秋田万歳2021

2021年1月23日
今回訪れたのは「秋田万歳鑑賞会 ~春を言祝ぐ祝福芸~」
2017年、2020年と来て3度目の鑑賞となる2021年。例年であれば会場は秋田市大町の民俗芸能伝承館(ねぶり流し館)横の旧金子家住宅だが、2021年はコロナ対策のため、場所をねぶり流し館5Fの第3練習室に移しての開催となった。
また、これもコロナ対策のため事前申し込みが必要となっていて、抽選で25名までが鑑賞できるシステム。で、申し込んだところ幸いにも当選😄例年同様に秋田万歳を観れるのはありがたいことだが、会場が変わることで雰囲気まで変わってしまわないか心配といえば心配‥🤨

当日
開演時間13:30に合わせて会場へ到着
空は快晴で、ほとんど雪も融けている。12月~1月上旬にかけて結構な量の雪が降り、この先が思いやられるなどと悲嘆していたが、その後はたいした降雪はなかった。

5F第3練習室へと向かいます。

「第3練習室」ということで会社の会議室のような殺風景なところだったら嫌だな、などと思っていたが、ちょうどいいサイズの舞台を備えた立派な会場だった。
客席には20脚ほどのスチール椅子が置かれていて、勝手に好きなところに座って鑑賞するスタイル。結構空き席があったので正面向かって右端最前列に陣取りました。
受付の方に伺ったところ、今日の観客は10数人ほどとのことでその言葉通り結局満席になることはなかったものの、NHK秋田局の取材クルーも来ていてこじんまりではあるがそれなりに賑やか。

ところで‥
実に久しぶりの更新となる今回の記事。最初に書いておくと、終わりの見えないコロナ禍のなか、通常開催される行事探しに徒労感を覚えてしまい、2021年6月以降は伝統行事鑑賞に全く出かけておりません。結局のところ、伝統行事に対する興味やブログ運営の熱意が薄らいでしまっていた訳だが、それならそうと書き溜めている行事をせっせと記事化すればよいのにそれも出来ないぐらいに気力が萎えてしまった。2022年の今頃(3月)になってもコロナの出口など全く見えていないが、これではいかん!と思い立ちブログ再開となった次第。
2021年に訪れたまま、記事化できていない行事がまだ幾つかあるので、これから徐々にアップしていきたいと思います、ハイ。

話を秋田万歳に戻します。まずは恒例、齋藤壽胤先生の解説から始まります。

毎度、丁寧な解説を施してくださる壽胤先生
とても分かりやすい内容で、なるほど~と勉強になる解説だ。
今回、印象に残ったくだりは「万歳の語源について」
雅楽のひとつである「萬歳楽」のテーマとなる「長命」が言祝ぎへと繋がり、近代の万歳・漫才へと発展を遂げたのでは?という件だ。
さらに萬歳楽とは、古代のまじない言葉である「まじゃらく、まじゃらく(地震が起こったときに、地震をおさめる際に唱えた)」が変化したものであり、そこにも地震から逃れる=長生きしたいという願望が投影されている、とのご推察。
まさしく、万歳の目指すところの祝福芸の要素が脈々と受け継がれてきたわけだ。

演目が始まります。


開会に先立って配布されたプログラムは以下の通り
【第一部】①御門開万歳 ②呼び出し ③双六万歳 ④噺万歳 ⑤秋田音頭 ⑥えびす舞 ⑦吉原万歳 ⑧経文揃
【第二部】①経文揃 ②御国万歳 ③噺万歳 ④御門開万歳 ⑤ばんば舞 ⑥ほいほい節 ⑦こっから舞 ⑧扇万歳
【第三部】①経文揃 ②御江戸万歳 ③噺万歳 ④こっから舞 ⑤秋田音頭 ⑥桜万歳 ⑦経文揃


万歳を披露しているのは秋田万歳継承会会員の皆さん
以前は「秋田万歳保存会」という名称で活動していたようだが、平成15年に秋田万歳継承会としての活動に移行。現在も会員の皆さんが定期的に練習を続けていて精力的な活動を行っている。
本日の鑑賞会以外にも秋田フォンテを会場とする定期公演や、竿燈まつり期間中に旧金子家住宅で行われる公演などで万歳を披露する機会は多いものの、昨今のコロナ禍のため、スケジュールに影響が出ているようだ。

太夫と才蔵のテンポよい掛け合いから始まります。


以前の記事でも紹介したが、秋田万歳の基本的な構成は儀式万歳と噺万歳の二部構成となっている。
厳密に言えば、そのような正式な呼び名はないものの、秋田市教育委員会刊行の「秋田万歳」に「儀式万歳とか噺万歳とかの用語が古来からあったわけではない。ごく昨今秋田万歳の特色を鮮明にするため、言い出した言葉である」とあるように、秋田万歳の大きな特徴と言えるだろう。
実際には儀式万歳と噺万歳のパートがはっきり分かれている訳ではなく、シームレスな状態で繰り返されることになる。



「秋田万歳」には「儀式万歳は永久不易の部分であるとすれば、噺万歳は常に変化する部分、流行の部分である。儀式万歳がお経ならば噺万歳は説教である。儀式万歳が祝詞であるならば、噺万歳は神楽である。両者合わせて一つのものである。両者合わせて鑑賞していただきたい。秋田万歳の発展順序からすれば、儀式万歳が先で、あとから噺万歳は追加したものである」と記されている。
過去2回の鑑賞を通じて感じたこととして、逐一演目を追い続けるよりも儀式万歳と噺万歳が交互に繰り広げられる雰囲気を楽しむスタンスのほうが合っているように思う。

才蔵の熱演です🙂


儀式万歳について云うと、格調高い語り口で笑いの要素を見出すことは難しい。ただ「言祝」という観点から見た場合、決して欠くことのできない重要なパートであり、そこにこそ万歳という芸能のエッセンスが凝縮されていると思う。
「秋田万歳」に「儀式万歳には方言を使用するにも、その余地がない。せいぜいなまる程度である。その儀式万歳を秋田に植えつけるために、噺万歳を工夫した万歳師達は、万歳を大衆に接近せしめるために、方言を使用した。従って噺言葉は方言の宝庫であり、ローカルカラー一色である」と書かれているとおりだし、逆に言えば噺万歳のときにはこれでもかとばかりに秋田弁を駆使し、聴衆との距離を一気に縮める必要がある訳で、それこそが秋田万歳の特色ではあるものの、現代の人たちの方言離れは結構著しく、このカラーをどれだけ守り通せるかという新たな課題が生じているように思う。

秋田音頭~えびす舞


才蔵と太夫の小気味よいやり取りに拍手が送られる。
過去に旧金子家住宅で鑑賞した際には、すし詰め状態の観客たちの熱気で盛り上がる場面が多数あったが、今日はそこまでの盛り上がりはなかった。
何よりも観客の数が制限されていることが原因だろう。ただ、考えてみれば原初の秋田万歳は決して舞台芸能ではなく、家々を尋ね廻る門付け芸能だった訳なので、多くの観客が才蔵と太夫の一挙手一投足にどっと沸き立つなんてことはなかったはずで、そういう意味では本来持っていた雰囲気に近い中で行われたという事もできるのではないだろうか。

楽しい掛け合いが続く。


第1部が終了
トップバッターでご登場のお二人、楽しませてくださってありがとうございました😆
先に「秋田万歳は儀式万歳と噺万歳で構成される」と書いたが、冒頭ご挨拶された壽胤先生はさらに「歌踊万歳(かとうまんざい)」の要素もある、と説明されていた。歌と踊りが加えられたハイブリッドの芸能という側面もある、ということだ。
たしかに歌って踊って、舞台狭しと躍動する太夫・才蔵の姿を見ていると、決してドタバタ劇ではない、この芸能の意外な肉体性に気付かされる。

2組目の登場、第2部の幕開けです。


観客の数は減ってしまったが、例年通りの滑稽な語りで会場を盛り上げる。
秋田万歳の起源についてははっきりしていないが、おそらくは三河万歳~江戸万歳と続く流れをベースとして元禄年間(1688~1704)に秋田へ移入されたとされている。
ただ、あきた(通巻284号) 1986年(昭和61年) 1月1日発行では「秋田『祭り』考」の著者 飯塚喜市さんが「秋田万歳が誕生したのは、今から二百九十年前の元禄年中。当時江戸では、尾張万歳を変化させた江戸万歳が演じられていたが、久保田藩士がこれを移入したとも、また三河万歳が常陸を経て、慶長年間に秋田に伝承されたとも伝えるが詳かではない」と紹介しており、慶長年間(1596~1615)には芸能として確立されていないまでも、すでに秋田万歳の萌芽が芽生えていたとも考えられる。


以前の記事で、文化12年(1815)の「羽州秋田風俗問状答」に秋田万歳に関する記述が残っていることを書いたが、同時期にかの菅江真澄が記した文章にも同様の記載がある。
「秋田の民謡・芸能・文芸」には「文化7年(1810)1月、菅江真澄は『氷魚の村君』旅行にあった。(中略)五城目町や湯沢市の万歳について、真澄はくわしい描写を残さなかったが、雑録『筆のまにまに』(文政7?)に秋田万歳の特色を次のようにメモした。秋田万歳の上祖も三河国より常陸国に来りて、その家、今秋田ノ久保田に在りて代々針生清太夫といふ一派なり。烏帽子に松竹鶴亀の紋(かた)ある水干を着て、才蔵は、広袖原綿入を着て浅黄のちょっへい頭巾によそいたちぬ。(後略)と記されていて、当時の貴重な記録となっている。

第2部も引き続き、才蔵が熱演


ばんば舞~ほいほい節~こっから舞と滑稽な振りの艶笑譚が続く。
かつては田植えの後の宴席(さなぶり)を盛り上げる裏余興的な出し物として農民に親しまれ、特にこっから舞は漫芸家 大潟八郎氏の得意ネタでもあったことから年配の方たちにはお馴染みの演目だ。
「秋田の民謡・芸能・文芸」にさなぶりの行われる様子について記述がある。「一同一応ゲンシュクにカシワ手して神前に礼拝する。そして中をあけ車座に向かい合ってすわり、冷たいおみき酒を一口ずついただいたあと、かん酒が回ると、急ににぎやかになる。田仕事や暮らしの話など一切しないで、始めからバカ話ばかり。この時だけは日ごろの苦しみを忘れ、陽気になって飲んで食べる。やがて酔いが回って腹一杯になってきたころに、『さあ、始めるべえ』ということになる。気の早い者は、ハシで皿をたたいたり、小皿を打ち合って拍子を取る」
演じられたシチュエーション自体がすでにいにしえの風景であり、現代のお笑いのセンスからすれば古めかしさは拭えないが、これらの舞も秋田万歳を構成する欠かせない、受け継がれていくべき演目だと思う。


第2部が終了。楽しませてもらいました😄
1977年に太夫 吉田辰巳 才蔵 加賀久之助のコンビが実際に門付けを行っている模様がYouTubeにアップされていたので見てみた。
そこには太夫と才蔵の2人が雪景色のなか、家々を巡って歩いている姿、2人のあとを子供たちがついていく姿、そしてある民家の座敷において名人 加賀久之助が演目「神田の吉」を披露して、家人を楽しませている様子などが映し出されていた。
管理人自身は幼少のころに秋田万歳に接した経験が全くないため、今日の鑑賞会においても「懐かしい」との感慨を持つことはないが、映像に移っていた頃の小さな子供たちには幼いころの原風景として太夫と才蔵の姿が脳裏に刻まれていることだろう。

ラストを飾る3組目の登場


例年であれば2時間の公演時間が1時間半に短縮、登場全4組だったのが3組に減ってしまった。
もちろんコロナの影響によるものだが、それでも今日登場した3組の皆さんは練習の成果をしっかりと披露してくれた。
万歳の詞章を覚えて、さらには噺や踊りを交えて、観客を楽しませる、という芸当は誰にでもできるものではない。
おそらくはこれもコロナのせいで稽古のほうにも影響が出たのでは?と推測するのだが、そのハンデを感じさせない躍動的な万歳がとても印象に残った。

格調溢れる「御江戸万歳」


以前から現代の「漫才」と「万歳」がどのような経緯をたどって繋がったのかよく分からなかったが、wikiによると「漫才(まんざい)は、2人ないしそれ以上の複数人による寄席演芸の一種目。通常はコンビを組んだ2人によるこっけいな掛け合い、言い合いで客を笑わすものを言う。平安時代以来の伝統芸能『萬歳』から発展したもので、もとは鼓などを持ち唄などを交えるのが一般的であった。今日では音曲を交えるものから社会風刺まで多岐にわたり、寄席だけでなく映画・テレビ・ラジオなど多くの媒体で人気を博している」とそのあたりの説明がされている。また、戸田学さんの著書「上方漫才黄金時代」では「漫才という芸そのものが寄席の興行として登場したのは、明治39年、天満天神裏門の席(現在の落語定席・天満天神繁昌亭がある辺り)で、初代の玉子屋円辰(本名・西本為吉)が「名古屋萬歳」の看板を上げたときからだといわれている」と紹介されている。
それまでは言祝芸としてのみ存在していた万歳が興行的要素をまとい、新たなフェーズに突入したという訳だ。


「上方漫才黄金時代」では玉子屋円辰登場以降、現在の漫才が確立されていく過程を「円辰は、伝統的な萬歳の笑いの要素を取り入れ、音頭と笑いが一体化した芸能形式の創始者で、近代漫才につながる興行形式を確立させた功労者でもある。そして、その門下から、荒川浅丸、玉子屋辰丸、菅原家千代丸、玉子屋源丸、玉子屋弥太丸らを輩出し、それぞれの門葉が栄えたが、なかでも荒川浅丸一統が勢力を振るった。そしてその荒川浅丸門下には、荒川芳丸という大看板の萬歳師がいた。この芳丸に、昭和12年の秋ごろに入門した子ども漫才=荒川芳博・芳坊が、その後の夢路いとし・喜味こいしであった」と説明している。
しゃべくり漫才への移行が進むにつれて、エンタツアチャコやミスワカナといったスターが登場し、やがてテレビという媒体とお笑いが結びつくようになり、お笑いブームが巻き起こる、というのが現代までの漫才のおおまかな流れとなる。
なお、管理人はYouTubeでいとしこいし師匠の漫才を見始めてからすっかりはまってしまい、今では1日に1回は必ずお二人の珠玉の芸を見ないと気が済まなくなってしまった。

またまたこっから舞


今目の前で展開されている「万歳」は秋田の貴重な伝統芸能であるとともに、「漫才」の源流でもある訳でたいへん貴重なものを見させてもらっていることになると思う。
現代の漫才は十分に芸能としての地位を確立し、今でも若い芸人たちが続々と排出され、洗練の度合いを高めてはいるが、それと反比例するかたちでいにしえの「万歳」がどんどん形骸化し、今や全国にも数えるほどしか残されていない現実を見るにつけ、「万歳」と「漫才」は似て非なるものとの印象を抱かざるを得ない。
壽胤先生によると、万歳は笑いを届けることで幸福感を高めて、長久・繁栄を願うのがその目的とのこと。いわば笑いはそのための手段となっている訳で、M1グランプリに代表される競い合う笑いとは明らかに違っている。
秋田万歳の持つ格調高さと、それと反するかのようなゆるく、とぼけた味わいは唯一無二であり、このあとも長く続いてほしいと思う。


これで全3組の皆さんの万歳が終了
コロナに覆われる暗い世相を吹き払うような楽しい芸を見せてもらいましたパチパチ👏👏👏

最後に演者の皆さんの舞台挨拶


秋田万歳が健在であり、このコロナ禍のなかでもコンスタントに活動していることを実感できた。
先に書いたような理由で、若い世代への継承が難しい芸能ではあるが、300年もの昔に秋田で生まれた由緒正しい伝統芸能でもある。
決してコロナ禍に負けることなく、コロナが終焉したのちはこれまで以上の盛況を呈するぐらいの活発な活動に期待したい。


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