2016年10月16日
先の記事「金神神社のネギミソ祭り」にも書いたように、今は伝統行事の冬枯れならぬ秋枯れの10月である。
そんななか、ある行事が10月16日に開催されるという情報をゲットした。
それは「根子番楽」
秋田の伝統行事に興味を持っている方で「番楽」の名前を聞いたことがない、という人はいないだろう。
管理人ももちろん知っている、名前だけは。
鑑賞したこともあるように思うがよく覚えていない。
以前から気にはなっていたものの、ちょっと敷居が高いかな?と敬遠していたフシがなくもない。
秋田の祭りを扱うブログを書いておきながら、それはマズかろうということで今回の記事「根子番楽」で番楽デビューを果たそうと目論んだのだった。
ということで少々番楽の予習をしてみた。
秋田県立図書館から借りてきた、大高 政秀さんという方の著書「秋田の民俗芸能 番楽を踊る」と「秋田県民俗芸能協会十周年記念刊 秋田県民俗芸能史」で知識をつけ、「秋田民俗芸能アーカイブス」(←いつも見てます。本当に良いサイトです)で実演の動画を見る。
「秋田の民俗芸能 番楽を踊る」は2009年の刊行だが、著者である大高さんの番楽に対する強い思いと、番楽をもっと広めたいという気持ちが伝わってくる良い本だった。
そこに書かれていた情報では、秋田県が平成5年に調査した資料によると「市町村合併以前の旧69市町村中、42市町村の約140地域に番楽の伝承が確認されている」そうだ。
平成の大合併前は69も市町村があったのかあ・・という感想は置いといて、番楽がいかに多くの市町村、地域で演じられているかが分かる。
今はもう演じられなくなった番楽も多い、と聞き及ぶが、秋田一の数を誇る伝統芸能であるのは間違いないだろう。
大高さんも著書の中で仰っているが、「番楽を知らずして秋田の芸能は語れない」のである。
番楽ビギナーの管理人にとっては未知の芸能ではあるものの、根子番楽の名は国指定重要無形民俗文化財ということもあり秋田県下に広く知れ渡っている。
通常8月14日に行われるが、特別公演と称して6月と10月の年2回行われているうちの10月公演がまさしく今日なのだ。
ということで10時過ぎに秋田市を出発、途中道の駅かみこあにでご飯を食べたりして開演時間の1時少し前には会場である根子番楽伝承館(旧根子小学校体育館)に到着したのだった。
因みに、根子番楽の基本を知っておきたい!というビギナー同胞にはこちらのサイトを薦めておきたい。
会場へのルートには「根子番楽」と書かれた旗がいくつも立てられており、迷わず着くことができた。
会場となる根子番楽伝承館
周辺の風景
これぞ日曜の午後とでも言うべきのんびりした光景である。
その様子は秋田のどこにでもある田舎の風景‥ではないのである、少なくとも管理人にとっては
管理人が「根子」と聞いていちばん初めにイメージするのは「番楽」ではなく「マタギ」なのだ。
マタギのことはご存知だろうか?(一応wikiを貼っておきます)
基本的に米作りを中心とした農業が基幹産業である秋田県において、狩猟文化が長く続いた阿仁方面は一種独特な気質があるようだ。
何年か前に、日本の狩猟をテーマにした作品を書かれている田中 康弘さんの著書「マタギ-矛盾なき労働と食文化」を読んでマタギの日常を知って以来、阿仁の地域や人々におぼろげな畏敬の念を持っていた。
ということで、典型的な秋田の田舎を訪れるときには決して持ち得ない、ちょっとした緊張感を伴っての阿仁訪問だったのだ。
聞けば根子番楽はそういった阿仁の人たちの気質を反映してなのか、荒っぽくダイナミックな踊りが持ち味とのこと
会場はすでに満員
会場入口には後援会会報や、保存会の作成したパンフレットなどとともに数多くの根子番楽グッズが販売されていた。
絵葉書や油絵など定番にとどまらず、切手シートや土人形などお祭り関連ではあまり見かけないグッズも揃っていた。
パンフレットとチラシ
パンフレットに「根子番楽の由来と特徴」なる一文が書かれてあったので、一部抜粋してみたい。
「昭和10年に東京で開催された『日本民俗芸能大会』に東北地方代表として出演して以来、各地に伝わる数多くの番楽の中にあって、古式をよく現代に残している能楽のひとつであると関係各界から注目されてきました。」
「歌詞の内容が文学的に優れていることと、舞の形式が能楽の先駆を成す幸若舞以前のものであることが賞賛されております。」
番楽が秋田を代表する芸能であるのは間違いないが、今や存続もままならない地域も多いと聞く。
その中で根子番楽は積極的に外に出て行くことと、地域の子供たちへの伝承を絶やさないことを両立し、秋田を代表する行事のひとつとして存在感を放ち続けている。
グッズの充実ぶりにも、地域の人たちの根子番楽に対する情熱や愛情の一端を感じ取ることができた。
そして、開演時間の1時を迎える。
保存会会長さんの挨拶から始まった。
この番楽は「口上」から始まるのが定番のようだが、あの挨拶が口上ということでよかったのか。
最初の演目は「露払い」
この演目は小学生の子供たちによって舞われる。
この舞がほかの演目の基本となるため、子供の頃にみっちりと動きを仕込まれるらしい。
根子番楽の登竜門といったところだろう。
3人の小学生による舞だったが、人数は決まっておらず2~4人ぐらいで踊られるらしい。
なお、根子番楽は必ずこの演目から始まることになっている。
軽快な舞です。
3分強の短い時間だったが、小学生たちの可愛らしくも勇壮な舞で番楽は幕を開けた。
舞が始まる前に演奏される曲は「幕出歌」といって、この曲に乗って舞手が出てくることになっている。
この流れはどの演目でも同じだった。
法螺貝の音がけたたましく、何だかかっこいい。
続いては「翁舞」
この舞と「三番叟」は古典舞と呼ばれる部類に入る(ほかの演目は「武士舞」と呼ばれる)だけあり、前の「露払い」に比べるとお囃子のテンポがスローで舞も緩やかである。
軽快な「露払い」のあとに緩いテンポの「翁舞」を持ってくるあたり、緩急の妙と言えよう。
1曲目にキャッチーなシングルヒットを持ってきたあとの2曲目にバラードを持ってくるポップスのアルバムと同じ手法である。
もしかして、たとえが古かったか‥
翁舞については「松迎い」という名称の裏舞がかつて存在した。
裏舞 - 根子番楽は12番の表舞と8番の裏舞で構成されている。
「いる」というか「いた」と言ったほうが正しい。
今は「敦盛」以外の裏舞は舞われていないのだ。
すでに舞われていない演目ということで、非常に興味をそそられるものがある。
裏舞がどういうものかご存知の方に聞いておけばよかった。
ちなみに表舞12番と裏舞8番の構成は以下のとおり
表舞①露払い 裏舞①天女(鳥舞の裏舞)
②鳥舞 ②チオ(翁舞の下舞)
③翁舞 ③松迎い(翁舞の裏舞)
④三番叟 ④月見女(女形若子の裏舞)
⑤女形若子 ⑤鈴木三郎(信夫太郎の裏舞)
⑥信夫太郎 ⑥橋かけ(わらび折りの裏舞)
⑦鞍馬 ⑦敦盛(曽我兄弟の裏舞)
⑧作祭 ⑧三劔(山の神舞)
⑨わらび折り
⑩曽我兄弟
⑪山の神舞
⑫鐘巻
表舞でも「鳥舞」、「女形若子」、「わらび折り」、「山の神舞」は今では演じられていないらしい。
唄い手の独唱に合わせて舞う。
「秋田県民俗芸能史」を読むとこの演目について「陣舞歌、中歌等あり」との注釈が添えられていた。
この場面が陣幕歌、あるいは中歌なのだろう。
続いては「信夫太郎」
何でも、最も好んで上演される演目らしい。
演者も観客にとっても十八番とでも呼ぶべき演目だろうし、この演目の写真を一番目にする機会が多いように思う。
内容は「高舘合戦」での佐藤嗣信の最後を語ったもの、ということだ。
鎧姿の武士が登場となると、気持ちが昂ぶるというか「オーッ」となるのはなぜだろう。
華やかで勇壮な舞である。
かっこよさということでは演目随一だろう。
引きのカット
管理人にとっては今日が番楽デビューだったが、多くの観客は鑑賞のツボや拍手の勘所を熟知しているように見受けられた。
途中から面をかぶっての舞になった。
これは佐藤嗣信が死んだことを表現しているのだろうか。
面をよく見ると結構怖い形相なのだ。
と、「信夫太郎」が終わったところで10分間の小休憩が入った。
会場である根子番楽伝承館の壁には番楽の写真が飾られており、しばし見入った。
根子番楽の説明
休憩後に再開、演じられるのは「三番叟」
こちらは「翁舞」と並んで古典舞のひとつ
わりといろんな番楽で舞われているようだ。
ご存知ない方に説明すると、番楽については共通の演目が数多く存在する。
というか、演目の数は限られており、どの演目が舞われるのかが番楽によって異なるだけである。
同じ演目の演じ方の違いを楽しむことも可能なわけだ。
古典舞ということで、たおやかな動きをするかと思いきやそうでもない。
腰を曲げたままくるくると回転する動きは、見ている以上にキツそうだ。
パンフレットによると三番叟は「翁の沙門語り(間の狂言)ではないかと言われている舞」だそうだ。
「間の狂言」と書いて「あいのきょうげん」と読む。
意味は「幕間に踊られる出し物」ぐらいのものらしい。
終盤は飛んだり跳ねたりと「古典舞」に似つかわしくないぐらいにハチャメチャな動きが入る。
演者の方も相当辛そうだが、面をかぶっているので表情は全くわからない。
続いては「鞍馬」
まずは小学生の男の子演じる「牛若」が登場
きびきびとした小気味良い舞を披露してくれる。
この舞は「牛若と天狗の兵法比べ」とのこと
実際には天狗を弁慶に置き換えて演じられている。
そして弁慶が登場、二人での舞となる。
牛若丸と弁慶の物語はとても有名だが、互いのキャラの違いがはっきりしており見ていて一番楽しい舞だった。
牛若は側転を披露したり、弁慶の薙刀を躱したりと大立ち回りを見せるが、一番の見せ所は薙刀に乗って見栄を切るところだろう。
会場も非常に湧いていた。
先に牛若が舞台をはけた後に弁慶の一人舞
こちらは牛若とは対照的に大きくダイナミックな動きが特徴
まるで縄跳びするかのように薙刀を両手で持ってジャンプするなど身軽な動きもあった。
これも演者の人はクタクタだろうな‥
次はトリの演目のひとつ前
曽我兄弟
「曽我兄弟五郎十郎が父の仇をとげようと修行につとめている場面」だそうだ。
「曽我兄弟」のみお囃子方に地元の中学生たちが加わった。
お囃子方の構成を書いていなかったのであらためて紹介したい。
太鼓・・・・1人
横笛・・・・2~4人
拍子板・・2~3人
手平鉦・・2~3人
法螺貝・・1人
幕元/謡・1~2人
精悍さと快活さが伝わってくる舞である。
一人舞でも惹きつけられるが、これが二人舞になるとさらに熱気を帯びてくる。
途中から扇を刀に持ち替えての熱演だった。
刀を合わせたときに何と火花が散っていた。
まさか、真剣を使っているのではあるまいとは思うものの、じゃあ何で火花が散るんだ?などいろいろ考えてみる。
さすがナガサ(マタギが携帯する斧に似た刃物)の本場阿仁地方、真剣じゃなくても火花が散る刀を作れるのか、鍛冶技術が進んでいるんだなあ、と勝手に結論づけた。
再び一人舞
刀さばきが見事である。
どの舞も例外なく運動量が半端ないが、この舞は刀さばきを魅せる要素も強いのでそちらの練習も欠かせないのだろう。
この後、5分間の休憩が入った。
何ゆえ最後の演目を前に休憩に入るのかというと舞台にかけられた「根子番楽」と書かれた幕が取り払われており、そのための休憩だったのだろう。
なぜ取り払うのかというと次の演目を見てもらえればわかる。
最後は鐘巻
内容は「紀州道城寺の安珍・清姫の物語で、女人禁制の鐘巻寺を拝もうとした女が鐘に閉じ込められ蛇身となって、旅の山伏が蛇身を切り伏せる」というもの
もっともストーリー性が強い舞である。
山伏の舞に続いて、邪悪な蛇に身をやつした女が登場
異形の相である。
そしてこの舞のみならず、根子番楽最大の大仕掛け
大蛇の登場となる。
幕の切り込みをうまく使い、2人の黒子が器用に大蛇を操り幕のてっぺんまで持っていく。
管理人は個人的に蛇が苦手だが(まあ、得意な人はあまりいないだろう)、この大蛇は本当に嫌悪感を覚えるぐらい迫真の演技というか動きを見せた。
最後は無事に大蛇を退治して演目が終わる。
当初の終了時間は2時半の予定だったが、3時前の終演となった。
観客が引き上げていく。
帰り際に撮った根子の風景
ということで無事番楽デビューを飾ることができた。
一言で感想を言うと「面白かった!」ということになる。
たしかに古典芸能の部類に入るだろうし、舞自体に現代的な要素はあまりない。
それでも、脈々と受け継がれた動きのひとつひとつが洗練されており、見る人を楽しませてくれる。
また、舞踊の持つ肉体性とエンターテインメント性をあらためて認識することができた。
舞手は全力で演じ続けるし、それをさらに煽るかのようなお囃子
グイグイと観客を引き込む要素を持っている。
信夫太郎の登場に「おっかっこいい!」と思えたり、姿を現した蛇身に「うわ~出た!」と心の底から怖がれるのも根子番楽が持つパワーがあってこそだろう。
たくさんの人にこの楽しさを是非ライブで味わってほしいと思う。
秋田県に数多く番楽はあれど、人口減の影響で運営・開催がままならないものもあると聞く。
しかしながら、根子番楽に限ってはその心配は無用だと思われる。
秋田のみならず東北地方全域を襲ったかつての食糧難を、独自の知恵と創意で巧みに切り抜けてきたマタギの文化を血肉としている根子の人たちが支えている芸能だけに、今後もその素晴らしさを私たちに見せ続けてくれるだろう。