元城獅子舞/元城の盆踊り

2016年8月14日
第一回目の行事巡りは羽後町の元城(もとき)獅子舞/元城の盆踊りです。
夏祭りといえば盆踊りなのである。
その盆踊りと獅子舞が羽後町で同時に見られるという。

同時に見られる、と言っても盆踊りの列の中で獅子舞が一緒に踊っているとかそういうことではない。
同じ場所で時間をずらして、それぞれ別に行われるのだ。元城の盆踊りについては、インターネットで少し予習した。
あの西馬音内盆踊りの原型とも言われる盆踊りなのだそうだ。
西馬音内盆踊りについてはあらためて説明するまでもないだろう。
阿波踊り、郡上踊りと並んで日本三大盆踊りの一つとされ、8/16~18の3日間で全国から15万人もの人を集める羽後町の一大イベントである。
そのルーツである元城の盆踊りではあるが、こちらの方はごくローカルな盆踊りという一言につきる。
毎年8/14開催と決まっているのだが、ちょうど県南地方の実家に里帰り中だったこともあり、「ちょっと出かけてみようか」と車で30分ほどかけて羽後町に入ったのだった。

会場に向かう途中の田園風景。まさしく今は夏なのである。
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会場は元西地区堀回(ほりまわり)
因みに「元西」とは本来「元西馬音内」と呼ばれていたものが短くなった地名だそうだ。
オリジンオブ西馬音内であっても、今は西馬音内ではないということか。
何やら歴史を感じさせる呼び名ではある。

会場である元西公民館には、羽後町の中心地から車で10分とかからない。
18時には迷うことなく到着する。

いわゆるお祭屋台はないが、地元の方々の手作り感満載の屋台が出迎えてくれる。
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地元のちびっ子だろうか。ずいぶん真剣に的を狙ってました。
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車をどこに停めたらよいのか屋台のおじさんに尋ねたところ、屋台前を突っ切って公民館奥の元西保育園の方に停めればいいよ、と教えてもらった。
そこで車を動かそうと屋台前を通ろうとしたところ、何やら私を呼ぶ声が‥
と視線をその先に動かすと、何十年ぶりかの再会になる小学校の同級生が私に気づいて呼んだ声だった。
懐かしいというか、いきなりというか、獅子舞と盆踊りに気持ちが向かっている中で旧い友達に会うというのも何だか妙な感じ‥
ひとしきり昔話をしたあとに「俺ん家の前に車置いていいよ!」との言葉に甘えて、会場から歩いて30秒の友人宅前に車を置かせてもらったのだった。

獅子舞/盆踊りが始まるまでまだ1時間ほどあるので会場周辺をブラブラする。

公民館前にはこんな説明板が
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旧西馬音内城の大手門付近にあったとされる通称「ベコ石」について書かれているのだが、気になるのは明治27年8月に発生した大洪水に関する記述だ。
死者43人を出したというから甚大な被害ではあるが、本日行われる元城の盆踊りは100年以上前の大規模な山崩れが原因で開催が長らく途絶えていたというのを聞いたことがある。
近年やっと復活し、地域の大切なイベントとして今に至るというわけである。
ベコ石の説明板に書かれている大洪水と山崩れは同じ災害だったか、もしくは因果関係があるのだろうか。

因みに羽後町には「高尾田の盆踊り」という新成地区を中心とした盆踊りがあったらしい。
こちらは一旦途絶えたのを地元の方々の熱意で復活させたものの、現在は行われていないとのこと
長く続いた地域の行事が、住民の方々の意におそらく反する形で消えていくというのは本当に切ないものだ‥

元西公民館の裏手に広がる里山の景色
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ブラブラついでに公民館にも足を踏み入れてみる。
どうやら集会場で獅子舞が披露されるようだ。
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横の部屋ではつい今しがたまで宴会が行われていたらしい。
おそらく酔いつぶれたのだろうか、何人かが集会場の隅で雑魚寝ちゅうだった。
宴席におじさんが2人残っていたのでなんとなく話をする。
おふたりとも獅子舞の関係者の様子
獅子舞の継承はやはりたいへんらしく、1人のおじさんは「元西地区の大切な行事なので今の形を残していきたいけど、若い人がそもそもいないんだよね」と話していた。
秋田県内の小さな集落などどこも似たような状況だが、それでもここ元西地区は地域の人たちが中心となり地域おこしに精を出している、割とエネルギッシュなところなのだ。
集会場には獅子舞/盆踊りの写真と併せて、以前行ったイベントの写真が貼ってある。
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また、戦国武将小野寺公の居城だった西馬音内城址のパンフレットが制作されていたり、来る10月23日には「紅葉の大交流集会」と銘打って西馬音内城址巡りや昼食会、演劇などの出し物などイベントが予定されていたり、と地域の活性化に熱心に取り組む姿勢が伝わってくるのだった。

先ほどの獅子舞のおじさんから聞いた話だと「我ら元西地区の者は西馬音内盆踊りの発祥は小野寺家の菩提寺である西蔵寺と考えているけど、西馬音内本町の人たちに言わせると宝泉寺が発祥の地」なのだそうだ。
西馬音内盆踊りに関する文献がほとんどなく、ルーツが謎に包まれていることは有名だが、元城の盆踊りが何かの形で関わっていると考えてよさそうだ。

そうこうしているうちに集会場に三々五々人が集まり、けっこう会場が埋まってきた。
おそらくほとんどが地元の方なのだろう、顔なじみと世間話に花を咲かせたりの緩い空気のなか、皆が思い思いに獅子舞が始まるのを待つのだった。

そして19時30分になり、元城獅子舞が始まった。演目は「神前の舞」
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それにしても獅子舞って普通は正月に演るものでは‥?とずっと思っていたのだが、開演前に地元の方から聞いた話では「今日(8/14)以外にも、いろんな所に出かけて舞ってるんですよ」とのこと
正月しか獅子舞を舞ってはいけない!などと聞いたこともないので、これはこれでありだろう。
そういえばこれまで、ちゃんと見たことないし‥
「獅子舞」とは言いつつも他にも3つの演目があり、それらを総称して「元城獅子舞」ということでいいんかな?
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HP「秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト」によると「昭和48年(1973年)、堀回地域が、県のコミュニティモデル地区に選定されたのを契機に、郷土の民俗芸能や伝統文化の保存・継承を進めることとなり、その先陣を切って昭和49年(1974年)、元城獅子舞の保存会が結成されます。それ以来、堀回地域をあげての支援のもと、小学生を含む後継者への伝習を心掛け、獅子舞の継承を続けてきました。平成14年(2002年)には町指定無形民俗文化財第一号に指定されたのです。」なのだそうだ。

地元の方にうながされてかぶりつきというか真ん前で鑑賞
結構近い(笑)

神前の舞に続いて獅子舞が披露された。
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獅子舞では、お馴染みの頭を噛む動き
なかには妊婦さんもいらっしゃったが、きちんとお腹も噛んであげていた。
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獅子舞

「『信夫』は勇壮な武士舞い、頭に『シャガマ』と呼ばれる馬の尻尾で作ったかぶり物(武士を表現)を付け、太刀と白扇を持って悪霊退散の舞いを舞います。」(HP「秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト」より)
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「『鳥舞』は、鶏鳥烏帽子をかぶり、右手に輪鈴、左手に白扇を持ち、天岩戸の伝説を踊ります。こちらは豊作を祈願する舞い、太鼓を叩く者が唱える掛け歌が入ります。」(HP「秋田県のがんばる農山漁村集落応援サイト」より)
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と30分で一気に4つの演目が演じられた。
先ほどのおじさんいわく、旧十文字町に伝わる仁井田番楽と関連があるんじゃないか?とのことだったが、私は素人なのでよく分からない。
それでも、凧揚げや羽根つきと並ぶ正月の風物詩である獅子舞がどういった流れを辿り、ここ元西で今に至っているのかを調べるのもなかなか興味深いんじゃないだろうかと思った。

会場の全景
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お開きの時に会場の全員に餅が配られました。
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続いて20時から公民館前の通路を会場に移して、元城の盆踊りの始まり
公民館の真ん前に建てられた櫓には太鼓4名、笛3名、三味線1名、地口1名(かと思われる)
太鼓は大人2名と子供2人
4人が太鼓を一斉に叩くわけなので、そこはタイミングが合わないこともしばしば
ご愛嬌である。
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先ほど獅子舞を鑑賞していた人たちが一気に会場の外に出た。
と思ったら進行の関係だろう、すぐによせ太鼓が鳴り響き元城の盆踊りが始まった。
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さて、肝心の盆踊りだが、西馬音内盆踊りと共通する部分が多い。
踊りは音頭とがんけの2つで、こちらは西馬音内とは少々違う振り付け(元城のほうがシンプルな動き)だが、お囃子の方はまるで西馬音内と同じなのである。
それもそのはずで、元城の盆踊りが途絶えたときにお囃子が伝承されずに、西馬音内のものを拝借したらしい。
本来の元城の盆踊りのお囃子がどんなものだったが気になるが、おそらく西馬音内に近いものだったのではないだろうか。
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地口については西馬音内と同じものもあれば違うものもある。
踊りが始まって早々に歌詞が出てこなかったり、途中が抜けたりとグダグダなかんじだった。
すでに結構飲っていたと思われる(笑)

振りについては西馬音内に近いが似て非なるものという印象を持った。
がんけについて言えば、振り自体はもしかすると同じなのかもしれないが、西馬音内にあるような一種スタイリッシュな雰囲気はなく、ひたすら和気あいあいと踊りが続けられる。
それにしても、こういった夜のイベントをきちんと写真に収めるのは難しい。
写真のテクニック云々の前にカメラの基本を心得ていないのでそこはご容赦願いたい。
ということで、フラッシュを使ってみたり。
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お盆期間中ということで、帰省中の方も踊りの輪の中に少なからずいると思われる。
ふるさとにこのような行事があり、昔踊ったときと同じように踊れるというのは本当に素晴らしいことなのだ。
まさしく老若男女が一緒となって、地域の絆を確かめ合う瞬間なのだろう。
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途中から端縫い衣装をまとった女性が踊りに参加
ついつい「おおっ!」とテンションがあがってしまう。
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おばあちゃんたちは座ってのんびりと鑑賞
この会場では見かけなかったが、地方の盆踊りに行くと、かなりの高齢のおばあちゃんが踊りの輪に加わらずにひとり沿道で昔を懐かしみながら踊っている光景を見ることがある。
おばあちゃんが可愛いのと、連綿と続く伝統の継承をライブで見ているような気がして結構好きなシーンだったりする。
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会場はかなり明るめの照明に照らされているので全く暗くないのだが、踊りの輪の中心にはバーベキュー用のグリルがあり、薪が焚かれていた。
おそらくオジャレ(祖先の霊を迎える、または送る際に家々の前に焚くかがり火)の代わりということなのだろう。

そろそろお開きの時間が近づいてきています。

やはり締めは「がんけ」
西馬音内と同様、お囃子が速くなり踊り手も遅れを取るまいと頑張って踊ります。
そして踊りが終わると同時にお囃子が鳴り響いて、踊り手や観客が櫓の周りに集まり出す。

櫓の周りの人たちは一様にビニール袋を手にしている。
そう、フィナーレからの流れで餅まきが行われるのだ。
みんな一生懸命餅をキャッチしたり、拾ってかき集めたり
当然地面に転がったまま放置される餅などない。
それにしても、私が子供の頃は親に「○○ん家で餅まきあるから行って来い」と言われ、無邪気に参加していたものだ。
小さな集落ではあったが、それでも結構頻繁に餅まきが行われていたような記憶がある。
いつの頃からか見なくなったが、消え去った風習と化したのだろうか。
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ということで21時に盆踊りもお開き
祭りが終わったあとというのは熱気の名残りと静けさが入り混じった何とも言えない雰囲気になる。
一つ言えるのは「祭りが終わったなあ。。。」という寂しさと、「また明日から頑張ろう!」と元気にさせてくれる活力が違和感なく同居する心持ちになれるということ
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獅子舞の前に再会した同級生宅にお邪魔して、麦茶をご馳走になりその後秋田市へ帰った。

ということで元城獅子舞と元城の盆踊りを紹介させてもらった。
最初から最後まで西馬音内盆踊りと比較してしまったが、元西地区の人たちの素朴ながらも自分たちには西馬音内盆踊りにも負けない素晴らしい行事があるんだぞ、との心意気が伝わってきた。
羽後町といえば誰もが西馬音内盆踊りをイメージしがちだが、すぐ近くにプライドと地元愛とちょっぴり羨望を持ちながら盆踊りを踊り続ける地域があることを是非秋田じゅうの人たちに知ってほしいと思った。


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