上郷の小正月行事

2018年1月14日
秋田には2018年2月現在、全部で17の国指定重要無形民俗文化財が存在する。
2位の愛知県12件を大きく引き離してダントツの全国1位だ。
スゴイじゃないか、秋田県!とも思うが、これら17全てをそらで言える秋田県民などほとんどいないと思う。
そして今回の記事である、にかほ市象潟町の「上郷の小正月行事」も重要無形民俗文化財のひとつだが、その内容を知っている県民はほぼ皆無なんじゃないか、とも思っている。

と偉そうに言っている管理人も、実はどんな行事かほとんど知らない。
いや。上郷のいろんな場所で、いろんな行事が同時に行われるということは知っているが、行事の目玉はなにか?とか、何が見どころの行事なのか?といった分かり易い切り口を求めてしまうと、この行事は本当に掴みどころのないものになってしまう。
ここは、あれこれ予習などせずに行事のある日にその場所に赴いて体感してみよう!
とは言え、どの日にどこに行けば良いのかぐらいは把握しておかないとまずい。
ということで、秋田県立図書館で秋田県教育委員会が作成した「サエの神行事 -秋田県指定無形民俗文化財『上郷のサエの神行事』-」を借りて概要をリサーチ、行事は上郷の以下の地域で行われるようだ。
1、横岡地区 ①大下(下村)
       ②中ノ下
       ③中屋敷
       ④寺地
2、大森地区
横岡地区の行事は毎年1月15日と開催日が固定されているが(今年は月曜日にあたる)、大森地区は1月第二日曜日と鑑賞にはもってこいの日にちだ。
ということで、大森地区の行事を見ることに決定
実は大森地区のほうを見るに至ったもう一つの大きな要因があるのだが、その点については後述したいと思う。
行事の大まかな内容についてはこちらのサイトが分かりやすかった。

行事当日の1月第二日曜日、1月14日を迎える。
「秋田県の祭り・行事」によると、大森地区の行事開始時間は午前7時なのだそうだ。
ちょっと早すぎるなあ、ということで適当に8時すぎぐらいに到着するように予定を組み、秋田市から日沿道を使い大森地区を目指す。
そして現地に到着

秋田の中ではもっとも温暖な地域であるにかほ市ではあるが、そこは鳥海山の麓の集落、それなりの量の雪が積もっている。
ただし、地元の方に伺ったところ、例年に比べるとかなり量は少ないそうだ。

幹線道路となる県道312号線を走っていたら、あっという間にサエの神小屋を見つけてしまった。

サエの神 - 才の神、賽の神とも呼ばれる道祖神であり、邪悪なものから集落を守る境界の神として集落境に作られる、この行事に欠かせないアイテムだ。
「サエの神行事 -秋田県指定無形民俗文化財『上郷のサエの神行事』-」に詳細な制作方法が書かれているが、きちんとした祠型をしており、ある種の荘厳さを感じ取ることができる。
高さは2.5mほど
集落の方に教えていただいたところによると、行事の1週間前に半日ほどかけて制作したらしい。
そしてこの日じゅうに焼かれることになる。

これが御神体となる木製の男根

サエの神小屋から、ぬーっと御神体が突き出るさまはちょっと異様ではあるが、もともとこのような形状の御神体には、男根の持つ呪術的作用を以て悪疫から集落を守るという意味合いがあったらしいので、サエの神小屋に男根をくくりつけるというのは全く理にかなっている。
因みに、現在では子宝祈願、豊作祈願の神とされているが、これは江戸時代後期に御神体の解釈が変わったことによるらしい。
御神体はサエの神小屋と一緒に焼かれるが、実は小屋にもう一つ小型の御神体があしらわれており、そちらのほうはこの後の行事で使われることになる。

大森地区は県道312号線の両側にまたがって広がる集落だ。
「サエの神行事 -秋田県指定無形民俗文化財『上郷のサエの神行事』-」では全37戸数の地区と紹介されている。
そして、県道312号線と、312号線と交差するように集落内を貫く支線の交わるあたりで、一組の親子連れがソリを引っ張りながら移動しているのが見えたので近づいてみる。

お母さんは写っていないが、3人姉妹(なのかなあ?)を撮らせてもらいました。

ソリにはお菓子が積まれている。

県道を外れて集落の奥に向かうと、たくさんの親子連れが家々を回っていた。


これは、子供たちが集落の各家々を回ってお菓子をいただく、という「サエの神行事 -秋田県指定無形民俗文化財『上郷のサエの神行事』-」では「ショドメ参る」と紹介される慣わしだ。
「ショドメ」とは「早乙女」のことであり、もともと小学校入学前の女の子が主役の行事なのだそうだ。
同著によると以前のショドメ参るの様子について「朝八時頃には、部落内の入学前の女の幼児たちが晴れ着を着て背中に小さな篭を背負い、何人かの世話人の母さんたちに引率されて家々を巡り、『ショドメ参った』といって餅をもらって歩く」と記されている。
晴れ着も篭も見ることはなかったが、この古い風習がきちんと受け継がれていていることが何より素晴らしい。
また、早乙女とは「稲の苗を水田に植えつける女性」のことであり、おそらく女の子が篭を背負っている姿を早乙女に重ね合わせたのだと思う。

以前は女の子だけの行事とされていた「ショドメ参る」だが、今では男の子も参加できるようだ。


それにしても、たくさんのお菓子をもらう。
山盛りのお菓子を積んでソリを引きずっている親子連れが大半だし、ソリには積みきれないとばかりに車で子供に随行し、お菓子をいただくと即、車の後部座席に収納しているお父さんお母さんもいらっしゃった。

以前の記事「男鹿のナマハゲ」を書くにあたって、稲雄次さんの著書「ナマハゲ」を参考にしたが、その中に上郷地域のこの風習に関する記述があった。
なんでも子供が家々を回ってお菓子や餅をもらう行為を「アマハゲ」とも呼ぶらしい。
その由来だが、ナマハゲ類似行事である「アマハゲ」と「各家々を回ってお菓子や餅をもらう」という行為とが同時に行われていたものが、実際の「アマハゲ」は欠落してしまって名称のみが残ったらしい。
ただ、同著には大森地区で「来訪神行事としてのアマハゲ」が行われていた、とは書かれていないので、近隣の小滝地区や石田坂地区(それらの地区では来訪神行事が行われている)から「お菓子をもらう = アマハゲ」との呼び方が大森地区に伝わったとも考えられる。

お菓子をいっぱいもらえてよかったね!


ショドメ参るの際には、引率者による子供たちの紹介が各家々で行われ、集落の人々への顔見せ的な意味合いもあったらしい。
いにしえの習慣はもう見られなかったが、集落の人たち皆が子供たちの来訪を心待ちにしていたに違いない。

たくさんの親子連れと(中学生ぐらいの女の子が引率する)きょうだい連れが地区中の各家を回るわけなので、まだまだ時間がかかるが、管理人は集落内の大森神明社を訪問


昨年7月に、大森神明社の境内で行われた大森歌舞伎を観覧した。
考えてみれば、大森歌舞伎は完全な娯楽型の見世物なのに、風紀取り締まりから逃れるために神社奉納という形で上演が続けられたといういっぷう変わった行事だった。
そして、今日も小正月行事のなかにおいて非常に風変わりな、いわば「奇習」が執り行われる。
その名も「嫁つつき」
管理人が上郷地域のなかで大森地区の行事の様子を見てみたいと思ったのも、この嫁つつきがあることによる(横岡地区には嫁つつきの風習はない)。
肝心の内容についてはあとで紹介したい。

集落の方から伺った情報によると10時から小屋焼きが始まるらしい。
ということでサエの神小屋のある場所に戻ってみる。

ギャラリーがたくさんいます。
見物だけの人はほとんどおらず、管理人と同様にカメラを携えた方や、にかほ市職員の方々(にかほ市地域おこし協力隊の方も)、マスコミ関係者も多数
秋田魁新報社、NHK秋田放送局、そして一昨年大館市の山田地蔵祭りの折に行事の一部始終をともに追いかけたKHB東日本放送(仙台の放送局)の撮影クルーの皆さんとも久々の再会
一昨年山田地蔵祭りの際たしかに嫁つつきについて話をしたのだが、やはりこの奇習にずっと注目していたそうだ。
嫁つつきの求心力、怖るべし!

10時を前にして集落の人たちもどんどん集まってきた。
そしてその中にはこれ以降の主役となる男の子も

この男の子たちはサエの神小屋焼き、鳥追い、そして嫁つつきと続く行事の中心的な役割を果たすことになる。

まずは小屋のすぐ脇にある稲荷神社でお参り

そして10時。サエの神小屋焼きが始まる。


ワラで周囲を覆ったサエの神小屋はさすがに火のまわりが早い。
あっという間に小屋全体に火が移り、大量の煙を上げている。
斎藤壽胤先生の「あきた風土民俗考」によると、この煙が集落中にかかることで無病息災、災難厄除のご利益があると信じられているそうだ。
火(煙)の力を借りて、悪霊の侵入を防ぐということらしい。

子供たちが歌っているのは「サエの神の歌」
中学生の男の子の叩く太鼓の音に乗せて唄われる、呪術的な唱え歌だ。
「サエの神行事 -秋田県指定無形民俗文化財『上郷のサエの神行事』-」には横岡地区のサエの神の歌の歌詞が紹介されているが、大森地区の歌詞は同じものなのだろうか。
あまりよく聞き取れなかったが、全然違う歌詞のように聞こえた。

時折「バーーンッ!!」という爆発音が聞こえる。
これはおそらく梁として使われている竹が破裂する音だと思う。

20分ほどで小屋は木の骨組みだけを残して焼け落ちた。

先に小屋焼きの煙が災厄から集落を守る、というようなことを書いたが「あきた風土民俗考」によると、その昔サエの神がお天道様から借金したものの返すあてがなく、もう1年待ってもらおうと「火事に遭った」という言い訳をするために、天を焦がすほどの煙を上げることで本当に火事があったことをアピールするという言い伝えもあるそうだ。
今日の煙は十分足りていましたかね?サエの神様!

小屋にかけられた清酒の残りが皆に振舞われた。
「サエの神行事 -秋田県指定無形民俗文化財『上郷のサエの神行事』-」では「グシ酒」と紹介されている。
グシ酒?どんなお酒でしょうか?グミ酒なら知ってますが‥

子供たちには酒ではなく、おつまみとして用意されたスルメが振舞われる。

小屋焼きの終了を以て午前の部は終了
午後からは中学生の男の子3人 + 小学生の男の子3人 + 付き添いの成人男性2人で集落中を「鳥追い」を行いながら巡回することになるが、いったん散開となり、13時に再びこの場所に集合となる。
管理人も象潟町内へ移動して、昼ご飯を食べ午後に備えることにした。

「ショドメ参る」「サエの神小屋焼き」は終了して、午後からは「鳥追い」「嫁つつき」が行われる。
これが大森地区の小正月行事の構成要素となる訳だが、横岡地区のほうは小屋焼きののち、3回に分けた鳥追い(一番鳥・二番鳥・三番鳥)が2日間をかけて行われるなど、著しい違いはないものの内容が多少異なる。
全国を見回してもこのような構成の小正月行事は非常に珍しいらしく、ゆえにこの行事が重要無形民俗文化財に選ばれたのだそうだ。
また、現在ではワラ焼きを行う行事(どんど焼き、左義長など)が環境への配慮という理由で減少傾向にあるらしい。
そういった点からもここ上郷の小正月行事が後世に継承すべき希少な行事であることがうかがい知ることができる。

さて、大森地区へ戻って午後の部が開始
午前中に集まっていた人たちが、サエの神小屋(燃え落ちちゃったんで、跡地?)前に再集結
時刻は13時。これから鳥追い一行の出発だ。


鳥追いというとちょっと分かりづらいが、要は「ショドメ参るの男の子版」ということにでもなろうか。
中学生の子の叩くシンプルな太鼓の音をバックに小学生の男の子たちが家々からお菓子やお餅をもらう。
太鼓以外の中学生の男の子2名は家々でもらったお菓子の運搬を行う。
「サエの神行事 -秋田県指定無形民俗文化財『上郷のサエの神行事』-」によると、かつては大森地区にも一番鳥、二番鳥、三番鳥と計3回鳥追いに回る風習があったそうだ。
その風習は横岡地区では残っているものの、大森地区では現在一番鳥(1回だけ回る)のみが行われている。
やはりここでも行事の縮小化が見られるが、いにしえより継承されてきた鳥追いが現存しているだけでもスゴイ。


男の子3人が手にしているのは初嫁棒
各家を巡回する鳥追いの際に、初嫁のいるお宅においてだけ初嫁棒を使って嫁つつきが行われる。
そして、昨年は嫁つつきを行うお宅が0軒だったのに対し、今年はなんと3軒ものお宅で行われる!(本当は昨年1軒のお宅で嫁つつきを行うはずだったが、事情があり今年に繰り越しとなったそうだ)
嫁つつき云々を差し引いても年に3軒の新婚家庭があるというのは、何だか明るい気分にさせてくれる。
因みに同種の風習である由利本荘市大内の「岩谷麓ワタワタ」(新婚家庭のお宅の前で子供たちが臼を叩いて家内安全、子孫繁栄を祈願する)は今年は新婚家庭なしということで行われなかった。

一行は集落の端から巡回し、嫁つつきを行うお宅以外ではお菓子や餅をもらうことになる。
そして、1軒目の嫁つつきのお宅へ到着
座敷にはポツンと座布団が置かれている。
また、写真には写っていないが、座敷の周りは多数の親類縁者やカメラマンでごった返している状態だ。
これから、あの奇習がいよいよ始まるのか‥と徐々に興奮と緊張が高まる。

そして初嫁が登場。嫁つつきが始まる。


3人の小学生が「初嫁出せじゃ つつくは今だ」と繰り返し、初嫁棒で畳をつつきながら初嫁の周りをぐるぐるとまわる。
要は子宝祈願ということだが、集落に初嫁(初婿)を迎えるための儀式でもあるらしい。
この儀式を経験することで集落の一員として認められる意味も含まれており、なんでも集落のお母さん方は皆この奇習の洗礼(?)を受けてきたそうだ。
こちらのお嫁さんは栃木県から大森地区に嫁がれてきたとのこと
遠く離れた関東の地から嫁いできて、こんな奇習にさらされるとはなんて不憫な!とも思ったが、当のご本人は伝統の重みを感じてか、とても神妙なご様子だったのが印象的だった。
慣れない土地での風変わりな風習。さぞかし緊張されたことだろう。
おつかれさまでした!

嫁つつきが終わると、子供たちにお膳が振舞われる。

儀礼的に少しだけ食べて終わり‥かと思いきや、子供たちは結構マジ食いしていたのだった。
お腹が空いていたのかな?

お宅の外で子供たちを待っていたところ、玄関先に↓のような短冊型の板が置いてあった。

これは「ゴギョウ」と呼ばれる、正月や祝い事の際に飾られる一種の祝い板だ。
先述の「あきた風土民俗考」によると、ゴギョウの材料となるタラの木には鋭いトゲがあり、それが悪霊を追い払う霊力につながっているそうだ。
因みに、初嫁棒もタラの木から作られているそうな。
タラの木については「タラの芽の天ぷらは美味しい」ぐらいの知識しかなかったが、ある種の神聖さを宿しているとされていることが分かる。

鳥追いはどんどん続きます。


横岡地区の鳥追いにおいては、子供たちが鳥追い歌を歌いながら集落を巡回するそうだ。
おそらくは、ここ大森地区でもかつては同じだったと思う。
「サエの神行事 -秋田県指定無形民俗文化財『上郷のサエの神行事』-」にその歌詞が書かれているので抜粋すると‥
朝鳥ホイホイ
夜ん鳥ホイホイ
これは何処の鳥追いだ
長者殿の鳥追いだ
一ににき(憎い)鳥は四十ガラにぐす
頭はって(叩いて)塩つけて塩俵さぶち込んで
佐渡ヶ島さ追(ぼ)ってやれ 追(ぼ)ってやーれ
佐渡ヶ島近(ちけ)ならば 鬼ヶ島さ追(ぼ)ってやーれ
という内容だ。

そして、2軒目の嫁つつきとなるお宅へ


子供たちは「初嫁出はれ」と繰り返し、初嫁の登場を待つ。
先のお宅と同様にこちらにも多くの親類縁者やカメラマンが大集結

そして初嫁が登場
こちらの初嫁は濃い目の青い着物でご登場
着物のことは全く分からないが、しっとりと落ち着いた色合いでとても綺麗

そして無事、嫁つつきが終了
旦那さんと一緒にリラックスしたご様子

だが、新郎新婦は子供たちのもてなしやら、取材対応やらでまだまだ忙しい。

御神体のアップです。

大きさは一尺八寸。換算すると「54.5454545センチメートル」なのだそうだ。
思わず「うーむ」と唸ってしまいそうな怪しさに溢れているが、そんな失礼なことを言うなかれ、この行事の魂というか核がこの御神体である。
嫁つつきの際には初嫁の眼前に置かれて、まるで行事を司るかのような存在感を放つ。

鳥追いが続く。

家々でお菓子をもらう。

最後となる、3軒目の嫁つつきのお宅へ到着

こちらの初嫁はニコニコと微笑みながら登場
余裕の表情ですなあ


2,3軒目のお宅の初嫁は秋田県内の他のところから大森に嫁いでこられたそうだ。
にしても、秋田の他地区でこのような風習が受け継がれているなどとは聞いたことがないし、そういった意味ではやっぱり緊張していたと思う。
また、地元の方に教えていただいたのだが、新婚夫婦のいない年は嫁つつきが行われないという不規則性から、正しい作法の継承がけっこう難しいらしい。
たしかに、訪問する側が「ん?これでいいのかな?」と考えてしまう場面があり、そう考えると迎える側、訪れる側ともに相応の緊張感を持って行事に臨んだのではないだろうか。

1,2軒目のお宅では子供たちが時計回りに初嫁の周りを回っていたのに対し、3軒目のお宅では反時計回りに回っている。
この違いに何か特別な意味があったりしたのだろうか。
そのへんを伺うのを忘れてしまった。

今日3軒目のお膳。ここでも子供たちはよく食べます。

これにて嫁つつきのお宅の巡回は終了
たしかに、噂に聞いていたような奇習だった。
子宝祈願の風習や行事は全国に数多く見られるようだが、初嫁の周りをぐるぐると回る所作、「あと止めてけれ~」という旦那さんのひと声で嫁つつきが終了する唐突さなど、単純な子宝祈願行事だと一義的に捉えられるものではないような気もする。
そして、その摩訶不思議さが結果的に上郷の小正月行事にさらなる奥行きを作り出しているように思えた。

嫁つつきは終わりましたが、鳥追いはまだまだ続きます。


このあたりで秋田魁新報、NHK秋田放送局、KHB東日本放送の皆さんは横岡地区に作られているであろうサエの神小屋の取材のため、大森地区をあとにしたのだった。
KHB東日本放送の撮影クルーは、前日は秋田市豊岩のヤマハゲ、そして今日は上郷の小正月行事、とまさしく秋田推しの取材スケジュール
今後もたくさん秋田に来てくださいね~

それからほどなくして鳥追いも終わり、御神体を稲荷神社横の祠に収めて、無事に全行事が終了
みんな、おつかれー!!

時刻は15時半
行事が始まった朝方には曇り空だったが、鳥追いの始まったあたりから徐々に青空が顔を覗かせて、行事終了時にはきれいな青空となった。
おかげで目の前にそびえ立つ鳥海山がお目見え。これは雄大ですよ!

そして素晴らしい鳥海山の眺めを背に、管理人も秋田市へ帰っていったのだった。

大森地区における小正月行事の様子をじっくりと見させてもらった。
嫁つつきのインパクトもたいしたものだが、ショドメ参るや鳥追い、サエの神小屋焼きなどの行事全てがいにしえより続く貴重なものであり、あらためて伝統行事の素晴らしさを感じた次第だ。
また、横岡地区のほうも大森地区とは似て非なる内容であり、気になるところである。
素朴ながら地域土着がゆえの不思議さを醸し出すこの行事にこれからも注目したいと思う。


“上郷の小正月行事” への2件の返信

  1. 全国的に有名な奇祭、嫁つつきのことについては何となく見聞した記憶がありますが、上郷の小正月行事はそれにとどまらず様々な習わし、祭が多層的に行われているものだということがよくわかりました。
    また、こうした行事が遥か古より連綿と途絶えることなく続いていることは、本当に貴重なことだと感じました。
    本サイトで紹介されるどの祭りにも言えることですが、今後も継承されていくことをねがうばかりです。

    1. uxorialさん
      書き込みありがとうございます!
      今年は嫁つつき開催年ということで、当ブログ記事も含めて新聞・テレビでの紹介も嫁つつきがメインでしたが、それだけに留まらない懐の深い行事でした。
      サエの神小屋焼きの折に、山形県酒田市から観覧に来られたという男性に「このあと行われる嫁つつきは見ますよね?」と尋ねたところ、「いや。小屋焼きを見たら帰ります」と仰っていました。
      管理人もいずれは表面的な派手さやインパクトに捕らわれない、行事の深層を楽しめるような人間になりたいと思っていますが、ちょっと無理っぽいです‥

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