三所神社の梵天

2017年2月19日
一週間前ほどには星の数ほど行われていた小正月行事もだいたい終わった。
が、だからといって祭り・行事がぱったりと止むということではない。
2月18日には横手市の金沢八幡宮梵天、19日には北秋田市七日市葛黒で火まつりかまくらが、上小阿仁村では友倉神社裸参り、横手市十文字町で梨木水かぶりなどが行われた。
そして今回訪れたのは、管理人の実家がある横手市増田町の三所神社の梵天行事
歴史ある伝統行事だが、管理人はこれまで見たことがない。

増田町に限らず横手市にはたくさんの伝統行事があるが、管理人はちょっと前までそういった行事に全く興味がなかった。
したがって、この三所神社の梵天を見たことがないどころか、横手のかまくらも、今では大のお気に入りである西馬音内盆踊りも全く見なかった。
もし増田町に住んでいた当時、こういった行事に関わっていたらもっと祭りや伝統行事についての知識を付けていたのだろうが、代わりに今まっさらな状態で秋田県内各地の祭り・行事に接することができているので、無関心だったのがあながち悪いことではなかったと考えるようにしている。

さて三所神社の梵天である。
冒頭に書いたように、お隣十文字町梨木地区では裸参り行事「水かぶり」が同日に行われる。
こちらのほうは4年前、そして昨年の2度ほど鑑賞した。
梨木水かぶりは2月第三日曜日、三所神社の梵天は2月20日にいちばん近い日曜日の開催となっており、同日となることが多い。
今年もともに2月19日開催だ。
開催時間は水かぶりは朝8時半~10時頃、梵天は9時半~12時となっていて、水かぶり終了後に梵天会場へ移動(だいたい車で10分ほど)し、両方を見物することも可能だ。
が、この日は管理人の都合で梵天の行われる増田町に11時頃に到着するスケジュールしか組めなかったため、水かぶり見物は諦めることにした。
もし、この時期にこのあたりの地域に行かれる予定のある方は水かぶり⇒梵天というルートで、ともに観覧することをお勧めしたい。
ただし、先に書いた開催日決定の違いにより、必ず同日に行われる訳ではない(実際に平成15年は水かぶりは2月15日、梵天は2月22日開催だった)のでご注意いただきたい。

当日、秋田市の自宅を出発して秋田道~湯沢横手道路と進み、最寄りの十文字インターチェンジで降りたときにはすでに11時を回っていた(因みに梨木水かぶりのほうは十文字ICを降りて直進し、突き当たって左側あたりで行われています)ため、少し急いで増田町へ向かう。
増田の梵天の特徴は、横手の旭岡山神社の梵天などと同様に趣向を凝らした頭飾りにある。
加えて、たいへん珍しいらしいが、梵天を手のひらや頭、肩などに乗せてバランスをとる妙技披露もある。
9時半に行事が開始すると、よこて市商工会議所増田支所前駐車場や中七日町通り(蔵の町として大いに観光ムードが高まっている増田町の中心的な通りです。JR東日本のCMで吉永小百合さんが増田の内蔵を訪れているのを見たときにはびっくりしました)においてこの妙技が見られるわけだが、管理人が到着した頃にはそちらのほうは完全に終了し、あとは三所神社への奉納を済ませるだけとなっていた。
中七日町での様子はこちらのサイトに詳しく書かれているので、是非ご覧いただきたい。

伊勢堂地区にある三所神社へ向かう。
「もう奉納も終わるぐらいかなあ‥」と少し不安だったが、神社前に到着するとあったあった、梵天が
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奉納はこれから行われるようでほっと一安心
というか、行事が12時で終わるのだとしたら、いくつかの町内の奉納が終わっていないといけないぐらいの時間だが、どうやら進行が遅れ気味になっているらしい。
管理人にとってはそのことが幸いし、奉納の場面を見られることとなった。
三所神社の境内に入る。
管理人は三所神社梵天を見るのが初めてというばかりでなく、神社境内に入るのも初めてだ。
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ご覧の通りの雪模様だが、境内には関係者、カメラマン合わせて20人ほどいた。
何人かのカメラマンと話をしたところ、梵天見物の前に梨木水かぶりを見てきたという人ばかりだった。
地元の人が大半だが、中には横浜市から樹氷の撮影のため青森県に来たものの、なかなか撮影に適した天気にならない(晴天でないと良い写真にならないらしい)ので、秋田まで足を伸ばして各地の行事を見物して回っているという方もいた。

そして梵天と男衆が境内に入ってきた。

こちらは「たらいこぎ実行委員会 梵天有志の会」の梵天
たらいこぎ競争は増田町真人(まと)公園にて4月29日と8月16日に開催される増田の風物詩だ。
8月16日は中七日町通りにて「増田の盆踊り」が行われる予定なので、たらいこぎ参加プラス盆踊り見物という組み合わせも可能だ。

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雪の中の梵天は映える。
梵天行事は決して冬に限っておらず春~夏にかけて行われる地域もあるが、冬期に行われるのがいちばん多いのにはそれなりの理由があるのだろう。

そして、奉納前の妙技披露
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重心がてっぺんのあたりにあること、竿が硬い棒のようになっていて、しならないことなどが原因で、秋田市の竿燈のように上手くは上がらない(竿燈は比較的スムーズに上がります)。
また、相当な重さなのだろう、皆上げるのに一苦労だった。
先に紹介したサイトの情報によると30kgの重さらしい。
梵天コンクールでは頭飾りの出来栄え、チームワークの良さと合わせて、この演技披露も審査の対象となっている。

ひとしきり、妙技披露したあと梵天唄を歌ってから奉納となる。

最後は梵天を放り投げるように奉納
奉納の際の押し合いはない。
あの重そうな梵天を力づくで持ち上げるようなことをやっていただけに、これから押し合いをするのはちょっとツラいだろう。

この行事はもともと1643年に地元の魚屋が商売繁盛祈願のために麻糸梵天(梵天の上部から垂れ下がる「さがり」が麻糸製。この記事には出てこないが、横手市役所職員有志の梵天がこのタイプだった)を奉納したのが起源だが、戦後一旦中止されたのを昭和50年代に復活させ、今に至っている。
先に訪れた横手市大雄の長太郎稲荷神社初午梵天も昭和55年に復活した。
同じ市内の梵天行事が同年代に再興できたのには何か理由がありそうだ。

続いて入ってきたのは「縫殿ためぐら会」

早速妙技披露
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その難易度ゆえ、梵天を倒してしまう男衆が続出する中、こちらの男性は安定した演技を見せていた。
手のひらのみならず、肩、さらには顎と次々と梵天を乗せ変える。
また、初めに2度ほど肘を屈伸させて反動をつけてから持ち上げていたことから、持ち上げる瞬間にかなりの力が要ることが分かる。

そして奉納
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奉納梵天の他にミニ梵天も持ち込まれていた。

大黒様2人がカメラマンの要望に応えてポーズを取る。

1度ならず2度、3度とポーズ(神社の階段からジャンプ)を要求され、さすがの大黒様といえどもくたびれた様子だった。
先に述べたように、この行事は魚屋が商売繁盛祈願をした際に梵天奉納を行ったのが起源だが、そのときに市場の神様として恵比寿堂を建立した経緯がある。
したがって、恵比寿様が本来の市神になると思うが、梵天行事においては大黒様がマスコット的存在として行列に加わっている。

縫殿ためぐら会全員のショット
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ここで梵天実行委員会の人たちが境内に入ってきた。
そして梵天コンクール結果を神社の階段脇に貼り出した。
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見事、縫殿ためぐら会が1位を受賞
ということでその場で表彰式が行われる。
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これから、田町若獅子会と福嶋梵天有志会が奉納梵天をするのだが、おそらく商工会議所増田支所前駐車場や中七日町通りでの様子が審査の対象なのだろう。
縫殿ためぐら会の皆さん、おめでとうございます!

次に入ってきたのが、「田町若獅子会」の梵天

こちらは全員が黒い法被、赤のダボシャツ、白いダボズボンの出で立ちで統一されており結構スタイリッシュだ。
そしてほぼ全員がねじり鉢巻をしている。
審査項目で「男衆の格好の決まり具合」という項目があったら、田町若獅子会が1位を取るだろう。

梵天唄の披露

続いては妙技披露
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ちょっとでもバランスを崩すとこんな感じになってしまう。

飯塚喜市さんという方の著書「秋田祭り考」を読むと、梵天はもともと修験道で用いられる幣束「ホデ」に由来する、と書かれている。
さらに、神座(かみくら)すなわち神霊のための標識であったものが巨大化、装飾化していったということが記述されている(角館の火振りかまくらや、六郷のカマクラ行事における天筆焼きなども同様に神座の標識としての意味合いがあったと云われている)。
その前提に立つと、ここ三所神社の梵天が技を競うために高く上げられるのは、神霊に対してより神座を目立たせるように、との意味があるとも考えられないだろうか。
梵天については、結構謎が多く起源や変遷についての研究がなかなか進んでいないと聞いたことがあるが、各地の梵天をひとつひとつ調べていけば面白い発見がありそうな気がする。

続いて奉納
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この後は福嶋梵天有志会が奉納する予定だが、管理人は実家に行く用事があったので、このへんで三所神社をあとにした。
神社前でスタンバイ中の福嶋梵天有志会
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先に紹介したサイト「横手市の観光~横手市のええどご勝手に紹介」によると、今年の干支(酉年)に因み、鶏、鷲、鳳凰などが各団体梵天の頭飾りとして作られたそうだ。
後で写真を見返してみたら、確かにその通りだった。
どうやらその年の干支をお題として、頭飾りが作られているようである。

ということで三所神社の梵天奉納を堪能した。
いちばんの見所である中七日町通りでの梵天妙技を見ていないので、記事としては内容不十分かもしれないが、その観覧は来年以降の愉しみに取っておきたい。
また、増田町出身者として感じたのは「この町にもハレがあるんだなあ」ということである。
そんなことは当たり前なのだが、かつてここに住んでいた者としては「ケ」が常態であり、ハレの顔など見たこともなかったし、見ようとも思っていなかったのでちょっと不思議な感じがしたのだ。
最近「蔵の町」としてブレイクしつつあるとは云え、管理人にとってのこの街は「何にもなく、淡々と日常が繰り返されるだけの場所」でしかなかった。
そんな場所で人々が気勢を上げ、エネルギッシュに通りを練り歩くこと自体が不思議なのだ。
増田町にいろんな行事があることを頭では理解していても、「そんな晴れやかなことがこの町にあるもんか」という感覚が未だ拭えないでいる訳だ。
そんな管理人に、今日の梵天行事は生き生きとしたハレの姿を見せてくれた。
普段化粧っ気のない女性が、ある日に限って見とれてしまうほどのメイクを施して目の前に現れたようなかんじ、とでも言えばお分かりいただけるだろうか。
「増田はお前が考えているような何もない場所じゃないんだよ」と教えられただけでも、十分足を運んだ意義があったという気がしている。


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