萱ヶ沢番楽

2020年8月14日
いつもの年であれば、8月中旬のこの時期はどの盆踊りに行こうかと勝手に盛り上がっているのだが、さすがに今年はそうはいかない。
コロナ禍のせいで盆踊りのみならず、県内各地のお祭りや行事の大半が中止になってしまったからだ。
「どのお祭りに行こうかな~」などと能天気に毎年頭を悩ませていたのが、今年は「どっかでやってないかな~」になってしまった訳だ。とは言いつつもさすがは伝統行事の宝庫、我が秋田県。探せば結構やってるもんなんですね~😀ということで、今回お邪魔したのが秋田市雄和の萱ヶ沢番楽です。

開催日は8月14日
前日は横手市増田町の実家に帰省するうえ、当日はフツーに仕事があったので鑑賞にはちょっと向いていなかったが、平常運転で行われる数少ない伝統行事!!強引にスケジュールを調整して、午前10時から雄和の鷲泉寺で始まる舞を見ることにした(とはいえ、休みは取れなかったので午後から仕事です😅)。
なお、コロナ禍のなかでの鑑賞については、市の観光文化スポーツ部文化振興課の職員の方を通じて、保存会としては特に問題ないということを教えてもらったので大丈夫なようです。

当日。8時に実家を出発して、なじみの出羽グリーンロードを北上、9時半には現地に着きました。ここが会場となる鷲泉寺(じゅせんじ)

今日は、鷲泉寺での番楽・獅子舞奉納のあとに、萱ヶ沢各戸を巡回して行われる門祓いの日となる。
なお、番楽は毎年5月16日の鎮守社 日枝神社例大祭で幕開きを行い、門祓いを経て、8月20日の幕納めへと至るスケジュールだが、秋田市民俗芸能合同発表会や他団体公演に招待されることもあり、年に2桁は行かないものの最低でも3度は鑑賞機会がある。
ただし、今年はコロナのこともあるので、おそらく例年に比べて上演機会が減ってしまっているのではないだろうか。

本堂脇の番楽権現堂。番楽連中が待機中、よろしくお願いします😃

番楽権現堂は、獅子頭はじめ番楽関連用具の保管用建物として昭和55年に建てられた。
堂の横に立つ説明板には、「伝承されている番楽の沿革は詳しく分からないが、言い伝えによると、赤田長谷寺開期名僧是山和尚が隣村平岡村人に獅子舞、番楽を伝授し、当地修験長円寺に災難及び病魔退散の祈祷獅子舞を修したと伝えられる」と記されている。
昭和26年に萱ヶ沢で発生した大火によって、番楽に関する記録が消失してしまい、正確な起源ははっきりしないとされているが、今では是山和尚により伝承されたとする説が有力らしい。

10時になりました。皆さんが本堂内へと入っていく。管理人も後を追う。


本堂には番楽連中のほか、お寺のご住職らしき男性とそのご寺族、管理人のみ。
演目が進むにつれ、おそらくご近所の住人と思しき、年配女性が数人鑑賞に訪れていた。
「萱ヶ沢番楽 調査報告書」に、ここ鷲泉寺の創立に関する説明が記されている。「康応元年(1391)のころ、最上(現山形県)村山郡大石田町の向川寺三世可屋良悦がこの地に巡錫(巡教)したときのこと。夏の盛りで、のどが渇いて水を求めたとき、一羽の大鷲が老松の枝で『三宝三宝』と鳴き、その声に導かれて行き着いた寺の沢に霊泉を発見し、そこに一宇(一軒の家、ここでは寺)を建立したといわれる。三宝(仏法僧)に帰依することから寶常山と号し、鷲に導かれて泉に達したので鷲泉寺と命名したという」

お囃子方もスタンバイ

楽器は笛・太鼓・鉦が用いられる。
以前は三味線が用いられることもあったそうだ。また、現存される他の楽器として拍子木もあるらしいが、今日は拍子木の出番はなかった。

始まりました。


扇子を持っての武士舞が披露される。
肝心の演目名を伺うのを忘れたが、「萱ヶ沢番楽 調査報告書」に書かれている舞の内容を踏まえると「扇の的」(※源平合戦屋島の戦において、源氏方の武将那須与一宗高が、平家方が舟に掲げた扇の的を射落とした場面を表した舞)だと思う。
本来であれば、今日鷲泉寺本堂内で舞われるのは「神舞」「獅子舞」の2つだけだが、今年はコロナの影響により思いのほか練習時間が確保できたため、特別に練習も兼ねて武士舞を披露することになったそうだ。

勇壮な武士舞が披露される。


写真は撮れなかったが、この後は扇子と錫杖を持った舞へと移行する。
萱ヶ沢で上演可能なのは以下の12演目となっている(平成18年時点での情報)。
獅子舞・神舞・三番叟・鳥舞・扇の的・高舘・四人餅つき舞・根子切舞・山ノ神舞・二人曽我・信夫・三ツ鈎舞
管理人が見てきた中で言えば、四人餅つき舞とは「空臼からみ」、三ツ鈎舞とは「三人立ち」と同じ舞のようだ。
「コミカルな仕草で動き回る」と紹介されている根子切舞については、県内のいろんな団体で演じられているが、獅子舞と根子切を同時にレパートリーとする団体は珍しいように思う。


舞が終了。武士舞(扇の的)は烏帽子を被り、鎧をまとって踊るのが本当の衣装らしいので、そのあたりは簡略化された舞だったものの、見事な舞を見せてくれた。
主に舞われるのは獅子舞と神舞だが、先に紹介したような番楽舞についても各種出張公演で舞う機会があるようだ。
少し古い記録とはなるが、平成18年で言えば秋田県民俗芸能合同発表会、萱ヶ沢自治会文化祭などで扇の的が舞われたようだし、他の演目についても今後見る機会がありそうな気がする。楽しみにしたいと思う。

続いては神舞


「萱ヶ沢番楽 調査報告書」で「神の出現を待つにあたり、汚れを祓い、場を神聖なものにするために行われる舞である。萱ヶ沢番楽の基本舞と言われ、いろいろな舞の基本型が収まっている」と紹介される神舞。
団体によっては、神舞 = 獅子頭を取る前の「下舞」と獅子頭を取ったあとの「獅子がかり」で構成される獅子舞のことを指す場合もあるが、ここ萱ヶ沢では獅子舞とは別個の演目となっている。
「神」の名が入る通り、厳粛な舞とされていて、ある種の緊張感が場を支配する。

素手 →扇 →刀の舞と切り替わっていく。


二本の刀を自在に操った舞
考えてみれば、お寺の本堂内で舞われる番楽というのも珍しい。
「萱ヶ沢番楽 調査報告書」には「番楽のおこった古い時代においては、除災や病魔退散を祈る人々の気持ちは、強い信仰心となって番楽に向けられ、日枝神社や鷲泉寺などの寺社は、それをさらに支援し実現させるものとして大きな役割を果たしてきたものと考えられる」と説明されている。
同寺は度重なる火災で、萱ヶ沢内の寺ノ沢や堤ヶ沢といった地に度々移転することになるが、それでも萱ヶ沢の人々、番楽と深く結びついている寺であることが分かる。

お囃子方も熱演


神舞が終了。
時計回り、反時計回りを頻繁に繰り返して舞う様子は何となく本海流の所作を思い起こさせる。
由利本荘市民俗芸能伝承館「まいーれ」のパンフレットで「本海流獅子舞番楽と呼ばれる神楽系のものは、本市の本荘・大内・岩城地域で多くみられる是山流の獅子舞番楽の源流でもあった」と紹介されている通り、是山和尚の関わる番楽(赤田の獅子舞、岩谷麓獅子舞等)は本海流の系譜に連なるそうだが、その流れで言えば萱ヶ沢も本海流の要素を含むことになる。
秋田市内には萱ヶ沢の他に「黒川番楽」「山谷番楽」の2つがあるが、それら市北部を拠点とする団体には本海流の影響はないとされていて、同じ秋田市内の番楽でもルーツが明確に異なっている。

最後は獅子舞


神舞で清められた仏前に獅子舞が登場。
「頭振り」と「後幕取り」の2人で、一体の獅子を表現する「二人立ち一頭」の獅子であり、歯打ちを繰り返す「天地和合」、獅子頭を左右に激しく振る「龍門の振り返し」、獅子頭を頭上に高くかざす「三条のみこし」と、本海流で言うところの獅子舞の三大要素がそこかしこに散りばめられていて、本海獅子舞との共通性を感じさせる一方、本海などに見られる「這い獅子」とは異なり、「立ち獅子」が中心の動きでもあるそうで、萱ヶ沢独自の所作もきちんと織り交ぜられているようだ。

荒ぶる獅子。結構な迫力です😅


他の番楽との相違点という事で言えば、舞手が踊る際に付ける「番楽面」が根子切舞の面1つしか残っていないという、数の少なさも特徴だと思う。
もっとも、先に紹介した昭和26年の火災の折に、相当の数の番楽面も消失してしまったそうで、そういった意味では致し方ないところもあるのだろう。
三番叟や根子切舞など、必ず面を付けて踊らないといけないような演目の場合には、大仙市大沢郷の椒沢(はじかみさわ)番楽から借りて舞うなんてことも、かつてはあったらしい。
なお、火災による損失を免れた獅子頭については、江戸時代・寛政期(1789-1801)に「義兵衛」という名の大工が製作したそうだが、現在使用しているのは昭和50年代に新しく作られたものとなる。

獅子舞が佳境に入ってまいりました。


獅子舞が終わった。
かつては、出張公演の形で近隣の市町村(旧西仙北郡西仙北町、旧協和町など。ともに現大仙市)に招かれて、獅子舞を披露することも多かったようだ。
多くは新築の棟上げのお祓いや、「米担ぎ」だったそうで、「萱ヶ沢番楽 調査報告書」には当時のことを知る番楽関係者の「仙北、協和とかいろんたどごさ回って歩いたな。幕獅子舞を頼まいるな。連絡くるの、今夜〇〇やらんて獅子舞やってる人だぢに来てけれってあって。へば、そごで一晩、お金こもらって、その家さ泊まって迷惑かげできたな。宿さ集まってもらったもの全部集めるな。袋をたげで、米っこかっこんだ。だども、ほりゃ、八月末、米がなくなる時期、その米のおかげで新米が出るまでしのいだ。ありがでがった」との談話が紹介されている(おそらく「米担ぎ」というのは、米を担いで帰る = 興行として行う獅子舞の事かと思います)。
獅子舞とともに歩んできた、この地の歴史が滲み出ているようなエピソードだ。

30分ほどで鷲泉寺本堂での舞が終わり、そのままの流れで門祓いへと移る。

集落の各家々を巡回し、無病息災、家内安全を祈願するのが門祓い。
萱ヶ沢には現在70戸ほどの世帯数があるそうで、途中昼休憩を入れて夕方ほどまで各家々を廻るそうだ。
かつては世帯数が多いのと、家と家とが離れていたとしても徒歩で巡回していたのとで、3~4日ほどかけて回っていたそうだが、今は世帯数減少と、車での移動に切り替わったことによって1日で終わるようになっている。

こちらのお宅はおられますか~?


♪トントトントントンと、素朴な太鼓のリズムに乗って一軒一軒を巡回
この日は平日という事もあり、在宅率が低く、なかなか家人に会えない。
「萱ヶ沢番楽 調査報告書」に平成18年調査時の様子が記されている。
各家々ではお盆に銚子と杯、お花(祝儀金または初穂:お米など)を用意し、家族全員が玄関に並んで待っている。番楽の舞い手は、笑顔で迎えられ、その家族の無病息災を願い、獅子頭でお祓いをする。お祓いのあとには、「山王権現御獅子奉奏之符」と書かれた護符を配布する。
基本的には獅子頭によるお祓い(獅子が頭を噛むやつです)が行われるものの、同書には「集落に住む人たちの家の他に、引っ越しをした空き家や倉庫もお祓いを行う。人が住んでいなくても集落の一部と考えて、同じように行う」とも記されており、たしかに留守中のお宅であっても歯打ちと護符の配布は行われていて、そのあたりは調査報告書作成当時と変わっていないように思われる。

どんどん巡回


この日は雲の多い日ではあったが、蒸し暑くて長時間野外で過ごすのは勿論たいへんに違いない。
それでも、萱ヶ沢に長く伝わる伝統を守り通すかのように、番楽連中は丁寧に一軒ずつ巡回を続ける。
近年は子ども番楽の活動や、地元雄和の国際教養大学との交流を通じて、裾野を広げる動きがあるものの、いかんせん少子化や過疎化といった問題は常につきまっているだろうし、ましてや今年はコロナ禍のせいで活動もままならなかったはずだ。
そんな中、長閑に、しかし力強く鳴り響く太鼓の音色がとても心強く聞こえた。

見慣れぬ番楽風景に興味深々なワンコです🐶


「萱ヶ沢番楽 調査報告書」には「『家の中で寝でいだおばあさんが祓ってけれど(我が家の病気で寝ていたおばあさんが祓ってほしいそうです)』と聞こえた。『おう』と答え、一瞬に気合が入り、シャンと駆け足でその家に向かった。お年寄りや病気の人は、お祓いをしてもらった後、安心したような表情で横になった。また、帰省した人たちや赤ちゃんもお祓いをしてもらった。スヤスヤ眠る子ばかりでなく、泣き出す子、逃げ回る子など、大賑わいである」と、平成18年の門祓いの様子が紹介されている。
この日は、門前で歯打ちをしてもらうお宅が大半で、これほどのディープな場面に遭遇することは叶わなかったが、萱ヶ沢の人々が門祓いを心待ちにし、老若男女全てを巻き込んだ集落の一大イベントとなっている様子がうかがえる。
同書では、現在80~90歳の高齢者たちが、かつてはわずかばかりの田畑を耕して細々と生計を営み、どうにか日々を凌いできたとし、その中で現代では想像できないぐらいに悪疫退散・家内安全への強い願いを持つに至り、ゆえに「そうした生活体験を持つ高齢者層ほど、門祓い時などは、敬虔さをもって自らの身体をすすんで獅子振りの前に差し出すのである」と紹介している。
時代が変わった現代においても、獅子舞に対する萱ヶ沢の人々の想いや願いはきっと生き続けているのだろう。

10軒ほどのお宅を回った後に、一行は車に乗り込み、次のお宅へと移動を開始。午後から仕事が入っていることもあり、管理人はこのあたりで萱ヶ沢をあとにした。皆さん、引き続き頑張ってくださいね~😀

1時間ほどの滞在ではあったが、たいへん珍しいお寺本堂内での獅子舞・番楽舞、萱ヶ沢の人々の心の拠り所ともいえる門祓いを見ることができた。
コロナ禍のなかの公演ということで、例年とは違った部分もあったが、その影響をほとんど感じさせない、ありのままに近い盆獅子の姿を見れたのではないだろうか。
竿燈まつりや秋田県三大盆踊り(西馬音内・一日市・毛馬内)や花輪ばやし、さらには大曲の花火など規模の大きな行事が相次いで中止となったこの夏、あるべき姿を守りながら地域に長く伝わる行事を粛々と執り行った地域があったことをたくさんの人に知ってほしいと思う。


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