梨木水かぶり

2019年2月17日
今回の行事は横手市十文字町梨木の「梨木水かぶり」
字面的に何となく分かるが、要は裸参りの一種であり、道中で木桶やバケツに汲まれた水をかぶりながら巡行するという、真冬にはあまりにも過酷な行事だ。
管理人にとってはこれまで2度鑑賞したことのある、ちょっと馴染みの行事。たしかにハードではあるものの、それ以上に参加者と住人の面白いやり取りが光る、ユルく(?)楽しい行事でもあるのでぜひ紹介させていただきたい。

行事は2月第三日曜日に行われる。
前日横手のかまくらを鑑賞したのち秋田市の自宅へは戻らず、横手市増田町の実家へ泊まって朝8時半から開始となる梨木水かぶりに備えた。
因みに「梨木」は「なしのき」と呼ぶ(じゃんご言葉で言えば「なすぃのぎぃ」といったかんじ)

ここが行事の行われる旧国道13号線道路。
今はすぐ近くに十文字バイパスと呼ばれる新13号線が走っているので盛んに車が往来する訳ではない。
この道路を南下すると、菅江眞澄が「雪の出羽路」で挿絵付きで紹介した旧羽州街道と増田~浅舞への道の交差する十字路へと抜ける。

愛宕神社


本来水かぶりは愛宕神社の春祭りの行事として行われているそうで、「秋田県の祭り・行事報告書」によると「地区の若者を中心に宵宮の参拝とお篭り、本祭の水垢離と集落内を駆け回ってその年の息災を祈る『水かぶり』の行事から成っている」とのこと。
また、愛宕神社については「創建について伝えられる資料、記録はないが、中世末期の天正、あるいは文禄の頃に皆瀬川の戦いで討死した三浦和多左衛門為宗という武将が念持仏としていた虚空蔵菩薩を本尊として祀ったのが始まりという伝承がある」そうだ。

これから水かぶりの面々が神社に来てお参りをする予定


社殿脇の木には昨年の行事の際に引っ掛けられた草鞋(わらじ)がまだ残っている。
「秋田県の祭り・行事報告書」で「水をかぶった若者たちは、濡れたままで履いていた草鞋の紐を解き、神社に参拝、そのあと脱いだ草鞋を神域内にある大きなツキの木の枝めがけて投げ上げ、ひっかかったのを確認して集会所に帰る」と紹介しているとおりで、水かぶり後に草鞋を枝へ投げ掛けるという大仕事(?)が待っている訳だ。

一行が境内に入ってきた。


総勢20名ほどが、う~寒び~(;´д` )と唸りながら重い足取りで社殿に入る。
以前は前日の深夜2時に参拝を行った後にお篭りを行い、翌日朝の水かぶりに備えたそうだが、今は行われていない。

参拝が終わった。来るべき巡行に備えて移動の開始

神官を先頭に、恵比須俵が続いて行列が構成される。参加しているのはおそらく全員梨木の皆さんだと思う。
「秋田県の祭り・行事報告書」には「これに参加するのは、男であればだれでもよいが、戦後やや少なくなって、出る人の不足が目立った昭和40年頃に、有志で『友和会』を組織、このグループが参加することで現在まで続いてきた。会員は現在42名で、この中から毎年30名ほとの若者が加わる」と書かれている。

一行は地区の北端まで移動。十文字町出身の我が母に聞いたところ、北(横手市街地)側が下、南(湯沢市)側が上となるらしい。


今はスタート地点への移動なので水かぶりは行われないが、ご祝儀を受け取ったり、知り合いと立ち話をしたりとのんびりと移動。
これまで見た裸参り行事の、雪降る中若者たちが掛け声をあげて走るストイックな様子とは対照的だ。

各家庭ではすでに水をスタンバイ。多くの家庭が庭先に蛇口を備えていてそこから給水

地区の北端から折り返し。これから水かぶり


ふんどし一丁にサラシを巻いて、足袋と草鞋を履いて「愛宕神社」と染め抜かれた鉢巻を巻く。
人によってはひょっとこのお面を即頭部につけたりしているし、増田町の写真家五十嵐敏紀さんの写真集「愛しの故郷」掲載の昭和43年の行事の様子を見ると、サングラスをかけた参加者もいた。
要は厳かな神事ではあるが、服装に関する自由度は高いということなのだろう。

そろそろいきますか!!気合入れてガンバレー!


「各家庭のバケツを全員必ず浴びねばならない」などの決まりはなく、向かう先々で「じゃ、かぶってみるか~」というかんじで、各参加者が自由に水かぶりを行う。
家々では参加者が続く限り、バケツに水を用意する。
また、一杯のバケツで二人分、とばかりに参加者2名が背中合わせになってかぶるシーンもよく見られる。

住人たちは酒を用意


見たことある方だなあ、などと思っていたが、こちらは横手市の高橋大市長だった。
首長自らふんどしと鉢巻姿で行事にご参加とは!と思っていたら、高橋市長はここ梨木が地元なのだそうだ。
今日は、行政の長ではなく、地元の一市民として参加ということだろう。
それでも住人から「ええがら、まず一杯飲めって!」だの「市長だばバケツ二杯はいげるべ!」とかむちゃぶりを食らい、「午後から仕事なんで酒はちょっと。。。」「じゃ二杯やらせてもらいます(T_T)」と丁寧に応えていた。上に立つ者の悲哀ということか。

カメラマン多し!!あっ俺写りこんじゃってますね、ごめんなさいm(._.)m


県南のいろんな行事でよくお会いするカメラマンの皆さんがいらっしゃって、その方々は以前からこの行事でお見かけしていたが、今日は明らかに横手市外からのカメラマンも大挙詰めかけた模様。
たしかに雪景色をバックに桶の水をかぶる様子は写真映えするが、それを差し引いてもこの盛況ぶりはすごい。
また、欧米の方、アジア圏の方のようだったが、数人ほど外国人観光客の姿もあった。
前日の横手のかまくらから流れてきたのだろうか。それにしても十文字町の小さな地区のローカルな行事がこのような活況を呈しているのは、やはり嬉しいものだ。

足が冷たくてたいへん。お兄ちゃん(かな?)におんぶされてます。もう少し!頑張れ!!


カメラマンの皆さんには(もちろんですけど)木桶のほうが大人気で、木桶を用意したご家庭の前にはシャッターチャンスを逃すまいとたくさんの人が集まる。
巡行路は800mの直線道路で、巡行の始まる直前に愛宕神社のあたりから下側のほうを見渡すと、家々の前に木桶、バケツがズラーッと置かれていて結構壮観だったりする。
このあたりは管理人の実家から車で10分ほどのところで、昔から知っていた地区だが、このような行事が行われているのを知ったのはつい最近のことだ。
地区の皆さんが2月第三日曜日に行事が行われるという共通認識を持っていて、その日を迎えると特に打ち合わせるでもなく、玄関先に木桶・バケツをしっかりと準備する。
ごく当たり前のことだが、(管理人がよく知っているはずの地で)このようなことが毎年粛々と行われていた、と考えると何だか不思議な心持ちになってしまう。

動画から寒さが伝わりますでしょうか?


時折、法螺貝の「ブオーッ」が鳴って、冬行事の雰囲気が醸し出されるものの、参加者と住人たちがペチャクチャお喋りしながら、のんびりと進む。
それでも、バケツの水が冷たくないはずはないので、参加者たちは瞬間的に真剣な表情になる。
このあたりの水道事情はよく知らないが、水道水や地下水などの違いで温度差があるのだろう、バケツを渡す際「まんず、ぬるいドゴやってけれ(この水はぬるいんで大丈夫、みたいな意)」と声をかける住人も多い。
かと思えば、思い切りかけたのは良いが、水のほとんどが背中越しに放られてしまって、肩にちょこっと掛かったぐらいの人には「なえだっけな!(何だよー)」と茶々を入れられるシーンもあり、見ていて全く飽きない。

あと一息。みんな頑張れーーー!!!


愛宕神社の少し南側、菅原自動車整備工場前までが巡行路。ここは秋田道十文字ICを下りてまっすぐ直進すると突き当たりになっているあたりだ。
なお、菅原自動車整備工場のすぐ脇には梨木公園がある。
こじんまりとした公園だが太鼓橋のかかった池もあり、4~5月にかけての桜の開花時期には桜まつりも催される、まさに地元の人たちの憩いの場となっている。

どうにか水かぶりを終えて愛宕神社へと戻る。

一度社殿へ入った参加者たちが、履いていた草鞋を手に再度登場。そして冒頭で紹介したように、草鞋投げが始まった。


草鞋が枝にちゃんと引っかかって落ちてこないのを確認して終了となるが、一発で引っ掛ける人もいれば、何度試みても引っ掛けられない人もいてギャラリーからは「頑張れ~!」と声援が上がる。
寒さのせいか、疲れのせいか、それとも酒のせいか、手元が大幅に狂った挙句、明後日の方向へ草鞋を放り投げてしまい、社殿脇の雪山に乗せてしまう人も多数。
それでも、自分で取りに行って草鞋投げを再開せねばならない。
見ている方は時折笑い声などあげるほっこりした時間だが、やっている方は結構必死(なはず)
引っ掛け終わった参加者は「やったー!」と喜びの雄叫びを上げて、速攻でその場を去るのだった。

女の子たちも勝負の行方(?)を見守っています。

たくさんの草鞋が引っ掛かる。


草鞋を持って帰る風習はないそうだが、「秋田県の祭り・行事報告書」には、「履いていた草鞋を脱いで、木の上に投げ上げるということも、身につけたものを、神が降臨すると考えられる神樹に捧げるという意味合いを持つものであろうし、本来はこの草鞋に神が宿ると考えて、家に持ち帰るということも行われていたものかも知れない」と記述されている。
ギャラリーの皆が笑って楽しむほっこりした場面ではあるが、実は結構神聖で厳粛な瞬間なのかも。

最後のワイルドな男性が草鞋を引っ掛け終えて、これにて全員終了。思わずギャラリーから拍手が起こった。


参加者にはこのあと直会が待っているが、地元の皆さん、カメラマン、観光客はササッと撤収。あっという間に神社境内は静まり返ったのだった。

境内前の行事の説明書き。年季の入った様子から、古くよりこの地に立てられていたことが伝わってくる。

思わぬ人気ぶりにちょっとびっくりはしたが、前に鑑賞したときと同じような厳しい寒さと相反するほのぼのした様子を見ることができた。
地元の方も地元外の方も、そして外国の方も十分にその持ち味を堪能できたのではないだろうか。
秋田の冬の寒さとそのなかで大切に育んできた伝統を、梨木の人たちの朗らかさで包んだかのような楽しい行事。これからも春遠いこの時期の風物詩として続いていってほしいと思う。


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