秋田竿燈まつり

2017年8月4日
秋田の祭りに関するブログを書いているなら、今回のお祭りを外すわけにはいかないだろう。
いや、ブログタイトルが「秋田の小さな祭りたち」なので、別に規模の大きな祭りは対象外でも問題ないのだが、管理人が長年にわたり観覧し続けてきた思い入れのある祭りでもあるので記事にしてみたい。
「秋田竿燈まつり」
青森のねぶた祭り、仙台の七夕まつりと並んで東北三大夏祭りの1つとされている、秋田を代表する祭りである。

会場である竿燈大通りを282本(今年の本数)の竿燈が一斉に埋め尽くす様子は、全国版のニュースでもよく取り上げられるので秋田県外の人にもよく知られていると思う。
開催期間である8月3~6日の4日間で130万人もの観客を集める、とにかく秋田随一の規模の祭りなのだ。
詳細は秋田竿燈まつりHPでご覧いただきたい。
管理人宅は竿燈大通りから歩いて15分ほどの距離なので、仕事帰りであっても余裕で観覧できる気軽さもあり、4日間のうち2~3日は必ず行っている。
今年は8月3・4・5日の3日間見ることができたが、その中から8月4日観覧分のレポートをお伝えしたいと思う。

8月4日
6時に仕事が終わり、6時半には一旦帰宅。準備をして6時40分には家を出た。
自宅から竿燈大通りまでは秋田駅方面に向かって進むことになる。
途中、けやき通りにズラーッと並ぶマイクロバスがどこのナンバーか見るのが、管理人にとっての密かな楽しみでもある。
東北各県のナンバーが目立つが、中には「千葉」、「水戸」なども見受けられる。

そして大通りへ出る。
この先の、山王十字路から先が竿燈大通りであり、多数の竿燈会が今や遅しと入場の合図を待っているところだ。

管理人は鑑賞ポイントを大町にある日銀秋田支店横の歩道といつも決めている。
左右どちらを見回しても中央分離帯に設けられた4段の観覧席が見えることで、たくさんの観客がいることが確認できるし、何となく一体感を感じ取れるからだ。
入場時間である7時には、鑑賞ポイントに到着できるよな‥と思っていたら、6時50分に入場の合図である花火が上がった(本当は何年か前から6時50分に変更になっていたようだ)。
別に入場後であっても鑑賞ポイントに着きさえすればよいのだが、できれば竿燈の入場から見たい。
ということで少し急ぎ足で移動を開始した。

結構汗をかきながら鑑賞ポイントに到着
ここ、日銀秋田支店横にいると周囲からお囃子の音色は聞こえてくるものの、場所的に竿燈の行進が見られるまで5分以上待たなければならない。
それが逆に管理人含む観客たちにとって登場の期待感を高めることになり、行進の先頭が見えてくると拍手喝采を以て迎えるのが常だ。
山王十字路側から入ってきた一団がお目見え

各竿燈会が入場するのは山王十字路側、大町通りの2ヶ所(赤れんが館通り側、大町2丁目側)の計3ヶ所だ。
それぞれの路上で待機し、入場の合図と同時に3ヶ所から同時に入場を行い、時計回りに進み竿燈大通りの両車線にまたがって輪を作り、整列することになる。
言葉ではうまく説明できないので下手くそな図に書いてみた。

全ての竿燈会が入場し、配置につくまで結構時間がかかる。
以前は、早く竿燈の演技を見たい!という思いから、「時間かかってるなあ‥、待つのかったるいわ。。。」などと思っていたのだが、勇ましさの中にそこはかとない哀愁を感じさせる「流し囃子」の音色、笛、太鼓を一生懸命演奏するお囃子方、結構豪華なトラック屋台など数々の見どころがあることに気づいてからは、そのように思うことはなくなった。

上鍛冶町竿燈会が入ってくる。
現在秋田市内に「上鍛冶町」という町はなく、名称に「○○町」とつく大半の竿燈会の場合、かつて外町と云われた地区にあった旧町名が由来となっている。
外町は江戸時代に商人・職人の町として栄え、竿燈行事の発展の礎となった。
それがやがて武士を中心とする内町へ伝播し、時代を経て職場・企業、学校単位での参加が始まり、現在の竿燈まつりの盛り上がりへと繋がっている。

秋田市役所竿燈会のお囃子方。お役所らしからぬ明るい笑顔が素晴らしい(←別にお役所とか関係ない)。

全ての竿燈会が入場し、演技開始の合図を待つばかりとなった。
管理人の前で演技をするのは「秋田さきがけ竿燈会」
秋田県民には「郷土の新聞」としてよく知られている地方新聞であり、管理人もお祭り・行事の記事などをよく読ませていただいている。
秋田さきがけ竿燈会は、戦後盛んになった、職場・企業単位で参加する「職場竿燈」の一つである。

そして秋田市長の挨拶に続いて、竿燈会会長の号令のもと、竿燈囃子の演奏が始まる。
その後、竿燈が一斉に立ち上がる!

竿燈が立ち上がった瞬間に「おおー」という歓声があちこちから聞こえ、カメラのフラッシュが無数に焚かれる。
会場全体がこれから始まる演技への期待感に包まれ、何とも言えない瞬間だ。
また、市長の挨拶は日本語で普通に行われたあと、英語による挨拶が行われるのが恒例となっている。
管理人が竿燈を見始めた頃は、外国人観光客とかいないんだから英語の挨拶、別に要らんだろーなどと思っていたが、ここ数年活発になったインバウンド政策の影響か、今では本当に外国人の観光客が多くなった。
それも中国、台湾、韓国などのアジア圏やアメリカばかりではなく、フランスからの観光客もいたし、ムスリムの方も見受けられた。

さて演技が始まった。
竿燈演技で何より気になるのは「風」
あまりの強風であれば安全性を考慮して、行事が中止になることもあるらしいが、少しぐらいの風はものともせずに演技を行う。
ただし、演技のクオリティは良好なコンディションの時に比べて劣ってしまう。
「継ぎ竹」と呼ばれる、竹を何本も足して高々と竿燈を上げる演技は出しづらくなるし、傘をさしたり、大きな扇子をかざしたりなどの派手な演技もあまり見られなくなる。
で、この日は「やや吹いている」ぐらいのかんじ
演技に大きな影響を及ぼすことはないが、100%のコンディションという訳でもない。
差し手の技量次第で良くも悪くもなる、というかんじであろう。



風上側に向けてやや傾斜を強めて差しているのが分かるだろうか。
風の強さ・向きなど刻々と変化するのが当たり前だし、会場のどの場所で差すのかにもよって風の影響度合いは異なる。
それらに如何に上手く対処して演技を披露するのかは、差し手にかかっている。

で、風への対応が上手くいかないと、こういったシーンを見てしまうことになる。

倒れた竿燈を再び持ち上げます。

竿燈が倒れるのは珍しいシーンではない。
管理人と同じように歩道に立って観覧していれば、万が一竿燈が倒れ込んできたとしても逃げればよい訳だが、観覧席の観客は横にも前後にも逃げ場がないため、竿燈が倒れてきた場合直撃を受けてしまうことがある。
そればかりか観覧席最前列の観客にいたっては、バランスを取ろうと四苦八苦する差し手自身がぶつかってくることも多い。
それでも竿燈や差し手がぶつかってきた、おそらくは県外からの観光客たちは「いいよ、いいよ。大丈夫、大丈夫♪」と気にするふうでもなく、何だか楽しそうだったりする。

差し手たちはさまざまな技を披露
平手




技の難度で言えば、腰が最も難しく、肩が比較的簡単と云われている。
堀田正治さんという方の書いた「竿燈の本」を読むと、人間がものを担ぐときには肩を利用するため、結構な荷重にも耐えられることが簡単な要因ということらしい。
ただ、それらの技を駆使して竿燈を上げられる、というだけでは駄目で、安定した姿勢かつ綺麗なフォームで差さなければいけない。
「竿燈の本」にも、それぞれの技の理想のフォームに関する記述があるし、継ぎ竹を何本足せるかといった派手さではなく、理想とされる姿勢を保ったうえで大技を繰り出すのが本当の姿なのだと思う。

演技は途中休憩を入れて3度に分けて行われる。
なので、1回目はおそらくウォーミングアップの意味合いを含んでいるのだろう、大技や何本も継ぎ竹を足すシーンを見ることは多くないように思うが、コンディションやタイミングが良ければ1回目から躊躇なく、それらが披露される場合もある。

管理人から見て左側では上亀ノ丁竿燈会が演技

上亀ノ丁の町紋が描かれた提灯とともに自動車メーカー「ダイハツ」のロゴが描かれた提灯も見える。
現在ではほとんどの町内竿燈会にスポンサーが付いており、提灯にスポンサーロゴが入った竿燈を町内の伝統的な竿燈とともに上げている。
「竿燈の本」は平成7年出版の本だが、企業竿燈・広告竿燈に関して宣伝色が過剰になることを懸念した結果、企業名を入れられる提灯は最下段の4個のみでそれ以外の提灯には企業ロゴを入れることに決定した旨の記述がある(それ以前は縦、または横二列までに会社名や広告文章を入れることが許可されていたらしい)。
現在は「竿燈の本」に記載されているとおりの仕様になっており、伝統行事と企業PRのバランスを上手く取っていると言えるだろう。

15分ほどで1回目の演技が終了
白熱した演技を披露した秋田さきがけ竿燈会の皆さんに、観覧席、沿道の観客たちから惜しみない拍手が送られる。
そしてこのあと全竿燈会が時計回りに少し進み、次の場所で2回目の演技を行うことになる。

そして2回目の演技の配置が整った。
管理人の真正面に竿燈は来なかった。
左手側には毘沙門町が

毘沙門町の皆さん、川尻の鹿島祭りの際にはお世話になりました!美女しかいません。

右手側には川尻小学校竿燈会が

提灯にはもちろん川尻小学校の校章が描かれている。

真正面に竿燈が来ず、左右にばらけてしまうのはよくあることだ。
ならば真正面に来るように移動すればいいのでは?と思われるかもしれないが、このぐらいの時間になると大混雑になっており、移動がままならない。
また、なんとか移動したところで人垣の最後方で観覧することになり、見えづらくなるので管理人は基本的に移動しないことにしている。
この場合には左右どちらの竿燈会の演技が上手いかを見極めて、上手いほうの演技に集中することにしているが、今回は川尻小学校竿燈会のほうが近いのでそちらを観覧することにした。

そして2回目の演技開始!

竿燈まつりではたくさんの小中学生が演技を披露するが、彼らの演技からは一生懸命さが伝わってきて、思わずジーンとしてしまう。
沿道の観客たちもその頑張りに声援を送り、何とも言えず素敵な雰囲気が作り出される。


ここで差されているのは高さ7m、重さ15kgの「小若」
演技のスケール感や安定感には大人が差す大若(高さ12m、重さ50kg)に及ばないものの、小学生でも扇子をひらひらとなびかせたりする子もいて大人顔負けの演技を見せてくれることもある。
この子たちがやがて中若(長さ9m、重さ30kg)を経て、大若を差すことになるのだろう。

川尻小学校児童たちの演技が続く。
今年は差し手9人、お囃子方20人が参加したそうだ。
同小学校のHPを覗いてみたところ、児童による秋田音頭の踊りの動画がアップされていた。
郷土芸能、伝統行事の大切さを子供たちに学ばせようとする姿勢が伝わってくる。


額から肩、肩から腰へ見事に竿燈を持ち替える。
現在では学校単位での参加も多く、秋田県立大学などは竿燈妙技会においてコンスタントに上位の成績を収めるほどの強豪だ。
因みに学校として、初めて竿燈まつりに参加したのは山王中学校らしい。
昭和44年に授業の一環として郷土芸能クラブが設立されたことをきっかけに、竿燈の練習が始まり、同年の竿燈まつりに2本の中若を出竿したそうだ。
そのときの中学生たちは、今は還暦を迎えるぐらいの年齢になっているはずだ。

左側を見ると毘沙門町竿燈会が懸命の演技


会場中に鳴り響く「どっこいしょー、どっこいしょ!」の掛け声(スピーカーを通してのものだが)
「どっこいしょ」の語源は仏教用語である「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」から来ているそうだが、「竿燈の本」で著者の堀田さんは「ど根性」の意味も持ち合わせている、と指摘されている。
力と技だけでなく、気力と精神力も兼ね備えていないと一流の差し手になれない、まさに竿燈を象徴するかのような掛け声なのだ。

向こう側では6本目の継ぎ竹が足されたようだ。

とにかくしなっている。
ちょっと前までは、これぐらいにしなる竿燈を見ないと竿燈を見た気にならなかった。
5本の継ぎ竹をしているところに、6本目の竹を持った差し手が(6本目を足そうと)うろうろし始めると「早く6本目を足して、そのしなりまくる竿燈を見せてくれ!」と興奮したものだ。
今はそれほど継ぎ竹にこだわることもなく、先にも書いたように差し手と竿燈が一体になった形がどれだけかっこよく美しいか、というのを基準に観覧するようになった。
管理人も少しは竿燈鑑賞の達人に近づいたということか?(←ただの自惚れでしょうね。。。)

その小さな体で精一杯の演技を披露した川尻小学校のみんなに暖かい拍手が送られる。
「頑張ったね、本当に良かったよ!」と声をかけてあげたい気分だ。

そして2回目の演技を終えた全竿燈会が最後となる3回目の演技に向けて移動を開始
幼若をかつぐ立正佼成会竿燈会のちびっこ。沿道の観客たちから「可愛い~」と大人気でした。

「川五」と呼ばれる川反五丁目竿燈会
企業スポンサーをつけない数少ない(唯一の?)町内竿燈会として知られている。


川五を含む、旧外町の竿燈会の人たちからは「自分たちが竿燈を支えてきた」という強烈な自負が伝わってくる。
今では東北を代表する祭りとして確固たる地位を築いた竿燈も、明治時代後期に電線が市内じゅうに張り巡らされた際には廃止になりかけたり、そのダイナミックな演技に見合った会場がなく、毎年あちらこちらを転々とさせられたり、と雌伏の時期があった。
そういった低迷期にも旧外町の人たちの情熱が途切れなかったからこそ今の隆盛がある訳であり、その貢献度は計り知れない。

そして3回目
管理人の目の前には「新屋竿燈会」の面々が居並んだ。
ここの竿燈会は町内竿燈、スポンサー竿燈合わせて(おそらく)6本の竿燈が揃っている。
結構派手で賑やかな演技が期待できそうだ。

そして3回目の演技が開始!

まつりが始まった当初から吹いていた風は強くもならず、弱くもならずというかんじだが、差し手にとって少し厄介な相手であることに変わりはない。
風で右往左往の演技を強いられる中、踏み止まって魅せる演技を披露する差し手も見られる。
管理人が思うに、良い演技の条件の一つは「ほどほどに力が抜けていて、余裕を感じさせること」だと思う。
いっぱいいっぱいの状態で演技する差し手には思わず声援を送りたくなるが、風などのコンディションを考慮しつつも意のままに竿燈を操り、最高の演技を見せる差し手には賞賛の念を禁じえない。

新屋竿燈会の提灯・半纏には「百三段(ももさだ)に松」が描かれている。
明治時代に新屋が百三段新屋村と呼ばれていた頃の村章である百三段と、江戸時代に久保田藩士 栗田定之丞(くりたさだのじょう)が整備した砂防林に因んで松があしらわれたデザインとなっている。
おそらくたくさんの竿燈会の紋章には独自の意味があるだろうし、それら一つ一つを探っていくのも面白いのではないだろうか。

差し手集中鑑賞タイプ(そんな用語はありませんが)の管理人からすると、竿燈の本数が多過ぎるのはあまり好ましい状況ではない。
どの竿燈を見て良いのかよく分からずに目移りしてしまい、一人の差し手、一本の竿燈に集中できないからだ。
しかし、たくさんの竿燈が風に翻弄され、右に左にドドドーッと移動するさまは結構面白かったりする。
たくさんの観光客も差し手たちの奮闘にやんやの喝采を送るのだった。

白熱した3回目の演技も終わり、今日の演技は終了となる。
終了に際して竿燈会の人たちと観客とで、「どっこいしょー、どっこいしょ、どっこいしょっしょ、どっこいしょー」に手拍子を合わせる「竿燈締め」と呼ばれる手締めが行われる。

その後は約10分ほどの「ふれあい竿燈」の時間となる。
観光客が実際に竿燈に触ったり、持ち上げたり、記念撮影を行ったりできる自由時間だ。
本来、竿燈は女性が触ったり差したりすることを禁忌としているが、このふれあい竿燈においてはその限りではない。
また、「小若ぐらいなら差せるだろー」と観光客がチャレンジするも、バランスを取れずにフラフラするのがふれあい竿燈におけるお約束シーンだったりする。


※こちらの写真は翌8月5日に撮影しました。写っているご本人たちからブログ掲載の許可をせっかく頂いたものなのでアップしてみました。

会場は写真のとおり人で溢れているが、記念写真を撮ったり、太鼓を叩いたりする観客たちの笑顔があちこちで見られるおかげで、混雑ぶりがたいして気にならない。


ということで、2日目にあたる8月4日の竿燈まつりは終了
今年は例年になく晴天続きで、4日間全ての開催日が好天に恵まれた(この時期の秋田は梅雨明け直後であり、比較的晴天の日が多いが、それでも雨に見舞われることもある)。
秋田の短い夏の中でもっとも暑い時期に行われたこの祭りは、たくさんの見物人、観光客の心に刻まれたと思う。

管理人は常々竿燈まつりのことを「日本で最も過小評価されている祭りのひとつ」だと感じている。
では、「他に過小評価されている祭りとは?」、「逆に過大評価されている祭りは?」などと問われると答えに窮するのだが、とにかくそんな気がしてならない。
竿燈が一斉に立ち上がったときの絢爛な様子、蝋燭の炎がゆらめく提灯のひとつひとつ、高さ12~13mにもおよぶ巨大な竿燈、差し手の豪快かつ繊細な演技など、静と動の様子が喧嘩し合うことなく共存する、本当に美しく壮大な祭りだと思う。
ただ、その真価が日本全国にあまねく知られているかといえばそんなことはないと思う。
「東北三大祭りのひとつ」として知られてはいても、その素晴らしさは実際に鑑賞しないと分からないというか、理解されていないような気がする。
おそらく、竿燈が立ち並ぶ「静」のイメージが定着し過ぎていて、差し手の熱演やそれを鑑賞する観客たちの盛り上がりといった「動」の側面があまり伝わっていないのではないだろうか。
会場でそれとなく県外からの観光客と言葉を交わすことがあるが、その方々は一様に「思った以上に迫力があるねえ!」、「想像以上に熱い祭りですね!」といったように、竿燈まつりの豪快さやスケールの大きさを賞賛する。
そういった竿燈の魅力全てをきちんと発信していけば、今以上に発展して大きくなれる祭りだと思うし、地元秋田の人たちにとってもなお一層誇れる祭りになり得ると思う。


“秋田竿燈まつり” への2件の返信

    1. 隣人1号さん
      いつもありがとうございます!
      大メジャーな祭りである竿燈ですが、いろいろ調べるとまだまだ分からないこと、知らないことがたくさんありました。
      やはり奥が深いです!
      と言いますか、すべての祭り・行事は奥が深いのが当たり前であって、掘り下げれば掘り下げるほど新しい発見があるものなのですね。
      また一つ、勉強した気分です。

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