大森親山獅子大権現舞

2020年9月15日
相変わらず悶々とする日々が続いている。
8月には及ばないものの、9月はそれなりに伝統行事が行われる月なのだが、今年に限っては開催情報がとにかく入ってこない、ホントに。
コロナ第二波の広がりは予断を許さない状況であり、致し方なしと諦める他ないものの、9月後半から2~3か月間は伝統行事の数が一気に減ってしまう時期だし、その前に1つでいいから伝統行事を見ておきたいという管理人の身勝手な願望をかなえてくれたのが、今回の記事、鹿角市尾去沢八幡神社で行われる「大森親山獅子大権現舞」だ。

8~9月の鹿角市はとにかく魅力あふれる伝統行事がてんこ盛りだ。
豪華な屋台が練り歩き、花輪じゅうを熱く燃え上がらせる日本三大ばやしの一つ「花輪ばやし」、青森のねぶた・ねぷた行事との共通点を感じさせる王将大灯篭が見どころの「花輪ねぷた」、夏の終わりを鮮やかな踊りで締めくくる「花輪町踊り」、そして昨年まで5年連続で足を運んでいた、幽玄の「毛馬内盆踊り」、それ以外にも大太鼓行事や盆踊りなど充実し過ぎのラインナップなのだが、それらすべてが中止😣😣😣鹿角市HPを眺めては「ハア~~~」とため息を漏らしてばかりだった管理人だが、ある日HPに新着情報が!大森親山獅子大権現舞 ⇒ 開催!!!おーっ!今年は鹿角に行くことはなさそうと半分諦め気味だった管理人を歓喜させるのには十分すぎる。行事日の9月15日は平日だが、有休とります!もう決めました!ということで、どうにか9月中に行事を見ておきたいという願望を達成することができそうだ😄

当日。11時スタートに合わせ、8時半に自宅を出発。
秋田市~五城目町~上小阿仁村~北秋田市~大館市と進み、国道103号線から西山農免農道へと乗って南東へ車を走らせる。農道を下りて米代川沿いを少し下って稲村橋を通過。稲村橋といえば、2年前に花輪ばやしに出かけた折、真夏とは思えない寒い夜更けに全町内10台の屋台が集結したシーンを思い出す。そして11時ジャストに尾去沢八幡神社に到着

神社入口です⛩️

写真で見ると、随分人里離れた場所にあるような雰囲気だが、鹿角中心地から車で5分ぐらいの場所にありました。

鳥居をくぐると、山道みたいな参道が続いている。


秋田神社庁HPでは「創立言い伝えのみで不詳であるが、延宝8年再建。その後、数度修復営繕して、明治6年村社に列せられた。同10年村費にて新築。明治43年秋田県知事の許可を受け、字森ヶ崎無格社神明社を合併する。明治44年3月秋田県知事の許可を受け、字西道口無格社駒形神社、字蟹沢同荒神社、字新山同出羽神社、字軽井沢同駒形神社、字松子沢同稲荷神社を合併する。昭和42年9月現神社新築す」と紹介されている。
祭礼は1月の火伏せ行事、5月の豊作祈願祭、そして本日の例大祭(権現舞奉納)と年3度行われるそうだが、今年はコロナ禍のあおりを受け、豊作祈願祭は中止になってしまった。

階段を上る。

本殿が見えてまいりました。

中ではすでに神事が執り行われていた。


管理人は立ち会うことができなかったが、どうやら神官を先頭に社務所から本殿にかけて巡行が行われたようだ。
鹿角市が発行した「花輪・尾去沢の民俗(下)」を読むと、例大祭当日の流れとして「獅子頭を主体に洗米、御神酒、餅等七種の他諸物を加え、礼拝してから神社へ向かう。行列は神官、舞人を先頭に旗手、剣持ち、ホラ貝吹き、太鼓打ち、手平鉦、笛吹き、獅子頭」と書かれている。
国際教養大学民俗芸能アーカイブスDVDを観ると、たしかにそれらの神具を携えて集落内を回る様子が映し出されていた。

神妙な空気のなか、本殿内へと入ります。

観覧自由ではあるものの、マスクを必ず着用のうえ来場するようHPで周知がなされていた。
本殿入口付近に消毒液が置かれていたし、コロナへの備えはそれなりに行われていたようだが、やはり室内で行われる行事ということもあるし、そこは細心の注意を払わねばなるまい。
この時期、第二波が下火になりかけた時期ではあったものの、予断を許さない状況だったし、万が一クラスターなど発生させてしまっては行事決行という折角の英断に泥を塗ることになりかねない。

太鼓の上に獅子頭が置かれています。


居並ぶ白装束の方々
この皆さんが、これから始まる舞とお囃子を担当することになる(「花輪・尾去沢の民俗(下)」では「舞人」「楽人」と書かれている人たちです。番楽であれば「番楽連中」ということになるのでしょう)。
同書によると楽人の衣装は「白衣、白袴、白帯、白足袋、わらじ、烏帽子の出で立ち姿」ということであり、カラフルな着物、袴、装飾が特徴の番楽とはこの点が正反対だ。
なお、本来は舞人・楽人共に家督を継ぐ長男のみで構成されていたそうだ。

玉串奉納が始まりました。

ところで、権現舞と言ってもなかなかピンとこないと思うので、吉川弘文館発刊の「民俗小事典 神事と芸能」に載っている説明を引用したい。
権現様と称する獅子頭を被って行う儀礼や舞のこと。権現舞は岩手県や青森県の旧南部領だった地域に色濃く残る、祈祷儀礼を主体とした二人立ちの獅子舞である。(中略)獅子頭を権現様と称するのは旧南部藩領の岩手県および青森県で、秋田県・山形県では獅子舞という。
秋田や山形で獅子舞番楽と呼ばれる芸能はもともと山伏神楽から生まれたものとされており、それと同系統と考えられているのが鹿角市や小坂町などを含む旧南部藩領における「権現舞」ということになる。青森県の下北半島では「能舞」、岩手県の早池峰山を中心とした地域では「神楽」といったふうに地域で呼び名や内容が異なるものの、これらは全て同じルーツを持つ芸能と考えられている。

楽人がスタンバイ。いよいよ舞が始まるようだ。


約540年の歴史を持つと云われる舞
文明13年(1481年)に、この地の田畑を荒らし続けた化鳥の死骸に傷がついており、調べたところ大森山の麓の獅子頭に似た大岩の口の辺りに血がついていたことから、獅子が退治したものとして獅子頭を祀ったのがこの舞の起源となっているようだ。

舞が始まった。


最初に舞われるのが「素舞」
前舞とも呼ばれる舞で、舞人が幣束 → 素手 → 剣 → 扇&錫杖 → 扇と次々と形を変えて舞い続けられる。おそらくは舞台清めの舞だと思うが、県内の一般的な獅子舞番楽において「素舞」といえば、素手 = 神具を持たずに踊る舞を指しているのに対し、尾去沢では素舞 = 獅子頭を持たない舞という位置づけなのだと思う。
なお、この演目は①幣束舞 ②巫女の剣舞 ③権の形の舞(外獅子の舞)④青柳の舞 ⑤剣の舞 ⑥錫杖の舞(鈴舞)⑦扇の舞 (「花輪・尾去沢の民俗(下)」より)で構成されている。

剣の舞


先に舞の起源となった化鳥退治の伝説について書いたが、この伝説はかつて尾去沢の主要産業だった鉱業との関わりもあったようだ。
「花輪・尾去沢の民俗(下)」には、化鳥の死骸を解体した際に「その臓腑を開いたら金、銀、銅、鉛色の石が充満していた。尾去の村長が『吾近年夢の中で白髪の翁より親山を開けと六度も言われていたが、どの谷か分からなかった。この胃の中の物を見ると、この山の処々であろう』というので、処々を掘ってみると案に違わず四色の金石が沢山出た。この時からこれらの沢を尾去沢といい又御銅山とした始りである」と記されている。

きびきびとした所作


708年(和銅元年)に銅山が発見されて以来、1978年(昭和53年)までの長きにわたり、操業を続けてきた尾去沢鉱山。
この地では大権現舞以外にも鉱山と関わりのある伝統芸能として、大直利大太鼓(大坂夏の陣で敗れた豊臣方の将兵が、尾去沢鉱山に落ちのびてきて、金掘となって住むようになってからできたものと伝えられている)、からめ節金山踊り(長い鉱山歴史の尾去沢鉱山に働いた男女坑夫の仕事の中から、自然に生まれた歌と踊りで、素朴で情味溢れる鉱山特有の芸能である)が現在まで受け継がれている(説明は「花輪・尾去沢の民俗(下)」より)。
直利 = 大鉱脈、からめ = 選鉱作業といったように、すでにネーミングが鉱山にまつわるものとなっており、鉱山と芸能が密接に関連していることが分かるとともに、危険極まりない鉱山の仕事の裏返しとして、賑わいを見せてきたこの地の芸能の姿が浮かんでくるようだ。

舞人交代


先に書いたように、秋田県内に伝わる獅子舞番楽でも獅子頭を被ったり持ったりせずに舞われる演目はよく見られるものであり、例えば由利本荘市矢島町の濁川獅子舞では舞台清めの「神舞」のなかで「素手の舞」「扇の舞」「剣の舞」「襷の舞」が順に舞われている。
平成31年に由利本荘市・にかほ市の各教育委員会が合同で刊行した「国記録選択無形民俗文化財調査報告書 鳥海山北鹿の獅子舞番楽」では、濁川の素舞について「『素手の舞のうた』がうたわれると、舞手は立って素手で舞う。途中、足で梵字を書く所作もあり、回りながら両手を大きく振って激しい動作で舞い、両手で神に捧げる仕草で終わる。立ち膝のまま一休みする」と説明がされている。



舞のあとに地元の年配男性にお話を伺ったところ、尾去沢の権現舞は他地域に比べて「動きが緩やかで優しい」らしい。
そのときは、旧南部藩領の他地域の権現舞と比べて、というふうに理解していたが、国際教養大学秋田民俗芸能アーカイブスDVDで濁川獅子舞の扇の舞・剣の舞・襷の舞を視聴したところ、くるくると体を回転させたり、飛び跳ねたりという所作が折り込まれていたのに対し、尾去沢の素舞はそういった所作はほとんど見られない、たおやかで重厚な舞といった趣きであり、県内全域の獅子舞・権現舞のなかでも緩やかな優しい舞だということを男性は仰っていたのかもしれない(もっとも、本海獅子舞・本海流は祖である本海上人が若いころに伝えたのか、老いてから伝えたのかによって所作も大分違ってくるので、尾去沢の素舞とよく似たテンポ・所作の舞は鳥海地域の番楽の中にも残っている可能性はあると思います)。

本舞へと移行


囃子の音色だけが響く厳粛な空気の中、二人立ち一頭の獅子が粛々と舞を続ける。
権現舞の起源について「民俗小事典 神事と芸能」では「権現は仏が化身して日本の神として現れるという本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)からでたものをいい、中でも熊野権現や蔵王権現は、平安時代に修験道の発達とともに広く知られるようになった。特に熊野信仰の広がりとともに、その不況の手段として熊野や蔵王ばかりでなく、在地の山岳の神々を取り込み、その神霊を獅子頭に移し、権現様として家々を訪れる形式が広まったものと推定できる」と説明されている。権現信仰の流れを汲む舞がこの地に渡り、基幹産業である鉱業と結びついて、独自の発展を遂げたということなのだろう。
演目は①拝みの手 ②四方固め(三方頭)③冠で構成されている。



後幕を舞人(頭振り)のからだに巻き付けたり、激しく歯打ちを繰り返すあたりなど、管理人が見てきた本海流に共通する所作も多い。
権現舞という事で言えば、管理人がこれより前に見たのは青森県新郷村キリスト祭りでの「田中獅子舞」ということになる(あのときは権現舞というよりも、盆踊り = ナニャドヤラが目当てでした)。
鹿角市には他にも五ノ宮権現舞(1月2日大日堂舞楽で奉納される)、松館天満宮三台山獅子大権現舞などが、お隣小坂町にも出羽神社権現舞など、いくつもの舞が受け継がれている。これまであまり接することがなかったが、今日の鑑賞を機にいろいろ見てみたいと思う。
なお、花輪にはかつて小平白山権現舞、柴内出羽新山羽黒権現舞という2つの権現舞が存在していたが、どうやら現在は行われてなさそうだ。

獅子の前に桶が置かれた。米汲みの舞の始まりだ。


「花輪・尾去沢の民俗(下)」に「獅子頭が旧暦元旦に若水を汲んで飲むという所作で、他に類例のない特異なものとして注目されている」と記されている米汲み舞(よねくみまい)
これまで荒々しく舞っていた獅子が、柄杓を手に桶の水を飲む所作はたしかに独特で、自らの(幕に隠れているものの)手で道具を扱う姿は本当に珍しいと思う。
若水とは「後に元日の朝に初めて汲む水(中略)若水は邪気を除くと信じられ、神棚に供えた後、その水で年神への供物や家族の食事を作ったり、口を漱いだり茶を立てたりした」(←wikipediaより)ということで、おそらくはこの舞を以て参詣者の厄を払うといったような意味があるのでは、と推測

桶の周りを回ったのちに若水を飲む。


米汲み舞が終わり、これにて全演目が終了
例年であればこの後、湯立て神事が行われているようだが、この日は行われなかった。
鹿角市史第四巻によると「来年の稲作の出来具合を占う湯立が行われる。これは大きな釜に水を入れて湯をわかし、沸騰した稲ワラで作った刷毛でかきまわし、湯の中心からの泡の立ち上がり具合によって作柄の吉凶を占うものである。一回目は早生種、二回目は中生種、三回目は晩生種の順で行われる」と紹介されている。
湯立てののちに素舞と本舞の一部が舞われ、直会のあとに楽人・舞人が社務所へと戻るのが本来の流れなのだが、今年は湯立て・直会ともに行われないため、これにてお開きという事です。

厳粛な雰囲気の奉納舞が終わり、参加者に笑顔が戻ります。

管理人も帰路に着きます。


春から夏にかけてコロナのせいで中止やら活動休止が相次いだ県内の伝統行事だが、この権現舞についていえば、6月から保存会が中心となって地元尾去沢中学校の生徒に舞と囃子を教え始めたそうで、首尾よく行けば10月の中学校文化祭でお披露目できるかも、ということらしい。(後日、ネットで調べたところ、9人の生徒さんたちが楽人・舞人を務め、素舞と本舞の一部を披露したようだ。スゴイ❗❗)
それも元々は生徒さんの方から教えてほしい、との声が上がったそうで、そのエピソードを伝える保存会の代表の方の嬉しそうなご様子が印象に残った。

直会に代わって参加者全員に赤飯と酒が配られた。ありがとうございます😀😀

秋田県民にはお馴染みの、例の砂糖入りの甘ーい赤飯なんだろうな。。。と思いながら、帰宅後に食したところ「あれ?甘くない」
日本酒を隠し味に使ったえもいわれぬ上品なお味。そうか、ここは秋田県内の一般的な地域とは文化・風土が異なる旧南部藩領だった😅

これまでほとんど見る機会のなかった権現舞を十二分に堪能させてもらった。
保存会の代表の方曰く、「例年と同じく祭りが執り行えるか心配はありましたが、どうにか開催に漕ぎつけることができました」ということで、未だ収束の気配がないコロナ禍や他の行事が次々と中止となったことなど様々な事情を踏まえながら、今日の開催に至ったのだろう、関係者の方々のご苦労が実ったかのような良いお祭りだった。
そして何よりも権現舞の素晴らしさ。来年はコロナの憂いなきなかで、伝統の舞をたくさんの人に見せてほしいと思う。


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