万灯火(合川町)2021

2021年3月20日
今回伺ったのは北秋田市合川町の「万灯火」
万灯火が行われているのは、県内でここ合川町と上小阿仁村の2個所であり、2017年以来毎年その2個所をかわるがわる訪れている馴染みの行事だ。合川町の万灯火は計10個所の集落で行われていて、今回はそのなかの「三木田集落」を再訪しようと決めていた。2017年に初めて三木田のそれを見たときに小阿仁川沿いと、山の尾根に並んだ無数の万灯火が煌々と輝くスケールの大きさに感動。2019年にも再訪を試みたが、橋の建設のため尾根づたいに万灯火は作られていないとの情報をキャッチしたので、結局行かなかった。ということで、今回は4年ぶりの訪問となる。

16時30分に自宅を出発し、18時に現地に到着。日中は晴天だったが、徐々に雲が空を覆っていく。県道24号線を小阿仁川方面に入った道路沿いに車を止めて、三木田会場を目指す。これが例の造り替えられた橋

橋を渡ると、三木田の皆さんが集合していた。

点火前の「ダンボ」

面白い形の万灯火です。

地元の方から伺ったところによると、現在護岸工事中のため小阿仁川沿いに万灯火が立てられず、川から少し離れた田圃のあぜ道に立てているとのこと。また、山の尾根づたいの万灯火については、崩落個所があるため、そちらも立てられなかったそうだ。
なお、18時9分 宮城県沖を震源とする最大震度5強の地震が発生し、ケータイに地震速報が流れてきたが、ここ三木田では揺れは感じなかった。男性たちはビール飲んでるがら分がらねがったな、ワハハ!と気にかける様子は皆無。因みに北秋田市の震度は2~3程度だった。

一段と暗さが増してきた。

準備を始める。まもなく開始の模様

風になびくダンポの炎

あらためて行事について紹介したい(秋田県教育委員会編「秋田の祭り・行事」より)祖先の霊を供養するために、墓の前でワラを燃やしたのが始まりといわれています。日が暮れると集落近くの田の中や川の堤防、小高い場所などに設けた仕掛けに火をつけます。中日、彼岸、仏の文字や集落名などが闇に浮かび上がる幻想的な行事です。
以前はワラを燃やしていたものが、現在ではボロ布や使い古した軍手などを丸めて針金で縛り、灯油を染み込ませた「ダンポ」を使用するのが一般的だ。ダンポの炎はゆらゆらとときに官能的な美しいフォルムを描いて燃え盛るのだが、この日は風が強く、炎の形がやや崩れてしまっている。

18時30分。太鼓の音が鳴り響くと同時にダンポに点火。夜の闇に「三木田」の文字がまぶしい。お見事!


風に吹かれて炎が不安定に揺れる。そのうち燃え尽きるダンポも出てくるので、都度新しいダンポに付け替えられていく。
写真だと電飾が煌めいているように見えてしまうが、間近で見ると一個一個のダンポがゆらゆらと揺れていて、結構独特の雰囲気だ。燃え盛る松明の炎や、街なかのイルミネーションなどではない、火の持つ魔力・妖力を体現したかのような美しい炎


以前は早春の残雪の中で行われるのが普通だったらしいが、近年は少雪続きで、雪のない中での行事風景が当たり前になってしまった。雪には地面に落下したダンポの火を消してくれる効果があり、この行事を陰ながら支える存在だったワケだ。
まさかとは思うが、気候変動の影響で少雪傾向が進行し、3月にして田畑や林野が乾燥した状態へ変化するようなことがあれば、火災発生リスクの点から万灯火の有り様にも影響が出るだろう(全国的に、3月が火災発生件数が最も多いらしい)心配と言えば心配‥


本来は祖先の霊が迷いなく戻ってこれるように、と墓前でワラを燃やしていたのが、今はワラがダンポに変わったうえ、集落全体で万灯火を焚く行事へと変化を遂げた。また、以前は小学生の子供たちが中心となって行っていたが、現在では年齢に関係なく、集落の人たちが協力して行われている。
また、上小阿仁村小沢田の万灯火は道の駅かみこあにでのイベントとコラボしていて毎年たくさんの観客が訪れるが、コロナ禍突入後は各種イベントは実施されていないのが実情だ。

変わった形の万灯火。どんな仕掛けがあるんでしょうか?

消防服姿の男性が支柱に取り付けられた舵を操作している。
地元の方によると、これは真上に向かって万灯火をぐるぐる回す「車万灯火」なのだそうだ。鎌沢や上小阿仁村小沢田でたびたび車万灯火を見たが、いずれも観衆側前方方向を向いて回っていたのに対し、この車万灯火は空中に向かって回転。こんなの初めて見た!地元の方はこれがホントの車万灯火なんだよ!と自慢そうに語ってくれた。
万灯火の燃えカスがぼろぼろと落っこちてくるので、たしかに消防服の着用は必須だろう。

くるくると回転してます。


万灯火は彼岸に先祖があの世から戻ってくる際の目印、とされているため(なので「的火」と表記されていたという説もある)、空に向かって車万灯火を灯すのは非常に理に適っている。これでご先祖たちも迷わず自分の墓に戻ってこれるに違いない。
ドローン持ってたらいい画を撮影できてたろうなーとか、上空からだとパソコン固まった時の青いクルクルみたく見えてるんだろうなーとか、余計なことを考えながらも初めて見るタイプの車万灯火を楽しませてもらいました🙂

行事スタートの様子です↓


合川町では①東根田 ②西根田 ③大内沢 ④芹沢 ⑤三里 ⑥摩当 ⑦三木田 ⑧鎌沢 ⑨雪田 ⑩杉山田の計10集落で万灯火が行われた。「中日」の文字の万灯火を作るのが一般的だが、三木田同様に芹沢や三里は集落名を、鎌沢は「大仏」の文字を作ったりしている。また、文字をかたどった万灯火のみならず、鎌沢は集落を突っ切る県道沿いの法面に、摩当では田圃のあぜ道に沿ってダンポを配置したりと各集落ごとの特徴が見られるのが面白い。
なお、お隣上小阿仁村においては本来15前後の集落で行われているが、昨今のコロナ禍のため、行事を取りやめる集落があり、2021年は計10集落の開催に留まった。

「三木田」の文字の万灯火とは別方向にもダンポが多数


木が生い茂る間にダンポが立ち並んでいて、あたかも森が燃えているように明るい。
先に書いた通り、今年は尾根づたいに並ぶ万灯火は取りやめられたものの、林道沿いに点々と設置されたダンポと、ダンポの明かりに照らされた周囲の様子は山間での万灯火の雰囲気を醸し出している。東洋大学民俗研究会編「上小阿仁乃民俗」には(上小阿仁村に関する記述として)以前はどの集落でも山の尾根づたいに焚いたが、現在は田や川沿いに行うことが多くとある。たしかにこれまでいろんな場所でお話を伺ったところ「昔はもっと高い場所で焚いていた」と皆さん一様に仰っていて、山の万灯火が近年までポピュラーだったことが分かる。

ダンポの列を抜けると「中日」の万灯火が灯っていた。炎の勢いは大分弱まってしまったようだ。


4年ぶりに三木田の万灯火を見ることができた。
前回、管理人の心を震わせた、荘厳な尾根づたいの万灯火を見ることは叶わなかったが、いろいろなバリエーションの万灯火を間近で鑑賞できて大満足だ。三木田の皆さんに挨拶をして、その場を離れた。

その後三里と芹沢も見に行ったもののほとんど火が消えかけていた。ならば、というかんじで県道25号を南下して鎌沢へと向かう。


県道沿いの法面にダンポが並べられ、その上にひらがなで「まとび」と綴られている。
法面という、人工的な構造物を飾るせいだろうか。何故か万灯火の灯りが都会的で洗練されたものに感じてしまう。本来、鎌沢の万灯火は「大仏」の文字のほか、車万灯火まで作られる手の込みようだが、今年はそれらはなし。また、地元の人たちが県道沿いにテーブルを置いて、軽食コーナーを設営して来客をもてなすのが恒例だが、こちらも取りやめ。少々寂しい行事風景となってしまった。それでも法面の万灯火は優しい光を放ち、ドライバーたちの目を楽しませてくれた。

合川町~上小阿仁村へと移動して、道の駅かみこあにへ。小沢田の万灯火も見てみましょう。


終わりかけているようで、灯りが消えかけている。
また、例年であれば露店が設けられ、たくさんのお客さんで賑わっているが、昨年に続いて今年も本当に静かだ。実は、小沢田の万灯火を見に来たのは、以前盆踊り行事で知り合った、宮城県気仙沼市在住のSさんと久々の再会を果たすためでもあった。Sさんは秋田の行事を数多く見られてきた方で、小沢田の万灯火には観客ではなく主催者側のお手伝いとしてこれまで足を運ばれていた。ただ、今年はコロナのこともあり、いつものように主催者の一人として加わってよいか、だいぶ悩まれたらしいが、小沢田の皆さんの了承を得て参加されたそうだ。
小一時間ほど「今年の夏ぐらいにはコロナが収まって、盆踊りもいろいろ再開するんじゃないですかね~」などと呑気に語り合ったが、結局その願望は叶わなかった。Sさん、コロナ禍が収束したらまた盆踊り会場でお会いしましょう!😀

コロナ以外にも(三木田集落の)小阿仁川護岸工事やら崩落などで、いつもの万灯火の様子を見ることは叶わなかったが、コロナの影響を受けながらも、できる範囲でご先祖を精いっぱい迎えるべく、工夫しながら万灯火を行う合川、上小阿仁村の姿を確認できてよかった。記事を書いている2022年3月現在、コロナ第6波の猛威は過ぎ去っていないものの、伝統を絶やすまいと努力されている皆さんには本当に頭が下がる思いだ。2023年以降に期待したい。


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