2021年3月23日
今回初の訪問となった鹿角市の「オジナオバナ」
「秋田県の祭り・行事 -秋田県祭り・行事調査報告書」では、管理人が数日前に訪れた万灯火の項で「鹿角市などの春彼岸行事で、ワラ小屋や火棚や松明を燃やして祖霊をなぐさめ、豊作を祈る」と紹介されている行事だが、鹿角市内の地域ごとに形態が大きく異なる珍しい行事でもある。今回は八幡平地区の谷内と夏井の2個所にお邪魔させてもらった。
当日。午前中で仕事を切り上げて一路鹿角市を目指す。片道2時間半の道のりだが、晴天の下快適にドライブ。120kmの距離もほとんど気にならなかった。
こちらは「小豆沢(あずきざわ)のオジナオバナ」が行われる五ノ宮嶽。今日の目的は「谷内(たにない)」と「夏井」のオジナオバナだが、時間が合えばあとで小豆沢も見てみよう、とそのまま通過。まずは谷内の会場となる八幡平市民センター谷内地区市民センターへと向かう。なお、現在オジナオバナが行われているのは、小豆沢、谷内、夏井に、大湯地区の宮野平を加えた計4個所となる。
到着です。市民センターのなかは親子連れでごった返していた。こんなたくさんの人たちがオジナオバナに参加するのか!と少々たじろいでしまったが、バスケだか何だかの練習の集まりだった。
こちらがセンター向かいの谷内運動広場。本当の会場になります。
火が焚かれています。これを火種として行事が行われる。
三々五々、参加者が集まってくる。
子供たちと、その親御さんと思しき方々が集まり、少し賑やかになってきた。また、年配の方々も参加こそしないものの、近くに寄って行事が始まるのを楽しみに待っている様子。例年であれば残雪が結構残っているらしいが、2021年は雪解けが早く進んだため、雪解け後のぬかるんだグラウンドで行事が行われた。早春の夕暮れの薄青い景色がぬかるみに映り、あたりが淡いブルーに包まれて何だかとても美しい。
ボチボチ始まります。
オジナオバナについて、もう少し詳しく説明したい。
小豆沢と宮野平のオジナオバナの実態を調査した「鹿角に伝わるオジナオバナ -無形民俗文化財記録作成調査報告書6-」(2010年刊行)には「伝統行事『オジナオバナ』には、このように2つの形態がある。1つには彼岸の入りの日、彼岸の中日、終い彼岸の日に、各自各家の墓地にそれぞれ焚火をする、2つには中日又は終いの日に、集落共同で田圃などの広場に焚火をするか、又は裏山の尾根に暦の月数だけ焚火をする」と記されている。
ここ谷内に関して言えば、(墓前で行われるオジナオバナの実態はよく分からないが)彼岸の終いの日に広場で焚火をするタイプだ。さらに言えば、谷内同様に田圃などの広場で行うのは夏井と宮野平、裏山の尾根に暦の月数だけ焚火をするのは小豆沢、ということになる。なお、オジナオバナは「お爺な・お婆な」を表している。
あたりが薄暗くなってきた。
「鹿角に伝わるオジナオバナ -無形民俗文化財記録作成調査報告書6-」に谷内の行事の様子が記されている。
会場の八幡平市民センター谷内地区館前の広場には、地域の小学生、さらには、家族の方が100人ほど集まり、それぞれが思い思いの場所で火のついた缶をグルグルと回す。火のついた缶を回すのは、鹿角では今はここ谷内地区だけで、いつ頃から缶を振り回すようになったかを地区の古老に聞いても、自分が小さい頃から既に振り回していたということで、その時期は分からなかった。
10年以上前の記録なので、現在とは若干異なる点もある(この日は100人は集まっていなかったと思います。また、この記録が書かれたのちに谷内と同じく火の付いた缶を回す夏井で行事が復活しました)ものの、基本的な行事の態様は変わっていないようだ。
ぱっと見、火振りかまくらのように見えるものの、オジナオバナは缶を体の横で振り回すのに対し、火振りかまくらは火のついた炭俵を頭のうえで振り回すものとなる。音で表すと、火振りかまくらはブウーンというかんじだが、オジナオバナはシューーーとちょっと金属音混じりの回転音が鳴っていた。また、表面的な違い以上にそもそもの行事の意義が異なっている。
鹿角に伝わるオジナオバナ -無形民俗文化財記録作成調査報告書6-」では「角館や秋田市の仁井田地区の火振りかまくらは、鹿角市谷内のオジナオバナと類似した火祭りの行事ではあるが、その行事に込められている意味には大きな違いが見られる。(中略)鹿角市谷内のオジナオバナはその唱え言葉でも理解できるように、その行事には祖霊を送迎する意味が込められており、『火振りかまくら』には『ドンド焼き』や『左義長』と同様の虫追い行事としての意味が込められていたのである」と説明されている。
火振りかまくらとは異種の行事だが、上小阿仁村・北秋田市合川の万灯火との共通点は非常に多い。
火を用いた彼岸の祖霊迎えの行事という点のみならず、上小阿仁村福舘の万灯火の唱え言葉は「ジンナ、バンナ、コノヒノアカリニハヤークイットクレ」(秋田県の祭り・行事調査報告書より)というもので、「ジンナバンナ」=「オジナオバナ」という点まで似通っている。
また、宮野平のオジナオバナはワラで作った小屋に火をかけて燃やすものであり、こちらは「鹿角に伝わるオジナオバナ」では、にかほ市象潟の「盆小屋行事」との類似性が指摘されている。
オジナオバナを行う際には唱え言葉を唱えるのが、かつての姿だった。
それも彼岸の入り、中日、彼岸明けで、さらには墓地か広場かによって唱え言葉が微妙に違っていたようで、この行事の奥深さが伝わってくるようだ。谷内の広場での唱え言葉は「鹿角に伝わるオジナオバナ」によると♪オジナオバナ暗りゃーやわりや明かりの宵に団子こ背負っていとーりやいとりやというものだったそうだ。今では、子供たちが唱えることはないが、ギャラリーの年配の方々の何人かは口ずさんでいた。ご先祖を送る大切な行事であるとともに、幼き頃の大切な思い出としてこの行事を心の中にしまっておられるのだろう。
とっぷりと日が暮れました。
30分ほどで行事は終了。参加者皆が楽しそうに、時折歓声をあげながら缶を振り回す様子を見させてもらった。
また、早春の夕暮れ時に、連なる山々を背景にほの暗い光の輪が描かれるさまは本当に綺麗で、何とかその美しさを写真に落とし込みたかったのだが、相変わらずの撮影技術不足でその光景を伝えることは叶いませんでした。。。
さて、夏井に移動します。
谷内運動広場から車で5分ほどの夏井集落だが、いかんせん土地勘がないため、何処に行けばよいか分からない。集落内の商店が開いていたので尋ねたところ、親切に会場となる夏井分館の場所を教えていただいた。県道191号線を進むと右手側に建物があるそうだ。
着きました。結構たくさんの人が集まってます。
缶が準備されています。
「鹿角に伝わるオジナオバナ」によると缶の中には松根(しょうこん)が入るそうだ。
材料について云えば「墓地などの狭い空間の所では、現在は主として稲ワラが用いられている。田圃や尾根などの広い空間の所では、稲ワラ・オガラ(麻の芯)・豆殻・小豆殻・粟殻・茅などであるが、例えば、田圃で行われる『宮野平のオジナオバナ』では現在は稲ワラ、山の尾根で行われる『小豆沢のオジナオバナ』では現在は茅を用いている」そうだ。また、夏井のオジナオバナは一度休止されていたのを、地域の人たちの手で復活させて現在に至っている。
区長さん(?)のご挨拶に続いて、一斉に缶が振り回される。
先ほどの谷内と違い、公民館のそれほど広くない敷地内スペースをたくさんの人が埋めていて、ワイワイと賑やか
「鹿角に伝わるオジナオバナ」は夏井のオジナオバナが休止中に発刊されたので、夏井の様子が記録されていないが、休止に至る過程を「墓地で行っていたが、学校の指導により田で行うことになった。そのため意義が薄れ、行われなくなった」と記している。管理人の想像だが、本来的なオジナオバナの意義(先祖迎え・先祖送り)が薄れていった代わりに地域の伝統を受け継ぐ意義が高まり、ここ夏井分館で復活を遂げることになったのではないだろうか。若い人たちを中心に、年配の方々や子供たちまで幅広い年齢層が集まった様子を見るにつけ、夏井の人たちの地域の伝統を絶やすまいとする心意気が伝わってくるようだ。
相変わらず光の輪が上手く撮れない😭
「鹿角に伝わるオジナオバナ」によると、休止前の夏井では彼岸の中日に行われており、唱え言葉は♪オジナオバナ、明かりの宵に団子背負いに来たれー、来たれーというものだったらしい。基本的に墓地で行うオジナオバナの場合、彼岸の入りには「団子背負いに来とらえ」、彼岸の中日には「団子背負いを見とらえ」、彼岸明けには「団子背負って行っとらえ」という具合に、祖先の霊を迎えて共に過ごし、最後は見送るといったストーリーが唱え言葉に反映されているが、田んぼのオジナオバナでは中日と彼岸明けしか行われなかったため、入りの唱え言葉「来とらえ」が中日に唱えられたのだと思う。
以前は現在行事が行われている4集落以外にも鹿角市内の多くの集落でオジナオバナが行われていたようだ。
昔から行っていた集落が一つ止め、二つ止め‥というかんじで現在に至ったのだろう(「鹿角に伝わるオジナオバナ」が記録された2010年時点では「宮野平」「小豆沢」「谷内」「永田」「下川原」「狐平」の6集落で行われていたそうだ)。また、後日あるサイトで拝見したのだが、小豆沢が2022年を最後にいったん休止期間に入るらしいし、宮野平について云えばここ数年来コロナ禍や少雪の影響で中止が続いている。小豆沢と宮野平は鹿角市の無形民俗文化財に指定される、由緒正しい行事であるにもかかわらず、決して前途洋々という訳ではないし、関係者が苦労して行事を存続させている状況が窺い知れるというものだ。
宮野平の近年の開催状況や、小豆沢が2022年で一旦休止する(らしい)ことからも分かるように、オジナオバナを取り巻く状況は決して平たんではない。
だけど夏井の、特に子どもたちが楽しそうにオジナオバナに興じる姿 - 振り回すスピードを友達と競い合ったり、へっぴり腰で缶を振り回す子を茶化したり - を見ていると、行事が先細っていく心配など無用なようにも思えるし、今後行事を復活させる集落が表れそうな感すらある。祖霊を迎え、送ると同時に地域の人たちに笑顔を与えてくれる行事でもあるのだ。決して、消えていくだけの運命でないことは確かだと思う。
きれいに回るかな?😊
谷内同様、夏井も30分ほどで終了。たくさんの人が会場に足を運び、予想していた以上に盛り上がった。慰霊が行事の目的とは言え、楽しそうに行事に興じる様子は爽快で、春の夜空に子どもたちの歓声が響き渡っていた。その後、19時に始まったという小豆沢の様子を見ようと八幡平市民センターに移動を開始。
10分ほどで八幡平市民センター(谷内地区市民センターとは違うトコです)に到着。行事の行われている五ノ宮嶽を見上げる。
山の中腹辺りにポツンと明かりが見えなくもない。が、行事はほぼ終わってしまったようだ。「鹿角に伝わるオジナオバナ」では小豆沢のオジナオバナについて「春の彼岸明けの夕刻7時、五ノ宮嶽への途中五合目に鎮座する薬師神社から、南西方向に伸びる尾根筋に、旧暦(陰暦)の月数だけのシマ(島)を作って点火する。この焚火の意味するところは、前述のように祖霊にお礼してもてなすことのほかに、焚火の燃え具合によって、その月の天候を占う(予測する)ことにある」と紹介されている。小豆沢の地に江戸時代から伝わるとされる、この行事がしばらくの間休止というのは本当に残念なことだが、またいつの日か出会えることを期待したい。
谷内と夏井のオジナオバナをじっくり見させてもらった。祖霊を迎え、一緒の時間を過ごし、やがて送るといった一連のサイクルが、焚火の素朴な炎に詰め込まれながら表現されているようで、心に優しく染みる行事だった。両集落でこれからも長く続くことを願うとともに、宮野平の再開と小豆沢の復活にも期待したい。
谷内会場
夏井会場