平枝番楽/本海獅子舞番楽 八木山講中/柳原番楽/八敷代番楽/釜淵番楽

2017年10月15日
秋の深まりと同時に、冬の訪れを意識せざるを得ない時期となった。
9月にはまだまだ秋田県内各地で行われていた伝統行事も、10月ともなれば本当に数が少なくなってくる。
という理由からではないが、今回は秋田を飛び出して隣県の山形にお邪魔して番楽を鑑賞した。

山形県真室川町にいる親戚から「次の日曜日に番楽フェスティバルがあるぞ」と聞いたのはちょうど一週間前のことだった。
たしかに以前から、その親戚に真室川町釜淵の釜淵番楽のことをいろいろ尋ねていたのだが、番楽フェスティバルというのは初耳だった。
聞けば、真室川町ふるさと伝承館で年に1度行われている催しらしい。
ということで秋の真っ盛りにちょっとしたドライブがてら番楽フェスティバル鑑賞を決めたのだった。

当日
前日に横手市増田町の実家に泊まり、午前中に出発して、国道13号線をひたすら南下する。
真室川町は境を秋田県に接する山形県北部の町であり、1時間も車を走らせると到着
新庄市内まで足を伸ばしてぶらぶらと過ごしたあと、真室川町隣の金山町で昼食をとり、1時の開演に間に合わせるべく県道344号線を酒田方面へ車を走らせる。
結構な距離を走ったのち、ようやく到着しました。
駐車場となった旧平枝小学校

時刻はちょうど1時
駐車場から歩いて3分のふるさと伝承館へ
おっありました。
管理人的には村の公民館のような少々くたびれた建物だと思っていたのだが、これは立派な施設です。

ところで‥
山形県の番楽とは現在どんな状況なのだろうか。
秋田県を中心とした伝統行事をフォローするのみの管理人には、とんと見当がつかない。
そこで秋田県立図書館で菊地和博さんという方の書かれた「やまがた民俗文化伝承誌」を借りて、大まかに把握することにした。
山形県には現在計6つの番楽が継承されているらしい。
①杉沢比山番楽(遊佐町)
②平枝番楽(真室川町)
③釜淵番楽(真室川町)
④八敷代番楽(真室川町)
⑤稲沢番楽(金山町)
⑥柳原番楽(金山町)
という具合だ。
そして、そのいずれもが鳥海山の裾野の町であり、当然のように本海流番楽の流れを汲んでいる(秋田県矢島地方より番楽が伝わったとされている)。
特に真室川町は上記の3つが現存するほか、以前は小国・山屋・及位・鏡沢・大滝・下春木の6ヶ所でも番楽が舞われており、山形県の番楽の宝庫となっていたそうだ。

ふるさと伝承館に入る。
受付で数枚のパンフレットをいただいた。
その中に番楽フェスティバルの概要が記されていたので抜粋すると「平成5年から(真室川)町内3団体の交流と技術の向上を目的として開催したのが始まりである。第3回以降は、起源とされる秋田県由利本荘市(旧鳥海町)本海獅子舞番楽や金山町の番楽団体、遊佐町杉沢比山との競演や交流を行っている」とあった。
今年は25回目の開催となるわけだ。
そして入口を過ぎると、小さなステージがあってそこで舞が披露されるのか?などと思っていたが、それも違った。
やや広めの座敷が二間あり、1つが舞台として、1つが客席として使用される。
一般家庭のお座敷で見物するのと大きな違いはなく、極めて濃密な空間で舞を見られるということだ。
一般の観客は30人ほどいて、カメラマン、マスコミ関係の方なども多く見受けられた。
会は主催者の挨拶から始まり、来賓の祝辞へと続く。

真室川町、金山町の町議会議員さんなどが次々と挨拶を行う。
それに続いて、「やまがた民俗文化伝承誌」の著者である菊地和博さんも臨席されていたようで、番楽の解説や見どころの紹介をされたのだった。

そして待ってました。
いよいよ番楽の始まりです。
まずは真室川町の平枝番楽から


本海流番楽の特徴、というか本領とも言える獅子舞の登場である(本海流は最初に獅子舞が舞われることになっています)。
県立図書館で借りた「本海番楽 -鳥海山麓に伝わる修験の舞-」には、本海流の伝承地で聞かれるという「本海番楽には獅子舞がある。獅子舞がないのは本海番楽ではない」という言葉が紹介されている。
まさしく、本海流の肝なのだ。

本海流獅子舞は二人立が特徴だ。
一人は前に立って獅子頭を持ち、もう一人は後ろで「後幕とり」と呼ばれるとおり、舞い手を幕にくぐらせたり、幕を広げたりなどしながら、一頭の獅子のごとく舞うのが持ち味となっている。
「本海番楽 -鳥海山麓に伝わる修験の舞-」に本海獅子舞番楽の下百宅講中の獅子舞の所作が細かく紹介されているが、非常に繊細かつダイナミックな動きが必要なことが文章から伝わってくる。
おそらく平枝番楽においてもそこは同じであり、日頃の鍛錬がものを言う世界なのだろう。


素晴らしい緊張感とともに最初の演目を鑑賞できた。
やはり、この閉ざされた空間で観る番楽はこれまで見てきた番楽とは趣が異なる。
9月に見た富根報徳番楽のような、神社の境内で行われるくつろいだスタイルも全然ありだが、こちらはこちらで舞い手の息遣いが生々しく伝わり見応えがある。
以前は旧暦8月1日の平枝神社祭典において奉納されたあと、各家々を回って悪魔祓いをする「門獅子」が行われていた。
現在は簡略化され、各家々を回ることはなくなったようだが、歴史と伝統を感じさせる神聖な舞を見ることができた。

続いては「先舞」が披露された。


ミニマムなお囃子をバックに、淡々とした、だが重厚な舞が繰り広げられる。
本海獅子舞番楽に「先舞」なる名称の演目は見当たらなかったが、おそらく式舞に分類される演目なのだろう。
また、「先」と付くだけに番楽諸曲の最初に舞われる「先番楽」(獅子舞のあとに舞われる)の位置付けの演目でもある。

平枝番楽では「獅子舞」「先舞」「鳥舞」「三人太刀舞」「三番叟」の5つの演目が伝えられている。
「やまがた民俗文化伝承誌」によると、以前舞い手を務められていた方の談話として「三番叟を間違うとその年は不作になるという言い伝えがあったので、舞のあいだ15分間は緊張のし通しだった。上手く舞えば豊作になるので村全体の運命を背負って踊るようなもんだった」とある。
本海獅子舞番楽がそうであるように、平枝番楽も地域の人の願望を一身に背負いながら舞われてきた重みを感じさせるエピソードだ。


平枝番楽が終わった。
オープニングから伝統を感じさせる、由緒正しい舞を見ることができた。
また、平枝地区では昭和55年に年少の子たちへの継承を目的として「平枝少年番楽」を立ち上げ、現在も活動を継続している。
活動の様子はyoutubeにアップされていたりするので実際に見ることが可能だが、少年少女たちが自分のルーツとでも言うべき番楽に一生懸命に取り組んでいる姿には思わず声援を送りたくなってしまう。
今後も地域に根付く伝統芸能として、大いにその活躍に期待したい。

手早く番楽幕が張り替えられる。

続いては秋田県から、本海獅子舞番楽八木山(やきやま)講中
演目は「祓い獅子」


祓い獅子は火伏せの祈祷を目的とする柱がらみ(新築家屋の中心となる柱に獅子が絡む)や、家内安全・健康祈願を目的とする盆獅子などで披露される舞だ。
形式的には、獅子頭を持つ前に舞われる「下舞」がまるまるカットされている獅子舞ということになる(というか、これが八木山講中のスタンダードな獅子舞らしい)。
二人がかりで獅子の後方に立って幕を広げているが、冒頭で見どころを紹介した菊地さんによると、途中で後幕とりが2人になるのはたいへん珍しいとのこと

先に登場した平枝番楽の獅子頭に比べると髪の毛がカラフルで、色鮮やかだ。
「本海番楽 -鳥海山麓に伝わる修験の舞-」によると、本海獅子舞番楽の特徴らしい。
たしかに以前鑑賞した、前ノ沢講中の獅子頭もピンク色を基調とした鮮やかな色彩の髪の毛だった。
因みに髪の毛のことを「もてがくし」とも呼ぶらしい。
漢字で書けば「面隠し」とでもなるのだろうか。


八木山講中の祓い獅子が終わった。
この後、八木山講中は再登場を果たすが、その様子はのちほど
また、全団体終演後に釜淵番楽保存会会長(←だったと思います。間違えていたらすいません)が挨拶をされていたが、番楽の祖というべき本海獅子舞番楽に対する畏敬の思いが存分に汲み取れる内容だった。
山形・秋田の県を跨いでの交流がこれからもずっと続いてほしいと思う。

次に登場したのは、金山町の柳原番楽
最初の演目は「神舞」


獅子舞を全てひっくるめて「神舞」と称することがあるが、ここで舞われた神舞は獅子頭を持つ前の下舞だけを切り取った演目となっている。
このあたりはちょっとややこしいので、予備知識がないと神舞と獅子舞の関連性について「?」となってしまうだろう。
神舞の定義に関しては、「本海番楽 -鳥海山麓に伝わる修験の舞-」でも「神舞=獅子舞」か「神舞=下舞」かのいずれかについてはっきりと言及していない。


菊地さんのご説明によると、神舞は獅子頭に神(か霊)を入れるための舞であり、その意味で「神舞」と称されるということだ。
舞い手の男性は初めにちょっと獅子頭を持っただけで、あとは手ぶら→扇→刀→帯と持ち替えながら、獅子頭に神を降ろすべく舞を続ける。
特に、何も持たずに踊っているさまは神降ろし儀式の舞踊のように呪術的で、妖しげであり、番楽の持つ神的一面を殊更に強く感じさせたのだった。

神舞により獅子頭に神が宿ったあとは、当然のように獅子舞へと続く。


神舞と獅子舞が別の舞い手によって舞われるのは、ちょっと珍しいのではないか。
で、さらにややこしい話になってしまうが、ここでの獅子舞というのは厳密に言えば「獅子がかり」となる。
冒頭で菊地さんが分かり易く解説されていたし、「本海番楽 -鳥海山麓に伝わる修験の舞-」にも同様のことが書かれていたが、下舞=獅子頭を持つ前の舞、獅子がかり=獅子頭を持ったあとの舞、で下舞+獅子がかり=獅子舞、というのが一番シンプルで分かり易い。
で、下舞と獅子がかりが別個に舞われる場合には下舞=神舞、獅子がかり=獅子舞の呼称でどうかなあ‥と考える。
いや、それでも充分ややこしいし、管理人も書いていて訳が分からなくなっている。


そして獅子舞が終わった。
ある意味、獅子舞が神舞と切り離されているさまは、柳原の人たちの獅子頭に対する畏怖の念がその所作に表れた結果とも云えるだろう。
入口でいただいたパンフレットによると、かつて獅子頭を祀っていた家が火災にあった際、獅子頭が屋敷の中にあった梨の木に跳びついていた、というのが地元の語り草になっているらしい。
そういったこともあり、現在も獅子頭は生き神様として崇められる存在なのだそうだ。

続いて三人立ち


三人の成人男性が所狭しとばかりにダイナミックな舞を見せる。
本海獅子舞番楽の13ある講中のなかでは、猿倉番楽などにも三人立ちが舞われるとのこと
舞い手の衣装や細かな所作など、伝承地によって異なるようだが、見どころは後半の太刀の両端を持って輪になって舞うところのようだ。

「本海番楽 -鳥海山麓に伝わる修験の舞-」に「リズミカルかつアクロバチック」と書かれているとおりの、キレのある舞が展開される。
これは3人の呼吸が合わないとできないだろう。
複数の舞い手が同じ動作を交互に繰り返すことで、まるで一体の生き物のように舞っているさまには思わず惹きつけられてしまう。
個人的には、9月に由利本荘市の民俗伝統芸能館まいーれで鑑賞した空臼からみに通じる、大人数による舞の面白さを味わえたような気がしている。


三人立ち
初めて見たが、ヴィジュアル的にも優れた現代的なシャープな舞だった。
金山町には柳原番楽のほかに稲沢番楽ともうひとつ、昭和59年に両番楽の継承を目的として有屋少年番楽が結成されている。
先の平枝少年番楽と同様に、地域の誇るべき伝統芸能を守っていこうという志が伝わってくる。
日本最南の番楽継承地(ということで間違いないと思います)として、これからもぜひぜひ頑張って欲しい。

続いて真室川町の「八敷代番楽」
もちろん獅子舞から始まります。


菊地さんが冒頭で説明されていたが、獅子舞は「歯打ち」が特徴の一つとなっている。
激しくも厳かな舞の間にたびたび見られる歯打ちは、火難・疫病除けが目的となっている獅子舞において大切な所作の一つになっている。
先に登場した本海獅子舞番楽 八木山講中の獅子舞などは特に歯打ちが小刻みであり、「まるで0.何秒といった間隔で歯が鳴らされているようだ」と菊池さんが解説されていた。

観客が厄払いのためにご祝儀を頭上に掲げて獅子に差し出し、それを受け取った獅子がそのまま観客の頭を噛む。


これまで見た獅子舞では、観客が舞台の袖にそっと置いたご祝儀を獅子が舞いながら回収するかんじだったし、獅子が厄払い・無病息災にと観客の頭を噛む場面も度々目にしたが、このようなスタイルは初めてだ。
因みに獅子舞が頭を噛むのは魔除け・厄除けのためだが、同時に「噛み付く⇒神付く」という縁起担ぎの語呂合わせが含まれている、と何かで読んだ記憶がある。
獅子舞はまさしく「神の舞」だったということか!


八敷代番楽は真室川町最古の番楽と云われている。
9月12日の山神社例大祭では獅子舞奉納、小路渡り、宿公演が行われるらしいが、古き時代から現代に至るまで八敷代地区の人々を長らく見守ってきたのがこの獅子頭なのであろう。
激しくも、慈愛に溢れた舞なのだ。

つづいて「剣の舞」


パンフレットに「修験流の荒々しい舞」と紹介されているように、豪快な動きが特徴だ。
また、舞には悪魔退散の意味が込められているそうで、まさしく悪魔に対峙する「神」の舞としての迫力に満ちている。
因みに本海獅子舞番楽で「剣の舞」を伝承しているのは猿倉番楽だけなのだそうだ。


八敷代番楽が終わった。
この番楽を見るのは9月のからうすからみ全國大會に続いて2度目だ。
そのときも小学生による「もちつき」を楽しませてもらった。
真室川町内最古の番楽として、今後も若い世代、さらにその下の世代への継承が途絶えることなく続いて欲しいと思う。

続いて、2番目に登場した本海獅子舞番楽 八木山講中が再登場
ここで披露されるのは「羅生門」


まずは一人舞から始まる。
「羅生門」は武士舞に分類され、ここでは歌舞伎風の隈取をちょこっとだけ施した武将 渡辺綱の勇壮な舞が見られる。

菊地さんの説明によると、羅生門は本海獅子舞番楽の中でも異色の演目なのだそうだ。
明治終わり頃、八木山では正統的な本海番楽が衰退の傾向にあった。
その折に平鹿郡睦合村(現横手市十文字町)の阿部初太郎なる人物と八木山講中の人たちが知り合ったのだが、初太郎は「阿部初之丞(←初太郎と同一人物)一座番楽芝居」を率いて、村祭りなどで芝居風の番楽を披露していた舞い手だった
で、初太郎の舞を見た八木山の人たちが「これからの番楽はこのスタイルだ!」ということで、八木山講中に芝居風番楽が導入され、定着したという。
その結果、八木山講中ともう一つ平根講中が13の本海獅子舞番楽の講中のなかでも「睦合系」と称され、正統的な舞以外のバリエーションを持つに至ったという訳だ。
そして、まさに芝居風の番楽が見られるのがこの「羅生門」なのだ。

渡辺綱が一度下がり、再度登場する。
そして羅生門に住む鬼神と対決し、見事にその片腕を切り落とすというストーリーだ。
先ほどの一人舞のときと異なり、渡辺綱は袴を太ももが見えるぐらいにたくりあげ、一方の鬼神はといえばフラフラと登場
たしかに異色だ!番楽の持つ様式美を否定するかの如く、舞うこともなく、拍子に合わせることもしない。
芝居風番楽には他に「五條ヶ橋」や「藤五郎」などの演目があるが、「羅生門」は八木山講中のみで舞われていて、平成20年に13年ぶりの復活を遂げたそうだ。


渡辺綱が鬼神を成敗するとともに「ソォッソク」と呼ばれる道化が乱入し、両者を風呂敷で隠して唐突に終了

昨年は平根講中が番楽フェスティバルに出演し、やはり芝居風の「夜川善次(よかわのぜんじ)」を披露したという。
このように自由で、コミカルですらある異色の演目に接することができたのはとてもラッキーだった。
本海獅子舞番楽のもう一つの魅力を体感。大満足だ。

最後は真室川町 釜淵番楽の登場
まずは獅子舞


今年の番楽フェスティバルのポスターにもなった、お二人による舞
おそらくは舞い手&後幕とりとして長らくコンビを組まれてきたのでは‥と推測する。
パンフレットによると釜淵番楽は、番楽の中でも珍しい3拍子(通常は5拍子とされている)なのだそうだ。
釜淵に根付く伝統のお囃子に乗って、年季の入った舞を披露するお二人。
番楽というか、伝統芸能の真骨頂を見た思いだ。

ここでも、八敷代番楽同様に獅子にご祝儀を差し出し、頭を噛んでもらう場面が見られた。
この所作は真室川町の番楽に共通した様式なのだろうか。

因みに本日登場した、平枝・八敷代・釜淵の真室川町の3団体の舞い手は皆、神に仕える印である力紙を両手中指に結んでいた。
本海流のなかでも地域、地区により所作や装いに微妙な差異があるということだろう。
トリを飾るに相応しい重厚な獅子舞を見せてもらった。

続いて「先舞」


最初に登場した平枝番楽でも先舞が演じられたが、平枝が二人舞だったのに対し、釜淵は一人舞が特徴だ。
ともに獅子舞のあと、諸演目の前に舞われる「先番楽」の位置づけではあるものの、その形が異なっているのは興味深い。

前半はスローな動きが中心となるが、後半は大きな動きで跳躍を連発するダイナミックな舞へと転じる。

動画の初めの部分に映っているが、たくり上げられた番楽幕の向こうから、舞い手が立て膝をついたまま登場するところも相当カッコいい!
因みに釜淵の番楽幕には「鶴」「亀」「松」「竹」の紋様があしらわれているが、これはかつて新庄藩主が釜淵番楽鑑賞の折にその素晴らしさに感動して授けたものらしい。


釜淵番楽が終了
伝統の重みを感じたとともに、先舞のアグレッシブな動きにはコンテンポラリーダンスもかくや、と思われるような現代性も感じられた。
番楽フェスティバルの締めに相応しい素晴らしい舞だった。

全団体の番楽披露が終わり、続いて菊地さんの講評
一つ一つの番楽を丁寧にご説明されていて非常に分かりやすかったし、ここで管理人が書いてることの大半は菊地さんの受け売りです(笑)

そして保存会代表の挨拶を以て閉会となった。
あとは帰るだけだが、折角ここまで来たので伝承館入口近くの常設展示を見て回る。

こちらは常設ではないと思うが、番楽面が並べられていた。
パッと見ただけでも年代ものなのが分かる。
因みに真室川町内では、地区内に彫師がいたということもあってか八敷代に一番多くの面が残されているそうだ。


番楽だけにとどまらない、真室川町の習俗に接することができる良い施設だった。
これからも伝統を今に伝える発信地として頑張って欲しいと思う。

山形県の様々な番楽+本海獅子舞番楽(八木山講中)を楽しく鑑賞した。
各団体とも年初めの幕開き~年末の幕納めまで、舞を披露する機会は幾度かあると思うが、このように一堂に会して競演するのは良い刺激になるはずだ。
トリの釜淵番楽の獅子舞を見ていた他団体の舞い手が、「やっぱり上手いなあ。。」と感嘆の声を上げていた。
プロがプロを評するみたいなものなので、どこがどう凄いのか管理人には分からなかったが、舞い手だからこそ見えるなにかがあるのだろう。
これからも切磋琢磨の場として、何より山形の貴重な6つの舞を披露する場として番楽フェスティバルの継続に期待したい。
そして今日登場した各団体の素晴らしい舞
本海流の流れを汲みつつも、どの団体も独自の特徴、カラーを打ち出していた。
そしてその違いに拘りながら、伝統を受け継いでいくことがすなわち番楽の継承に他ならないと思う。
長く長く番楽が受け継がれていくことを、東北の仲間、隣県の同胞として願ってやまない。


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