地蔵尊祭り

2020年7月24日
前の記事「阿気本村の鹿嶋送り」で書いたように、コロナの猛威が続く今年に限っては無事に開催される行事を探す作業が必要になってしまった。
そして、今回の「地蔵尊祭り」も今夏行われた、数少ない伝統行事の一つということになる。
行事が行われるのは、管理人の実家のある横手市増田町の満福寺。因みに管理人はこれまで満福寺を訪れたことはない。

「秋田県の祭り・行事」に行事の概要が紹介されている。
「延命地蔵を祀る満福寺の大祭です。お寺の場所が火葬場であった時代、焼く釜を守る釜地蔵として祀られていたのが、火葬場がなくなってから、コロリ地蔵と呼ばれるようになりました。延命地蔵の呼び名は苦痛を和らげてくれるという伝えからです。大祭のほか、毎月24日に例祭があります。タバコ好きの地蔵様といわれています」
今年は例大祭当日の7月24日は祝日にあたるうえ、事前にお寺の住職さんからお祭りは例年通り開催、遠方から来る客の制限なども行っていないと直接聞いていたので訪問に支障はありません(多分)。

当日。秋田県の祭り・行事には開催時間「正午~午後8時」と書かれていたので、お昼ぐらいに満福寺に着くように自宅を出発。ちょうど12時ぐらいに到着。お寺の駐車場に他に止まっている車はない。


二階建ての立派な山門が出迎える。
門の上に釣り鐘の堂が乗せられる構えの「鐘楼門(しょうろうもん)」と呼ばれるタイプの門のようだ。
増田町史には「山門は二間四方(6.6㎡)で楼門の釣り鐘は荘厳にして鐘音は人びとになじみ親しまれている。山号額は大本山永平寺の七十六世秦慧玉禅師の揮ごうで、楼門の重厚さに合致してその風格が漂う」と記されている。
もう20年以上前のことになるが、管理人が首都圏の方に住んでいた頃、大晦日の「ゆく年くる年」の中継でいきなり満福寺の山門が映し出されてビックリした記憶がある。

境内に人影はなく、本当にお祭りやってるのかというぐらいに静まり返っている。


増田町史に「満福寺の境内にはいくつかの堂塔が建立されており、古い樹木と共にその威容を誇り、その建物は格式と歴史をしのばせている。(中略)山門よりみて南側の白山堂(白山神社)は鎮守神で、祭神は白山比女神、またの名を菊理媛神といい、本地仏は阿弥陀如来であり、農耕上では水田を潤す水の神である。白山堂に対座している秋葉堂(秋葉山三尺坊の社)は、白山と同様に鎮守神で、祭神は火之迦具土神、またの名を火産霊神といい、本地仏は不動明王であり、火防・鎮火の神である。そして食物を炊く火の神として信心されている」と説明が記されている。

人っ子一人見当たらない。


少しは賑わいを見せていると思っていたのだが、見事に予想が外れた。
近年、我が増田町は商店や一般家庭が先祖代々受け継いできた内蔵を一般に公開、蔵の町として知られるようになった。
また、表面的な町並みからは伺うことができない、豪華な内蔵を多くの商店・家々が所蔵する伝統的価値が評価され、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されるに至っている。
ということで、この日もメインストリートとなる中七日町通りにはコロナ禍にもかかわらず、多くの観光客の姿が見られたが、ここ満福寺には喧噪とは無縁の世界が広がっているのだった。

最初に寺務所兼ご自宅へ向かい、住職さんにご挨拶。お祭りが行われている地蔵堂への道順を案内していただいた。墓地の間を通ると近道なんだそうです。

お堂に着きました。


入り口両脇にそびえる2本の木に隠れるように鎮座する地蔵堂。
増田町史では「本堂より墓地が多い北東に、藩政期以降、釜場の地蔵で知られ、『あまり苦しまないでコロリと死にたい』との願望が果たせられるということで知られ、別名『コロリ地蔵』ともいわれている延命地蔵堂がある」と紹介されている。

お邪魔しましょう。

もうお祭り終わってました、ということで今は片付け中。
正確に言えばお祭りではなく、午前中の勤行(お勤めというやつです)が終わっただけで、祭りが終わったわけではない。
因みに言うと毎月24日はお地蔵さんの縁日であり、定期的に参拝客が集まってくるようだが、今日は年一回の例大祭の日ということになる。
また、お祭りムードを盛り上げるべく例大祭に合わせて増田町商工会が団子などを販売する出店を出すのが恒例らしいが、今年はコロナ禍ということで出店の数はゼロ。ということでお勤めに集まっていた人たちも散開し、随分ひっそりとしたところにお邪魔することになったわけだ。
なお、秋田の祭り・行事に書かれている「開催時間:正午~午後8時」なる情報についてだが、ご住職に伺ったところ、どうやら出店が出される時間のことを指しているようだ。

3体のお地蔵様が祀られています。


お地蔵様というと道ばたにポツンと立っている姿を想像しがちだが、ここでは威厳ある姿を見せてくれる。
秋田魁新報でかつて連載されていた「ふるさと小紀行」なるコラムでは「満福寺の東側に立つ地蔵堂。中には3体の地蔵が並び、高さ1.5mほどの中央の地蔵が『コロリ地蔵』と呼ばれる。3体には手編みの帽子やストールがかけられ、たくさんのお供え物が並ぶ。たばこのきせるやわら草履も添えられている」と紹介されている。
今日は手編みの帽子やストールがかけられてはいないものの、銀色の袈裟(?)でくるまれた出で立ちは、まるで本物のお坊さんのように有難いお姿のように見える。

石製の香炉


このタイプの大型の香炉は多くの参拝者が訪れ、線香の火が絶えないことから「常香炉」と呼ばれるらしい。
ここではわずか1本の線香と数本のタバコが立てられているだけではあるが、管理人も愛煙家の一人として、火を点けたタバコを一本立ててきた。
ふるさと小紀行には「明治から大正にかけて商業地として栄えた増田には、葉タバコ栽培の仲買で財を成す商人が多くいた。当時の商人は豊作を祈ってタバコを供えたとされ、コロリ地蔵は『タバコ好きなお地蔵さん』とも称される」と書かれている。
また、お堂内の片づけをされていた男性に教えていただいたところによると、3体ある地蔵尊のうち真ん中がコロリ地蔵、向かって左側がタバコ好きの地蔵、向かって右側が女性のお地蔵さんということらしい。


ところで「コロリ」とはそもそもコレラ菌を病原体とする伝染病「コレラ」のことであり、日本では文政5(1822)年に西日本で大きな被害を出した後、しばらく収まっていたものの、安政5(1858)年に江戸で大流行するに至り、人々を簡単に死に至らしめる(コロリと死ぬ)病として知られるようになった。
安政時代に流行した際には、全国規模でも数10万人が罹患したとされ、江戸市中でも10万人の死者を出す惨状を招いた、恐ろしい病だったのだ。
そんな時代に「あまり苦しまないでコロリと死にたい」という切なる願いを叶えるとされたコロリ地蔵尊に、人々はすがるような思いで祈りを捧げたに違いない。


先の男性によると、かつては例大祭の日ともなると県南を中心に県内各地から参拝客が大挙して押し寄せ、たいへんな活況を呈したそうだ。
ときは移り、2020年の今年。当初誰も想像しなかったコロナ禍に全世界が喘ぐなか、コロリ地蔵尊が再びクローズアップされることになった‥なんてことは全くなく、普段の日常と何ら変わりなさそうな光景が広がっているだけだ。
男性曰く「今年はやっぱりコロナのごどもあるしよ。いづもに比べればずっと(参拝客は)少ぐねがったよ」とのことだったし、かつての盛り上がりが今後再現される見込みはかなり少ないと思う。
それでも、前日の宵縁日(7月23日)には午後3時にお勤めを終えたのち、日が沈んでから境内の池に燈籠を浮かべての縁者供養が毎年行われているらしいし、延命と来世での幸せを願う人たちにとって欠かすことのできないお祭りとして続いていくのだろう。

そろそろ帰ります。

僅か20分ほどの滞在となってしまったうえ、お祭りらしい光景には出会うことができず、肩透かしと言えばその通りだろう。
だが、管理人的には地元に広く知られているにもかかわらず、これまで一度も立ち入ることのなかった満福寺と地蔵堂をようやく訪れることができ、それだけでちょっと嬉しかったりする。
また、地蔵堂内でお勤めが行われていたところにお邪魔したとしたら、ただでさえ密の状態の中に(県内でもっともコロナ患者の多い、秋田市から来た)管理人が加わることになっていた訳で、それはそれで問題があっただろう。
お祭りの賑わいを味わうにはほど遠い訪問ではあったが、コロナ禍に負けずひっそりと行われた地元のお祭りをこれからも応援したいと思う。


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