万灯火(合川町)2019

2019年3月21日
春分の日のこの日 - 今回の行事「万灯火(まとび)」を3年連続で鑑賞した。
この行事は県内で上小阿仁村と北秋田市合川の2箇所で同日に行われていて、一昨年は合川昨年は上小阿仁村と鑑賞したので、輪番という訳ではないが、じゃ今年は合川のほうか?ということで、早くからスケジュールを決めていた。
行事の概要についてはこちら(←北秋田市HP)を参照願いたい。

さすがに通算3回目の鑑賞ともなれば、勝手知ったる何とやらだが、それゆえに困ることもある。
最適な鑑賞方法がよく分からないのだ!
合川では10箇所近く、上小阿仁村では10箇所以上の集落で少しずつ時間をずらしながら万灯火に点火されるが、全集落を見ようとするとかなり頻繁に移動を繰り返さねばならない。
「はい、○○集落は点火したね!じゃ次ぃ~!」というかんじで、まるで観光地であれも見なきゃこれも見なきゃと騒いでいる観光客のごとしなのだ。
かと言って、一箇所にじっと留まって見るのも結構根気が必要そうだし、じっくりとかつ効率的に鑑賞するにはどうすればいいのか、というのを結構真剣に考えたりもした。
で、結局行き着いたのが今回の記事のとおりの見方なのだが、果たしてそれが良かったかは実のところよく分からない。

当日
昨年、一昨年と気持ちのいい早春の夕暮れのなかで行事の開始を見届けることができたが、今回はまさかの雨風吹きすさぶ悪天候となってしまった。
こりゃ中止になるんじゃないか、とかダンポ(火を灯すために丸く固められた布)に火がつかないんじゃないか、とかいろんなことを考えたが、まさか天気が悪いんで先祖を弔うの止めまーす、とはならないはずと自分に言い聞かせつつ、現地北秋田市合川へと向かう。

合川の摩当(まっとう)集落へ到着
ここは一昨年初めて万灯火を見たときも最初に伺った集落であり、その気軽さもあってここを起点とすることに決めていた。
ただ、なぜか17時に行事が開始すると勘違いしていて(本当は18時開始)、17時前に早々と着いてしまったのはちょっとした誤算だった。ということで近辺をぶらぶらと歩く。
それにしても一昨年、昨年の同じ日には雪が多く残っていたが、今年はほぼない状態。これまでとはかなり違った行事風景となることが予想された。

ありました。これが点火前のダンポです。


多くのダンポが用意され、まさしく準備万端の状態
行事が中止になるのでは‥と頭をよぎったのは全くの杞憂だったようだ。
ダンポは古布や使い古した軍手などを何重にも丸めてボール状にしたものを針金で縛って、廃油等を染み込ませて作られる。
また、数十個のダンポを使って「中日」の文字を作るための鉄骨も組み立てられている。
なお、以前はダンポではなく、稲わらを束ねたものに火をつけていたそうだ。

摩当集落のすぐ側を流れる小阿仁川。万灯火は上小阿仁村・合川の川沿いの集落で行われる。

すぐ近くにある共同墓地に目をやると‥


墓の前に準備されたいくつかのダンポにすでに火がつけられている。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」には「この地域は春彼岸の墓参りを、入りの日(彼岸の入り)、中日、しまいの日(送り彼岸)と三回行い、墓前でワラ束を燃やし、米の粉で作った小さい団子をミズキ(カンコシバ)の枝につけた「花団子」を供えていた。墓前の火は祖霊を迎え、送るものである。万灯火も墓前で焚く火の呼び名であったが、ある時代から集落で行う、万灯火を焚く彼岸行事に変わったという」と記されていて、元はお彼岸の風習だったものが地域の行事へと変遷したことが分かる。

それにしても風が強い。いっとき収まるかと思われたが、そんなことは全くなく、ブラブラと歩く管理人に容赦なく襲いかかる。

管理人と同じく行事の様子を撮影しに来ていた年配男性と言葉を交わす。
男性はこの行事を初めてご覧になるとのことで、どこの集落の万灯火が撮影に向いているか質問があったので、迷わず「三木田集落」であることを伝えたところ、その男性はロケハンのため三木田集落へと向かわれた。
この悪天候のなか、同じように行事を見ようとここ合川を訪れる方がいるのは大変心強い。

写真では分かりづらいですが、このときめっちゃ雨風吹いてました。

待つこと1時間あまり。まだ始まらねえなあ。。。などと思っていたら、子ども含む5名の男性が万灯火をセットしている場所へ向かっているのが見えた。
そう。いよいよ行事が始まろうとしているのだ。管理人も待ってました!とばかりに男性たちのもとへと駆けていく。

あたりはすっかり暗くなった。
急な来訪にもかかわらず、あー秋田市から来たんですか。どうぞ見ていってくださいと暖かく声を掛けていただく。
あらかじめ用意していたドラム缶の周りに集まり、火を起こす。

火を松明に移して、ダンポへ着火

火がつけられた。


強い雨風を忘れさせてしまうほどに、優雅かつ幻想的に「中日」の文字が浮かび上がる。
依然として風は強いままだが、灯油を染み込ませているだけあってダンポの火が消えることはない。
時間の経過とともに消えてしまうダンポもあるが、新しいダンポと交換されるので一定時間万灯火が焚かれ続けることになる。
なお、昔使用していた藁製のダンポははすぐにでも火が消えてしまいそうなものだが、松ヤニを塗ることでかなり長く燃え続けたらしい。
しかも現在のダンポに比べて火の勢いも強かったそうで、結構豪快な先祖供養の風景が見られたことと思う。

火をつけて回るのも結構忙しい。

摩当集落では18日の彼岸の入り、22日の送り彼岸のときにも集落から墓に至るまでの道路沿いにダンポを用意するそうだ。
集落あげての行事である一方、先祖を迎えるという本来の意義に沿う形でダンポが用いられており、この地に根付く習俗であることがよく分かる。
また、これも摩当の方に教えていただいたのだが、元々上小阿仁村の万灯火行事は摩当集落から上小阿仁村へ婿に行った人が広めたそうだ。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」にもそういった記述はないので、そこまで単純なものかよく分からないところもあるが、摩当を含む旧合川町が行事発祥の地なんだな、と思わせてしまう何かはあると思う。

ダンポの火が風に揺れる。


風がなければダンポの炎は官能的とも言える曲線美を描くのだが、さすがに今日はそうはいかない。
炎があっちこっちに飛び散りながら燃え続ける。
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」には「万灯火がよく燃えると豊作、燃え方がはなばなしくないと作柄がよくないなどと、作占がいつからか付け加わった。よく燃やすことによって、その年火災から集落が免れるという、火伏せの願いもさらに万灯火にこめられるようになった」と記されている。
墓前に焚かれる篝火だったものが、集落の行事となり、さらには豊作祈願や家内安全といった予祝に結びつくというのはさすがに強引な気がしないでもないが、ダンポの炎がある種の魔力を宿しているように人々の目に映ったのであろう。
「形が良くないなー。いい写真撮れないなー」とか薄っぺらいことを思っている場合ではないのだ。

摩当の皆さんから行事に関するいろいろなことを教えていただいた。
その中でたびたびお隣上小阿仁村の万灯火のことが話題に上ったが、皆さん一様に「こっちは伝統行事だども、向こう(上小阿仁村)は観光行事だからよ」と仰っていた。
上小阿仁村の万灯火(というか小沢田集落の万灯火)は道の駅かみこあにのすぐ近くの川沿いで行われるだけあって、出店が並び花火があがる華やかなイベントとして観光客を集めているが、合川のほうは観光色は皆無。
そのことを管理人に説明してくれる摩当の皆さんからは、上小阿仁村をdisるとかではない、お隣さんに対する気安さとちょっとだけの羨望が感じられた。
なお、摩当の人たちは自らの地域を呼ぶのに「合川」とは言わず、「下小阿仁(しもこあに)」と呼んでいて、いわば上小阿仁村とは兄弟のような関係であることが分かる。

摩当の皆さんに礼を述べて、次の場所へ移動。三里の万灯火

こちらは摩当とは違い、道路からかなり離れた距離なので近づくのが難しく、遠くから眺める形で鑑賞。
なお、かなり楽しみにしていた三木田の万灯火だが、先にちょっと話をした写真撮影の男性からもたらされた情報によると、集落内の橋の工事の影響で山の尾根づたいに灯すのを中止してしまった(一部のみ実施)ということで、管理人も鑑賞を取りやめることにした。
三木田の万灯火のスケール感は本当に素晴らしく、是非もう一度見たいと思っているので来年以降に期待したい。

ということで次に移動したのは鎌沢(かまのさわ)の万灯火

こちらでは道路沿いに観客や地元の人たちをもてなすお酒などが用意されている。
管理人も温かいココアをいただきました。冷たい風にさらされ続けた体には最高です!!
このあたりから徐々に雨風が止んで、鑑賞には程よいコンディションとなってきた。

こちらの万灯火は盛んに焚かれている。


道路から少し離れたところの奥まった場所に、「中日」の他にもう一つ「大仏」と作られた万灯火がある。
これは集落内にある曹洞宗のお寺 白津山正法院の大仏殿「丈六延命地蔵菩薩像」が鎌沢の大仏として知られていることによる。

近づいてみる。


「中日」とか集落名が多くを占めるなかで、「大仏」の文字を形取る万灯火は結構異色の存在だ。
おそらく「鎌沢」では字画が多くてたいへんだということだろう。

すぐ横には、手動で回転する車万灯火


実にシンプルな作り。上小阿仁村 小沢田集落でも車万灯火が行われていて、くるくると廻る炎が小阿仁川の川面を美しく照らしていたのを思い出す。
鎌沢でも車万灯火が以前から作られていたが、前は今の場所よりもさらに高い場所において紐の先にダンポをつけて、それをぐるぐる廻して車万灯火としていたそうだ。
それも、30歳代ぐらいの男性が子供の時の思い出として教えてくれたものなので、それほど昔の話ではないようだ。

「中日」を後方から見ています。


かつて万灯火は山の尾根づたいに焚かれるのが一般的だったのが、徐々に田や川沿いに作られるようになったそうだ。
そして、必ず文字が道路のほうを向くように作られていることから、観光行事ではないにせよ往来の人々を楽しませる目的があるのは明らかだろう。
事実、今日も車を止めて少しのあいだ万灯火に見入ったり、スマホで撮影に勤しむ人が結構見られた。
ほんの短い時間でも、日常や仕事を離れてゆらゆら燃える万灯火を鑑賞することは癒しの効果があると思う。

道路沿いにも別の万灯火が焚かれている。


道路沿いと法面の上にダンポが直線に並べられており、法面の切れ目には「大仏」の万灯火も作られている。
スケール感が伝わってきて見応えがある一方で、道路沿いに並んでいるダンポの灯は「夜のハイウェイ」といった趣の都会的な風景を想起させてくれて、心地よさを感じさせる。
この日、上小阿仁村(国道285号線)~合川町(県道24号線)にかけて車を走らせると、たくさんの万灯火が目に入ってくる訳で、そのように鑑賞する方法も十分アリだと思う。

ダンポの灯が濡れた路面を照らす。

時刻は19時半となって消えていくダンポが多くなり、人々も万灯火のある場所からどんどん立ち去っていく。
鎌沢の人たちは、この後おそらく宿(鎌沢児童館)へ集まって温かい食事を摂るはずだ。寒い中おつかれさまでした。
管理人も鎌沢をあとにして秋田市へと帰っていった。

今回は摩当、鎌沢の2集落のみ(ほんの少し三里も)の鑑賞となった。
一昨年は他にも三木田、芹沢の万灯火を見たのだが、2~3ぐらいの集落を周って見るのが一番管理人には合っているようだ。
もちろんどこか一箇所だけをずっと見ていてもいいし、先に書いたようにドライブがてら沢山の集落の万灯火を見るのでもいいし、それぞれが最適な鑑賞方法を見つけ出せば良いと思う。多様な鑑賞の仕方があるのもこの行事の特徴の一つだろう。
彼岸の中日の厳粛な行事であると同時に、誰の心にも染み入る幻想的な美しさを見せてくれる素敵な行事でもある早春の風物詩。ぜひたくさんの人に堪能して欲しいと思う。

※地図は鎌沢集落


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