい梵天行事を見させてもらった。
県内各地で鑑賞するたびに思うのだが、梵天は本当に不思議な伝統行事だと思う。
「カマクラとボンデン」で「最もポピュラーであることによって深く考察されず、逆にその本質がかくされている」と指摘されている通り、際立った個性もなく、悪く言えば「ありふれた」行事である梵天 - メディアで取り上げられることも少なく(太平山三吉神社梵天、伊豆山神社梵天[川を渡る梵天]はTVニュースの常連ですが)、県内でどれだけの数の梵天が行われるかもはっきりしていない。
それでもひとたび行事が行われた日には、今日のように地元の若者たちが熱狂し、身を削らんばかりに奉納に心血を注ぐ。
やはり、幼いころから梵天の盛り上がりを身近に感じ取ってきた「祭りの血」がそうさせるのだろう。
この日の前日、4年ぶりに復活した子供梵天の様子がTVで取り上げられていた。
こうして世代を超えて受け継がれる行事のあり様を、これからも見届けていきたいと思わせる梵天行事だった。


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