男鹿のナマハゲ2017

2017年12月31日
今年も大晦日を迎えた。
大晦日といえば紅白でもガキ使でも、ましてや格闘技中継でもなく、もちろんナマハゲなのである。
ナマハゲ行事を鑑賞するのは昨年に続いて2度目
ナマハゲの実演が行われる真山伝承館や、なまはげ柴灯祭りに足を運びはしたものの、やはり白眉は大晦日に男鹿市各集落で行われるナマハゲ行事だろう。
「ナマハゲってどんなモノですか?」とか寝言みたいなことを言ってる人はまさかいないと思うが、もし知らなかったらこちらで勉強してね。

昨年は安全寺集落のナマハゲを見たが、今年は男鹿北部の海沿いの集落である「北浦相川」(以下相川)におじゃました。
数あるナマハゲのなかでも最も荒々しいと言われ、かつて行われた「なまはげコンクール」においては面の審査で見事1位を獲得
「ナマハゲのなかのナマハゲ」とでも言うべき、怖しさと威厳を兼備しているのが相川のナマハゲだ。
これは見ておかなければいかんでしょう。
ということで、行事の2週間ほど前に相川集落を訪れて下調べを行った。
佐藤 清廣さんという方が地区の会長ということを集落の方に教えていただき、早速お宅を訪ねる。
急な訪問ではあったが(というか基本的には急な訪問ばっかり)、佐藤さんからは丁寧に行事の概要を教えていただいた。
・3匹のナマハゲを1組として2組ほど編成され、集落の上(かみ)と下(しも)を別々に巡回すること
・はじめに回る数件のお宅は3匹×2の計6体が一緒に訪問すること
・ナマハゲがお宅に上がった際には「ナマハゲ問答」が行われること
・集落内の神社をナマハゲ宿として、夜6時ぐらいから行事が始まること
地元の方からいただく情報はやっぱり正確さが違う。
いやがうえにも大晦日の行事鑑賞に向けてテンションが上がるのだった。

当日
2時過ぎに秋田市の自宅を出発して男鹿に向かう。
行事開始が6時すぎなのでかなり早い出発なのだが、ナマハゲ一行に同行させてもらっての撮影である以上遅刻するわけにいかないし、少し相川集落の様子を見ておきたかったというのもある。
途中道草をしながらも4時半に相川へ到着
相川は日本海沿岸の小さな集落であり、すぐそこに冬の寒い海が広がっている。
今年相川では冬の風物詩ハタハタの漁獲高が昨年の3割程度ほどで、記録的不漁となってしまったらしい。
3割‥なんてこった。来年は今年の不漁分を補って余りあるほどの大漁であってほしい。

集落内の様子
とにかく坂が多い!寒さで道が凍ってナマハゲがコケるようなことがなければよいが‥

宿(ナマハゲと、関係者の拠点となる場所)となる宇賀神社
入道崎~寒風山の麓の脇本富永を走る県道55号線を進むと、道路沿いから社殿が見える。
11月にはハタハタ祈願祭が行われるとのこと

すでに明かりがつけられて諸々の準備は行われたようだが、今は誰もいない。
おそらくこの後三々五々に集まってくるのであろう。

佐藤さん宅を再訪し、挨拶をしてから再度相川をブラブラしているうち、あたりは暗くなってきた。
この後のナマハゲの到来を感じさない穏やかな月明かりがあたりを照らしている。

そうこうしているうち、神社に人が入るのが見えた。
ではそろそろ‥というかんじで、管理人も神社に再度向かう。
先に入ったお二方に挨拶をして、本殿内の控え所に通していただき、これから集まるであろう人たちを一緒に待つ。
そして、本殿内の奥に目を凝らすと‥

6体の面とケラ(衣装)が準備されている。
これを身につけて、男鹿随一の荒々しさを持つと言われる相川のナマハゲ行事が行われるのかあ‥
期待感が高まる。


昨年同様、ナマハゲ行事鑑賞にあたって県立図書館から「ナマハゲ -その面と習俗-」を借りた。
カラー写真をふんだんに使用し、各集落ごとのナマハゲの面や材質を紹介した素晴らしい書作だ。
それによると、相川の面は赤・青があるが、赤の面はその顔の色からロシア系の者(がモデル)だと考えられているらしい。
いにしえより男鹿の人たちはロシア人と交流を持っていたのか?
それとも漂流者として男鹿に行き着いたロシア人がいたということなのか?
そのあたりはよく分からない。


先立ち(ナマハゲの到来を家々に告げる使者)やかます担ぎ(家々からのご祝儀や品々を受け取って持ち歩く人)とは違う、いわば司令塔的に行事を取り仕切る男性がいた。
お名前を伺ったら、男鹿を代表するナマハゲ太鼓団体「NAMAHAGE郷神楽」の主催者、小林義隆さんだった!
すごい精悍な顔つきで、とんでもなくカッコいい方だ。
お~、NAMAHAGE郷神楽については以前から存じ上げていたが、相川が地元だったんですね。
今日はよろしくお願いします。

小林さんから伺ったところによると、面は張り子(型に和紙や新聞紙を貼り重ねて成形したもの)で、ケラは麻製ということらしい。
地区会長の佐藤さんから「行事前日の30日に衣装作りをする」ということをお聞きしていたが、ケラは基本的には新しく作らずに補修という形で行事で使用するとのこと
昨年の安全寺は稲作中心の集落であり、衣装はその年の稲わらで作った「ケデ」だったのに対して、相川は海沿いの漁業中心の集落であり、稲わらは用いられず、麻で作られ、かつ髪の毛には海菅を編み込むという違いがあるのはとても面白い対比だ。

そして、どんどん人が宇賀神社に集まり出す。
ただでさえ狭い控え所はもう満杯だ。
20人近くはいるだろうか。
皆が酒を飲んで談笑し、冗談を言い合いながら出立の時を待つ。

写真に写っているのは2人の男の子は高校生だ。
てっきりナマハゲの補助みたいな役割を果たすものだと思っていたら、最初の数軒ほどナマハゲとなって訪問するらしい。
まさしくなまはげデビュー。頑張れ~!!
もちろん、お酒ではなくジュースで出陣の景気づけです。

そして、時間は6時をすぎて出立の時を迎える。
上・下の組み分けと巡回の段取りをしたうえで、小林さんからナマハゲ役の人たちにさらに細かい指示が出される。
シコは3・5・7のリズムで踏むこと
家々にあがったら、整列しての「新年おめでとう!」を忘れないこと
シコ踏みは畳の間で行わずに、板の間で行うこと
畳のヘリを踏まないこと‥
思っていた以上の細かい指示出しにジワジワと緊張感が高まる。

そしてケラを身に着けて準備開始

昨年の安全寺のナマハゲに比べると、ナマハゲ役の皆さんの年齢が格段に若い!
平均年齢は20代中盤ぐらいだろうか。
どうやら相川では現場(各家々の巡回)は若い方中心で、それより年配の方々は宿で待機しながら、帰ってきたナマハゲを迎え入れる準備や料理・飲み物の支度などの後方支援に精を出すようだ。

出立前に祈願

そして昨年の安全寺同様に、出立前のシコ踏み

うおっ、スゲー迫力!!
ついさっきまで皆で飲んで食べてのリラックスモードだったのが一変、行事の緊張感が全体を包んだ。
また、3・5・7のリズムでシコを踏むというので、真山伝承館で見られるような(真山地区のナマハゲのように)「ドン!ドン!」ぐらいの速さかと思っていたら「ダ!ダ!ダ!ダ!ダ!」と高速シコ踏みなのにはビックリした。
こんな態様のシコがあったこと自体知らなかったし、この衝撃ひとつとってもナマハゲ行事の底知れぬ奥行きを感じ取ることができた。

そして出立!


気温はそれほど下がっておらず、道路凍結はないので転倒リスクもなさそうだ。
昨年の安全寺では6人の男性が最初から最後までナマハゲ役を務め上げたが、相川では交代要員が随行する。
そして、先立ちが複数いること、お目付け役として小林さんが同行することなどもあり、合計14~5人の大所帯での出発となった。

昨年、記事を書くにあたって参考にした稲雄次さんの著書「ナマハゲ」を今年も県立図書館から借りた。
同著には男鹿市内各地区ごとのナマハゲに扮する人数と組数の統計が掲載されているが、それによると2人1組の編成が調査対象となった60集落中31集落と最も多かった。
そして、ここ相川や昨年鑑賞した安全寺のように3人2組編成は6集落と全体の10%ほどの割合でしかなかった。
他にも「5人2組」や「任意決定(※特に決まりがないということだと思います)」など、いろいろな編成があるようで、このことひとつ取ってもナマハゲ行事の多様性が伺えるというものだ。

そして一行は最初のお宅に到着
佐藤さんに教えていただいたとおり、こちらのお宅にはナマハゲ6体全員で乗り込む。
1軒目ということでナマハゲも気合十分だ。いざ参らんっ!!

お、おっかねえ‥。これはマジなヤツだ。
上がり框(玄関を上がった板の間)でダダダダダダ!とけたたましい音を立ててシコを踏み、座敷を我が物顔でのし歩いて大人子供の別なく大声で威嚇
小学生の男の子女の子は言うにおよばず、お母さんと思しき女性まで身をこわばらせてナマハゲの圧にじっと耐えている。
迫力がすごいというより、とにかく怖い!!

昨年の安全寺では、ナマハゲが家に上がったのはナマハゲ役の先輩宅や、ナマハゲ行事に協力してくれた方のお宅などで、いわば親睦の意味合いを兼ねた来訪が主だった。
また、お膳を用意していたのは地区会長である柴山さん宅だけだったと記憶している(他のお宅はお膳は用意せず、大皿料理などでもてなしていた)。
が、相川ではナマハゲの好物(?)である子供たちを真正面からロックオン、これぞナマハゲ行事の真髄とでも言うべき大暴れを展開する。
そして、迎えるお宅のほうもナマハゲの人数分のお膳を用意して、この来訪者をもてなす。
そう。ここ相川で見られるのは、正統的で本来の様相を呈するナマハゲ行事だったのだ!

ナマハゲが大声を上げながら、ひとしきり練り歩いたあとにお膳の前に座る。
ふー、怖かったわー、などと振り返るのはまだ早い。
ここから始まったナマハゲ問答はさらに苛烈な、「問答」と呼ぶのも憚られる怖さに溢れているのだった。

「早く酒をつげ!!」だの「ちゃんと座れ!」だの高圧的に命令されると、ただでさえ戦々恐々の子供たちはさらに萎縮
そして、そんな子供達にナマハゲが容赦なく問答を仕掛けると女の子は泣いてしまった。
すぐ横で見ていながら「これは辛いだろうなあ~」と心底感じた。
まさに「圧迫面接」ならぬ「圧迫問答」
1軒目からこれかよー、管理人までメンタルやられるわ‥

お家の皆さんに「たいへんでしたね~」などと、何のねぎらいにもならない挨拶をして退出
ナマハゲの後を追うと、早っ!もう二軒目に入ってる!
こちらのお宅は3体での入来となっているようだ。

こちらのお宅には(幸運なことに?)子供はおらず、したがって和やかでほのぼのとしたやり取りが展開された。
1月30日付の秋田魁新報に、男鹿在住の福留高明さんという方が鹿児島県甑島の来訪神行事「トシドン」について寄稿されていたのだが、そのなかに男鹿のナマハゲが「ナマハゲ役の若者が家の主との問答を通じて成熟したコミュニケーション能力を身に付ける」場でもある、ということを述べた一文があった。
ほう、なるほど!と思わずうなってしまった。
「家族の大切さを学び、結びつきを強める」といった視点から、行事の意義をナマハゲを受け入れる側(特に子供)についつい求めてしまいがちになるが、ナマハゲ面を被り集落を巡回する若者にとっても成長の機会でもある訳だ。
そう、ナマハゲは年配の方(家人)⇔青年・壮年層(ナマハゲ)⇔若年層(ナマハゲに諭される子供たち)の世代間交流の場でもあるのだ。

続いて3軒目
こちらは再び6体で一緒に上がる。
そして家の中を見ると‥わー子供たちがたくさん!
再びあの地獄絵図が再現されるのか‥

やっぱ怖えーわー
身をこわばらせて体を寄せ合っている子供たちの姿がその恐ろしさを如実に物語っている。
ところで‥
今日はまだ大晦日だが、ナマハゲは「新年おめでとう!」と声を合わせて叫んでいる。
これは如何に?と不思議に思っていたが、秋田県民俗学会副会長 齊藤壽胤さんの著書「あきた風土民俗考」にその謎解きが書かれていた。
大晦日は古来より「年取りの日」とされており、新しい年を迎えるにあたって重要な日とされていた。
そして年取りの日については日が暮れる = 日が代わる、すなわち大晦日の夜から新年が始まるいう考え方になるらしい。
なので、ナマハゲが巡回をしているこの時間はすでに新年ということなのだ。
壽胤先生、勉強になりましたm(_ _)m


先に書いたように、ナマハゲ役を務めるのは20~30代の若い男性たちだ。
出立前は若者らしく軽めのトークで盛り上がっていたのが、面を付けた途端100%ナマハゲになりきっているし、高校生の男の子2人も控え所の中では黙々とスマホをいじっていたのが、堂々としたナマハゲと化すのには本当に畏れ入った。
おそらくこの若者たちも小さい頃からナマハゲに脅され、泣かされ続けてきたに違いない。
それでもナマハゲの振る舞いや言動が胸に刻まれているからこそ、真のナマハゲとして振舞うことができるのだろう。
伝統の底力を見た思いだ。


出たー、圧迫問答その2
子供たちはさぞかし恐れおののいているだろう。
が、よく聞けばナマハゲは「学校で一番好きな教科は何だー!?」などと、普通のことを尋ねているだけだ。
風貌や所作は威圧的だが、きちんと正対して話す子には別に怒鳴りもしないし、理不尽にキレることもない。
それどころか「こいつは見どころがあるなー」とばかりに優しくすらもある。
要は尋ねられたことにきちんと答えさえすれば、別に怖がる必要はない存在なのだ。
実際にはそれが難しいんだけどね~
因みに家に上がったあとのナマハゲの所作については小林さんがチェックしており、ちょっとでも作法が違っていたりするとすぐさま指摘が入っていた。


こちらのお宅では東京から来たという若いご夫婦も観覧されていた。
何でもご夫婦揃ってナマハゲ行事に興味があったということで、大晦日に合わせて男鹿まで来られたそうだ。
本場の、しかも「ナマハゲの中のナマハゲ」である相川での行事をご覧になれて、とても満足げな様子だったのが印象に残った。

先のお宅をあとにしたところで、2組に分かれての巡回が始まった。
はっきりとは確認していないが、上が海側、下が山側といったかんじの組み分けだったように思う。
管理人は下へ同行。ナマハゲ3体 + 小林さん + 先立ち役3名 + 管理人の計8人での巡回となった。

さてさて次のお宅ですが‥
ナマハゲが家の中に入るとき、すでに玄関の扉は開け放たれており、門をくぐると一目散にダッシュ、そのままの勢いで家になだれ込む。
稲雄次さんの「ナマハゲ」によると、玄関や屋内の扉を全て開け放ってナマハゲの来訪を待つのは、迎え入れる側の良心的・模範的な態度らしい。
が、ナマハゲに免疫のない子供はとにかくそれでビックリしてしまう。
そのうえ、家の中ではデカイ声で威嚇され、あの迫力あふれる面で間近に寄ってくるわけで、その恐怖感たるや大人の想像を超えるものなのだろう。
ということでこんなかんじになっちゃいました。
別に管理人が襲われているわけではなく、管理人の陰に隠れた男の子をナマハゲが引っ張り出して大声を出しているトコです。

ナマハゲの急襲を受けた男の子はあまりにビックリし過ぎて茫然自失の状態になってしまった。
だが、そのおかげでナマハゲに顔を近づけられようが怒鳴られようが、何も見えず聞こえずの無の境地に到達しちゃったようだ。
これはこれで、ある意味無敵


ナマハゲがその名を全国的に知られるようになったのは、渋沢敬三(日銀総裁、大蔵大臣などを歴任する傍ら、民俗学者としても功績を残した)が主催する施設博物館「アチック・ミューゼアム」の彙報として、男鹿在住の農民 吉田三郎が記した「男鹿山麓農民手記」が広く世に出回ったことによる。
そのなかでナマハゲ行事が紹介されているのだが、それを読むと戦前(同著は昭和10年に書かれた)の粗暴で荒々しく、現代の価値観からすると度を超えたナマハゲの振る舞いが克明に紹介されている。
曰く「(ナマハゲは子供を見つけるのに)座敷であろうが、物置きであろうが、押入れであろうが、二階であろうが、梁であろうがどんどん捜しもとめます」、「(ナマハゲが初嫁に対して)モンペイ(※モンペ)の緒などきらされて、暗い押入れの中で痛いほどケチツ(※おしり)をひねられたり、又言うに言われぬまじないごと(※いろいろ触られること)をされるのである」といった様子だ。
また、子供は「気絶するのが珍しくない有様」だったそうで、その怖さは現代の比ではなかったらしい。
こちらのお宅の男の子は気絶こそしなかったものの、今日男鹿で最も怖い思いをした一人に違いないと思う。
「今日の体験が将来かけがえのない財産になるんだよ!」と教えてあげたかったが、いま言われてもそんなの耳に入らないよね(;^_^A

そして次のお宅へ向かう。
上チームは車で移動する必要はないが、下チームは集落の中心から離れているお宅もあるため車で移動することとなり、管理人も同乗させてもらった。
さて次のお宅です。

中3の受験を控えた男の子に「(九九の)七の段をやれ!」というのも、ずいぶんな話ではある。
だけど、おそらくは以前からこの男の子とナマハゲの定番のやりとりだったに違いない。
かつてはナマハゲに威嚇されて泣くだけしかなかった子供たちが、年が経つにつれナマハゲの来訪に驚かなくなり、落ち着いて対応する過程はまさしく成長の証であり、子供の成長を見届けるという役割をナマハゲが果たしていたとも云えよう。

それにしても、ナマハゲの受け答えがいちいち面白い!
基本的には3体のナマハゲが自由に喋り、子供たちの相手をするのだが、このシチュエーションで皆の笑いを取るにはそれなりの話術が必要なはずだ。
また、ときにはナマハゲ同士でツッコミを入れたり、主をイジってみたりとまるでトリオ漫才を見ているかのような場面すらある。
先に書いたような「成熟したコミュニケーション能力」には、このように場を盛り上げる技量も当然含まれるだろうし、洗練された話術を身につけることもナマハゲになるために欠かせない要素なのだと思う。

ナマハゲは随分と坊主頭の男の子を気に入ったようだ。

こちらのお宅ではナマハゲは随分と上機嫌
酒が回ってきたか?


こちらのお宅にもご家族ご親戚以外の観覧の方が何人かいらっしゃった。
観光ツアーでも催されていたのだろうか(実際にツアー参加して観覧できる集落もあるし、門前地区ではナマハゲになって家々を訪問するツアーも今年行われた)。
いずれにしても管理人同様、本物のナマハゲ行事を見てみたいと考える人はそれなりにいるようで、同志のようで心強い。

次のお宅へ車で移動
行事開始のあたりには少し曇ってきた、と思っていたが、このあたりからまさかの雨が降り始めてしまった。
雪なら大歓迎だが、雨はいただけない。
しかもだんだんと寒くなってきているのがわかる。

こちらのお宅は玄関先でナマハゲを饗応
昨年の安全寺では来訪のスタイルとして以下の形態が確認できた。
1,ナマハゲを家に上げて饗応する。
2,玄関でナマハゲをもてなすが、家の中には上げない。
3,ナマハゲを玄関に入れず、玄関先でカドを踏んでもらう。
同じように、相川のスタイルを分類すると下のようになろうかと思う。
1,ナマハゲを家に上げてお膳を用意して饗応する。
2,玄関でナマハゲをもてなすが、家の中には上げない。
3,ナマハゲの入来を断る。※この後の巡回でポツポツと出始めます。
先に書いたように安全寺では、ナマハゲの先輩格の方宅などで休憩を兼ねた歓談を挟むことがあり、その場合滞在時間が数10分にも及ぶことがあったのだが、相川ではとにかく滞在時間が短い!
ガーッと入ってきて、ガーッと威嚇して、ガーッと喋ってというかんじで1軒あたり10分ちょっとほどで退出するかんじだ。
この勢いというか、性急さも昨年と比べての大きな違いとして印象に残った。
また、昨年の記事にも書いたように、どのようなかたちでナマハゲを迎えるかは家々の判断に一任されており、来訪前に先立ちが家人に尋ね、ナマハゲがその希望にしたがい訪問する(※あるいは訪問自体行わない)のが一般的だ。

この後も車での移動を重ね、巡回が続く。
こちらのお宅では小さい子はいないものの、ウォーッと威嚇しつつ家中を歩き回る。
住民相互のコミュニケーションという行事の主たる目的に照らし合わせれば、これはこれで全然ありだと思うし、やはり大人になってもナマハゲが家の中で勢いよく振舞うところを見ておきたいとなるのは当然であろう。

ナマハゲに供されたお膳を間近で拝見
ハタハタ、カスベ、豆、なます‥、なんかスゴイ美味そうです。
いや、これは管理人も食べたい。

ナマハゲの饗応にあたってどのようなお膳を用意するかは各家々に任されているが、ナマハゲに献呈される「ナマハゲ餅」については集落によって特色があるようだ。
真山伝承館でのナマハゲの実演でも主がナマハゲに丸い大きな餅を渡す場面があるが、その餅がナマハゲ餅である。
稲雄次さんの「ナマハゲ」を読むと丸い餅であったり、四角い餅であったり、はたまたハタハタの干物や昆布を餅に束ねていたり、と数々のバリエーションがあるようだ。

そしてナマハゲはここでも唄を要求する。
こちらの男性、昨年に続いて今年もエグザイルだったようで、ナマハゲに「またエグザイルかあー!!」とどやされていた。
何を歌ってもいいじゃん!と言いたいであろう気持ちを抑えて、歌に集中です。

ナマハゲ役の男性が仰っていたのは「九九の七の段を言え!」と「唄を歌え!」は行事におけるテッパンなのだそうだ。
この場合のテッパンとは「(子供たちが)クリアできそうでもあるし、できなさそうでもある」ライン上、すなわちナマハゲにとって確実にツッコミどころになるポイント、という意味だ。
九九はともかく、唄を歌うのにはそれなりの準備と心づもりが必要であり、なかなか歌え出せずにナマハゲに「早く歌え!」と急かされていた子もいた。
そして、相川のナマハゲはたいへんに唄を重要視する傾向にある。
ひとたび唄が始まると、ナマハゲは手拍子を打ち、掛け声をあげてたいへん満足げな様子だ。
以前は「オヤケ」と言って、最後に来訪するお宅で歌って踊ってのちょっとした宴会を行う習わしがあったそうだ。
控え所で年配の方に今もオヤケの習慣が残っているのか尋ねたところ、「とっくの昔にやらなくなったよ」とのことだったが、その名残は家々での歌のリクエストに現れていると思う。

巡回はどんどん続く

こちらのお宅では玄関先で出迎え
ワンちゃんを盛んにナマハゲがせっつくが、ワンちゃんも吠えて対抗
いや‥対抗しているワケではないか。


このあたりから、玄関先での饗応が多くなる。
というか、お膳を用意してのもてなしは先ほどのエグザイルを歌った男性のお宅で最後となった。
ナマハゲと家人が玄関先で会話して訪問終了となるのは幾分寂しい気もするが、ナマハゲからすれば相川集落全120戸すべてのお宅でお膳と酒を振舞われたのでは堪らないというのもある訳で、昔ながらにお膳を用意してナマハゲを座敷に迎え入れる家庭と、玄関先でナマハゲを迎える現世風の家庭のほどよいバランスが必要なのだと思う。

何もナマハゲが暴れるのは家の座敷に限った話ではない。
屋外でも小さな子供を見かければ、そこは「ウオーッ!!」とスイッチをONにする。

このへんまでは基本的に車での移動だったが、ここから先は徒歩での移動に切り替わる。
場所は北浦相川と北浦北浦の集落境あたりのようだ。
強さを増した雨の中、さあ行きますよー


地区会長の佐藤さんから「巡回は6時すぎに始まり9時には終わるよ」とお聞きしていたが、全120戸の相川集落を3時間弱の時間で巡回するということがにわかには信じられなかった。
というのも、昨年の安全寺では4時~9時半まで実に5時間半を費やして巡回を終えたのを憶えていたので、どうも時間と戸数が合わないなあ、3~4時間はかかるんじゃないか?とずっと考えていた。
しかし、集落の西側にあたるこの辺りではナマハゲの来訪を断るお宅が続出、一行は時間をかけることなくグングンと進むこととなる。
やはりあの怖しいナマハゲが到来するのは勘弁して欲しい、ということなのか。

そんな中でもナマハゲの訪問を快く迎えるご家庭もポツポツとみられる。

若い男性がいれば「なしてナマハゲやらねえんだー!?来年は待ってるぞー」とリクルーティングを忘れない。

こちらの女の子は快く迎えているワケはないか‥

「ナマハゲ」を読むと、明治時代以前と以降では行事の形式がかなり異なっている点についての記述がある。
曰く、明治以前においてはナマハゲの荒業がメインとなっており、そこには儀礼的な所作があまり見られなかったのに対し、明治以降は社会的道徳的配慮のもと、様々な所作や形式が付随していったということらしい。
とすれば、行事も時代の流れとともに変わっていくものであり、玄関先で家人とナマハゲが歓談するというスタイルもひとつの形としてあっても別におかしくない、となるのだが、要はナマハゲがナマハゲとしての矜持を保ち続けられる、行事に対する情熱を燃やし続けられるということが重要なのだと思う。

そして、時刻は8時半を過ぎて下チームの巡回は終了
集落端から宇賀神社に車で移動して、神社へと戻る。

途中から思わぬ雨と寒さに遭い、結構ハードな巡回となったが、無事に行程を終えて皆も満足そうだ。
上チームの皆さんもほどなく巡回を終えて、神社に戻ってきた。
本当におつかれさまでした!

雨で濡れたケラを干す
また来年使用することになるのだろう。
昨年の安全寺では行事終了後にケデを神社の鳥居に巻きつけて、そのまま朽ちるに任せていたのに対して、ここでも明確な違いが表れている。

そして皆が控え所に入り、おつかれさまの乾杯

温かいおでん鍋(しかも牛スジ入り!)がストーブのうえに用意されており、皆に振舞われた。
管理人もちゃっかりいただきました。しかも二杯

巡回組の皆さんから「外が寒かったから、おでんが美味い!」などと料理番の男性が冷やかされていたが、寒くなくても十分に美味しかったです。

この後、飲んで騒いでの宴会に突入したと思うが、管理人はこのへんでおじゃますることにした。
いきなり現れた訳の分からない存在だったであろう管理人にとてもよくしていただき、本当に皆さんに感謝だ。

噂に違わぬ、荒々しく強烈なナマハゲ行事だった。
昨年の安全寺がアダルトでペーソスを持ち合わせたナマハゲだったのに対し(それでも十分怖かったが)、相川のそれはナマハゲ役の男性の若さも手伝って、ストレートで勢いに満ちたものだった。
そして、本当に気のいいあんちゃん達がひとたびナマハゲの面をつけると、これでもかとばかりに高圧的に家々を我が物顔に闊歩するギャップがとにかくすごい。
ときには笑いを呼び込む話術を見せつつも、反抗的な態度を見せる子供は1ミリも許さないハードさ加減が、脈々と受け継がれてきた伝統を強く感じさせた。
そして、ナマハゲ役のみならず、行事自体が若い人主体で行われていたことも見逃せない。
とかくナマハゲ行事については「高齢化が進み、ナマハゲのなり手がなく‥」みたいなかんじで語られがちだが、ここ相川においてはそのような状況は全く当てはまらなかった。
まさしく「現在進行形」であり、これからも相川の地で彼らは咆哮し続けるのだろう。
2017年も押し迫ったこのときに、これほどにホットな伝統行事を観覧できたことに感謝したいと思う。


“男鹿のナマハゲ2017” への4件の返信

  1. akitafes様。
    はじめまして。いつも楽しく拝見させて頂いております。
    祭りごとの沢山の写真や動画からは祭りの様子が生き生きと伝わってきますし、資料に基づいた深い考察には毎回感心させられております
    更新を楽しみに待っております。

    1. uxorialさん
      はじめまして!
      拙ブログをお読みいただいてありがとうございますm(_ _)m
      実はお祭りや行事にたいして詳しくないのですが、読んでくださった皆さんになんとか楽しい雰囲気を伝えようと、資料を片手に悪戦苦闘しております(笑)
      秋田にはほとんど知られていないものの、奥深い魅力を持つ伝統行事がまだまだたくさんあります。
      これからもそういった行事をどんどん取り上げていく予定ですので、末永くお付き合いくださいませ!

  2. 久々の更新をありがとうございます
    一日千秋の思いでお待ちしておりました、、、マジです。
    今回の『なまはげ編』一言で『秀逸❗️最高❗️これぞブログ❗️
    その他賞賛の嵐❗️、、、(笑)。』
    これからも楽しみにしております、、、でも子供の身になれば、結構迷惑な行事ですね。男鹿近辺の子供達!健やかな成長をお祈り致します。

    1. 隣人1号さん
      コメントありがとうございます!
      なかなか定期的に更新できずにすいません。
      ついこの間まで夏の行事を書いていたような気がしています(苦笑)
      北浦相川のナマハゲ行事、噂通りのエキサイティングなナマハゲでした!
      子供たちはこの世の終わりを迎えたような様子で、見ていて可哀想なぐらいでしたが、その怖さを乗り越えることが大切なのだと思います。
      ナマハゲの怖さに比べたら、ちょっとやそっとの困難など屁でもない!
      隣人1号さんと同じく、男鹿の子供たちの健やかな成長を祈りたいと思います^^

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