万灯火(上小阿仁村)2020

2020年3月20日
新型コロナウィルスの脅威がひたひたと迫りつつあったこの時期 - ただでさえ伝統行事の数が少ない季節なのに、当初鑑賞を予定していた大仙市神宮寺の嶽六所神社梵天、由利本荘市大内の切通稲荷神社梵天といった行事が中止に追い込まれてしまい、何処かで行われる行事はないか真剣に探す羽目になってしまった。
これはまずい。当ブログの存在意義にかかわるし、だいいち行事が見れないことでフラストレーションが溜まってしまう。
コロナのリスクは当然気にしつつも、隙あらば何処かに見に行きたいと目論んでいたところ、twitterのTLに待望の行事情報が流れてきた。上小阿仁村の「万灯火」がそれだ。

実は万灯火については、迫りくるコロナの影を振り払い、無事に開催してくれるんじゃないかとひそかに期待していた。
屋外で行われるため、密が発生する要素などほとんどないし、そして何よりも、お彼岸に先祖を迎えるための行事でもある。コロナなんでご先祖様迎えませんなんてことはないはず、ということで、行事開催の情報をゲットしたときにはまさにしてやったりの気分だった。
ただし、よくよく情報を精査すると道の駅かみこあにでのイベント、各集落の万灯火を巡回するシャトルバスの運行は中止、そして集落によっては行わないところもあるということで、規模縮小したうえで開催されるようだ。
また、この時期は県内でコロナ感染者がほとんど出ていないこともあって、(振り返ってみれば)まだ僅かながら余裕のあった時期だった。これより2週間位のちに全国的に感染拡大、4月16日に緊急事態宣言が発出されるに至り、当面の間外出自粛を余儀なくされることになる。
ということで、結果的にコロナ第一波来襲前の最後の行事鑑賞となった。

さて、万灯火である。
管理人的には4年連続4回目の鑑賞なので(万灯火は上小阿仁村、北秋田市合川の2個所で行われており、2017年から合川上小阿仁村合川の順で見てます)、大体の様子は知っている。
2年前は西部の集落中心の鑑賞だったが、今回は北東部側の集落を鑑賞することに決定。
16時に自宅を出発し、17時半に現地へ到着。この日は朝から風が強く、県内の広い地域で強風警報が出されていたが、現地に着いたことには結構止んでいた。まだ行事の開始まではしばらく時間があるものの、どの集落をどのようなルートで見るか下調べは欠かせない。
まずは最初に鑑賞する「上仏社」集落へ向かう。

「上仏社担い手センター」(←面白いネーミングです😀)に集落の人たちが集まっているようだ。
準備中のお忙しいところお邪魔して、この後の予定を伺ったところ、18時にセンターを出発し、すぐ近くの会場へ行ってすでに準備している万灯火に点火するとのこと。
またあとでお邪魔します、と告げて再び移動。次に鑑賞を予定している「堂川」集落へのルートを調べたのち、再び上仏社へと戻った。
時間は18時を過ぎて、そろそろ点火かなということで、先に教えていただいた道順を辿って上仏社会場を目指したのだが‥

どこで行われるんだろうか?😟


辺りが暗くなってきて、ちょっと焦り始めている。
教えていただいた道順通りだと、このあたりに万灯火を吊るす鉄パイプ製の骨組みがあって然るべきなのだが、ご覧の通り田圃が広がっているだけだ。
ところで、例年であれば上小阿仁村村内の15集落で万灯火が行われるが、先に書いたようなことで今年は以下9集落での開始となった。※()は開始時間です。
①小田瀬(18:10)
②沖田面(18:10)
③大海(18:10)
④下五反沢(18:15)
⑤上仏社(18:20)
⑥羽立(18:25)
⑦大阿瀬(18:30)
⑧堂川(18:30)
⑨小沢田(18:35)
開催集落数が減ったのはもちろんだが、管理人のように幾つかの集落をハシゴすることを前提にした場合、シャトルバス運行中止による開始時間変更(例年はシャトルバスの到着に合わせて、集落ごとの開始時間が5~10分おきにずらされるが、今年はそれがない)が結構痛い。
普段なら3~4集落は見れる計算だが、今年は良くて2集落ぐらいだろう。

これはルートを間違えたに違いない。ちょっと戻ってみよう、と来た道を引き返している最中に‥

キターーー😆😆😆管理人が予想していなかったあたりから万灯火が見えた。どうやら管理人は教えていただいた地点を通過して、奥に進み過ぎていたらしい。

正面から撮影


薄暗くなった空を背景に「中日」の文字が鮮やかに浮かぶ。
雪がないので例年と様子は違うだろうけれど、趣あふれる風景だ。
中日はお彼岸の中日のことであり、先祖の霊が迷わず各家々に戻ってこれるような場所(= 墓地から見えやすい場所)に作られるのが習わしとなっている。
管理人的には田圃の中に、鉄パイプで骨組みを立てるタイプの万灯火を見ることが多かったので、無意識に田圃のほうを探してしまったのだが、上仏沢では田圃へ向かう農道より少し高いところにある、開けたスペースに骨組みを作っていたのだった。
ルート的にはかなり分かりづらく、土地勘のない人間がドンピシャでその場所に辿り着くのは至難の業と思われる。
それでもこの場所に立っているがゆえに、上仏沢の集落内からも「中日」の明かりがよく見えるようになっている。


現在は田圃や川べりで行われるのが一般的だが、かつては山の尾根伝いで万灯火を焚いていたそうだ。
また、万灯火自体も現在のようなボロ布を丸めて油を染み込ませたもの(「ダンボ」と呼ばれる)ではなく、松明を用いていたらしい。
多分、現在の様子とは一味も二味も違う行事風景が展開されていたことだろう。
上小阿仁村立図書館で読んだ「昭和54年度調査報告書 上小阿仁乃民俗」には「大阿瀬では、一戸あたり松明何本と決め、それをぶら下げる。長信田では、以前は先祖に見えるように墓から見えるところで松明を焚いた。羽立では、以前から行っていた場所にバイパスが出来たので、オミヤの前に変えたが、火が電線に近すぎると、電報電話局から苦情が出たためブラクのはずれの田んぼのそばになった。下仏社では各家から茶碗一杯の米を集め、終わった後、ブラクから金をもらって、親が手伝って晩餐をした」と集落ごとの様子が記録されている。
現在の行事も万灯火の幻想的な美しさで、一見の価値がある素晴らしいものだが、かつて上小阿仁の人々だけの行事として行われていた頃の姿も実に興味深い。

万灯火の明かりが美しい。


今年はコロナの影響により、行事を取りやめる集落があったと先に書いたが、正確に言えばコロナと少ない雪の影響で‥ということになる。
2月に鑑賞した仙北市角館の火振りかまくらと同じで、雪が積もっていて、地面に落ちた火が草木に燃え移ったりしないことが必要とされるが、今年は春先の残雪が僅かに見られるぐらいで、ほぼ地表が剥き出しの状態だ。
たしかにこの状態では火が消えずに燃え移る可能性があるし、たとえコロナ禍がなかったとしても、この点がネックになって開催を見送る集落が出ていたと思う。
なお、同種の行事とされる鹿角市のオジナオバナも、同じような事情で多くの集落での開催が取りやめとなってしまった。

15分ほど滞在したのち、次の集落「堂川」への移動を開始

多くの集落の万灯火は幹線道路(県道214号線)を車で走っていれば目に入って来るのに対し、ここ上仏社の万灯火は県道を外れて集落内まで入らないと見ることがままならない。そういった点ではレアな万灯火であり、良いタイミングで見ることができてとてもラッキーだった。

車で5分ほど移動、堂川へ到着


2年前にも短時間ながらここの万灯火を鑑賞したが、今日はじっくりと鑑賞
「堂川 中日 マトビ」の7つの文字で構成される万灯火は結構大きなスケールだ。車で近くまで来て鑑賞している人も数人ほどいた。
ほとんどの集落はシンプルに「中日」と点けるなか、堂川は集落名と「マトビ」の文字が入っているのが特徴だ。
上小阿仁村内では、小沢田が「上小阿仁 小沢田 中日 万灯火」と点けるスタイルが有名だったりするが、お隣の旧合川町では集落名を型どったものが多い。
合川町から距離的に近い堂川の地理的な条件が影響し、「堂川 中日 マトビ」と点ける形になったのだろうか。

近くに寄ってみます。


消えたダンポを取り変えたり、メンテナンスされていた集落の男性の方がいらっしゃったので、いろいろとお話を伺う。
堂川の万灯火は鉄パイプを立体的に組み立てるタイプではなく、法面に鉄パイプを置くタイプなのだそうだ。たしかによく見ると文字の後ろ側に薄っすらと法面が見えて、そこに鉄パイプを寄りかけているのが分かる(昔はこの法面の上に木材運搬のトロッコ用の線路が敷設されていたとのこと)。
組み立てる手間がない分、楽なようにも思えるが、実際にはツタが茫々にならないように定期的な草刈りが欠かせないそうで、それなりに管理が面倒だ。
また、本当は万灯火の文字の上部にかんむりを描くのが通常だが、少雪のためかんむりはつけなかったとのこと。
こんな部分にも今年の特殊な状況の影響が出ていたのだ。

ダンポの炎が燃え盛る。


日中ほどの強風ではなくなったものの、引き続き強めの風が続いていて万灯火の炎が不規則に揺れる。
風がない状態なら、ダンポの炎が幽玄の美と呼べるほどの官能的な曲線を描くが、今日のコンディションではそうはいかない。
万灯火を行う多くの集落では、現在もお彼岸に合わせて墓の前でダンポを飾っていて、「上小阿仁村史 通史編」には「墓参りの際にも火を点けた。これもマトビと称したようである。その他に下五反沢では『ホトケサンノアカリヲツケル』といい、小沢田では『コノアカリデ、ヤッテキテクダサイ』といった。福館では七日目に『ジンナ バンナ コノヒノアカリニハヤークイットクレ』と唱えた。大海では彼岸の入りに『コノヒノアカリデキテタモレ』、中日に『コノヒノアカリデ、ユックリヤスンデタモレ』、終わりに『コノヒノアカリデイキタモレ』と唱えた」などと記されている。
墓前で唱え事を唱える風習が今も残っているかよく分からないが、集落ごとに様々な作法がある(あった?)ことが、この行事の奥深さを伝えてくれるようだ。

万灯火の炎が風にたなびく。


以前、堂川では小学校4年生~中学校3年生までの子どもたちが行事を執り行っていた。
「上小阿仁乃民俗」でも「大阿瀬・下仏社・下五反沢・大林・南沢・不動羅では、おもに中学生くらいまでの子供達が中心となって、また、長信田・小沢田・上五反沢・大海・小田瀬では、子供達と青年団・若勢団あるいは親などが一緒になって行う」という記述がある通り、この行事は本来子どもたちが中心となって行う行事だった。
今は集落の行事として続いているものの、子供たち主体で行っていた頃は子供たち特有の賑やかさに溢れる行事だったと思う。
また、いたいけな子供たちが、この幽玄の炎を演出していたというギャップがちょっと面白い気もするが、次世代を担う子供たちによって今は亡きご先祖様をお迎えするという世代を飛び越えた交流が行われているようにも思える。

上仏社・堂川の2集落で鑑賞している間に、全9集落の点火時間がとっくに経過してしまった。すでに火が消えているだろうが、小沢田はどうなっているか確認すべく道の駅かみこあにへ向かう。


火が消える寸前ですね。。。
「上小阿仁 小沢田 中日 万灯火」の文字が小阿仁川の水面に映る幻想的な光景は一見の価値ありだが、2集落を巡ってきた後なので、見れないのもやむを得ない。
例年であれば、屋台が出されて、和太鼓演奏や打ち上げ花火でたくさんの人で盛り上がっているが、今年はほとんど人がいない(万灯火が終わりかけているのも、あるんでしょうが)。
昨年、合川の万灯火を見たときに地元の方から「上小阿仁村のは観光行事、合川のは伝統行事だがらな」と冗談交じりに教えてもらったが、今年は上小阿仁村のほうも観光色は消えてしまい、図らずもありのままの行事の姿を見ることになった。
ただ、めっきり静かになった道の駅の様子を見ると、やはり寂しさを感じざるを得ないし、来年はいつもの賑やかな万灯火行事が戻ってきてほしいと思う。

そろそろ帰りましょう。

僅か2集落の鑑賞とはなってしまったが、それでも上小阿仁村に足を運んでよかったと思う。
おそらく行事を行った集落でも普通に行ってよいか葛藤したはずだし、いろんな情報や状況を踏まえたうえで開催を決定したに違いない。
そういった決断を下した集落に浮かび上がった万灯火は、これまで見た万灯火とどこか違っていた気がする。
来年はこのような苦渋の選択を強いられることなく、平穏に全集落が行事を開催できることを願うばかりだ。


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