一日市盆踊り2019

2019年8月19日
8月17日の西馬音内の盆踊りに続いて、今回は秋田県三大盆踊りのひとつ、八郎潟町の一日市盆踊りを訪れた。
一日市商店街大通りを埋め尽くす1000人もの踊り手が、太鼓の轟音に乗って踊りまくる伝統の盆踊りだ。
三大盆踊りの他の2つ、西馬音内を「優雅」、毛馬内を「幽玄」と表現するとすれば、一日市は「圧巻」とか「豪快」とか言い表せそうなぐらいに活気あふれる楽しい踊りだ。

踊りの概要を紹介すると、パワフルなお囃子に合わせて、シンプルな振りを繰り返すのが特徴であり、西馬音内や毛馬内のような技巧的要素はほとんど感じられない。
その代わりにシンプルが故に持ちうる熱量が素晴らしく、見ている人も思わず踊りの輪に加わりたくなるような魅力あふれる盆踊りだ。
また、伝統ある踊りとして知られる一方で、仮装盆踊りとしても有名で、踊り手の趣向を凝らした仮装姿も名物のひとつだ。
管理人は今回で3度目の鑑賞となる。
なお、一日市ということでいうと、新年1月1日午前0時に行われる一日市裸参りも3年連続で鑑賞しているので、1・8月は必ず一日市へ来て伝統行事を見ているということになる(それ以外にもちょくちょく足を運んでますが)。

当日。18時半に仕事を終えて、国道7号線を北上、八郎潟町を目指す。20時過ぎに現地一日市へ到着。ちょうど子供の部が終わり、休憩時間中のようだ。

踊りは8月18日~20の3日間に渡って行われる。
19時30分~20時20分が子供の部、20時30分~22時が大人の部。他にも各種イベントが盆踊りに合わせて開かれるのに加え、初心者向けに盆踊り講習会も行われ、期間中一日市商店街は人で溢れることになる。

20時30分になり、大人の部がスタート


踊りは「キタサカ」「サンカツ」「デンデンヅク」の3種類で、これらが繰り返し踊られることになる。
いずれもお囃子は太鼓と笛のみで、歌い手はいるもののデンデンヅクで少し歌う程度に過ぎない。
というか、歌については踊り手が本来歌うものとなっていて、掛け歌のようにある踊り手の歌を受けて、別の踊り手が歌を繋ぐ、といったスタイルが一般的だったそうだ。
今では掛け歌は行われなくなったものの(踊りの輪が年々広がってきたため、お囃子が全体に聞こえるように昭和45年に拡声装置が導入された。そのため、掛け歌を行ったとしてもお囃子の音でかき消されたことだろう)、踊り手が合唱して踊るスタイルは健在で、賑やかさを一層引き立てている。

踊りの輪の真ん中に陣取るお囃子方

これだけ巨大な太鼓(直径75cm~80cmほど)が10数人の奏者によって一斉に演奏されるとなると、その音量がとにかくすさまじく、「地の底から響く」と形容できるぐらいの迫力だ。
そして、曲と曲の合間がなく、ほとんどノンストップで演奏が続くのもすごい。
開始から終わりまで一人で叩き続けるのはさすがに大変すぎるようで、交代しながらの演奏とはなるものの、とにかくこのエネルギーあふれる太鼓の演奏を聴くだけでも価値がある。

たくさんのトロフィーが置かれています。


こちらが審査員の方 - この盆踊りは審査が行われ、踊り上位者に賞金が進呈されることでも知られる。
「一般個人」「一般団体」「中学生団体」「町内団体」「町外」の5つのカテゴリーでそれぞれ優勝者を決定、さらには3日間通算の総合成績上位者、団体にも賞金が渡される点も盛り上がりに一役買っている。
審査項目は「踊り」「歌」「仮装」「雰囲気」となっていて、審査員が真剣な表情で踊り手を審査。キタサカ → サンカツ → デンデンヅクの順で繰り返し踊られるのは、審査員が各個人/ 団体のそれぞれの踊りをくまなくチェックできるように、という配慮もあるそうだ。

警備員?いや、踊り手です。誘導棒がサイリウムにしか見えません。


踊り手の衣装について言えば仮装姿がやはり目立つものの、原色の着物で揃えたグループの鮮やかさも素敵だ。
中学校の部活単位で出場しているグループは野球やバスケのユニフォーム姿だし、オーソドックスな浴衣姿の踊り手も多数。
また、グループの先頭で踊るリーダーが、背中に団体名を記した小旗をつけているのも定番スタイルとなっている。
ということで、ある種ガチャガチャとした雰囲気が、この盆踊りの重要な要素になっていることは間違いない。

壮観な踊り行列


踊りの列からも楽しさがにじみ出ている。
「秋田・芸能伝承者昔語り」に、一日市在住の石井藤次郎さん(1900~1986)の盆踊りの思い出話が掲載されている。
「若げ人は一軒から一人必ず出て踊ること。もし、なんぼ勧めても出ね家は、こんど、お寺から地蔵ひとつ背負ってきて、石の地蔵たてたもんだす。その玄関口さ(笑)~中略~ 風紀を乱すような人、たとえば、若い踊り子達一生懸命踊ってれば、陰で立って見てて『いや、この女子、踊りっこも上手だば、女子ぶりもいい』ってもんで引っ張る奴いるす。そういう悪戯する奴には制裁あったもんだす。若げ人ら50人も60人もいるもんだから、そういう奴いれば『やってしまえ!』ってもんで、グーッと連れでって、お寺の後ろの大きな沼さ、ドン!と投げるわけす。で、岸場さ上がってくれば棒でつっついて押し返す。そういう制裁あったもんだす」
皆が楽しそうに踊る現代の様子からは考えられない過激な仕打ちだが、これも盆踊りにかける情熱のなせる技なのだろうか。
一日市の人たちにとって盆踊りがどれだけ重要な存在なのかが分かるエピソードだ。

アラジンというかアラビアンナイトというか、とにかくそんな雰囲気の衣装


会場にいるといろいろなスタイルの仮装を見ることができる。
踊り手は被り物や衣装に特色を出して着飾るものの、あまりに奇抜すぎる衣装や、フェイスペイントなどはほとんど見かけることはない。
また、どことなくルーズというか、ユルいかんじなのも特徴で、一分の隙もないような仮装姿にお目にかかることもない。
一見オールオッケーのように見える仮装姿であっても、実は暗黙の作法みたいなものに則っていて、あまりに型破りだったり、スタイリッシュすぎる仮装は敬遠される伝統があるんじゃないかと思ってるが、どうなんだろうか。
因みにアラビア風衣装をお召の皆さんはスニーカーを履いているが、「黒い呪術師」ブッチャーが履いてた凶器シューズを合わせるのが本来の衣装‥かどうかはよく知らん。

キタサカ


これまで見てきた、土崎みなと祭りの「ドンドコドッケ」、男鹿の「ダダダコ」などと全く同じ振りのキタサカ。
「秋田県の民俗芸能 -秋田県民俗芸能緊急調査報告書-」に振りの順番が書かれているので、そのまま抜粋すると‥①右足を進行方法へ出しながら前で手を大きく振る。 → ②①の反対動作をする。 → ③②の反対動作をする。→ ④右足を低く上げ後に引き下ろし左手を顔の左側へ右手右下へ自然に下ろす。 → ⑤両手顔面前より掌内側にして胸前まで下ろす。 → ⑥両手胸前で押し出すように前へ、左足を右足に揃える。 → ⑦左足前両手は自然に次の動作へ移る状態となる。 → ⑧右足を揃えながら胸のあたりで手を打つ。
こうやって文字に起こすとえらく分かりづらいが、動画を見てもらえると分かるようにいたってシンプルな振り。
ただ、シンプルなだけに我流で踊る傾向があって、正しい振りが実はよく分からなかったりするものの、楽しく踊ることが第一だし、皆楽しそうなので特に問題はない。

デンデンヅク


太鼓の豪快な響きにスピード感が加わり、気持ちいい疾走感に溢れる。
管理人的に3つの踊りの中でいちばん気に入っているのが、このデンデンヅクだ。
♪盆の十三日 正月から待ちた 待ちた十三日 今きたかヨ
♪東森山 西八郎潟 間(あい)の一日市 米どころヨ
♪月も丸いが 踊りも丸い まして心は なお丸いヨ
といった歌が合唱されて、踊りもお囃子も大盛りあがりとなる。
現在のレパートリーはそれほど多くないようだが、「秋田県の民俗芸能 -秋田県民俗芸能緊急調査報告書-」によると、平成3・4年の調査時点では‥
♪向かい姉ちゃの 腰つき見れば 腐れカボチャに よく似てるヨ
♪姉ちこっち向げ うまい物食(か)せる 梨の皮むで 今食せるヨ
♪そんな唄なら ナダラさ入れて 裏のカグチさ どんと投げるヨ
といった今では聞かれない歌も歌われていたそうで、レパートリーがかなり豊富だったことが分かる。
歌を歌う団体もあれば歌わない団体もあるし、同じ歌を皆が歌うわけでもなく、そのバラバラさ加減が混沌さに拍車をかけている。

盛り上がる各団体。浴衣女子も踊ってます!



一日市含む、湖東地域は現在でこそ数少なくなってしまったが、伝統的に盆踊りが盛んな土地柄で、他流試合よろしく地域単位で他所の盆踊りに闖入することも多かったそうだ。
かの菅江真澄が文化6年(1809年)に、五城目町山内で盆踊りを見た時の様子を克明に記録している。以下は「秋田の民謡・芸能・文芸」に掲載されている真澄の文章の現代語訳だ。
「太鼓を二つも三つも肩に掛けて鳴らす。他村に遠征する時もあって、〽他郷へ越えて来た。ひけとるな、ふしがそろわぬご免なれ、と歌でけしかける。押しかけられた村の踊り手は、〽にわか踊りを掛けられた、足がそろわぬご免なれ、〽歌の地を聞け節を聞け、節がそろわねでご免なれ - と答える」
特に一日市の盆踊りは伝統的に賞金(賞品?)をかけて踊られるだけあって、他地域から踊りを掛けられることが多かったそうで、そのことで踊りを切磋琢磨する機会を得ることとなっていたようだ。

踊りの輪が時計回りに回って、管理人の目の前をたくさんの踊り手が通りすぎる。おや?向こうから近づいてくるのはふじけんさん??

東京在住にもかかわらず、この時期秋田の盆踊り制覇とばかりに県内各地で踊られているガチの盆踊りマスターであり、13日の田子内盆踊り、17日の西馬音内の盆踊りと続けてお会いしていたが、ここでも変わらず踊ってらっしゃいます。
昨日までは西馬音内で3日間踊り続け、今日はここ一日市で踊られているワケだ。
何より、現地の踊り手に完全に馴染むだけでなく、踊りをえげつないぐらい自分のモノにして楽しむ様が素晴らしい。
今日一日市で踊ることは存じ上げていたが、こうして実際の踊り姿を拝見すると思わず嬉しくなってしまう。

パラパラと弱い雨が降ってきた。機材が濡れては大変とテントをかける。


幸いごく弱い雨が少し降っただけで収まった。
ますますエンジンがかかったように、多くの踊り手が歌に踊りに躍動する。
仮装や派手な原色の着物を着た踊り手が目を引くものの、普段着の踊り手も多く、初めは鑑賞していたものの我慢できずに踊りの輪に加わった人もいたのではないだろうか。
見る盆踊りである西馬音内、毛馬内に対して、一日市は踊る盆踊りとして知られているとおりで、明らかに沿道で鑑賞するギャラリーよりも踊り手の数のほうが多い。
参加型か鑑賞型か、同じ盆踊りと言えども人によって好みは随分と違ってくるだろうが、盆踊りや伝統行事に関心がなくても楽しいことや賑やかなことが大好きな人なら、自然と輪に加わるぐらいの求心力がこの盆踊りにはあると思う。

サンカツ


一日市のなかでもっとも優雅とされる「サンカツ」
「デンデンヅク」「キタサカ」と比べると格段にスローな振りだが、その分踊りは難しいそうで、防災センターでの講習会でも先の2つの踊りは難なくマスターできるが、サンカツはそうはいかないらしい。
歌もかなりユニークで‥
♪一日市踊りコ見ておくれ 八十婆様の姉コぶり 一輪千人の大踊り ドドンの三勝糸柳 踊るしなぶり糸柳 爺ちゃも婆ちゃも糸柳
♪稲穂が揃って豊作で 潟から魚コ大漁で 豊年万作作踊り ドドンの三勝花踊 豊年万作作踊り 明日から田圃の稲刈だ
というふうに「糸柳」「豊年万作」「作踊り」といった単語が、一つの歌の中で繰り返し使われる。
因みに作踊りとは盆踊りと全く同じ内容ではあるものの、8月15日の送り盆を以て踊り納めとなる盆踊りに変わって、秋の豊作を祈願する意味合いで8月20日ぐらいまで踊られた踊りだ。
今では、お盆を過ぎたのちであっても「○○盆踊り」なる名称で踊られるのが一般的だが、サンカツの歌詞の中の「作踊り」に、往時の名残が強く感じられる。

綺麗な所作を見せてくれてます。


サンカツは八郎潟町外からやってきた旅人が伝えた踊りとしても知られている。
「秋田・芸能伝承者昔語り」で、石井藤次郎さんが元々はデンデンヅクとキタサカの2種類のみだったとしたうえで「それが、大正の初め頃、旅館さ泊まってたお客さんが盆踊りの中さ出てきて『私、自分の国の盆踊りを紹介するからみんな見てけれ』と。こういうわけでその人、踊ったすもの。んで、その人踊れば、みんな一緒に踊り出した。今度その人おもしろくなってきて、3日も4日も旅館さ滞在して踊りの講習やったわけだす。そうして覚えたのが『サンカチ踊り』だす」と説明されている。
それにしても、けっこう特徴的な振りではあるし、途中で稲を担ぐ所作が入っていたりもするし、その旅人がどこの人でどの地方の踊りを伝えたのか簡単に割り出せるように思うが、不思議とサンカツのルーツに関する情報は聞いたことがない。
どなたかご存知の方はいらっしゃるだろうか。

そろそろ踊りが終わろうとしている。


踊りが終わるに近づくと同時に審査発表が始まる。
名前が発表された団体が踊りを止めて「やったー!」と皆で大喜び、お囃子がまだ続いているうちに「良かった良かった❤」と踊りの輪を離れていくもの見慣れた光景になった。
一日市含む湖東地域、男鹿方面の盆踊りは(今ではあまり聞かれないようだが)「南秋踊系」に属するそうで、南秋踊系の分布範囲は、かつて戦国武将 安東愛季が治めた領土と重なる、と以前読んだ「一日市盆踊り調査報告書」に書かれていた。
他の南秋踊系とされる盆踊りをあまり見たことがないので断言はできないが、間断なく奏でられる太鼓が踊りの基本であり、踊り手に合わせて太鼓が演奏されるのではなく、太鼓の音色に踊り手のほうが合わせるぐらいの存在感を放っていて、どちらかというと盆踊りというよりも、安藤愛季の本拠だった津軽方面のねぶた・ねぷたのお囃子の太鼓を思わせるような力強さがある。
※以前の記事で「南秋踊系」を「南利踊系」と紹介したのですが(「東北民謡集・秋田県」で小玉暁村氏が南利踊系と称されているのを引用しました)、近年の研究では「南利」という呼称は存在せず、広く知られている「南秋」を誤植した、と解釈されているようです。因みに小玉氏の分類によると南秋踊系以外の分類は「秋田音頭系・鹿角踊系・由利踊系」となっています。

時刻は22時となり、踊りが終了

大半の踊り手たちが会場をあとにする。
お囃子方のなかに、15日に男鹿市脇本浦田のダダダコでお話を伺った男性の姿をお見かけした。
ダダダコ鑑賞の折に男性が一日市に参加されることは聞いていたが、見知った顔に会うとホッとするものがある。
脇本浦田では太鼓演奏を担っていたのに対し、一日市には笛奏者として参加。これぞマルチプレーヤー!すごい。
明日の最終日も頑張ってください(^^♪
そして見知った顔といえばふじけんさん。当然のように町外の部で優勝、「1」と書かれた大きな丸い札を首から下げてホクホク顔。さすがです!

今年もいつもどおりのエネルギーあふれる盆踊りを鑑賞した。
目新しい発見はなかったものの、パワフルで扇動的な太鼓に1000人の踊り手が振りを合わせる様はいつ見ても圧巻で、大満足の時間を過ごすことができた。
西馬音内、毛馬内を「柔」とすれば、一日市は完全に「剛」の盆踊り - 盆踊りの起源とされる念仏踊りの要素は見られないものの、秋の豊作への願いと一日市のオープンな気質が合わさった魅力的な踊りであり、これからも一日市商店街をたくさんの踊り手たちが埋めてくれることと思う。


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