十二所かまくらやき

2021年2月14日
この日、「アメッコ市」「川上地区の雪中田植え」のあとにお邪魔したのが、今回の「十二所かまくらやき」
本当は時間にせっつかれるかんじがして、行事のハシゴは好きではない。とはいいつつも、1日に3つの行事をハシゴするなんてのは初めてで、ちょっと猛打賞的な、ハットトリック的な自己満足を得たいのもまた事実。しかも折角大館まで来たわけだし、時間的にも問題ないし‥と訪問を決定。どんな行事なのか、期待を膨らませつつ、小坂町川上地区から、大館市十二所を目指す。

17時20分に会場となる、十二所公民館へ到着


公民館駐車場に車を止めて、公民館前へと移動
一般道から入って少し奥まった位置にある公民館に向かうまでの道が若干昇りになっているので、公民館から会場を見下ろすかっこうになる。
公民館向かって左側の雪壁には「2021かまくらやき」の文字が大きく掘られており、そのなかにはたくさんの紙コップろうそくが飾られていて、明かりで文字を浮かび上がらせている。因みにtwitterをフォローさせていただいている降魔成道さんも、管理人同様午前中にアメッコ市を訪問ののち、ここ十二所かまくらやきを訪れているらしくお会いできないかな~と少しキョロキョロしてみたが、すでに周囲が暗くなっていて探し出すことができなかった。

もう準備は整っているようです。


17時30分、行事の開始を告げる狼煙があげられた。
ところで、肝心の行事内容だが、火のついた炭俵を五穀豊穣・無病息災を祈りながら振り回す、といったものであり、仙北市角館で行われている火振りかまくらとほぼ同じようだ。
そして、かつて行われていたものの長く途絶えたままになっていたこの行事を、地元の有志の方を中心に2011年に復活させてから毎年2月14日に開催しているものとなる(2022年は残念ながらコロナ拡大のため、中止になってしまった)

かまくらやきが始まった。


次々に炭俵に火がつけられ、ぶんぶんと振り回される。
炭俵を回すのはかまくらやき実行委員の皆さんと希望者の方々。希望者には火の粉をかぶっても服を傷つけないように、との配慮から実行委員会のオレンジ色の法被が貸し出されるが、2021年はコロナ対策のため貸し出しはなし。
また、実行委員会のHPを拝見すると、例年は来場者に豚汁や甘酒が振舞われるようだが、そちらのサービスもなし。このコロナの状況下ではやむを得ないだろう。それでも地元の皆さんや、観光客が多数集まっていて、それほど広くない公民館敷地内は賑わいを見せている。

そこかしこで炭俵が振られる。


かつて、十二所で行われていたかまくらやきについては菅江真澄がその様子を記録している。
【かまくらやくの祝ひ】十四日 此夕くれつかたより人さはにむれたち、十二所の里なる、れいのかまくらやくの祝ひ見なんとて行けり。久保田に見しはやしにかはらざりけれど、秋の木の葉をいたくかい集て俵にこめて、これに火をかけてただふりにふれば、雪の上に紅葉のちりくかと、火花を春風にちらしたるは、めもあやに又なきためし。風情ことなりき。(稲 雄次さん「菅江真澄 民俗語彙より)


菅江真澄の記述の中に秋の木の葉をいたくかい集て俵にこめてとあるとおり、炭俵には秋に落ちた落ち葉を詰めていて、この作り方は現在においても変わっていないそうだ。地元の方から何故か「親分」と呼ばれているお一人の方が、落ち葉を拾い集めて計200個ほどの炭俵を製作されているとのこと。
角館の火振りかまくらは(コロナの影響がなかった時分に)特に海外からの観光客に人気で、地域のいろんな人たちに協力して作ってもらった炭俵をあっという間に使い切ってしまっていたらしいが、十二所のそれは観光色よりも地域おこしの側面が強いように見える。
200個もの炭俵製作はかなり難儀な仕事だと思うが、親分さんにはこれからも頑張っていただきたいと思う。それにしても親分!‥どんな方か少し気になります。

豪快だけど、何故か静的な印象の火振り。とても綺麗です。


夜の闇をバックに、炭俵の幻想的な炎が描く光はかなりフォトジェニックで、会場の周りにはたくさんのカメラマンが陣取っている。
管理人も公民館前にスペースを確保して、火振りかまくらの観光用写真でお馴染みの炎の輪を綺麗に撮りたいとシャッターを切りまくるのだが、どれひとつとして満足な写真を撮ることができない(一応、シャッタースピードと絞り値を計算したつもりですが‥😭)
撮影に集中するカメラマンたちをよそに、地元の小・中学生と思しき子たちは友達とのおしゃべりに夢中だ。特にこの日はバレンタインデーということもあり、「いけない!〇〇君にチョコ渡すの忘れた!」といったかんじで十二所女子たちがおおいに盛り上がっていた🙂


先にかまくらやきに関する菅江真澄の文章を紹介したが、江戸幕府が生活・習慣の調査のために各藩に配布し、それに答える形で秋田藩校明徳館の儒者 那珂通博が記録した「風俗問状答」にも、久保田藩内での火振りについての記述がある。金森正也さんが「秋田風俗問状答」として現代語訳版を執筆されているので、そちらから抜粋したい。
木の法螺を吹き鳴らして、ようやく日が暮れゆく頃、台の上に餅と御神酒を供え、火を切ってつけ、雪の壁の中に積みあげた藁や飾りを燃やす。火が燃え上がるのを待ちかまえて、四壁に立てた米俵を結びつけた棒を引き抜いて、これに火をうつして振り回す。これを見ようと垣根のように集まった群衆の中からも、若者たちが走り出てこれに加わり、同じように火を振る。米俵は200も300も用意し、つけかえつけかえ振り回すのである。


金森さんの訳文を読むと、冬の季節の静謐なイメージとは裏腹に、若者たちが羽目を外すかのように火振りに興じる姿が浮かんでくるようだ。菅江真澄が記録した頃の十二所でも、同じように賑わいを呈していたものと想像する。
時を経て2021年。いにしえのような若者たちが熱中する姿はないものの、地域の人たちが復活への道筋を模索して、こうして皆が楽しめる伝統行事として復活したことは本当に素晴らしいことだ。願わくば、コロナ禍が明けたあとにはコロナ以前を上回るほど、たくさんの人々を楽しませる行事であってほしいと思う。

約40分でかまくらが終了。ギャラリーが散開、管理人も会場をあとにした。

コロナ禍ということもあり、本当の姿ではなかったかもしれないが、十分にかまくらやきを楽しませてもらった。
かまくらというと、どうしても横手のかまくらのような雪室スタイルがメインの行事を想像してしまうが、今や数少なくなった(火祭りとしての)かまくら行事が継承されている様子を見られた、たいへん貴重な機会だった。2023年2月14日に再復活の狼煙が上がることに期待したい。


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