2018年10月21日
季節はすっかり秋となり、これから訪れるであろう冬の気配を感じる日が多くなってきた。
そんな秋真っ盛りの時期に行われる小さな祭りが、秋田市旭南2丁目で行われる「金神神社ネギミソ祭り」
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」では「金神神社ねぎ味噌湯豆腐」との名称で、「特異な神饌を供え、それを皆で共食することからこの名がいわれている」と紹介されている。
神饌とは「日本の神社や神棚に供える供物のこと(←wikiより)」なのだそうだ。
実は一昨年も宵宮を鑑賞しようと試みたことがあるのだが、本来の宵宮/本祭の開催日である10月16・17日が10月第三土日曜日に変わったことを知らず、訪問はしたものの見れなかった経緯があるので、管理人にとってずっと気になる祭りの一つとなっていた。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」では冒頭に紹介した文章に続いて、「金神神社での祭礼そのものには特殊な行事はみられない」と記されていて、祭りそのものではなく参詣者皆でいただくねぎ味噌湯豆腐に特徴があるという風変わりな祭りでもある。
今回は第三日曜日にあたる10月21日の本祭を鑑賞した。
当日 - 会場となる金神神社は自宅から車で10分の距離。旭南3丁目に車を置いて徒歩で金神神社へ向かう。
因みに今日祭りが行われる金神神社は旧上鍛冶町の氏神神社だが、同じ旭南2丁目内の下鍛冶町にも金神神社が祀られている。それがこちら
到着しました。
集合住宅と一般家屋の間の極小のスペースにひっそりと佇む小さな神社。そのことが逆にこの地に長く祀られてきた神社だということを証明しているかのようだ。
上鍛冶町という旧町名から分かるように、このあたりの地域はかつて鍛治職人や鋳物師が数多く暮らす職人の町として発展した。
金神神社は上鍛冶町の鎮守として火伏せの神が祀られるとされていて、御神体は「木彫塗彩のもので、三面六臂、光背状に火炎が付き憤怒の形相をしている」(←「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」より)となっている。
そのようなバックグラウンドを持つ神社のお祭りが「ネギミソ祭り」なる珍妙な名前を持つに至った経緯はこのあとにお伝えしたいと思う。
あとで伺ったのだが、この鐘も相当に年季の入った貴重なものらしい。
中に入ります。
これから始まる本祭に向けてのご準備で皆さん忙しくされている。
ありがたいことに2年前にちょこっとだけ訪れた管理人のことを覚えてくださっていた方もいて、まあゆっくり見ていきなさいよと声をかけていただいた。
2年前は、料理の準備だけを見たようなものだったが、柔らかな秋の日差しが入り込む炊事場でせっせといそしむご婦人たちの姿が印象に残っている。
御神体が祀られている。
お供えを見てもねぎ味噌湯豆腐と思しき一品はない。
実はねぎ味噌湯豆腐が供されるのは前日の宵宮のみで、本祭では調理もされず登場もしない。
その代わり、という訳ではないが、当日は鮭を使った料理が供えられることになっていて、宵宮のときに神饌として捧げられた鮭が調理され、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」では「鮭のザッパ汁・鮭の照り焼き・鮭の卵による料理を供える」と記されている。
実際に今日も鮭と里芋の味噌汁・鮭と昆布とにんじんとごぼうの煮付け・いくらおろしと、伝統に則って鮭を使った料理が供されていた。
あとで参詣者全員で同じメニューをいただくわけだ。
食卓の準備も整った。
これまで準備で忙しくしていた皆さんが集まって祭式が始まる。まずは祝詞奏上
現自治会長が祭壇の間に入って、ほかの皆さんがそれに続く。
2年前に伺った情報では市内八橋の日吉八幡神社から招いた神職の方が祭式を執り行うそうで、特にそのへんは変わっていないと思う。
本殿内なので外の様子は見れないものの、室内にいても秋の気配を十分に感じることができ、その空気感と一瞬の静寂がよくマッチしている。
なお、宵宮では神子舞が奉納されるそうだ。
御神酒が皆に振る舞われる。
管理人も調子に乗って、いただいてしまいました。
なお、御神酒とともに米、塩も出されて、皆さんそれらを口に含んでから御神酒を飲み干していた。
これで祭式は終わり、そのまま直会へと移る。
本当に恐縮なことだが、前触れもなくふらっと訪れただけの管理人にも料理をご用意いただいた。わざわざすいません、ありがとうございます!美味しくいただきます!!
素朴ながら実に美味しかった。
さて、宵宮で振舞われたねぎ味噌湯豆腐の由来だが、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」に「伝承によると久保田藩主佐竹氏が上鍛冶町に巡遊してきたとき、鍛冶町では何もご馳走するものがなかった。その時、ねぎと味噌を練りこんだタレを付けた豆腐をさしあげたところ、大変喜ばれたという。それ以来このねぎ味噌湯豆腐を名物として祭礼時には神前に供え、そして皆で食して感謝することとなった」と記されているとおりで、ねぎ味噌湯豆腐がこの地の名物とか、特別に親しまれているメニューということではない。
佐竹の殿様をもてなそうと頑張った結果喜んでいただけたという素朴なエピソードのなかに、上鍛冶町の人たちの誇りというか気概が息づいていて、その象徴がねぎ味噌湯豆腐なのだと思う。
こちらも美味しかったです。
現地ではお聞きできなかったが、「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書-」には「鮭は必ず雌でなければならない」と記されている。
鮭料理について、ねぎ味噌湯豆腐同様に佐竹の殿様にまつわるエピソードがあるか分からないが、こちらも本祭で伝統的に振舞われてきた料理であり、上鍛冶町の人たちの心と記憶に残るメニューなのだろう。
なお、今日の鮭料理は秋田県民が愛してやまない「ぼだっこ」ほど塩辛くない(調理法が違うので当たり前か‥)
ぼだっこの由来について、猪肉を使うボタン鍋と色味が似ているからとか、佐竹の殿様が鮭の色を見て「牡丹の花のようだ」と感想を述べたからとかいろいろな説があるようだが、秋田民俗学の重鎮 齊藤壽胤先生が著書「あきた風土民俗考」で「秋田藩では領民の奢侈を戒めるために魚類の輸入を禁じたことがあったという。だが塩鮭だけは大目に見た。それでもおおっぴらにできず榾(ほた※木箱のこと)で覆った荷としたことから塩鮭を今でもボダという」と記述されている「ボダ = 榾」説が一番信ぴょう性があるように思う。
ほかの料理も美味。こちらはガッコ
ワインが出てまいりました。皆さん、ワイワイガヤガヤと話に花が咲く。
ここ上鍛冶町は藩政時代より外町のひとつとして成長してきた町でもあり、外町に暮らす職人たちのあいだで広まって今や秋田、東北を代表する祭りとなったのが「竿燈」
上鍛冶町の竿燈には町紋「下がり藤」があしらわれていて、古くから竿燈に携わってきたという誇りがそこはかとなく伝わってくる。
今日、ネギミソ祭りに参加された自治会長さんからは竿燈まつりのときのエピソードなどを詳しく教えていただいた。
今年の8月3~6日の本番の演技に期待してます!
皆さんと共に楽しい時間を過ごさせてもらった。
そろそろお開きというところで管理人も辞去。いきなりの訪問にもかかわらず、管理人を温かく迎え入れていただいて嬉しいかぎりだ。
本当にありがとうございました。外はこれぞ日本晴れ、秋の空気がとても清々しい。
2年越しの訪問となったネギミソ祭り
一昨年はほんのちょっと顔を出したに過ぎなかったが、今年はじっくりと見させていただいた。
秋田一の繁華街川反からすぐ近くのロケーションながら、ひっそりと佇む金神神社そのもののようなお祭りだった。
これからもずっと続いて欲しいと願うとともに、次回は是非佐竹の殿様を喜ばせたねぎ味噌湯豆腐を食してみたい(厚かましいことばかり言ってすいません。。。)