毛馬内の盆踊り2018

2018年8月23日
盆踊り好きが高じて、昨年は8月13日から一週間ほぼ毎日盆踊りを見た管理人ではあるが、今年の夏はこれまで西馬音内盆踊り、一日市盆踊りの2つしか見ていない。
盆踊り以外の伝統行事にも出かけた訳なので、心残りということではないものの、この盆踊りだけは外すわけにはいかなかった。
西馬音内、一日市と並び秋田県三大盆踊りのひとつと称される「毛馬内の盆踊り」

踊りは8月21~23日の3日間に渡り、鹿角市十和田毛馬内のこもせ通りで行われる。
今年は最終日である23日の鑑賞を決定、有給休暇も取得した。
なお20日は同じ鹿角市の花輪ばやしを鑑賞したので、2回連続して鹿角市の行事を見ることとなった。
毛馬内の盆踊りについては今回で4年連続の鑑賞となる。
この盆踊りの何が良いかといえば、終わりゆく夏をしめやかに送り出す儀式のごとく美しさ - その点に尽きる。
大げさな表現かもしれないが、要はこの盆踊りを見ないと夏が終わらないのだ。

当日15時すぎに秋田市の自宅を出発、ぶらぶらと寄り道をしつつ、毛馬内を目指す。
途中で寄った大館市道の駅ひないで従業員の方から地元比内町に伝わる扇田盆踊りの話を伺う。
毛馬内と同じく県北地方の名の知れた盆踊りでありながら近年は高齢化が進み、参加人数が減るとともに行事規模も縮小しているそうで、寂しいかぎりだ。
旧比内町の行事には1度も出かけたことはないが、ハッタギ(バッタ)踊りの異名を持つ扇田盆踊り、竿燈まつりと同種の行事である中野七夕、鋭い太鼓の音色が素晴らしい独鈷囃子、扇田神明社の火伏せ祭りであるジャジャシコ祭りなど、ユニークな行事が盛り沢山だ。そのうち出かけてみたい。
さて、毛馬内盆踊り会場には19時前に到着

あちらこちらをブラブラしながら毛馬内へ向かったので、到着まで思いのほか時間がかかってしまった。
4年前に初めてこの盆踊りを見たときには、駐車場に他県ナンバーの車が多くびっくりしたが、今日はほとんどが秋田ナンバーだった。
おそらくは初日(21日)は他県からの来客が多いのに対し、最終日である今日は近隣の人たちが主に見にくるといった図式があるのでは、と推測
西馬音内のときにお会いしたふじけんさんも毛馬内については、初日に踊りに行きますと仰っていたし、管理人が幾度がお祭りの現場でお会いしたKHB東日本放送「東北の聖地を訪ねて」スタッフの皆さんも初日に取材したとのこと。

会場となるこもせ通りに着くと、すでに踊りが始まっていた。


毛馬内盆踊りの登場前に客演の形で他盆踊り団体を招聘するのが恒例となっている。今日登場したのは同じ鹿角市の「八幡平水沢盆踊り太鼓保存会」の皆さんだ。
会場で配布されたパンフレットに八幡平水沢盆踊りの紹介文が書かれているので抜粋したい。「鹿角の南端、八幡平山麓に位置する水沢自治会に伝承される水沢盆踊りは、袰部越え、兄川越えといわれるルートを通り、南部方面から伝えられたと言われている。三尺五寸の太鼓を打手も踊りながら叩く『舞打ち』が特徴で、伝承されている音頭や踊りも快活なテンポであり、水沢独特なものとなっている」

南部方面から伝わったとされるだけあって、その形式にはナニャドヤラ(旧南部藩領に伝わる盆踊り。日本最古の盆踊りとも言われている)の影響が色濃く滲んでいるように見受けられる(なんとなくですけど)。


管理人の勝手な印象だが、岩手県内のナニャドヤラについてはさんさ踊りの振りや所作が強く反映されていて、北上するに従ってさんさのカラーが薄まるイメージを持っている。
そして水沢盆踊りにおいては、特に太鼓叩きの足さばきにさんさの影響が強く感じられる気がする。
また同じ鹿角市の盆踊りとは言え、毛馬内は旧十和田町、水沢は旧八幡平村であり(30kmの距離があります)、その成り立ちなどはかなり異なっているとも考えられ、同じ地域の同種の盆踊りと一概には見なせないのかもしれない。

今日披露されたのは「二つ甚句」「さんのへ」「よされ」などの演目だ。


県立図書館で借りた柳沢兌衛さん著「重要無形民俗文化財 毛馬内の盆踊り」には、「二つ甚句」について「甚句には『一つ甚句』と『二つ甚句』とがある。これは踊りの終わりに手を叩いて拍手をとるのであるが、ここで一つ拍手するのと二つ拍手するのがあることからそのように呼ばれている。一つ甚句は毛馬内を中心にしてそれ以北に広く行われ、大湯地区及び以南は二つ甚句が一般的である」と書かれている。
「さんのへ」については踊りの前に、そのネーミングから「青森県の三戸地方と繋がりがあるんじゃないかと思っています」と進行役の男性が紹介していたように、旧南部藩領のいろいろな地域の影響を受けているのは間違いないと思う。
なお、このあたりは明治の初めに廃藩置県により県が確定する前に、極めて短期間存在した三戸県に編入された歴史もある。

大きな太鼓が目立つ。


とにかく太鼓がでかい。県北のこの周辺地域は馬の皮を使った大太鼓がポピュラーだが、見るたびにその大きさに感心してしまう。
太鼓の縁が叩かれると同時に「チャラスコチャ」と掛け声が上がる。これは太鼓の縁を叩く音を擬音化した歌詞らしい。
2014年に本阿弥書店という出版社から発刊された「民謡地図⑨盆踊り唄 踊り念仏から阿波踊りまで」なる本を県立図書館でを借りた。
そこに昭和40年代に著者が鹿角市旧八幡平村の石鳥谷を訪れ、盆踊り鑑賞した時の様子が書かれている。
太鼓叩きを先頭に、笛が続いて、その後ろに踊り手の順に並んで会場までの道を歩きながら、薄暗い会場(名主の方の庭!)に向かう様子や、三尺三寸(約99cm)、二尺八寸(84cm)と並外れて大きなサイズの太鼓を担いでいる様子などが描写されていて、かつての旧八幡平村の盆踊りの情景が浮かぶようだった。
現在は消え去った風習や所作がたくさんあるだろうが、この地域特有の雰囲気は今に残っていると思う。

太鼓が重くてたいへんそうです。

30分以上にわたり、八幡平水沢盆踊りを堪能した。
ナニャドヤラの正統的な所作を織り交ぜつつも、秋田県北の薫りを漂わせる実に希少な踊り、太鼓だと思う。
毎年8月14日の地区の盆踊りに行けばこの踊りを見られるが、昨年鹿角市の無形民俗文化財に指定されたことで、これから県北各地で見られる可能性もあり、秋田の盆踊り好きであれば一見の価値ありなのは間違いない。

時刻は19時半になり、毛馬内大太鼓の登場。
この後の盆踊りの呼び太鼓(盆踊りが始まる合図の太鼓)の役割を果たしつつ、様々な演目を披露してくれる。
なお、以前は太鼓の独奏だったはずだが、現在は笛を従えての演奏となっている。


今日披露されたのは「大拍子」「高屋」「七拍子」「五拍子」など
七拍子は芦名沢七拍子、五拍子は中野五拍子と紹介されていたが、このあたりの地域では地域名 + ○拍子と演目が呼ばれるのが一般的なようで、これはその地域で作られた演目だということを指している(と、以前聞いた気がします)。
太鼓については先の八幡平水沢大太鼓にひけを取らないぐらいでかく、奏者と担ぎ手がワンセットとなって移動しながら演奏する。
この地域では大湯大太鼓、芦名沢大太鼓、錦木古川大太鼓など、8月を中心として各地で太鼓演奏を聴かせる行事が開催されるが、その種類の豊富さはなかなか情報として入ってこない。
管理人が以前訪れた小坂町川上大太鼓も然り、各保存会が一同に会するイベントなどがあれば是非見てみたいのだが‥

太鼓奏者たちの懸命の演奏が続きます。


太鼓の音がとにかくでかい!
以前の記事にも書いたが、この周辺の大太鼓は馬の皮製であり、よく耳にする牛の皮製の「ドーーン!」という低音の響きとは全く異なる、「バーーン!」という音色だ。
この破裂音に近いような太鼓と悲しげさえ漂わせる笛のメロディが調和を見せるわけで、その摩訶不思議さはかなりのものだ。
ちなみに毛馬内では呼び太鼓のみが演奏され、送り太鼓は演奏されないものの、毛馬内周辺では踊りの終わりを告げる目的で送り太鼓が演奏されるところもある。
先に登場した八幡平水沢でも演奏されるようだし、昨年鑑賞した小坂町川上地区連合盆踊りでも送り太鼓が鳴らされた。

そして太鼓演奏で熱を帯びた会場にいよいよ盆踊りの列が入ってくる。

踊り手は全員輪の内側を向いており、しかも成人男性・女性は豆しぼり手拭い姿であり、その顔を見せることはない(後半になると手拭いを解く踊り手が増えますが)。
カラフルなものもあるが、大半は黒い紋服を着用していて、男性は「半巾帯」、女性は「お太鼓系」と呼ばれる結び方で帯を巻いて出番前に佇む姿はまさしく耽美そのもの
先程までの太鼓の轟音を彼方に追いやる一瞬の静寂が訪れたかのようだ。

まずは大の坂


毛馬内の踊りは全て輪の内側を向いたまま踊られ、横に進むかたちを取るため、踊り手を正面から写真に撮ろうとすると、輪の内側に入る必要がある。
500円で許可証を購入すると、決められた時間だけ輪の中へ入ることができるため、許可証を購入したたくさんのカメラマンが撮影に勤しんでいた。
撮影した写真は保存会の主催する盆踊り写真コンテストに応募することができる。
管理人は昨年は許可証を買って輪の内側で撮ったが、今年は購入を見送り輪の外側だけで撮影

管理人の目の前からは小学生たちの踊りが始まった。


8月21日には本番に先立って子供盆踊りコンクールが催された。
昭和43年から始まった試みで、今年で記念すべき50回目を迎える。
やはりどんな伝統行事でも小さい頃から親しんでおくことが肝要であり、この取り組みが行事の存続に繋がる訳なのだ。
子供たちは浴衣姿の子が多いが、管理人が2年前に鑑賞した盆踊りコンクールにおいては大人同様の出で立ちの子も結構多かった。
また、逆に大人になると浴衣姿で踊る人はほとんど見られないのも特徴だ。

子供~中高生では浴衣やカラフルな紋服がよく見られたが、成人は黒一色の衣装
この妖しくかつ幽玄さ漂う雰囲気が大の坂の真骨頂だ。


先に登場した水沢盆踊りが旧南部藩領に伝わるさんさやナニャドヤラの流れを汲むと考えられるのと対照的に、毛馬内のルーツは京都の念仏踊りとされている。
ただし、その流入経路が不詳となっていて、1657年に毛馬内の知行のため岩手県三陸地方から入った桜庭光秀が持ち込んで奨励したとか、実はそれ以前から毛馬内に定着していたとか、新潟県魚沼市に伝わる堀之内大の阪(堀之内は江戸時代より越後縮の生産地として知られ、東西の商人が行き交う交易の要衝だった)と何らかの関連があるとかいろいろ説があるが、真相は全くわからない。
因みに「重要無形民俗文化財 毛馬内の盆踊り」には著者の柳沢兌衛さんが、桜庭光秀の前任地である岩手県宮古市教育委員会に「大の坂」について訪ねた際に「現在宮古地方に『大の坂』という盆踊りはありません」と言われたことが書かれていて、もしあったとしてもかなり早い時期に消滅したと思われる、との所感を記されている。

踊りの列が目の前を通過します。


幽玄で神秘的ですらある笛のメロディ、相変わらずの轟音を奏でているものの冷ややかに響く印象の太鼓の音、そして念仏踊りの薫りが色濃く残る振りの所作と踊り手たち
全国各地に念仏踊りの流れを汲む盆踊りは点在するものの、そのいずれとも似ていない、まさに毛馬内ならではの盆踊りだ。
踊り手の手さばきが本当に綺麗で、そこはかとない叙情を伝えてくれる。
3日前に鑑賞した、同じ鹿角市の花輪ばやしにおいては、10台の屋台が稲村橋でお囃子を打ち鳴らす様に去りゆく夏を感じたものだが、大の坂を見ていると夏を葬送するために踊りが捧げられているような感覚に捕われてしまう。つまりはそれほどに美しい盆踊りということだ。

踊りの列が見事です。


笛と太鼓だけで演奏される大の坂だが、以前は唄がついていた。
歌詞を抜粋すると‥
♪ こごは大の坂 ハンハノ ハイ
ハェ 曲がるでぁ ハァヤィ
ハェ 中の ハァハェデャ
まんがりめで ナァ 日を暮らす
ハェデァ おう先ぎ ハイノソレガヤェー
というものであり、あの世に旅立とうとする人を見送る内容なのだそうだ。今は歌える人はなく、節や唱法も継承されていない。
県立図書館で読んだ秋田・芸能伝承昔語りには、甚句の歌い手として活躍された馬淵ソノさん(1984年没)が大の坂の唄について「昔、80ぐらいのお婆さんが、太鼓のそばで何か文句歌っているのを見たことがありました。なに文句か聞こえなかったけれども、何か意味があったんでしょうね。ああいうのはやっぱり残しておくべきだんだけど、もう絶えてしまったでしょうな」と語られた記録が残されていて、戦後まもなくの時期に唄が消滅したとされている。
ただし、先に紹介した「民謡地図⑨盆踊り唄 踊り念仏から阿波踊りまで」には昭和37年に現地で採録した大の坂の唄がNHK秋田放送局に残されている、との記述もあるし、NHKの番組編成員(プロデューサーですな)を経て民謡研究家となった町田嘉章氏が、昭和18年に現地で採譜した記録も残っているし、調べていけば何かしらの新しい資料が発見される可能性はあると思う。

太鼓方も精一杯の演奏。うわああ、太鼓の皮に血が!頑張れー!

ちびっこも一生懸命(^^♪


以前は保存会本部テント横で2~3名の笛奏者がスタンドマイクを使って吹いていたが、今は踊りの列に連なりながら吹いている。
マイクを通さない生の演奏を披露する形に変わった訳だが、奏者たちが遠くに離れてしまうとほぼ笛の音が聞こえなくなってしまうというデメリットもある。
保存会の方と笛のことで話をしたのだが、大の坂の笛は一人で吹くのがいちばんしっくりくるんだよなあ、とも仰っていて(管理人も同意。この研ぎ澄まされた美しいメロディは独奏が一番かと)今後も改善の余地がありそうだ。

大の坂が続きます。


大の坂が終わった。
毎年のことだが、美しくも儚い、だが毛馬内の地に脈々と受け継がれてきた揺るがない伝統を感じさせる素晴らしい踊りを楽しませてもらった。
近年、サブカル好きの若い人たちによる盆踊り再評価が進み、クラブDJなども参画して東京都内の賑やかな場所で大規模なイベントが開催されるなど、伝統行事の枠には収まりきらないほどに盆踊りが浸透してきている。
そして、そのようなアゲアゲダンス的盆踊りの対極にあるのが、ダウナー系とでも呼ぶべき大の坂ということになるのだろう。
すでに全国の盆踊り好きのあいだでは一定認知されている毛馬内だが、この美しさはもっともっと知られて然るべきだと思う。

大の坂に続いて、甚句。輪の中に唄い手のあがる台が設置される。


甚句は唄のみによって踊られる。
1566年に鹿角に攻め入った秋田城介をのちの南部領主信直が撃退した祝勝として、毛馬内の館において遊興踊りが催されたのが「陣後踊り」として残り、甚句踊りに変わったと伝えられている。
そして、毛馬内の館で踊られたということはそれ以前から南部藩領では遊興踊りが一定広まっていた訳で、ここで言う遊興踊りとはナニャドヤラのことであり、甚句とナニャドヤラには7・7・7・5調という共通項があると柳沢兌衛さんが「重要無形民俗文化財 毛馬内の盆踊り」で指摘されている。
そして時を経て、このときの甚句踊りが毛馬内の盆踊りに取り入れられたということらしい。

大の坂と共通する振りもあるが、軽やかなイメージの踊りだ。


甚句では手を叩く所作が見られる。
大の坂の静粛さが和らいで、心なしかほっとさせられる気がする。
決して賑やかではないがしみじみとした喜びが伝わってくる踊りだ。
大の坂では踊りの輪の中にいなかった保存会の関係者の方々、笛奏者が加わって雰囲気も変わってきた。

皆楽しそうに踊っています。


唄い手が次々に交替し、自慢の喉を披露。盆踊りの楽しさや日常の風景などが題材に唄われる。
会場で配られたパンフレットには甚句の歌詞のパターンとして
♪サーハー甚句踊りの始まる時は ヘラも杓子も手につかぬ
♪盆の十六日闇の夜でくれろ 嫁も姑も出て踊る
♪揃うた揃うた踊子揃うた 稲の出穂よりなお揃うた
などが紹介されている。
先に紹介した馬淵ソノさんは「いちばん最初によく歌うのは『ここのお庭にはいるのはじめ 履いた下駄緒の切れるまで』。それからこんどは『踊り踊らば品よく踊れ 品のよいのを嫁にとる』『盆の十六日闇の夜でくれろ 嫁も姑も出て踊る』でしょうね」と語っている。
数10もの句が伝えられている甚句では、好きな歌や心情を託せる歌など歌い手によってまちまちであり、踊りを抜きにしてもそのバリエーションや唄い手の技量を楽しむのも面白いと思う。

甚句が続く。


時刻は21時を過ぎた。
大の坂のときにはたくさん(といってもメチャ多いとかではないです)いた観客が少しずつ減ってくると同時に、踊りの輪に加わる観客が増えてくる。
毛馬内は西馬音内と同様「見る盆踊り」として知られているが、踊りが後半に進むにつれ「一緒に踊る盆踊り」のカラーが強くなってくる。
無伴奏の甚句で躍るのは結構難しいと思うが、それでもつい踊りの輪に入りたくなる温かさのようなものがあると思う。
(因みに言いますと大の坂についても一般参加が認められていて、盆踊り振興会が窓口となっている講習会で手ほどきを受けることができます。衣装については持参が原則となっています)

甚句は30分ほど踊られた。


死者の魂を送るために踊られる大の坂とは対照的に、甚句からは溢れ出る郷土愛が伝わってくる。
また、夏は終わったもののこれから始まる実りの秋をおおらかな心で迎えよう、といったような楽観的な雰囲気が感じられてとても素敵だ。
大の坂とはひと味もふた味も違う楽しみ方のできる素晴らしい踊りであることを再確認した。

そしてトリは「毛馬内じょんから」


毛馬内じょんからは、明治以降に弘前の陸軍連隊に入隊した青年たちによって毛馬内に持ち込まれたもので、古来にはなかったとされている。
そして正確に言えば、盆踊りを構成する踊りではなく、あくまで盆踊りの余興という位置づけなのだそうだ。
踊りは甚句同様に唄のみを伴奏として踊られる。
昨年は津軽三味線の伴奏がついて甚句のしみじみとした雰囲気から一転、会場へ新たな風が吹き込まれたような新鮮さを感じたものだったが、今年は唄のみの伴奏に戻った。
管理人的には昨年の津軽三味線付きのほうが好みだ。

皆が終わりゆく盆踊りを名残惜しむかのように、楽しげに踊っている。


15分ほどでじょんからは終わった。
甚句と比べてさらにたくさんの観客が飛び入りで踊っていた。
大の坂の神妙さを打ち消すかのように皆がニコニコと踊る様は、これはこれで毛馬内のひとつの風景なのだなあ、と思わせてくれる。

時刻は21時を過ぎて、これにて盆踊り全プログラムが終了
今年も安定の素晴らしい踊りを見せてもらった満足感を携えて秋田市に帰った。

秋田の伝統行事でありながら、秋田らしさを感じさせず、しかも(大の坂については)旧南部藩領だった隣県岩手・青森の要素をも感じさせないという点で、花輪ばやしと共通していると思う。
しかも、近隣に見当たらないという点に価値がある訳ではなく、踊りそれ自体が素晴らしく、盆踊りに興味のない人でも思わず見入ってしまうかのような、強烈な吸引力を持ち合わせている。
以前はこんなにも素晴らしい盆踊りなのだからもっとたくさんの人に知ってほしいと思っていたが、最近の心境としては「このまま踊りが続きさえすれば、いずれたくさんの注目を浴びるはずだろうから」という理由で毛馬内の認知度・知名度について気にすることはなくなった。
秋田県三大盆踊りのひとつという看板がなかったとしても、幽玄を具現化したようなこの踊りには誰もが何かを感じるはずだ。
これからも陰ながら応援していきたい。


“毛馬内の盆踊り2018” への2件の返信

  1. 毛馬内の盆踊りは2・3日目の招待演舞も見たいのですが、そこまで休めないので初日参加です。

    秋田民謡によくある「キタサー」「キタカサッサー」ではなく「サハー」で始まる甚句が如何にも南部っぽく、とても好きな唄です!
    お世話になってる津軽の方が応援?に来てくれたらはまってしまい、また三日目(この日)に観に来たそうです。

    扇田の“ハッタギ踊り”は2011年に参加させていただきましたが、その様な状態とは知りませんでした。
    若い方にもピョンピョン踊って欲しいですね。

    1. ふじけんさん
      コメントありがとうございます!
      かつて南部藩領だった地に受け継がれる伝統行事、伝統芸能は秋田のそれとはかなり異質でとても面白いですよね!
      鹿角市周辺の毛馬内系とでも言えるような盆踊りをもっと見てみたいと思います。
      それにしてもふじけんさん、「南部っぽく」って通すぎやしませんか?さすがです、脱帽でございます!

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