金澤八幡宮掛け歌行事

2018年9月14日
いきなりですが、管理人は夜型人間です。
今は家庭もあるし(妻帯者なんです)夜ふかしする機会は減ったが、一人暮らしだった頃は翌日が休みのときなど、午前3~4時頃まで音楽を聴くとか本を読むとかそんなふうに過ごすのが大好きだった。
人々が寝静まったのをよそに夜の静寂の中、密やかな愉悦に浸る贅沢 - この内なる興奮を秋田の行事において味わえないものか。
ということで、この行事には以前から並々ならぬ興味を持っていた。横手市金沢の「金澤八幡宮掛け歌行事」

秋田の祭り・行事」には「夜に行う掛け歌です」と身も蓋もないような紹介に続いて「対戦相手と掛け合う形式で、徹夜で行われます。仙北荷方節の曲を借りて歌詞をつけて歌う、古代の歌垣の名残りを思わせる行事です」とやや具体的な説明がなされているが、逆に言えばその説明でほぼ言い尽くされたようなものだ。
そしてその開催日時は「9月14日午後9時~15日午前5時」まさに待望の徹夜行事!
この行事のことはブログを始めた頃から常に頭の片隅にあったようなもので、9月15日が仕事休みであればいつか行ってみたいと思っていたのだが、今年の9月14日は金曜日、これぞプレミアムフライデー!かなり早い時期から鑑賞を決めていて、ついにその日がやってきたという訳だ。

当日
念には念を入れて有休を取得し、昼過ぎまでぐっすりと睡眠を取った(さすがに14日に朝から仕事をして、翌15日早朝まで不眠で過ごすのはきつそうだったので)。
金澤八幡宮には21時までに行けばよかったが、夕方には秋田市を出発して横手市へ入り、市内の温泉施設で入浴、晩御飯もとって20時に金沢に入った。
掛け歌行事がメインであるものの、この日は金澤八幡宮例祭の宵宮にあたり、メインの通りには小さいながらもいくつかの出店が出されており、子供たちと父兄の皆さんが楽しそうに過ごしていた。


金沢は横手市の北端に位置し、すぐ隣は美郷町(旧仙南村)というロケーション。それほど大きい地域ではないし、横手市中心地からはやや距離のある郊外の小さな町といったかんじだ。
そんな場所でささやかに出店が軒を並べ、これまたささやかに賑わう風情はとても素敵だったりする。
このままここでボーッとしていたいなあ。。。とも思ったが、掛け歌行事はここからやや歩かなければならない八幡宮内で行われるためさっさと移動を開始する。

10分も歩くと八幡宮入口に到着。幟が上がってます。

入口を入ってすぐの駐車場に車を止めて八幡宮まで続く坂道を歩いたのだが、これが大誤算だった。
八幡宮まで結構な距離があるうえ、急な上り坂になっていて、ぜえぜえ息を切らしながら向かう羽目になってしまった。
ついさっき、温泉に入ってさっぱりしたのが無意味なぐらい大汗をかいちまいました(><)

15分ほどかかって八幡宮へと続く参道に到着

時刻は21時を過ぎてようやく境内へ
もともと体力がないのに想定外の坂のぼりを強いられて息も絶え絶えの状態で到着

舞台は整っているようだ。


八幡宮本殿の脇に建てられている社務所で掛け歌が行われる。
舞台となる中央の一間に歌い手が立ち、その正面には10脚以上のスチール椅子が置かれて観客席になっている。
そして、舞台に向かって左側が参加者の控え部屋、右側が審査員席となっていた。
控え部屋にはストーブが置かれている。9月にストーブ使うことなんてあるのか!と考える人もいるだろうが、この時期のこの地域であればストーブが稼働することも十分にありうる。

行事が始まってもおかしくない時間だが、その気配は全くない。
今は本殿内で神事が執り行われているようだ。なお、この際に代表者数名による掛け歌奉納が行われた模様

境内では参加者や観客など数10人ほどが掛け歌の開始を待っているが、その中に見知った顔を発見
KHB東日本放送「東北の聖地を訪ねて」の撮影スタッフの皆さんだ。
6月に同じ横手市内の大雄藤巻の厄神立てでお会いして以来の再会。お元気でしたか?
実は番組のディレクター氏に掛け歌という風変わりな行事があると伝えていたのだが、ありがたいことに興味を持ってくれたようで今日の取材に至ったという運びだ。
因みにこの行事が終わったあとは一気に東へと進み、16日の宮城県南三陸町の行事の取材に行かれるそうだ。お仕事とは言え、たいへんですね。。。
また、秋田魁新報の女性記者さんもいらっしゃったし、北秋田市根子在住の写真家 船橋陽馬さんも来られていた。陽馬さん、結構お祭り会場でお見かけします。

神事がまだ続いています。

観客はほとんどが地元の方たちのようだが、この場に似つかわしくない6~7人の若い女性たちがいる。
聞けば、甲信越地方にある大学の現役の学生さんたちでゼミの一環でこの行事に来られたとのこと
遠くからたいへんですね~などと思っていたが、さらにビックリしたのは彼女たちが歌い手として掛け歌を披露するんですと!!
何でもゼミの教授が掛け歌研究に大変熱心で、自らが掛け歌に参加するようになったのをきっかけとし、学生さんもお供で歌うのが定番なのだそうだ。
かと思えば、一人でいらっしゃったある若い男性は関西地方の大学院で研究をされている方(仮にKさんとします)で、調査研究の一環としてほぼ毎年訪問されているとのこと。やはりKさんも掛け歌に参加するそうだ(この行事のことをほとんど知らない管理人に掛け歌のイロハから教えてくださいました。ありがとうございました)。
さらには関西地方の別の大学生の方が舞台に向けてビデオカメラをセットしていたので話を伺ったところ、ラップのフリースタイルバトルなど、世界に点在する掛け合い歌の研究のためにこの行事を見に来られたそうだ。
うわー、今まさに夜が更けようとしている横手の北の外れに、これほどアカデミックな空間が形成されていたとは!

神事が終わったようで関係者が掛け歌会場となる社務所へと集まってきた。こちらは審査員席

観客席はこんなかんじ。行事すべてを見届けようという奇特な人はやはり少ないらしく、この後観客が退席 ⇒ 別の新しい観客が座る、というのを繰り返すことになる。

こちらは来賓の横手市市議会議員の皆さん

そして掛け歌行事の開会式が始まった。まずは前年チャンピオンから優勝旗の返還

前年チャンピオンは地元金沢在住の中川原信一さん
調べてみたところ、中川原さんが一番初めに優勝したのは昭和59年(1984年)!その後、幾度となく優勝の栄冠を勝ち取るとともに、平成も終わろうとしている今年の大会においても優勝争いの中心にいるというのはまさにレジェンド!素晴らしすぎる。
また中川原さんはあけびづる職人として活躍されており、その逸品の数々はネットでも多数確認することができる。
まさに県南地方の伝統文化を体現するような方なのだ。

保存会会長挨拶、協賛会会長挨拶に続いて、祝辞の披露。この先参加者に授与されるトロフィーも多数

祝辞について、いちいち誰それから寄せられたなどと記録していなかったが、なかに美郷町町長であるとか、美郷町に本社のある某納豆メーカー(秋田県民であればどこの会社か分かりますよね!)からの祝辞が含まれていた。
一般的な感覚で言えば横手市で行われる行事に、隣町の関係者から祝辞が寄せられるというのは違和感がなくもないと思うが、ここ金沢の歴史を辿ればその疑問はすぐに解ける。
ここ金沢は以前は旧仙北郡「金沢町」だったが、昭和31年に一旦横手市に編入されたのち、昭和33年に北部地域のみが旧仙南村(現美郷町)に再編入された変遷を持つ(現に美郷町にも「金沢」と付く町名があります)。
いわば横手市・旧仙南村に分割される前は同じ地域であり、現在の市区町村区分を基準に据えると見えてこない繋がりがあった訳だ。
そしてこのことは横手市の行事において、仙北地方に受け継がれた仙北荷方節が唄われるという図式を生む要因ともなっている。

開会式が滞りなく終わり、いよいよ掛け歌が始まる。
なお、開会式直前まで出場希望者の受付が行われていて、今日は総勢16名がエントリーしたそうだ。
最初に行われるのは「大学生の部」。先ほど紹介した女子大生の皆さんが出てきた。頑張ってー!!


なるほど、これが掛け歌か~。
1人が仙北荷方節の一番に相当する節を歌い上げ、その歌い終わりにかぶせる形でもう1人が歌詞を変えた仙北荷方節を歌い、それを繰り返す。
また、掛け歌後の寸評の中で進行役の方が「一掛け」「二掛け」という表現を用いていたが、これは掛け歌の掛けられた数ということで、Aさん → Bさんで一掛け、Aさん → Bさん → Aさん → Bさんで二掛けという数え方になっているようだ。
そして何回か歌を掛けたのち審査員の笛で対決が終了するシステムになっていて、何回掛けるのかは全て審査員の裁量に依る形だ。

大学生の皆さんの歌が続く。


県立図書館で読んだ「金沢八幡宮掛け歌行事 -文化財収録作成調査報告書-」に平成9・10年の行事の詳細が記されていたが、それを読むと大学生の部なるプログラムはなく、開始直後から本戦にあたる一般の部が始まっていたことが分かる。
おそらくはこちらのゼミの学生さんが多数参加されたことをきっかけとして新設されたのだと思う。
また、即興で掛け歌が進んでいくのが本来の姿だが、学生の皆さんについては内容や歌詞などある程度準備して今日に臨んだそうだ。
学生のお一人の方に「やっぱ練習とかするんですか?」と尋ねたところ、「めっちゃしましたよー!」とのこと。そりゃそうですよね~

皆さん、練習の成果を存分に披露してます。


ところで「仙北荷方節」とはどんな歌なのだろうか。
県南各地のお祭りに出向くと折に触れて聞く曲名ではあるが、あらためて知っているかと問われると何も知らない。
仙北地方の荷方が荷物の運搬の際に歌った民謡だろう、などとその字面から短絡的に想像していたものの、調べてみたら全く違っていた。
先の調査報告書同様、県立図書館で読んだ「太田町史資料集別冊 大仙市民謡・童謡選」から解説を抜粋したい。
秋田県内では祝い歌として各地で「にかた節」が歌われている。「にかた節」はもともとは新潟の祝い歌「越後松坂」で、「〽新潟出てから昨日今日で七日~」とか「〽新潟出たときゃ涙が出たが~」という歌い出しの言葉をとって「新潟節」と呼ばれ、それがなまって「にかた節」になったとされる。(同様の歌が、青森では「謙良節」、宮城・福島では「松坂」として分布している。”荷方”は当て字)仙北地方ではこの歌がことのほか愛され、三味線伴奏がつき、洗練された歌となった。
また、秋田県内では○○荷方節と名のついた同じ節で歌う民謡が点在しているが、これらは基本的に同じものと考えられる。
ただ、仙北地方の荷方節なので仙北荷方節、(例えば)横手の荷方節なので横手荷方節とネーミングされる理由はよく分かったものの、同じ歌であれば地域名をあたまに付けなくてもよさそうなものではあるが、そのあたりの理由はよく分からなかった。

大学生の部が終了、4組の掛け歌が披露されて十分に場が暖まった。
続いては夫婦同士で掛け合うデモンストレーション。計2組のご夫婦が登場した。


先 ♪70過ぎれば トイレが 近いよ もたもたすれば もらしちゃう
後 ♪もらしちゃダメだよ 気をつけて 酒ッコ握って 走ってゆけ
先 ♪いくら走っても トイレは遠い 残してよかった 孫のおまる
後 ♪焼酎取るのを も少し減らせて 70なったら 考えろ
先 ♪考えなくても 分かっているよ 酒とおなごは二ごうまでよ
後 ♪酒の二合は 我慢するが 女の二号は 許されぬ
掛け歌でコミュニケーションを図るとともに、夫婦という関係性を前提に会場を笑いに誘うかのような流れを作り出し、しかも二合 = 二号という言葉遊びをも含む。
かなり高度なテクニックです!まさしく掛詞イン掛け歌!

2組目。前年度チャンピオン中川さんご夫婦です。


ご夫婦ならではの息の合った掛け歌を聴かせてくれた。
「秋田の祭り・行事」には「かつてはのど自慢の娘をつれて母親が良縁を得ようと参加することもありました」と記されている。
また、同著に書かれている「古代の歌垣」なるものについてだが、秋田魁新報が昭和46年に発刊した「秋田の民謡・芸能・文芸」では「生活と宗教が不離一体の古代社会で、人々が春先、山や水辺を舞台に、酒を酌み交わし、グループに分かれて問答式に歌を応酬した集団レクレーションだった」とその内容を説明している。
この習俗は「春山入り」と呼ばれていて、本来は予祝、共同儀礼、性的解放といった要素を内包していたが、やがて貴族文化としての花見と混ざり合う形で現代の「お花見」へと繋がっていった、とされている。
そして歌の掛け合いという行為は「掛け歌」として、ここ金澤八幡宮に見られるような行事として残されたというわけだ。

2組のご夫婦によるデモンストレーションのあとに先ほどの大学生の部の表彰式が行われた。

表彰状や記念品の他にどうやら納豆まで授与されたようだ。
納豆 ‥ ヤマダフーズさんの協賛(←さっきは伏せましたが、面倒なので名前出しますね)というのもあるだろうが、ここ金沢は全国にいくつかある納豆発祥の地の一つでもある。
後三年の役で東北の地に攻め入った源義家が農民たちから徴収した煮た大豆が発酵し、偶然納豆が出来上がったそうだ。
大学生の皆さん、美味しく召し上がってくださいね~

時刻は22時50分
いよいよ本戦 一般の部の開始となる。
先ほど夫婦で掛け歌を披露した皆さんはもちろん、学生の皆さんも一般の方々に混じって対戦をすることになる。
今年は計16名中6名(大学生4名、一般2名)が初参加なのだそうだ。皆さん、頑張ってください!!



それにしても、皆さんよくその場で即興で歌詞を作れるものだ。
対戦の組み合わせは審査員から告げられるまで分からないわけだし、先攻のほうはお題を探して、相手が掛けやすそうな内容で歌わなければいけないし、後攻はもちろん先攻の歌の中身に応じて対応しなければいけないし、これは難易度の高い知的競技だ。
Kさんに教えていただいたのだが、大抵の歌い手は字余りを補うために音を伸ばしているあいだに次の歌詞を考えているらしい。
動画を見ていただくと分かるが、直前の語の母音を「♪い~~、いいいい~~~、い~~~~~」と引っ張る唱法がところどころに見られていて、要はその部分が歌い手のシンキングタイムとなっている訳なのだ。
ネットで調べたところ、民謡によく見られる歌い出し「♪はあ~」というのも、元々は即興歌だった民謡において「どんな歌詞を歌おうか、、」と考えるために編み出された掛け声なのだそうだ。

観客の皆さんも熱心に聞いている。



ところで今行われているのは一回戦ということで、管理人はてっきり勝ち抜きトーナメントが行われるものだと思っていたが、そうではなかった。
これもKさんに教えていただいたが、1~5回戦(決勝)まで組まれているものの、16人 → 8人 → 4人 → 2人 → 優勝といったような勝者のみが勝ち上がるトーナメント方式にはなっておらず、審査員がふるいにかける形で参加者を絞っていくため、何人勝ち上がるとかの決まりはないそうだ。
なので、今年で言えば1回戦-8試合、2回戦-7試合、3回戦-5試合、4回戦-4試合、5回戦-3試合といった具合で、 試合数は不規則なものとなる。
Kさんが参加し始めた頃は3~40人ぐらいの歌い手がいたらしいので、その頃であればもっとシステマチックにトーナメント制に近い形で行われていたのかもしれない。
要は審査員が「この人の歌をもう一回聞いてみたい」と思うか否かが、次回戦に進むポイントではないだろうか。

審査員もパソコンに向かい合い、真剣に歌を聴いている。おそらくは歌詞を記録しているのだろう。
管理人も職場でこんなかんじでパソコンとにらめっこしてますが、管理人の100倍は集中していると思われます。


ところで秋田県内では同種行事として、美郷町において「熊野神社掛け歌行事」が行われている。
こちらは8月23日19時~24日午前1時にかけて、金澤八幡宮と同じ形式で行われており、全国でも珍しい掛け歌行事が秋田の狭い範囲の中で2つも残存しているのは特筆に値すると思う。
ただ、歴史は金澤八幡宮のほうがかなり古いらしく、そのことを管理人に教えてくださった地元金沢の方の表情はちょっぴり誇らしげだった。
また、Kさんによると熊野神社のほうは今のご時世に配慮した結果、開始時間を19時、終了時間を午前1時という具合に時間を前倒しにすることで徹夜になるのを回避したそうで、金澤八幡宮に比べて現代の時代要請に応えた運用を行っているとも言えるだろう。

こちらがゼミの皆さんを率いてご参加の伊野教授

自ら参加するとともに、ゼミの学生さんたちを参加させたことで掛け歌へ新風を吹き込んでくれた功労者と言っていいと思う。
すでにかなりの回数参加されているため、地元の人たちとは馴染みであり、もはや常連といっても差し支えないぐらいだ。歌もかなりお上手です。
因みに伊野教授は盆踊り・盆踊り唄研究にもかなり熱心に取り組まれており、そちらのほうにも精通されているそうだ。
伊野教授、来年は我が秋田県が全国に誇る「西馬音内盆踊り」ご訪問、ぜひぜひご検討くださいませ!!!

控え部屋の様子。特別に緊張しているようでもなく、皆さんリラックスしています。

そして8つの対戦が全て終わり、2回戦が始まる。
特に「2回戦進出は○○さんでーす!」といった発表もなく、名前を呼ばれたら舞台へ上がって歌を披露するというのが淡々と続くことになる。


歌の内容については、時事や世相、家族、恋愛、郷土自慢など歌い手が自由にテーマを決めて掛け合うものになる。
先の大学生の皆さんは、掛け歌に出場する緊張感や意気込みなどをお題にすることが多かったし、一般の皆さんについては夏の甲子園での金農の活躍を歌うものが多かった。
「金沢八幡宮掛け歌行事 -文化財収録作成調査報告書-」には、平成10年(1998年)に行われた際の傾向として「今年の掛け歌は例年と同じように、『時事問題』が圧倒的に多く、和歌山の毒物カレー事件、北朝鮮のミサイル発射、不況と政治、若・貴不仲説問題などが歌われた」と記されている。

次々と仙北荷方節が披露される。


一晩じゅう、何十回も仙北荷方節が聞けるとあっては民謡好きには堪らない行事だろう。
これだけ伝統がある行事なのだから、プロの民謡歌手は参加しないのか地元の方に尋ねたところ、基本的にそれはありえないそうだ。
その方曰く、掛け歌の本領は歌の上手さもさることながら、如何に当意即妙に相手の歌に掛けるかであって、決められた歌詞を決められたようにう歌うのが職業のプロ歌手は実はこの行事には向いていないとのこと
なるほど、そりゃそうだ。
また、そう言われてみると高度な歌唱技術を用いた洗練された歌よりも、朴訥で言わば土の香りがするような味のある歌のほうがこの舞台には向いているような気がする。

楽しい掛け合いが続きます。


先 ♪会えた会えたよ 伊野先生に会えたよ いつもこの場で 会えるのを待ってた
後 ♪あなたと私は 七夕さまよ 旦那の前で 誓うアイラブユー
先 ♪赤い糸なら 信さんと結び 七夕お祭りは 先生と
後 ♪いつも周りは 若い子ばかり たまには熟女と もものなか
ユーモラスなやり取りに会場が笑いに包まれる。
上手さと面白さが合わさるやり取りはやはり聞いていて楽しい。

審査員も真剣そのもの

2回戦が終了。次の3回戦開始までのあいだ、そのへんをブラブラ

境内には、昭和5年(1930年)からの歴代優勝者の名札を貼った板が設置されていて、昭和20年(1945年)だけが「終戦に付き掛唄大会不可」となっていた。
行事は昭和5年以前からずっと続けられてきたものだが、この板を眺めているだけでもその歴史を感じ取ることができる。
なお、「金沢八幡宮掛け歌行事 -文化財収録作成調査報告書-」には戦前に行われた際の歌が記録されていて、それを見ると長いときには10掛け以上も掛け合ったことが分かる。

スピーカーから大音量で歌が流される。

伺ったところによると、このスピーカーから出る音は八幡宮から見下ろす位置にある家々にも聞こえるらしく、「うるさくて寝れねえぞ、やめちまえ!」「音、小さくて聞こえねえぞ!もっとデカくしろ!」の2種類の苦情が寄せられるそうだ。どないせーっちゅうねん!(-“-;)

時刻は深夜1時近く。大半の観客はすでに帰ってしまったようだ。

演者たちもお疲れ気味。

気怠い雰囲気の訪れとともに静寂が支配する世界へと徐々に変わってゆく。
静けさが生む豊潤な時間、濃厚な空間が目の前に広がっているようだ。夜型人間にとっては、今まさに身を置いている、このような時間が至福の時なのだ。

0時50分、3回戦開始


3回戦ともなれば、実力者ぞろいということで1・2回戦とは違う勝負モードに切り替わっていく。
また、進行役の方から対戦カードが発表されると「おーーっ!」と歓声が沸きあがる場面もあり、盛り上がりを見せていた。
深まりゆく夜と比例して熱を帯びてきているかのようだ。

皆さん、真剣です。


先 ♪今年も掛け歌 楽しく参加よ 後藤さんのおかげで ありがたい
後 ♪褒めて褒められ 佐藤さんの奥様 歌が好きでなにより
先 ♪年に1度の 掛け歌会 みんなの笑顔が 最高です
後 ♪歌を笑顔で 歌えるはつさん 横で聞いても 朗らかそうだ
「秋田・芸能伝承者昔語り」にかつて金澤八幡宮と熊野神社双方の掛け歌に出場し、数々の優勝・入賞歴をお持ちの木村周一さん(旧仙南村在住)のインタビューが掲載されている(月刊わらび 1975年1月号掲載)。
そのなかで木村さんは「山さ行っては歌い、下刈りに行っては歌い、里さ来ては歌いして、精一杯やったもの。牛引く時も耕耘機さ乗ってる時もありったけ歌ってな。耕耘機なばバンバンバンという耕耘機の音、牛なばガッポガッポと牛の歩く音をリズムにして歌うわけだ。いいもんだものな、なんと」と語っている。
おそらくは重労働だった当時の農作業のなかで自由に歌って喜びを得るという、いわば人間の営みの本質に関わることを木村さんが歌に込めていたことが分かる一文だ。


先に美郷町六郷の熊野神社の掛け歌について書いたが、秋田県内では他にも大仙市、仙北市、横手市といったところを中心に何箇所かで掛け歌が行われていたそうだ。
中には鹿角市八幡平の大日霊貴神社や、横手市大森町八沢木の保呂羽山波宇志別神社など含まれていて、前者は大日堂舞楽、後者は霜月神楽(こちらも徹夜行事です。前日19時から始まって、翌朝8時に参加者全員で朝ごはんを食べてお開きになるという変わった行事です)といった有名な行事が行われる舞台でもある。
また、掛け歌については盆踊りのなかで歌問答として形を変えて受け継がれ、踊り手が句を歌い、それにほかの踊り手が応え、それにほかの踊り手が続くといった形式は、八郎潟町の一日市盆踊りや鹿角市の毛馬内盆踊りなどでかつて見られたものであり、掛け歌とその他の芸能・行事との関連が垣間見られる。

ほのぼのとした前の対戦と打って変わって、こちらは壮絶なdisり合いと化した。


先 ♪若い女と 歌うその声は なぜかいつもより 甘い声
後 ♪大学教授は 気楽なものだ 学生相手に 掛け歌
先 ♪なり得るものなら なってもみろよ 毎日若い子と 思う存分
後 ♪地震、雷、大学教授 私の嫌いな3つです
「思う存分」って何ですか?教授。。。

学生さんも見事3回戦に残った。素晴らしい!快挙です!

年配の方がほとんどを占めるなか、若い方が勝ち残る姿はとても頼もしい。
国際教養大学地域環境研究センター作成の秋田民俗芸能DVDに収録された平成24年(2012年)の様子を見ると、大学生・一般の部の前に地元中高生と思しき若者たちが参加し、一生懸命歌っている姿が収められていたし、船橋陽馬さんの撮られた綺麗な写真が掲載されている「なんも大学」のサイトを拝見したところ、今日も管理人来場前にジュニア部門が行われていたようだった。
来年以降は是非一般の部で地元の若い方の熱唱する姿を見たいものだ。
また、八幡宮近くの金沢孔城(こうじょう)館ではちびっ子が参加しての「掛け歌チャレンジキッズ」が開催されたそうで、掛け歌を継承する取り組みは着々と進行しているようだ。

3回戦が終わった。さすがに管理人もまぶたが重くなってきたが、初秋の夜の冷え込みが眠らせてくれはしない。

続いて4回戦。時刻は1時50分


深夜真っ只中の時間ではあるものの、それでもちらほらと観客が入ってくる。
知り合い関係のようだったが、ナイトワーク風の若い男性と女性が仕事のままの恰好で来場し、ニコニコと掛け歌を見ていたのがとても印象的だった。
横手市内のバーでの仕事帰りに、幼少の頃から親しんでいた地元金沢の行事に立ち寄った、というかんじだろうか。
伝統行事を通じて地域の人たちが集い、親交を深めるといった、ごく当たり前の場面なのだが心温まるものがある。

このあたりになると相当の実力者同士が対決することになる訳で、勝利への意欲がダイレクトに歌詞に現れることもある。


♪優しい顔して 素晴らしい声で 掛け歌入れば 潰すよ
相手の出鼻をくじくかのように自分の強さを誇示し、ブラフをかます。
上手く歌を掛けるという一線を超えて、一種の心理戦を挑んでいるようで、その本気度はなかなかに凄まじい。
「秋田・芸能伝承者昔語り」で木村周一さんが語っているところによると、木村さんの活躍されていた頃には相手の声を枯れさせるため、キーを上げていったり(声が出なくなると失格扱いとなる)、歌の内容も相手が掛けづらいものにしたりとセメントマッチ的な対決が行われることもあったようだ。
木村さんはその様子を「戦争当時はもう、相手を困らせるような文句を出して、びっちびっち潰したもんだ」と述懐されている。

次も優勝候補同士のバチバチの熱戦だ。


先 ♪去年、おととし 優勝したよ 今年も優勝 もらおうかな
後 ♪今の世の中 甘くない 今年は絶対 渡さない
先 ♪来年あなたに 譲ってやるよ 今年は私が もらっていく
後 ♪来年はもちろん 俺のものだな 今年も俺が もらっていく
おそらくは掛け歌で優勝するということは管理人が考えている以上に名誉なことであり、それこそ全てのパワーを注ぎ込むかの如く歌に気持ちを込める姿が見られた。
真夜中にひっそりと行われる行事ではあるが、会場には演者の歌声が高らかに響き、優勝への執念がふつふつと燃えたぎっていたのだった。

参加者の皆さんも一言も聞き逃すまいと集中しているかのようです。

そして4回戦が終了する。
続いて、最終となる5回戦では観客から寄せられたお題を歌い手に与えて掛け合いをさせる方式が取られた。
1組目のお題は「やかん」。時刻は2時50分ですが「夜間」ではなく、ケトルのほうの「やかん」です。


「やかん」とは妙なお題だと思われるかもしれないが、この行事を初めから見てきたものとしては(見てなくてもそう思うでしょうが)、やはり舞台の台上に置かれたやかんが密かに気になる。
掛け歌の前に演者同士が水を注ぎ合い、健闘を誓い合う。
歌い手の間を取り持ち、和やかな雰囲気で歌が始まるように仕向けてくれるかのようなその姿はまさしく物言わぬMCと呼ぶにふさわしい。
思わぬところで思わぬ存在感を放ったやかんなのだった。

2組目のお題は「イージス・アショア」


時事問題ど真ん中のシリアスなテーマながら、掛け歌に乗せられることで一歩引いた視点から問題の本質を抉り出せるような気さえしてしまう。昔TV番組で見た「時事放談」が伝統行事とクロスオーバーしたかのような出来栄えだ。
「秋田・芸能伝承者昔語り」の木村周一さんの項の見出しには「ふだんから歌う心でものを見る」と記されている。
掛け歌というフィルターを通すことで世の中の真理、大げさに言えば森羅万象がクリアに見えるということを語っているかのような一言だと思う。これぞ金言

審査員の皆さん、誰推しなんでしょうか。

「東北の聖地を訪ねて」のカメラマンさんも、クライマックスへと突入した掛け歌を録るのに必死です。
因みに、行事開始前にカメラマンさんが取材のために予習されたという仙北荷方節をちょこっと口ずさんでくれたのだが、出場してもおかしくないぐらいに上手かった!来年は是非ご参加検討くださいね~

そして最終組。お題は何故か「ナンパ」


先 ♪かがあどごナンパし 一緒になったよ 今になれば 大間違い
後 ♪俺はナンパは したことない みんな向こうが 寄ってくる
先 ♪あなたに合わない 素晴らしい奥さん ナンパしなきゃ 来るわけない
後 ♪それはそうだよ イケメンだから もてる男は つらいもの
先 ♪男であれば 女の一人や二人 ナンパできなきゃ 人でない
後 ♪ナンパしねたて 女が来るよ あなたもそういう 男になれ
先 ♪俺はナンパは しなかった あばかてナンパ されたよ
後 ♪払い除けても 女が来るよ ナンパするよな ことはない
伝統あふれる掛け歌行事の最後を飾るには、文字通り軟派なお題だと思ったが、思わぬ好勝負が展開された。
それは、ナンパしなくても女性が寄ってくる男 VS ナンパぐらいできなきゃ男じゃないと考えている男の対立構造が成立したからだろう。
ただ、これほどに突っ込んだ掛け歌ができるようになるためには、お互いが相応の技量を持った上で一定の信頼関係があってこそではないだろうか。
男同士の勝負を見せてもらった気分だ。
先攻の佐藤正太郎さんが「かがあどごナンパし 一緒になったよ」と歌い始めたのが、終わりの方では「あば(母ちゃん = 嫁さん)かてナンパ されたよ」と中身が変わっちゃったのはご愛嬌(^^♪
これにて掛け歌が終了!歌い手の皆さんおつかれさまでしたm(_ _)m

時刻は3時30分となり、この後は結果発表を残すだけとなったが、それまでの間が長かった!
審査員一同が社務所から本殿へ移動し、1時間もの長丁場に渡り審査に時間を費やした(文句垂れているワケではないです)。
当然やることもなくぼんやりと発表を待つだけではあるが、肌寒さに眠るわけにもいかず、他の皆さんもお疲れの様子だし、ぼんやりと境内を彷徨って過ごした。


この時間を利用して椅子に座って仮眠することもできたのだろうが、さすがに9月の早朝は冷え込んでいて眠れない。
念のためということで上着を持ってきていたのだが、間抜けなことに車の中に置いてきてしまった。
いくら徹夜が得意な管理人とは言え、眠いのに寝れないこの状況はきつい。
徹夜とは眠いときにすぐにゴロンと横になれる環境があってこそ、楽しめるものだと気づかされたのだった。

そして時刻は4時30分。どうやら審査に決着がついたようで、審査員が社務所へと戻ってきた。

結果発表。優勝は♪ダダダダダダダダダダ(←ドラムロール)

中川原さんでしたあ!おめでとうございまーす!!

中川原さんとデッドヒートを繰り広げた皆さんにも優秀賞、優良賞が授与される。素晴らしい掛け歌を聞かせてくれました!

他にも奨励賞、努力賞、新人最優秀賞、県知事賞、横手市長賞、美郷町長賞などが授与され、延々と表彰式が続く。
Kさんに教えていただいたところによると、この後参加者たちによる直会に突入するそうな。
そこでは何とまたまた掛け歌が始まるのがお決まりなのだそうだ。
もう十分すぎるぐらい歌っているはずなのに、このパワーはなんだ?やはり掛け歌の魅力に皆さんハマっているのだろう。
掛け歌、そして仙北荷方節にこれほどまでに人を惹きつける魅力があったのか。。。

おお、表彰式の間に空が明るくなってきましたよ。


時刻は5時。空が白んでくるとともに夜の寒さは失せて、9月の爽やかな朝を迎えることができた。
KHB東日本放送のスタッフの皆さん、Kさん、そして出場者の皆さんに挨拶をして会場をあとにする。
よし、頑張って秋田市まで運転するか!と気張って出発したが、出発直後にあえなく眠気に襲われてしまい、道の駅雁の里せんなんで仮眠を取る羽目になってしまった。会場から3kmも走ってないわ、、、

21時~翌朝5時までの行事ということで、途中で飽きてしまうんじゃないか、帰りたくなったらどうしようなどと実は考えていた。
そんな心配は無用だったと断言できるほどに、歌い手たちの掛ける歌が待ち遠しく、あっという間に時間が過ぎていった印象だ。
時間を持て余したらこいつでも食ってようか、と近くのコンビニで買っておいたお菓子には結局手をつけることはなかった。
伝統あふれる仙北荷方節に、笑いあり、上手さあり、そして勝負へのこだわりありの自由な歌詞が乗せられるさまは、まるで徒手空拳の対決を見ているみたいで面白く、全国でも珍しいということを差し引いても価値ある伝統行事だと思う。
由緒ある神社の境内で味わい深い掛け歌を楽しむ - 伝統行事好きの皆さんに是非お勧めしたい秋の夜長の過ごし方です。


“金澤八幡宮掛け歌行事” への2件の返信

  1. いつも楽しく読ませて頂いております。
    今回は地元金沢、また、私自身出場経験もある金澤八幡宮掛け唄の記事ということでいっそう興味深く読ませて頂きました。
    いつもながら思うことですが、今回も観客としての視点と、様々な文献に基づく記述の両方があるため、とても読みごたえのある記事でした。
    実家があの山の下にあるため、祭りの夜は出店で遊んで例のスピーカーから流れる掛け唄を子守唄がわりに寝るというふうにして育ちました。(以前は9/15が休みだったため、夜更かししても大丈夫ということも大きかったです。)
    同じ仙北荷方といえ、一人ひとり微妙に節回しが異なりますし、歌詞の言葉選びにも参加者それぞれ個性があるところが聞く側からしたら面白いと思っておりますし(自分は○○さんが好き~というのも何となく出てきます。)、長年聞いておると、よりその面白さが深まります。
    早い話ですが、今年の9/14は3連休初日ですので、是非またいらして下さいませ。

    1. uxorialさん
      コメントありがとうございます。
      ずっと楽しみにしていた掛け歌行事に行くことができました!
      uxorialさん、出場経験おありなんですね?スゴいです!
      国際教養大学DVDを見ると途中で歌に詰まっちゃう方がいましたが、それが普通だと思います。
      管理人が出場した日には、下手くそな荷方節にあり得ないぐらいの字余りに、中身も面白くもなんともない、みたいな惨状になるのが容易に想像できます(笑)
      上級者の皆さんの素晴らしい歌と、機転の利いた歌詞、ホントに尊敬モノでした。
      やはり掛け歌への情熱と、若い頃からの鍛練が為せる技なんでしょうね。
      半年前の行事を今頃記事化するとか、本当にお恥ずかしい話なんですが、逆に言えば今年の掛け歌まで残り半年でもある訳で(苦笑)、またお邪魔したいと思っています。
      それまで、荷方節を聞く耳をもっと養っておくようにします!

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