湯沢七夕絵どうろうまつり

2018年8月7日
8月前半に盛んに行われる七夕行事のトリを飾るのは「湯沢七夕絵どうろうまつり」
この祭りがどれほどの知名度なのかは知らないが、ネーミング通りのお祭りなのでわざわざ内容を説明するまでもないだろう。
管理人は何年か前に一度出かけたことがあり、それ以来の訪問となる。
と言いますか、管理人は湯沢市のすぐ近く横手市増田町の出身なので小さい頃に親に連れられて行ったことがあるのかもしれないが、そんなことは全く覚えておらん。

湯沢市の方と祭りの関係者にはたいへん申し訳ない言い方になってしまうが、増田町生まれの管理人にとって、絵どうろうまつりは観光色100%の特にどうということもないイベントという位置づけだ。
秋田市生まれの友人に竿燈まつり見に行くの?と聞くと「えーっ、あんなの行くわけないでしょ」みたいな反応を返されて、あれほど素晴らしい伝統行事をあんなの呼ばわりか?と密かに眉をひそめることがあるのだが、管理人にとってその感覚に近いのが絵どうろうまつりだ。
あまりに身近すぎるがゆえに特に意識することもなく「あーはいはい、絵どうろうまつりね」みたいな扱いを(管理人の中で)していた訳なのだ。
が、今年はtwitterで絵どうろうの描き手の方をフォローしていたこともあり、羽後町で開催された藍と端縫いまつりに出かけたついでに行ってみようか、と決断。数年ぶりに夏の湯沢を訪れることにした。

そして絵どうろうまつり初日となる8月5日
藍と端縫いまつりが終わったあと湯沢市へ移動して、絵どうろうを鑑賞開始。ところが見始めてものの数10分で↓の有様になってしまった。

写真では分かりにくいのですが、土砂降りになっています。
秋田弁で言うところの「まるくれ降る」というヤツで(バケツがひっくり返ったぐらい降る、とでもなるのでしょうか。「が」にアクセントを置きます)、気分を萎えさせるには十分すぎる悪天候だ。
降り止む気配はないし、天気予報もこの後降り続くと言っているし、このまま鑑賞し続けたとしても「こえだば見そらねえ」(これじゃあ見た気がしない、でしょうか。「だ」にアクセントを置きます)ということで早々に撤収、秋田市へ帰っていったのだった。

まつり最終日の8月7日
それほど思い入れのある祭りではないし、藍と端縫いまつりのついでに‥という扱いだったので、雨で観覧取りやめとなったのは痛くも痒くもないはずだが、人間とは不思議なもので一度行くと決めたものが急に取りやめになると、逆に行きたい思いが強くなってしまう(予定していた飲み会が中止になると、何故か一人でも飲みに行ってしまうというヤツですな)。
管理人の中で、絵どうろうまつりは見ておかなければならない「マスト」なお祭りへとすでに変貌していたのだ。
ということで、仕事後に車を飛ばして湯沢市に行くことを急遽思い立ったのだった。
定時で仕事を終えて、車に飛び乗り国道13号線~秋田道~横手湯沢道路へと進み、19時前に湯沢市へ到着
湯沢市役所へ車を止めて会場へ向かう。

曇り気味の空ながら、雨は降らなさそうでまずは一安心
あまり遅くまでは滞在できないが、そこそこの時間鑑賞できそうだ。

絵どうろうは湯沢市の中心商店街を会場として飾られている。
通称「市役所どおり」を上っていくと早速たくさんの絵どうろうが置かれていた。


暗くなりかけた周囲の景色に優しい明かりを放つ絵どうろう。バタバタと秋田市から駆けつけた管理人を癒すには十分だ。
この行事は「江戸時代中期の1702年、京都から輿入れした久保田藩佐竹南家七代佐竹義安の奥方、関白鷹司兼煕の姫が京都への郷愁を五色の短冊に託し青竹に飾りつけたのが始まり」(←wikipediaから引用)とされており、時代の変遷とともに絵どうろうが出現、その後絵どうろうが大型化し、湯沢市を代表する伝統行事として今に至っている。

祭り初日に行われるはずだったものの、雨で延期になってしまった提灯行列が出発する模様

湯沢城址内の小高い山(古館山と言うらしい)の頂上まで登るそうだ。
さぞかし綺麗なんでしょうね~と参加者の方に聞いてみたが、残念ながら木々のせいで提灯の明かりは下からは見えないらしい。

メインの通りに出ました。

2日前には土砂降りにもかかわらず、たくさんの観客がいたが(それでも地元の方に伺ったところ、雨の影響で例年の半分ぐらいじゃないか?と仰っていた)、最終日の今日はぐっと数が少ない。
また、例年のこの時期は秋田では1年のうちもっとも気温が高い時期でもあるのだが、今日は涼しいぐらいで汗ひとつかくこともない。

JR湯沢駅から見ると右手側にあたる大町商店街方向へと進んでみる。

絵どうろうが飾られております。


大町商店街沿いには新しい建物が立ち並んでいて、どことなく無機質な風景ではあるものの、そのモダンさと絵どうろうの古風な様子が絶妙にマッチしていてこれはこれで良い。
数年前に絵どうろうまつりを訪れた際にはとにかく人でごった返していて、満足に絵どうろうを鑑賞できなかったような記憶があるのだが、今日はそんなこともなく、落ち着いて鑑賞するにはもってこいだ。

七夕飾りも

ミニ絵どうろうが道路いっぱいに飾られています。

ビールケースの即席テーブルで美人画を横にビールとつまみ。最高ですなあ

大町商店街の端まで来たので、折り返します。


絵どうろうは、日本近代美術で言われる美人画や、美人画を現代的に描いた作品が大半を占めるが、現代人も描かれているし、それ以外にもアニメのキャラクターや今年を象徴する有名人なども描かれていた。
開催がもう少し遅ければ金農イレブンや吉田輝星くんが描かれていたのは必至だったでしょう。

情緒あふれる美人画がたくさん


絵画や美術品全般がそうだと思うのだが、写真で見るのと実物を見るのとでは断然実物のほうがいい。
管理人が思っていた以上に絵の女性たちに強烈に目を惹きつけられる。
まるで生きているようだという訳ではないが、憂いをおびつつも艶っぽくもあり、何かを訴えかけるかのような表情はこちらの心を平穏ではいさせない。要は「エモい」のだ(エロいではない!!)。
これまでたくさんの県内のお祭り・行事に出かけたが、こんな気持ちにさせられたのは初めてだ。

先ほど出発した地点に戻り、今度は柳町商店街方面へと進む。

さっきまでついていたアーケードの灯りが全て消えた。


19時30分から10分強の間、アーケードの灯りを全部消して絵どうろうだけを楽しむ「七夕ナイト」が開かれる。
この時間だけは賑やかさが消えて、絵どうろうの存在感がひときわ際立っていた。

女性たちが美しい。


ヤバイぐらいに素敵な美人画。この表情は見る者に何を語っているのか?
物憂げそうでもあり、楽しげでもあり、はたまたそんな単一の表現では足りないぐらい複雑で入り組んだ感情なのかもしれない。
タイトルをつけるとすれば「縁側で花を見る有閑マダム」といったかんじだが(正しい表題は「うつろい」です)、そんな表層を越えて見る人の想像力を掻き立てる秀作だ。
もうこれは恋かもしれん。事実絵どうろう実行委員会が開催したtwitterでの人気投票でも、この絵が見事1位を獲得した。

アーケードの灯りが再び点灯


絵は1ヶ月ほどの期間をかけて制作される。
描き手の皆さんが自ら題材を決めて描くそうで、特に題材とする基準はなさそうだ。
ただ、この絵どうろうの白眉はやはり美人画、ということになるはずなので、自ずとテーマは絞られてくるのだろう。

こちらにも七夕飾りが

この行事は県内のほかの地域で行われる七夕行事と明らかな違いがある。
それは「ねぶ流し」の要素が一切見られないことだ。
以前、能代市二ツ井町駒形のネブ流しを鑑賞したときに知ったのだが、本来七夕行事は中国の宮中行事を真似て始められたものであるのに対し、ネブ流し行事は睡魔を追い払う民間信仰がもととなっており、その起源は明確に異なっているものの、あるときから習合されて現在に続いているのだそうだ。
先に書いたように、京都から湯沢へ移った姫を慰めるのにネブ流しの意義は関係ないだろうし、何より行事後に絵どうろうを川に流す習慣もない訳で、純粋な本来的な意味での七夕行事と捉えるべきであろう。

アニメのキャラですね。


先に書いたように絵どうろうの題材は今でこそ美人画が主流を占めているものの、かつては地口絵どうろうや幽霊画が飾られることもあったらしい。
それらの変わり種は時代が進むにつれて淘汰されていき、現在見ることができるような画風の絵どうろうに統一されていくのだが、おそらくは絵どうろうまつりが庶民の祭りとなるにつれて、雑多な要素が追加されていき、幽霊や地口が登場することになったのではないかと考える。
ただ、元々は京都から嫁いだお姫様を喜ばせようと始められた行事であり、陰気な幽霊や世相を皮肉る地口などでお姫様が喜ぶとも思えない訳で、そう考えると行事がきちんと原点回帰を果たせたとも言えよう。

こちらの女性はじっくりと絵に見入っています。


先にwikipediaから祭りの説明を引用したが、竿燈まつりの記事を書いた際に参考にした堀田正治さん著「竿燈の本」に、より詳しく記述がされている。
それによると「享保年中(1716~35)湯沢義安に京都鷹司家から嫁いだ姫君が、京都を偲んで京風の灯籠を作らせたのが始まりで、当時は全町の両側に孟宗竹に自分の家の定紋を打った灯籠を、分限に応じて下げたが、明治の中ごろ仙台から移り住んだ野口永吉によって、竹に五色の短冊を飾り付けた絵灯籠を下げるようになり、優雅な浮世絵等が夜の街を彩るようになった」とある。
当初は変哲のない灯籠からスタートした飾り物が、野口永吉なる人物の手により五色の短冊が付けられた絵どうろうへと進化し、七夕行事としてのカラーを鮮明にさせたと変遷を辿ることができよう。
そして、野口永吉の出身地は東北三大祭りのひとつ、「七夕祭り」で有名な仙台
これまで絵どうろうまつりと仙台七夕の関連について言及した書物に出会ったことはないが、なにかしらの繋がりがある可能性は高そうな気がする。

柳町商店街からジークブルガー通りへと移る。


「ジークブルガー通り」とは聞きなれない名前だと思うが、ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州のジークブルク市が湯沢市と交流都市提携を結んでいることから、ドイツ風の建物が20数軒ほど立ち並んでいる瀟洒な通りだ。
食べ物でも雑貨でも「イタリア風」とか「スペイン風」とか聞くと、管理人はそこに一抹の怪しさを感じ取ってしまうのだが、交流都市提携を基盤としたこのような交流はとても好ましいと思う。
願わくばジークブルクの人たちにも、ビールではなくて湯沢が誇る名酒「両関」や「福小町」を楽しんでもらいたい。

ジークブルガー通りに展示されるのは、これまで見た絵どうろうよりサイズがさらに一回り大きい超大型絵どうろうだ。
「浮世絵美人画の競演」と題されているように浮世絵風の女性たちが楽器演奏や何かの遊びに耽っている様子が描かれている。
先ほどまでの思いつめたような表情の絵ではなく、女性たちのほのぼのとした喜びが伝わるような楽しげな作品ばかりだ。

皆さん、楽しんでいます。

上手く写真に撮れなかったのでお見せできないが、ここで夜空に何発かの花火があがった。
ビール片手に「うおーっ綺麗だなあ!」と湧く観客たち。最高ですね

ジークブルガー通りからサンロード方面へと移動

本当は柳町商店街から前森方面へ抜けたほうであるとか、湯沢駅前にも絵どうろうが多数展示されているはずであり、そちらも見たいところだったが、時間の都合で泣く泣くカット

サンロードへ出ました。

管理人が小中学生だった頃、近くの大きい街と言えば横手市街と湯沢市街だった。
横手の方は言ってみれば駅前のジャスコとユニオンがでかいだけでそれ以外は裏寂れた街だな、などと思っていたのに対し、湯沢市街にはお洒落でハイソなイメージを持っていた。
その理由はここサンロードのイメージにある。
決して大型店舗はないが、アーケードの下に居並ぶ店々はいずれも高級感を漂わせており、増田の田舎者だった管理人には十分に敷居の高い街だった。
実際には典型的な地方の商店街だったと思うが、何故だか管理人には小粋な店構えと活気溢れる様子が印象として残っている。
だが、それも昔の話であり、今は他の地方都市の商店街同様シャッター通りと化しており、管理人が記憶している風景とはずいぶん違ってしまった。

サンロードにもたくさんの絵どうろうが


管理人が一押しだったのはこの作品
イラスト風のタッチで繊細さと妖艶さの両方をあまねく表現できており、ピンク色で統一された衣装・髪飾り・女性を取り囲む花々がとても印象的だ。

仙台から持ち込まれた(?)七夕飾りも素敵です。


初日(8月5日)は大雨だったにもかかわらず、結構な割合で浴衣姿の女性を見かけたものの、今日は明らかに浴衣率が少ない。
最終日というのはこういうものなのだろうか。
それはいいとして、管理人にはさっきからずっと気になっていることがある。それは「絵どうろうまつりの観客、美人率高くないか?」である。
華やいだ雰囲気と浴衣姿がそう思わせているのかもしれないが、どう考えても美人に遭遇する機会が多すぎる。
「湯沢市は小野小町の出身地として知られており、美人の里として‥」みたいな紋切り型の観光用宣伝文句を聞くたびに、「何をふざけたこと言ってんだ?大げさなんだよ(苦笑)」と常々思っていたのだが、決して大げさではないようだ。
美しい女性たちで会場は溢れていた、と言っても過言ではなかろう。
あまりに数多くそういった女性たちを目にするうちに、この美人は果たして絵どうろうの絵なのか?生身の人間なのか?と、よく分からなくなってしまった(←大げさ)

サンロードの中央に人が集まり出す。湯沢南家佐竹太鼓演奏会が始まった。


パワフルで元気いっぱいの太鼓演奏で観客を魅了する。
湯沢南家佐竹太鼓は湯沢市を中心に活動する団体で、各種イベントやお祭りで躍動感あふれる演奏を披露している。
7月には東京・神田で行われた「神田・秋田湯沢七夕絵どうろうまつり」にも出演したそうで、これからも活躍のフィールドを広げて頑張って欲しいと思う。
因みに何故神田と湯沢市が観光で結びつくのか、ということだが、佐竹藩上屋敷の敷地内に鎮座していた佐竹稲荷神社が現在も神田駅西口通りに祀られているのが縁になっているとのこと
また、図説「湯沢の歴史」によると、佐竹候の分家として秋田へ付き従った佐竹四家の一つが佐竹南家であり(他三家は「佐竹東家」「佐竹北家」「佐竹壱岐家」)、そのお屋敷が築かれたのが今の湯沢市役所の場所なのだそうだ。

引き続き、絵どうろう


鑑賞を始めて1時間半が経過した。
まつりは21時まで続くものの、明日も仕事があるしそろそろ湯沢を立たねば‥というかんじだが、絵どうろうが思っていた以上に素敵でもっと見ていたい気持ちに駆られる。
冒頭で「どうということもないイベント」などと書いたのがホント恥ずかしい。
数年前に訪問したときのことはほとんど記憶になく、いったいお前は何を見てきたんだ?と当時の自分を責めたくなってしまう。
唯一覚えているのが「栗駒フーズのソフトクリーム大人気だなあ、、美味いんだろうなー」ぐらいの感想で、これほど素敵な祭りに身を置きながらそんなことしか考えられない我が身のバカさ加減を呪うしかない。

祭りは終わろうとしているが、観客たちはまだまだ楽しんでます。


大町商店街~柳町商店街~ジークブルガー通り~サンロード、と会場をほぼ一周
後ろ髪引かれる思いがするものの、人々の賑わいを背に秋田市に帰るべく会場をあとにした。

最初に管理人を迎えてくれた市役所通りの絵どうろうたちが、今度は光の回廊となって見送ってくれた(と勝手に解釈)

情緒溢れるお祭りだった。
いや。何故だか自分でも分からないのだが、情緒以上の何かを感じ取った気がした。
それは絵どうろうに描かれた女性たちが醸し出す美しさに触発されたであろう、初恋に似たノスタルジックな感覚だった。
忘却の彼方のはずの甘酸っぱい感覚が喚起されるというのは本当に不思議なもので、帰宅してからもしばらくのあいだボーッと腑抜けてしまったほどだ。
正直、単なる観光イベントだと思っていた(湯沢市民の皆さん。返す返すゴメンなさい)絵どうろうまつりがこれほどまでに刺さってくるとは想像もしていなかった。
これが暑い最中の人混みの中ともなれば印象もかなり異なったのだろうが、心地よい夏の夜だったことも影響して、絵どうろうが織り成す空間に存分に浸ることができ、本当に良い時間を過ごせたと思う。
やっぱり秋田の行事は奥が深い。

※地図は湯沢市役所


“湯沢七夕絵どうろうまつり” への6件の返信

  1. 久々に拝見しました。
    遠い昔ですが、若かった両親に連れられて見た記憶が蘇ります。ありがとうございます。

    1. 隣人1号さん
      お久しぶりのコメントありがとうございます!
      絵どうろうまつり、真夏の夜の素敵な行事でした。
      これまであまり意識せず、足を運んでいなかったことを今頃後悔しています。
      もう遅いですかね。。。?

  2. ありがとうございます。
    なんかめちゃくちゃ「私事」で恐縮でした。
    ついでにもう少し宜しいでしょうか?

    元々番楽では「舞」を担当していました。
    数々の舞を、ほとんど経験しましたが、中には本番は1回だけで、到底習得したレベルにないものもあります(笑)。

    自分で言うのも何ですが、番楽における太鼓の位置は、指揮者を意味すると私は思っています。
    舞をわかっていないとたたけないのです。
    舞手も太鼓や笛に合わせようとするのですが、どうしても多少のずれが出てきます。それを修正するのが指揮者の役目ですね。

    本海番楽は400年前から伝わっているといいますが、えっ??と思うほど繊細な太鼓テクニックも使われています。
    今更ながら奥が深いですね。

    和太鼓歴25年、ドラム歴45年、番楽太鼓歴30年ですが、番楽太鼓が唄も兼ねているので、一番難しいと感じています。

    ここにコメントさせていただいた時からお気づきのことと思いますが、昨年3月県立博物館のステージに立たせていただいた、頭髪の薄い「太鼓担当」です。

    すみません。長々と。

    今後お会いできる日を楽しみにしております。
    是非お声をおかけください。

    1. TAIKO BEATさん
      コメントありがとうございます。
      そうなんですね。太鼓の重要さを意識したことはありませんでしたが、TAIKO BEATさんに教えていただき、あらためて気づかされた気がします。
      たしかに言われてみると、お囃子方の中心であることはもちろん、舞い手にとっても舞のテンポを形成するのは太鼓の訳で、番楽連中のなかで最重要ポジションだというのが理解できますね。
      TAIKO BEATさん、太鼓・ドラムの経歴すごいです。根っからの太鼓奏者・ドラマーなんですね!
      私は長くひとつのことに専心することがほとんどなかったので、尊敬の念しか湧いてきません!
      前ノ沢講中さんの公演以来のTAIKO BEATさんの演奏を聞ける日を楽しみにしております。
      それまでくれぐれもご自愛くださいませ。

  3. 湯沢市までは車で45分位でしょうか。
    TAIKO BEATです。

    もう今年も1ヶ月と数日ですね。
    早いものです。
    私もこの行事、まだ見た事がないのですが、
    是非是非行ってみたくなりました。
    来年こそは・・・と誓った次第です。

    現在秋田市内の病院に入院していて、もうすぐ退院です。
    整形外科なので、あとはリハビリをがんばるしかないですね(笑)。

    復活した「もちつき舞」、来年早々部落外での初ステージが待っています。
    今の時期は「幕収め」(この時点で活動練習一切終了)といい、一年の獅子舞活動を終了するのですが、練習を続けています。

    いつも応援ありがとうございます。

    1. TAIKO BEATさん
      ご無沙汰しております。
      入院なさってたんですか!?今はお体の具合いかがでしょうか?
      もうすぐ退院とのことでまずは私も安心しましたが、この後のリハビリが大変ですよね。。。
      くれぐれもご自愛くださいませ。
      もう、番楽各団体が幕収めをする時期になったのですね。
      去りゆく2018年を惜しむ間もなく、年明け早々にもちつき舞のお披露目。結構ハードスケジュール!
      TAIKO BEATさんは太鼓でご参加されるのでしょうか。
      前ノ沢太鼓保存会さんの益々の飛躍と、TAIKO BEATさんの一日も早い回復を祈っております!

TAIKO BEAT へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA