由利本荘ひな街道 町中ひなめぐり

2018年3月10日
秋田の伝統行事・祭りを記事の対象としている当ブログの原則からすれば、今回の催しはちょっと趣旨が異なる。
ひな祭り - 誰もが知っているであろう行事であり、どんなものか説明するまでもないだろう。
伝統行事というか年中行事としてお馴染みであり、秋田固有の行事でもないが、この日本の美しき伝統・風習をテーマにしたイベントが由利本荘市で開催されたので、記事にしてみたいと思う。

ということでお邪魔したのが由利本荘市
2月から4月にかけて県内各地、いや全国各地でひな祭り、ひな人形を展示するイベントが開かれており、由利本荘市でも2月10日~4月8日まで「由利本荘ひな街道」と銘打って資料館・美術館など各所でひな人形が展示された。
さらに、3月10~18日は一般家庭や個人商店でもひな人形を飾って、一部開放する「本荘町中ひなめぐり」が旧本荘市街地と旧矢島町で開催
管理人は旧本荘市街地のほう、その中でも石脇地区のひなめぐりを楽しむべく、初日の3月10日に石脇地区を訪問した。

自宅から1時間ほどで石脇地区に到着。時刻は11時すぎ
快晴とまでは行かないものの、早春の穏やかな天気のなか町歩きを楽しめそうです。
また、秋田市内では僅かながら雪が残っているが、由利本荘市内では完全に解けてしまっていたようだ。
本荘市街地との境界にあたる由利橋から出発

よく知られた話ではあるが、羽後本荘駅周辺を中心とした各町は旧本荘藩、川を隔てた石脇地区以北の地域は旧亀田藩ということで、寛政年間に境界争いが起こったこともある。
昨年訪問した石脇神楽も由利橋を超えた旧本荘藩側で神楽を披露することには基本的にないらしい。

たくさんのお宅、商店で通りに向けてひな人形を飾っている。

ここは村井商店さん。地酒販売を中心に事業を展開する酒店だ。
お店という場所柄、中に入ってひな人形を観覧できるというので早速見せていただく。


石脇地区には市の施設である本荘郷土資料館、石脇公徳館含めて13箇所でひな人形が展示されている。
そのどれもが古く歴史のあるひな人形であり、このような機会がないと絶対に観ることのない貴重な人形ばかりだ。
「由利本荘ひな街道」は市をあげてのイベントとして2012年から開始され、今年で7回目の開催となる。
ここ石脇地区においても地域おこし実行委員会の皆さんの尽力で、毎年たくさんのひな人形がお目見えとなる。
管理人は昨年のイベント期間中に石脇公徳館で催された石脇神楽の笛・太鼓演奏披露を鑑賞したので、ひな人形も見たっちゃあ見たのだが、実はよく覚えていない。

村井商店をあとにして石脇地区の目抜き通りにでる。

この道路は国道7号線と国道105号線を結ぶ支線でもあり、普段は交通量が多いのだが、今日は土曜日ということでなのかあまり車が通らず、のんびりと歩くことができた。

たくさんのお宅がひな人形を披露している。


撮影中の管理人がガラスに映りこんでいます。
レンズフードがあれば簡単に映り込みを防げるらしいのだが、そんなものは持っていません!

稲荷神社の鳥居

こちらは銘酒「由利正宗」でお馴染みの齋彌酒造店。「雪の茅舎」も大人気です。

そして石脇公徳館へ

中に入ります。

会場にはたくさんの人がいた。受付で署名を済ませると、爪楊枝入り紙人形のプレゼントをいただいた。


石脇ひな町めぐり期間中の土日は、ここ公徳館を会場として様々なイベントが同時開催される。
今日は「長谷川洋子御一行開幕民謡ショー」
因みに午後には紙人形作り体験、翌11日には石脇神楽笛・太鼓演奏と石脇さんぶつ披露、週替わりの17日には津軽三味線演奏、18日には石脇祭典の子供たちの山車踊り披露が行われたようだ。

会場中央付近にはたくさんのつるし飾りが吊られていてとてもカラフル


ひな飾りの一形態であるつるし飾りは、福岡県柳川市の「さげもん」や山形県酒田市の「傘福」など全国に分布しており、ここ由利本荘でも「本荘傘鉾」として伝えられている。
傘鉾はひな壇の周りに飾るというよりも、安産や子供の健やかな成長を願って家族や親族が手縫いで製作し、神社に奉納されていたそうだ。

会場中央のつるし飾りを囲むようにして、たくさんのひな人形が飾られております。


入口でいただいたチラシによると、10組前後、200体ほどのひな段飾りが展示されているとのこと
よく見ると年代ごとに特徴というか流行りがあるようで、その変遷を追うのも面白そうだ。
ひな祭り自体は平安時代頃より、宮廷行事として執り行われていたが、ひな人形を飾る形のひな祭りが一般に浸透するのは貞亨年間(1684~1688)に雛市が立つようになってからのことらしい。
そして、由利本荘ひな街道で見られるひな人形は享保年間(1716~1736)以降のものとのこと
時代ごとの特徴については、イベントHPの説明がとても分かり易い。

つるしかざり

おきびな

かべかけびな

上の写真3点はすべて石脇地区の保育園児年長児たちの制作。可愛らしい素朴さに溢れている。

現代雛


多くの人が「ひな人形」と聞いてイメージするのが、この現代雛だろう。
男雛と女雛を頂点に置き、三人官女、五人囃子、随臣、仕丁と細かな雛道具(2段)と並べられた、これぞ「七段飾り」
豪華絢爛でおごそかながら、どこか親しみやすさを感じる人形たちだ。
女の子の成長を願うと同時に、見守るかのような眼差しが美しい。
ひな人形、ひな道具は基本的に嫁入り道具とされているが、船曳由美さんの著書「100年前の女の子」(←大好きな本です)に主人公のお家の七段飾りに関して、母方の実家の家族、親族が人形を買い揃え、枠組みや段などは嫁ぎ先の人たちが仕立てた旨の記述がある。
それほどのたくさんの人たちが関わるほどの大切な行事だということが分かる。


通常男雛が左側、女雛が右側に置かれるが、これは昭和3年の昭和天皇が即位した際の天皇・皇后両陛下の御座の位置に倣ってのことなのだそうだ。
それ以前は女雛が左側、男雛は右側に置かれるのが一般的だったそうだが、そういった背景もあり、今でも男雛と女雛の並びについては特に決まりはないとされている。
男雛:左側、女雛:右側を関東風、女雛:左側、男雛を京都風とも呼ぶらしい。

こちらは個人が制作した紙人形。実物は超小さいです!


純和風ミニチュアとでも呼ぶべき、繊細さ満点の作品。源氏物語の1シーンを表現したとのこと
また、鮮やかなピンク色の桜の木はなんと500羽の折り鶴で作られているそうだ。
この紙人形とはちょっと違うが、紙で作ったひな人形、すなわち紙雛という種類のものがかつて存在したらしい。
藤田順子さんという方の著書「母と子のお雛さまめぐり」によると、紙雛は「古く平安時代のひいなあそびとお祓いの『かたしろ』が、時代の流れの中で、むすびつき、とけあってできた雛人形の源流のひとつとされています」とのこと
また、災いや汚れをひとがたに移し、それを自分の身代わりである「かたしろ」として川に流す風習は、現在でも鳥取県用瀬町の「もちがせ流しびな」はじめ、全国各地に点在している。
おそらくは別に展示されていたこちらの人形が紙雛のイメージに近いと思う。

こちらも小さい。「百人一首に興じるお雛さま」

押し絵雛


羽子板などにあしらわれる「押し絵」の技法で制作されるこの雛は、県内では「くくり人形」「くくりびな」「貼絵っコ」「押絵っコ」と呼ばれているそうだ(山崎祐子さんの著書「雛の吊るし飾り」による)。
また、県内に見られる押し絵雛には、内裏雛と五人囃子のセットが主で三人官女はあまり見られない特徴があるらしい。
穏やかで清楚な表情の現代雛とは違う、表情豊かな人間味溢れる人形たちだ。

享保雛

享保年間(1716~36)に流行したタイプの人形だが、「享保雛」という名称は明治時代以降につけられたという。
金らんや錦を使った豪華な衣装、細面で切れ長の眼差しが特徴であり、独特の気品が伝わってくる。


その大きさも享保雛のひとつの特徴となっている。
大型のものになると45~60cmもあるそうで、60cmを超える人形もあったりするらしい。
女雛の十二単は本当に12枚重ねとなっているし、袴は綿を入れて大きく膨らませているらしいので、これぐらい大きな人形に仕上がるのだろう。
享保6年に、24cm以上のひな人形を作らないように幕府からお達しが下り、享保雛の歴史は終わってしまうのだが、江戸時代の人々のひな人形に対する思いが具現したかのような華美な姿だ。

民謡ショーが続いています。
こちらのほうもたいへんな賑わいで、途中観客男性が飛び入りして歌手の方と一緒に「生保内節」を歌う場面もあった。

奥側に飾られているのが芥子雛

江戸時代中期、製作を禁じられた大型のひな人形の替わりとして芥子雛が登場する。
芥子(けし)雛は「芥子粒のように小さい」ところからそのように名付けられたそうだ。
そして、高さ10cmほどの人形に繊細かつ贅沢な意匠を凝らした芥子雛は富裕層にも人気があったようだが、今度は享和3年(1803年)の贅沢禁止令によって取締の対象となってしまう。
江戸幕府が、民衆の流行りものを取り締まることによって綱紀粛正を図ったことはよく知られているが、最早言いがかりと言ってもいいほどのレベルだ。
しかし、それにより多くの種類のひな人形が生まれた訳でもあるので、功罪相半ばの感もある。

こちらはちょっと変わり種


ここに飾られているのは内裏雛ではなく、天神様
天神様のモデルは学問の神様として知られる菅原道真だが、男子誕生の折にこういった天神様が飾られることもあったらしい。
いわば男の子版ひな段飾りなのだ。
先に紹介した押し絵についても、男子の初天神(1月25日とされている)の折に「天神押し絵」を贈る風習もあったようで、県内では主に秋田市でその事例が確認されているらしい。

変わり種といえばこんなひな人形も

こちらは「芥子雛風の現代雛と本荘カトリック幼稚園年中、年長児による創作雛のコラボレーション」


実はこのひな段横に100年前の八橋人形も飾られていたのだが、そちらの写真を撮影するのを忘れてしまった。
京都の伏見人形をルーツに持つこの人形は、4年前に秋田市八橋在住の最後の職人が亡くなったことで途絶の危機に立たされていたが、市民有志が「八橋人形伝承の会」を立ち上げたことで、その命脈を繋ぐことができた。
会は展示・販売などの他に体験教室の開催などエネルギッシュに活動しているようで、陰ながらではあるが応援していきたいと思う。

これは「木目込み人形のひな飾り」


木目込み人形とは「木や桐塑(とうそ・粘土の一種)で作った胴体の溝に衣装の端を木目込んで製作した人形」だ。
ということでひな人形の種類というよりも、製法が通常の人形と異なるため特別に「木目込み人形」と称されているようだ。
そして、そのややふっくらとした体型や顔立ちが特徴であり、近年愛くるしいと人気が出ているらしい。
たしかに可愛らしい下膨れ顔だ。

土人形

素朴な味わいの人形だ。京都の伏見人形や宮城の堤人形などが有名らしい。

かなりじっくりと公徳館のひな飾りを鑑賞した。
ひな町めぐり初日ということもあり、たくさんの人出で賑わいつつも、人形の優しい表情を見ているとある種の静けさを感じ取ることができた気がする。
因みに同館ではひな町めぐり期間中に食堂が開設され、本荘うどんや抹茶、コーヒーなどが販売された。
他にも、石脇神社祭典における石脇神楽、新山神社裸参りの様子のビデオ上映など、来場者が楽しめるような工夫が随所に感じられて飽きることがない。
石脇地区の恒例行事としてすでに定着している感はあるが、今後も訪れる人たちを楽しませ続けて欲しいと思う。

公徳館をあとにして再び町歩き開始

続いてはマルイチしょうゆ・味噌醸造元さんへ
中で見れますよ、ということだったのでお邪魔させてもらった。
ここでは2つの七段飾りを見ることができた。


当主の方曰く、こちらは昭和40年代製作とのこと

こちらは昭和初期のものらしい。

押し絵雛が手前に配されている。

かなり前の人形だが、保存状態は良好だし、こちらも一見の価値ありです。

この後は本荘郷土資料館へ‥と当初予定していたのだが、すっかりお腹いっぱいになったので、ここらで町歩きを切り上げることにした。
これまでの人生で初、と言っていいぐらいにひな人形をじっくりと鑑賞した。
ひな祭りと言えば、サトウハチロー作詞の「うれしいひなまつり」(♪明かりをつけましょ、ぼんぼりに~と始まるお馴染みひな祭りソング)がすぐに脳裏に浮かぶものの、逆に言えばそれぐらいしかイメージがないほどに縁遠い行事ではあったが、今回じっくりと人形を鑑賞し、繊細な表情や豪華な衣装、精緻な道具類を間近に見ることができた。
そのどれもが伝統を今に伝えてくれる貴重なものであることが素晴らしい。
また、記事化にあたり、人形の種類や特徴などの基本を知ることもできたので、今後はこれまでとは違う見方をできるぐらいにはなれた気がする。
この時期限定の催しではあるが、これからも由利本荘市はじめ県内各地のひな祭りイベントをフォローしていきたいと思う。


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