平尾鳥の悪魔祓い

2020年1月11日
秋田の祭り・行事は数々あれど、今回の行事をご存じの方は少ないのではないだろうか?
平尾鳥の悪魔祓い - まるでヒッチコックと横溝正史が合わさったようなおどろおどろしい名前だが、秋田市雄和平尾鳥に古くから伝わる来訪神行事で、県内に点在するナマハゲ類似行事(男鹿のナマハゲの影響を受け、かつ行事形態が類似する行事)の一つとされている。

男鹿のナマハゲが大晦日に行われるため、来訪神行事全般が年末に行われるイメージがあるが、男鹿以外の地域では1月中旬に開催されることが多い。
ただ、平尾鳥の悪魔祓いについては行事開催日がよく分からなかったため、事前に現地へ行って下調べを実施。とある商店に飛び込みでお邪魔したところ、お店のご婦人が丁寧に行事の詳細を教えてくださった。
ご婦人によると、毎年第二土曜日が開催日ということで、今年は1月11日(土)17時より行事開始、ナマハゲ(※平尾鳥の悪魔祓いでは「ナマハゲ」と呼ばれます)は2班で構成され、東部の藤森地区、西部の西野・竹ノ花地区から出発し、それぞれが平尾鳥の中心方向に向かって巡回するらしい。
また、地名「平尾鳥」はよく「ひらおどり」と呼ばれるそうだが、正しくは「ひらおとり」と呼ぶ。

さて当日
昼過ぎまでみぞれ混じりの雪が降る悪天候だったが、幸いにして夕方ぐらいに止んでくれた。15時に自宅を出発し、用事を済ませてから現地平尾鳥へと向かう。
ナマハゲの宿へ行き、事前に同行許可を取った方がよいことは分かっていたものの、到着したころにはすでに暗くなってしまっていたので、西野地区でナマハゲ隊を待ってそこで合流する作戦に出る。

あてもなく地区内をブラブラしていたところ、一台の軽トラが近づいてきた。おっ?おーー!ナマハゲだー😀

聞けばこれから巡回を開始するところだったそうだ。実に運よくナマハゲ一行に会うことができたワケだ。
早速自己紹介をして同行の許可をいただく。よろしくお願いしますm(_ _)m。こちらは「下」班ということになります。

管理人が合流して間もなく、早速1件目のお宅へと入っていく。


ナマハゲは2匹で一組。藁で作った衣装「ケラ」で身を固めて、わりと一般的なナマハゲ面を付ける。
因みにケラは平尾鳥の人たちの手作りによるもので、藁は地区内の畜産農家から調達したそうだ。
ナマハゲ以外に軽トラの運転手さんが同行するが、特に先立ち(ナマハゲの到来を告げる使者)、カマス担ぎ(家々からのご祝儀や餅を回収する係)をする訳ではなく、純粋にドライバー役に徹していた。
なので、ナマハゲ自らが到来を告げて、家々からのご祝儀や品を受け取り、それらを軽トラの荷台へと積むところまでを行うことになる。

冬の日暮れは早い。あっという間にあたりは暗くなってしまった。


稲雄次さんの著書「ナマハゲを知る辞典」には「旧河辺郡雄和町(現秋田市)のヤマハゲ行事は、秋田市豊岩から伝わったものらしく小正月に町内のほぼ全域にわたって行われていたものであった」との記述に続いて、雄和町内の来訪神行事の概要が記されている。
特徴としては「1月15日に集落全戸から藁束を集めて豊凶を占う火の行事『カマクラゴンゴロー』と合体している」こと、「御祈祷札の神符を配るヤマハゲ(※管理人注「ヤマハゲ」は秋田市豊岩で行われる来訪神行事の一般的な呼び名)は、他にナマハゲ、悪魔祓いと呼んだ」ことなどが挙げられる。
本来は左義長などを始めとする小正月行事のなかの一つの祭事だったのが、今は独立した一個の行事として成立していて、なおかつ神符を配ることからも分かるように神的な存在として扱われているということだろう。

ときに徒歩で、ときに軽トラで移動。平尾鳥は住宅地が点在する地区のため、軽トラでの移動が多め。管理人もマイカーで軽トラの後を追った。


さて、肝心の行事内容だが、男鹿のナマハゲのように「勉強してらがあ!!」「ええ子にしてらがあ!」と咆哮するような場面は、ほとんど見られない。
脅かす対象となる子供が少ないという点はあるだろうが、例えば男鹿や昨年末に見た能代のナゴメハギで言えば成人のみの家に上がる場合であってもそれなりに騒がしいのに対し、ここ平尾鳥では家に入るまでと、家から出た後に「ウオーーッ!」と一叫びするだけで、家(主に玄関先)にいる間は至っておとなしい。というか礼儀正しいのだ。

ナマハゲ行事らしからぬ静けさ


ナマハゲが玄関に現れると奥から家人が出てきて、ナマハゲの前で正座して頭を垂れる。
そしてナマハゲが静かに「家内安全、無病息災」と唱えて御幣を振り、地区内の保食神社でお祓いをしたお札を授けるまでが一連の儀式で、家人から勧められた酒(主に日本酒)をナマハゲが飲み干して終了。
言ってしまえば、これだけなのだ。子どもを脅しつけて大暴れするのが定番だとすれば、平尾鳥のナマハゲはまさにナマハゲ界の超優等生!
「ナマハゲは神様と言われるけど、こんな荒っぽい神様がいるんかい‥💧」という場面も幾つも見てきたが、ここのナマハゲは「来訪神」の呼び名に相応しい、神聖さに満ちた振る舞いだ。

静寂の中、粛々と巡回が続けられる。


家人も「さ、さ、まず中さ上がってけれ」などということは言わず、玄関先で酒を勧めるに留まるし、漬物などを用意しているお宅もあったが、あくまで玄関先での応対となる。
ただ、これまで見てきたナマハゲ行事では、ナマハゲの入来を断るお宅が少なからずあったものの、ここ平尾鳥においては訪問成功率が非常に高い❗❗(ご不在のお宅は飛ばしてました)
しかも「ウヂは酒ッコ(秋田弁ではさげっこ)の支度(秋田弁ではしたぐ)してねえがら来ねたてええ」なんてお宅はほとんどなく、ナマハゲを迎え入れる以上はきちんと酒を用意することを怠らない。
家々を襲うがごとく荒々しい振る舞いをする存在ではなく、各家の邪気を払い、悪疫を退散させる神としての役割に比重が置かれているということなのだろう。


ナマハゲ行事の常として「昔は今のナマハゲなど比べ物にならないぐらい荒々しく、恐れられる存在だった」というのがある。
曰く「隠れている子供を見つけ出すため、全ての部屋の隅々まで探し回る」とか「隠れていた初嫁を見つけては胸だのお尻だのを撫で回した」とか、現代においてはコンプラ的にアウト、とういうかコンプラにあえて挑んでるんじゃないかというレベルの狼藉をはたらいてきた過去がある。
おそらく、ここ平尾鳥でもかつては似たような状況だったとは思うが、ご祈祷の場面だけは神妙で厳粛な雰囲気の中で行われていたと想像する。

どうやら何軒か先のお宅に小さいお子さんがいらっしゃって「ナマハゲさん。ウチに上がってくださいね💛」というリクエストがあったらしい。先回りして、そちらのお宅の方から撮影の許可をいただいた。どうもありがとうございますm(_ _)m
少し待つと「ウオ~~~ッ!」の雄叫びとともにナマハゲが家に入ってきた。

小ちゃい子、ドキドキ😣😣😣

リビングへ。御祈祷のあと、ナマハゲに豚汁が振舞われた。

ありがたいことに管理人も豚汁をいただいた。美味しかったです~😀

家の人たちと会話をしながら、ナマハゲも腹ごしらえ

寒空の下の巡回が続いただけに、ナマハゲもさぞ美味しくいただいたことだろう。完食です。

「ナマハゲさん、どうぞ」とお酌。

小さい子のいるご家庭だったが、暴れまわったり子供を嚇すようなことはせず、終始和やかムードの中での饗応となった。
何軒かのご家庭で子供が「ナマハゲさん、ワラいいですか?」と断ったのち、ケラから藁を数本引っこ抜くシーンが見られた。
ケラの藁屑を頭に巻くことで、無病息災や病の快癒が促されるという言い伝えから藁屑を欲しがる訳だが、通常はケラから抜け落ちた藁屑でないと効能がないとされている。
では何故、平尾鳥ではワラを抜く行為が一般的かと言えば、ナマハゲは暴れないので藁屑が落ちることがないからだそうだ。

次の移動を開始

定番の木桶。ナマハゲの小道具の扱いではあるが、平尾鳥では各家庭から供された酒や缶ビール、ミカン、御祝儀を軽トラの荷台まで運ぶための入れ物の役割を果たしている。因みに以前は餅をもらうことが多かったが、今はほとんどないそうだ。

どんどん参ります。


粛々と家々を巡回していたところ、ナマハゲ一行+管理人に近寄ってくる男性が一人。どうやらナマハゲの関係者でもないようだ。
おおっ!大晦日のナゴメハギ行事、1月3日の三助稲荷神社梵天でお会いした、イラストレーターの佐々木ゑびすさんではないか!?
三助稲荷神社の梵天のあとに今後の行事スケジュールを共有、平尾鳥のナマハゲを見に行く予定なんです、とお伝えしていたのだが、わざわざお住まいの大仙市から駆け付けてこられた。
しかもゑびすさん、この日はにかほ市金浦のアマハゲ行事を鑑賞ののちに平尾鳥に来られたばかりでなく、明日は秋田市豊岩のヤマハゲも鑑賞予定とのこと。マ、マジすかあ。。。伝統行事を広く見聞したいという熱意がスゴいし、来訪神へのこだわりもまた素晴らしい!
お忙しい中での訪問だったため、小一時間ほどの鑑賞ではあったが、管理人もエネルギーをいただきました😀

各家でお酒が次々に振舞われる。下戸ではナマハゲは務まりません🍶


「保食神社 生身剥霊符」と書かれたお札が家人に渡される。
「生身剥」はもちろんナマハゲのことで、このお札を祀って生身剥の霊力を借り、厄災を払うということだろう。
おそらくはほとんどのお宅がお札を有難い神符として神棚に飾るだろうし、地区の方々がナマハゲを恐れ敬っている様子がよく伝わってくる。
なお、地区内のちょっと高いところに鎮座する保食神社だが、同じ秋田市下北手の保食神社について簡単な紹介を行っているこちらのサイト(←岐阜県中津川市の護山神社様のHPにリンクします)が分かりやすかった。

この地区のナマハゲ行事のことは前から密かに気になっていた。その要因は何といっても、ナマハゲの面にある。男鹿市のなまはげ館企画展示コーナーに、平尾鳥の面が飾ってあるのだが、それがこちら↓

左側に飾ってある青のナマハゲ面と比べると、その圧倒的なサイズ感が分かると思う。
このサイズの面は男鹿でも秋田県内他地域にも比類ないぐらいで、むしろ鹿児島県甑島のトシドンとか、薩摩硫黄島のメンドンとか、南国系来訪神のほうに近いぐらいにデカい。とにかくデカい!
そして、その表情も秀逸。髪の毛に見立てたワラをあしらい、サンダワラでこしらえた顔面には一本の長い棒状の鼻、本当に異様な顔つきだ。
こんな怪獣まがいの来訪神が、地区内を「ウオーーッ!」と叫びながら巡回するとあっては、これは見ないわけにいかないというものだ。


ただ、この異様極まりない来訪神との邂逅を期待する一方、この面を見ることはないんだろうなあ‥という思いもあった。
なにしろ情報がほぼ皆無なのだ。
これほどの絶大なインパクトの面の来訪神行事が行われているのであれば、当然その情報も入ってくるはずだし、今の時代だいたいのことはネットで調べれば情報を手に入れることができるが、そのような音沙汰は全くない。youtubeにも動画が上がってもいない。
となれば、すでにこの面は使用されていない可能性が高いし、下手すると行事そのものが行われていない可能性もありそうだ、とネガティブな考えがぬぐい切れなかったのだ。


ということで、この行事が途絶えることなく行われていたこと自体、管理人にとっては小っちゃな奇跡みたいなもんで、サンダワラの面に出会えなくても何一つ残念がることはない。
ナマハゲ面がちょっと味気ないと思わないこともないが、現在まで途絶えることなく行事が続けられている、その事実自体が素晴らしいと思う。
現地でお聞きしたところによると、サンダワラの面はおよそ30年ほど前に途絶えたらしい。
一時、サンダワラ面とナマハゲ面を併用していた時期もあったが(以前は3匹1組編成だったとのこと)、やがてサンダワラ面が作られなくなり、完全に現在の面に切り替わったそうだ。

手桶がいっぱいになる。


3年ほど前に、同じく雄和の寺沢集落の悪魔祓い行事を鑑賞した。
そちらのほうは、雄と雌が対になって引き金(馬橇を曳く際に使用した)とませ棒(馬小屋の柵を締める際に使用した)を携え、全身ワラの衣装をまとったナマハゲが「悪魔祓い!」と叫びながら家々を巡るといった作法で、特筆すべきは現在もなおサンダワラの面が使用されていること。
現在では米俵自体が珍しいものであり、サンダワラが普通に手に入るわけではない訳で、悪魔祓い行事のために特別に用意しなければならない。
使いまわしのきくナマハゲ面とは違って、毎年新調するのは実に大変なことだと思う。
また、かつては引き金で家々の戸や窓を打ち割って悪魔祓いとしていたそうで、現在では全く想像のつかない行事風景だったことだろう。
なお、稲 雄次さんの様々な著書に、平尾鳥のナマハゲについて「角が一本か二本ついている」「山形県上山市の『カセドリ』に類似している」といった記述がみられるが、これらは寺沢のナマハゲの特徴であり、ちょっと情報が違っているように思う。


「悪魔祓い」という名称について言えば、あまり馴染みのない行事名だと思う。
映画「エクソシスト」っぽいかんじで西洋的な響きだし、単純に「平尾鳥のナマハゲ」でもよいようなものだが、雄和町史を読むとその起源について「『悪魔祓い』は夜の行事で、青少年達が蓑を着て鬼面で覆面し、太刀を帯び、腰に注連縄を巻き御幣と鈴を振りながら、2,3人連れで『悪魔祓い』と叫んで各家々を回る。女子供たちはこれを恐れて物陰や部室にかくれ、泣く子は声をひそめて泣きやむほどである。これは古くから河辺、由利の一部と男鹿地方で行われていたもので延暦、大同年代(800年頃)高尾山(女米木嶽)に棲んでいた盗賊が人里に下りて、人身、物品等の掠奪横行があったことから、山伏修験に請い、神力によってこの悪魔を退治したことに因んだものである」と記されている。
また、悪魔祓いという名称の行事については、悪疫退散を目的として江戸時代に始まったとされるものもいくつか残っており、これらはいわゆる風流系の行事のようだ(管理人が調べたところでは、石川県金沢市金石地区の悪魔祓い、石川県小松市 向本折白山神社の悪魔祓いなどがありました。他にもまだまだ同様の行事があるかと思います)。
来訪神系の行事でいえば、集落内を駆け回って人だろうが、車だろうが、家だろうが泥を塗りたくる奇祭として有名な沖縄県宮古島市の「パーントゥ」も悪魔祓い儀式の行事とされている。

小休止を入れます。


県道61号線から出羽グリーンロードへとつながる主要道路からかなり奥まで入り、一軒一軒を丁寧に巡回。平尾鳥全体では100ほどの世帯があり、下は3~40軒ほどをお宅を巡回する。
「ナマハゲを知る辞典」に秋田市郊外で行われているナマハゲの状況が記されていて、それによると雄和、豊岩以外にも金足や浜田、下浜といった地域で行事が行われているようだが、現在も行われているか今一つ判然とせず、現況を知りたいと思っていたところ、広報あきた2月7日号の表紙に思いっきり下浜 羽川地区のヤマハゲの写真が使われていた。
小さな女の子が3匹のヤマハゲに囲まれていいかんじの泣き顔を見せている写真で、行事が健在で今も楽しく行われていることを知ることができた。
平尾鳥のナマハゲ今も行われているか分からないみたいなことを先に書いたが、情報が入ってこない = 行事が廃れた、と短絡に結び付けるのは当然間違いだし、管理人なんかが勝手に心配せずとも平尾鳥や下浜のようにしっかりと行事は続いている訳だ。

ガッコとみかん、お茶でナマハゲをもてなす。管理人もごちそうになりました。


雄和のなかで言えば、旧大正寺村の湯野目集落や下黒瀬集落のナマハゲもユニークだ。「ナマハゲを知る辞典」によると「舘の下のバラザエモン」「向山のガンゴギ」「田ノ沢のタツコ」「野田の一円」「岩沢のイワコ」「下沢のシタコ」といった名前が個々につけられているそうで、「岩沢のイワコ」とか「下沢のシタコ」とかもうヤケクソだろ!というかんじで面白い。
3年前に訪れた、男鹿市北浦安全寺では3匹のナマハゲに「奥山のオクノスケ」「笹台(ささで)のサンスケ」「木場のキンスケ」といった名前がつけられていた。
こちらのほうも適当感漂うネーミングで、来訪神行事の伝統やナマハゲの荒っぽい振る舞いとは別の面白さを見出すことができる。

こちらのお宅には小ちゃい子がいました。


ナマハゲが立ち去る際に玄関の扉が開けっ放しになるので、管理人が「ドア閉めておきましょうか?」と尋ねると、ほぼ全てのご家庭が「いい、いい。開けといて」とのお返事。
単純に外の冷気が家の中に入ると寒かろう、と思って声を駆けていたのだが、考えてみれば今日行われているのは「悪魔祓い」
家の中に巣喰う悪魔 = 邪気を払って外に出さなきゃいけないワケで、それぐらい気づけよ自分!というかんじだが、平尾鳥に受け継がれる悪魔祓い行事信仰の根強さに気付かされることとなった。
なお、先ほどちょっと名前を挙げた下浜 羽川地区のヤマハゲは「福の神」でもあるらしい。
「ナマハゲを知る辞典」で稲さんは「小正月の訪問者は来訪して祝福を与えてくれる訪問者だった。来訪神のやって来る日は一年の最も大切な日であり、一年の境目、節目である」と説明されたうえで「来訪神儀礼の本質は予祝である」と言い切っている。
赤鬼に似たナマハゲ面を付けて、子どもたちを追い回すのがナマハゲの象徴的な姿になってしまっているものの、家々の災いを取り払い、福をもたらすのが本来のナマハゲ(= 来訪神)のあるべき姿だし、ここ平尾鳥で行事の本質を如実に表す様子を見ることができた。

雰囲気満点の月夜です。


平成20年に発刊された「秋田市豊岩のやまはげ調査報告書」に、平成19年時点での秋田市郊外における来訪神行事の概要が表形式で掲載されている。
それによると、雄和全体での行事集落は19個所となっており、70集落が行事を行う男鹿市には敵わないまでも、隠れた来訪神密集地帯と呼んでもいいぐらいだ。
にもかかわらず、秋田の来訪神界のなかでもどちらかと言えば地味な部類に属する(と思ってます)のは何故なんだろうか?
男鹿のナマハゲほど観光に振り切る必要はないにせよ、雄和の来訪神行事を知らない人を巻き込んでしまうほどの情報発信は行っていないし、よほどの興味を持ってこちらからアプローチしないかぎりは行事の全貌を知ることはできない。
寺沢の悪魔祓い保存会会長と、寺沢のナマハゲの観光化について話したことを思い出す。
曰く、以前はナマハゲが何かのイベントに出張することもあったが、主催者から「何か芸を見せてもらえます?」だの「太鼓叩いてもらえませんか?」だの、見当はずれなリクエストをもらうことが続いたため、今後行事以外では一切ナマハゲの露出を控えることにしたそうな。
観光イベントの名のもとに観客へのアピールを強いる、イベント主催者の行事に対する無理解に辟易する心境は本当に察するに余りある。


とは言いつつも、管理人自身も平尾鳥含む雄和の来訪神行事がもっと広まってほしいみたいなことを思っているわけで、そういった意味では寺沢のナマハゲに芸事を要求する心根と五十歩百歩な気もしてしまう。
来訪神行事の中には、沖縄県八重山諸島に伝わる「アカマタ・クロマタ」のように、部外者を徹底的に排除し、行事の内容は口外厳禁、まかり間違って部外者が盗撮などしようものなら関係者全員にこん棒で半殺しの目に合わせられるという「秘祭」のようなものすらある。
そういった点を踏まえると、来訪神が本来の役割(子供のしつけ、厄払い、五穀豊穣etc.)を全うできるか、行事を次の世代に引き継いでいけるか、といったドメスティックな事項こそ大事なのであって、外部の人間の下世話な干渉などはそもそも無用なのだ。

行事も終盤に近付いている。


小正月行事の雰囲気を湛える、真ん丸なお月様のもとで行われるナマハゲ行事も実に味わい深い。
稲 雄次さんが著書「ナマハゲ」で、ナマハゲのことを「歳神」「来訪神」「客人」などと表現し、それによってナマハゲとは何者なのかあたかも結論づけられたかのように錯覚してしまっているが、「本質論には至っていないのが残念である。『男鹿のナマハゲ』が小正月の訪問者の一事例とされても、ナマハゲの正体は解明できないことは間違いないのである」と指摘されている。
ナマハゲが家々から災いを除き、福をもたらす存在であるのは分かった。では、なぜその役回りがナマハゲでなければならないのか?という点は、稲さんのご指摘通り全く分かっていないが、静寂の中しずしずと巡回する平尾鳥のナマハゲの姿を見ていると、ナマハゲが内包する深い精神性が根底にあるんじゃないか、という気がする。

こちらでもお祓い


さすがにナマハゲ役の若い男性も疲れてきていると思うが、各家々での暖かいもてなしがナマハゲに活力を与えているようにも見える。
ナマハゲ行事と聞くと、どうしてもナマハゲが家々を訪れて家人に訓戒という名の恐怖を与える、といった図式を想像しがちだが、ここ平尾鳥のように平和な雰囲気のなか、ナマハゲを迎える地域があることを知ることができた。
時代の移り変わりとともに、男鹿をはじめとするナマハゲ全体が以前に比べておとなしくなったと言われるが、ここ平尾鳥においては厄疫退散、家内安全を祈願するのが目的であって、どれだけ荒っぽく振舞うかなどは最初から度外視していたふうにも思える。
こういった行事の在り方も素敵だし、ナマハゲ行事のすそ野の広さを改めて実感することができた。

上から下ってきた別動隊とこことで合流

ということで2匹+2匹の計4匹で乗り込みます!


最後のお宅ではリラックスモード全開で談笑、お家の方も「寒い中たいへんだったな~」とナマハゲを労う。
過疎が社会問題化している近年、本来のナマハゲ行事に地域のコミュニティ保全という新たな付加価値が生まれたように思う。
お年寄りへの声掛けや、隔絶しがちな世代間の繋がり再構築など、ナマハゲ自身またはナマハゲが触媒となることで担える役割は意外に多いようで、先人たちが思いもよらなかったナマハゲの効能が取り上げ始められている。
そう考えると、来訪神が地区内を巡回し、各家々の家人と顔を合わせること自体意味があるのだろう。

これにて巡回は終了。ナマハゲ一行の皆さん、おつかれさまでした😃そして公民館へ移動します。


公民館前でポーズを取ってくれました。
これから直会へと移行。皆さん存分にお酒を楽しまれることだろう。
ナマハゲの皆さんに挨拶し、場を去る間際に「これ持ってって!」と、供え物のミカンやら、お札やら、藁とかいろいろいただいてしまった😅😅本当にありがとうございましたm(_ _)m

念願だった平尾鳥の悪魔祓いをじっくりと鑑賞できた。
巨大なサンダワラの面が躍動する場面を見れなかったのはちょっぴり残念ではあったが、「静謐なナマハゲ行事」という、相反する語が同居する珍しい場面を見ることができ、実に有意義な同行となった。
家々を暴れまわり、子どもたちを追いかけるナマハゲではなく、地域の安寧と健康を祈願する優しいナマハゲ - 来訪神の本来の姿を感じ取ることのできる素敵な行事が、これからも途絶えることなく継承されることを願わずにいられない。


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